30.精霊眼の男の子
私たちはトビアスに襲い掛かってしまったお詫びとして、彼を街のカフェテラスに招いていた。
実の所、私が不思議な精霊眼を持つという男の子から、少し話を聞いてみたいと思ったのが大きい。
昼過ぎのカフェテラスで、私は左右をティナとアーネに挟まれてトビアスと向かい合っていた。
トビアスの左右はフィルとナディアが座っている。
ナディアたちは、まだ完全に警戒を解いていないみたい。
警戒するなら第三王子のフィルを隣に座らせるのは拙いんじゃないかなぁと思うんだけど。
私はストレートのコーヒーを一口飲んだ後、トビアスに話しかける。
「トビアスはこの街に何をしに来たの?」
トビアスは紅茶のカップを手に持ちながら応える。
「何をしにというか……バーデン公国から移住してきたばかりです」
「神殿に来てたよね? 何をしに来てたの? 貴方も創竜神様の信徒?」
トビアスが肩をすくめた。
「私は白竜信仰者ではありません。ですが、各地の神殿や遺跡を巡るのが趣味なんです。この街の神殿も、一度見ておこうかと思いまして」
バーテン公国……聞き覚えのない名前だなぁ。そもそも私は、国の名前も覚えるのが苦手なんだけども。
私はコーヒーをこくこくと飲み込んだ後、ナディアに尋ねる。
「ねぇナディア、バーデン公国ってどういうとこだっけ?」
ナディアが警戒を緩めずに静かに応えてくれる。
「南方の小さな国家です。取り立てて特徴はありませんが、複数の宗教が信仰されています。その中で白竜教会は少数勢力。影響力はほとんどありません」
うーん、そんな国家の話は初めて聞いたかも? それなら聞き覚えがなくても仕方ないね。
創竜神様も、白竜教会の影響力が低い国に行け、と私に言う事はなかったし。
などと私が考えていると、トビアスが私に語りかけてきた。
「そのローブは竜の巫女のローブ、でしたか。巫女は強い神の加護を得ていると聞きます。白竜教会総本山の本殿では、神と対話できるとも。貴方は神――創竜伸と会話をしたことがありますか?」
私は、にへらっと笑って応える。
「創竜神様とはよく話してたよー。今はちょっとした事情で会話できないけどね。白竜教会総本山本殿に行けばまだ会話できるはずだけど、私はこの街から離れられないし」
トビアスの目が少し見開かれた――うーん、驚いてるはずだけど、やっぱりなんだか感情を読み取り辛い。
「この街から移動できないのに、会話したことがあるのですか?」
「そうだよ? 私は創竜神様から竜の寵児って言われてるんだ。竜の寵児は本殿じゃなくても会話できるんだよ」
トビアスが少し俯いて考えた後、私に向き直った。
「竜の寵児……話には聞いたことがあります。巫女の中でも特に強い神の加護を得た存在だと。そしてフリートベルク、ですか。貴方はもしや、フリートベルク王国の王族ですか?」
私はコーヒーを一口飲んだ後、笑顔で頷いた。
「一応、肩書は第二王女ってことになってるね!」
「一応ですか? なんにせよ、王族なんですね。それで先程や今の様に警戒が厳重ということですか――ところで、コーヒーをストレートで飲んでいて苦くないんですか? そんな飲み方、普通はしないでしょう?」
「苦いよ?! とっても苦いよ?! ――でも、なんだか飲めちゃうんだよね。最近はこの香りと共に味わう苦みも、悪くないかなって思うようになってきたかな」
黙ってごくごくと二杯目のコーヒーを喉に流し込んでいたフィルが、ふっと表情を和らげた。
「だいぶいいところまで来ましたね。あと半歩で、その香りと苦みの虜になりますよ。そろそろ、他のコーヒーも試してみても良いかもしれません」
「他のコーヒー? 例えばどんなの?」
「この店にもありますが、酸味を感じる銘柄や、苦みの切れがよくすっきりとした甘さを感じる銘柄もあります。僕は酸味が苦手なので、前者はあまり飲みませんけどね。本来なら後者の方が初心者向けだとは思いますよ。こちらも苦みと共に香り自体も控えめなので、やはり僕はあまり飲みませんけどね」
酸味はまだしも、ストレートで甘さ? コーヒーに? 不思議な飲み物なんだなぁ。なんだか奥が深い。
「そっか。フィルが一緒に飲んでくれるなら、今度試してみようかな?」
トビアスがフィルの顔を見た。
「貴方は王族であるアデラガルト王女と随分親しそうだ。まるで恋人の様ですね」
フィルが苦笑いを浮かべた。
「まるでもなにも、恋人同士だ。僕はフィリップ・マルティン・ゲシュテール。この国、ゲシュテール王国第三王子だ」
トビアスが今度は確実に大きく目を見開いていた。
「……これは失礼しました。そうですか、恋人ですか。せっかく美しい女性を見つけたと思ったのですが、残念です。私は恋人がいる女性に言い寄る趣味はありませんので」
残念? 何が?
それに美しい女性って……ティナやアーネは”可愛い女の子”だろうし、ナディアの事かな? でも年齢差が随分あるけど、そんなに年上が好きなのかなぁ? とてもそうは見えないし……
私は目をぱちくりとさせてから、おずおずと尋ねる。
「ねぇトビアス、それはどういう意味?」
フィルが苦笑いを浮かべながら解説してくれる――その手は、私がカップに伸ばしている手を包んでいる。
「一目惚れするほどゲルダさんが美しい女性だと言ったのですよ。ですが恋人を持つ人に横恋慕する趣味はないので諦める――そういう事です」
きょとんとしてから、顔が茹で上がるのを自覚した。
一目惚れ……そんな事を言われたのは生まれて初めてかもしれないな。
美しい女性って、私の事だったの? 最近フィルやフレドからも時折言われるけど、君たちはもう少し女性を見る目を養った方が良いと思うんだけど……
一応王族だから侍女たちが色々とお手入れはしてくれるけど、飾り気も何もないない、平凡な女の子だぞ?
そのまま、もう一度トビアスの目を見る――うーん、本気か冗談かさっぱり分からない。
小さくて少年っぽさを残した顔付はとても楽しそうに微笑んだままだ。
私は空いている手で顔を仰ぎつつ、トビアスに尋ねる。
「ねぇトビアス、フィルの言っていることは本当? それは本気で言った言葉?」
トビアスは声を上げて笑いながら頷いた。
「ははは! 精霊眼は感情を読み取りづらくさせます。ですからそう言われるのも慣れていますが、私は本気であなたが美しいと、一目惚れをしたと言いました。これは信じて欲しいですね」
本気かー。フレドみたいに言い寄ってこないなら良いけど……でも精霊眼ってなんだろう?
私は茹だった頭のまま、トビアスに尋ねる。
「精霊眼ってなぁに? その不思議な宝石みたいな目の事を言うの?」
「そうですよ。この目を持つ者が、バーデン公国では稀に生まれます。見た目以外は普通の人間の瞳と変わらないものなのですが、それだけで感情を読み取りづらくさせるのは魔導的な意味があるのでは、とも言われていますね」
うーん? 魔導的な意味?
小首を傾げる私に、ナディアが補足する様に説明をしてくれる。
「精霊眼保持者は、白竜教会の影響が少ない国家で稀に生まれると聞いたことがあります。つまり、創竜神様以外の古い神を信仰する地域に特有の現象だと言われている、ということです。瞳が違うだけで感情が分からなくなるというのは、生まれ持った魔導術式――それは呪いとも言えるものかもしれませんが、超常的な力の影響を受けているのではないかと言われています」
なるほど、創竜神様以外を信仰していると精霊眼持ちが生まれてしまう、という事かな?
でも創竜神様以外の古い神? どういう事だろう?
トビアスが再び小首を傾げている私の疑問を察して言葉を添えてくる。
「私は特に信仰する神を持ちませんが、バーデン公国には創竜神よりも古い神を信仰する地域が残っているんです。私はそう言った古き神の遺跡を巡る事を趣味としていますが、創竜神の神殿巡りもその一環のようなもの、とお考え下さい。要するに、神に関する事を調べるのが趣味なんです」
「神様の事を調べてどうするの? 調べる事だけが楽しいのかな?」
「神の使う魔導術式――専門的には魔法と呼びますが、それを使う方法を探しているんですよ。私は魔法を使うのが夢なんです」
神の使う魔導術式――それは前回のクリスさんとの戦いで私が使って見せた、遠距離広範囲大人数に対する大規模な加護の付与がそうだったと赤竜おじさまが言っていた気がする。
じゃあもしかして、創竜神様の加護を祈って与えるのも魔法なのかな?
私の考えを察したかのようにトビアスが言葉を続ける。
「竜の巫女は創竜神の加護を祈れるそうですね。その力は魔法の一種だと私は考えていますが、それは竜の巫女でなければ使えないとも聞きます。竜の巫女ではない私が使える力ではないので、それを詳しく調べる気にもなりません」
肩をすくめるトビアス――本気なのか冗談なのか。全然判断が付かない。
厄介だなぁ精霊眼。巫女の直感も巧く働かない感じだ。
創竜神様の加護である巫女の直感でも分からないって事は、やっぱり超常的な力が感情を読み取るのを邪魔してるんだろうな。
戸惑う私に、トビアスが苦笑を浮かべる。
「感情を読み取れない相手と深く付き合おうとする人間は少ない。”何を考えているか分からない”と迫害されることも珍しくない。私がフードを目深に被っていた理由はご理解頂けましたか?」
ナディアが厳しい目つきでトビアスを見据えて尋ねる。
「先程、”特に信仰する神を持たない”と言いましたね。それは悪魔を崇拝しているから、という意味ではないでしょうね?」
――あ、そうか。悪魔を崇拝してる人も”特に信仰する神を持たない”人だ。
私は唾をごくりと飲み込んで、トビアスの答えを待った。
トビアスは再び肩をすくめて、困ったように笑って見せた。
「この国では悪魔崇拝者と分かれば極刑と聞きました。仮に私が悪魔崇拝者だとしても、正直に告げると本気で思いますか? ――私から言えるのは、悪魔崇拝者なら多数派である白竜信仰を偽装するだろうという事ぐらいですね。神を信仰する振りをする方が怪しまれない。わざわざ自分から”信じる神は居ない”と告げる悪魔崇拝者が居るとは、私は思いません」
ナディアはしばらく厳しい目つきのままだったけど、ふぅと溜息をついて目を伏せた。
「――失礼致しました。確かにその通りですね。この場でその言葉の真偽を確かめる術はありません」
うーん? それってつまり、まだ悪魔崇拝者の疑いがあるって事?
どれもこれも、きちんと根拠を説明してくれる誠実な人に思える――んだけど、どうしても精霊眼が信じたい心の邪魔をする。
感情が読み取れないだけで、こうも人を信じられなくなるのかぁ。
私の傍仕えとして、私に近づけたくないと考えてしまうナディアの気持ちも理解できてしまう。
フィルがトビアスに言葉をかける。
「トビアスは同年代くらいに見える。僕たちは十五歳だ。学校はどこへ行くつもりだ?」
「私も十五歳ですよ。私はヴェルマン伯爵家に居候しています。叔父であるヴェルマン伯爵の勧めで、フェティーネ魔導学院の魔導学部に通う事になっています。編入試験は終わっていますよ」
同じ学院の同じ学部――再びナディアの目付きが鋭くなった気がする。
フィルも警戒心が上がったかな?
ティナやアーネも、ちょっとピリピリした感じだ。
ナディアがトビアスに提案する。
「――トビアス様、この後のご予定はありますか? 神殿に立ち寄る事は可能でしょうか」
「ねぇナディア? 私たちはその神殿から王宮に戻るところだよ? なんで戻るの?」
「このタイミングで魔導学部への編入――レッド公爵にトビアス様を見極めて頂く必要があります。でなければ私共は、彼の排除も考えなければならない」
”排除”――つまり、秘密裏に殺してしまうという事?
「ナディア! それはやりすぎだよ!」
「殿下がそれを考える必要はございません。私共が必要と判断すれば処理する、ただそれだけのことです――いかがですか? トビアス様」
トビアスは苦笑を浮かべたまま、また肩をすくめた。
「その排除というのは、おそらく不穏な意味合いを含む単語なのでしょう? ならば断われません。どちらにせよ、私はこの後神殿を見学する予定でした。何の問題もありませんよ。それと私は平民です。敬称を付ける必要はありません」
私たちはカップを空にした後、トビアスを連れて神殿に向かい足を向けた。




