16.第一容疑者
開け放たれた馬車の扉を見ながら、ナディアは私に謝罪した。
「申し訳ありません。取り逃がしました」
「しょうがないよ、あれで逃げられるなら、もう人間にはどうしようもないし」
”フィルだったもの”は、ナディアに襲い掛かられた瞬間、馬車の扉を突き破っていった。
馬車の中から見えたのは、醜悪で邪悪な笑みを浮かべる”フィルだったもの”の姿。
地面に着地した”フィルだったもの”は、直後かき消えるように姿を消した――ナディアは東の方向を見ていたので、そちらに逃げたのだろう。
ナディアは馬車の扉を閉めて座り直し、私に尋ねる。
「どこでお気づきになられたのですか?」
「最初はフレドのことを”あいつ”って言ったあたり。いつものフィルならあそこで多分”フレド”って呼んでる。そこで”あれ? 変だな?”って思った。決め手はコーヒーだよ。お砂糖とミルクを入れてコーヒーを飲むなんて、フィルなら絶対にしないもん。ストレートで二杯がいつものフィルだよ」
つまり、フィルがコーヒーをストレートで飲むことを知らない人が化けてたんだ。
普通はそんな飲み方しない。特に私たち学生でそんな飲み方をするのはフィルくらいだって前に言ってた。
フィルも街に居るときぐらいでしかコーヒーは飲まないって言ってたし。
ナディアは顎に手を当てて考えていた。
「なるほど、うっかり見落としていましたが確かにストレートで飲んでいませんでしたね。そんな気分なのかと思ってしまいました――となるとフィリップ王子は今、どこに?」
「朝別れるとき、”人に会う用事がある”って言ってた。その時に入れ替わったんだよ。会いに行った人か、その関係者の所にフィルが囚われてる……でも、なんでフィルに化けたんだろう?」
「……殿下に最も信頼され近しい位置に居る存在がフィリップ王子です。殿下を攫うにせよ殺すにせよ、フィリップ王子に化けるのが最も手堅いでしょう」
――それだけだろうか。
なぜか分からないけど、あの時のクリスさんの姿が脳裏をよぎってる。
『……白竜信仰クラブから、不自然な時期に武錬クラブにやってきた人が一人、いるじゃない?』
『直近で一番不自然な動きをしたのが彼だ、という話よ。貴方を追いかけるのだって、本当は命を狙っているのかもしれない。彼を無条件に信用しない方がいいわ』
フィルとフレドの試合を複雑な眼差しで見ながらそう言っていた。
これが巫女の直感なんだろうか。
私はあの時の何かに、まだ分からない何かを感じ取っている。
私を殺す事以外の目的があるような、そんな気がしていた。
「ねぇナディア。フィルと入れ替わる事で、メリットがある人って居るのかな」
ナディアが私の思考を察したように応える。
「殿下を”手に入れたい”人間なら、或いは。殿下をこの土地から連れ出してしまえば、悪魔の封印は次第に解けますから。殿下を手にかけずとも目的は達成できるでしょう。このまま連れ去ったフィリップ王子を手にかける事でもまた、”彼”の目的達成に近づくと言えます」
それでフレドの目的が達成できるのかな。でも確かに、フィルさえ居なければ私に近しい男性は彼ぐらいだろう。それで私がフレドと結婚するかは分からないけど、フレドなら押し切ってしまいかねないと私に思わせる人ではある。
今の私には身内以外、誰も信じることが出来なくなっている。
身内以外で唯一信じられた最も近しい人は攫われてしまった――彼を救い出さないと。
攫われた王子様を助け出すお姫様か。絵本とか童話だと逆じゃないかな?!
ナディアが考えをまとめた。
「ともかくまずは、フィリップ王子の消息を追いましょう。彼が今日、誰と会う予定だったのか――王宮で調べて分からないようであれば学院関係者で決まりでしょう。その人物に事情を聞けば、王子の前後の行動も絞れます。そのどこかでフィリップ王子の消息を掴む手掛かりが得られるでしょう」
王宮に帰り国王陛下に直々に相談を持ち掛け、フィリップ王子の予定を知る人間を全て洗い出したけど、誰と会う予定だったのかを知る人間は居なかった。
彼は誰に会うかを告げずに街で馬車から降りた後、消息を絶っていた。
私を護衛しながら王宮と学院を往復するだけの生活だった。他の貴族と会う約束をするならば、使用人が知らない訳が無いってナディアは言った。
「学院関係者で決まり、ですね」
しかも、休日に会う程度には親しい間柄――武錬クラブのメンバーである可能性が高まった。
*****
――翌朝、休日。
私は部屋で、ぐったりとソファに寝そべっていた。
ナディアが静かに私に語りかける。
「武錬クラブメンバーの疑惑が濃厚、現在入れ替わるメリットある人物がクラブに一人。彼から当日の行動を聞き出すべきでしょう。フィリップ王子が居ない今、ティナとアーネだけでは不安が残ります。ですが王宮内に居れば簡単に外部の者は手を出せないはずです。私が彼を直接問い質しましょう」
「……ううん、私が行く。多分、ナディアが行っても本当の事は何も話してくれないと思う」
「力ずくで口を割らせるだけです。問題ありません」
私は笑みを浮かべる――弱々しい笑みになってしまったけど、今はこれが精一杯だ。
「力でなんとかできる人じゃないって、私にはわかるから。あの強情な人は殺されたって力には負けないよ。彼に真実を話してもらうには、真っ直ぐな心でぶつからなきゃダメなんだ」
「……なぜ、そうお思いになるのですか? 彼との付き合いは、フィリップ王子より短いでしょうに」
「んっと……なんとなく?」
だって、ナディアに力で負けても不敵に笑うフレドしか、私にはイメージできないんだもん。
私の目をナディアは見つめた後、溜息をついた。
「……わかりました。全員で参りましょう。殿下の御身は私が必ずお守りいたします」
****
モフィス侯爵邸を訪れ、応接間に通された。
そこには貴族の私服を着たフレドがソファに座って待っていた。
いつもと全然違うイメージの服装、だけど顔にはいつもの不敵な笑み。
「どうした? とうとう俺と付き合う気にでもなったのか?」
――ああ、いつものフレドだなぁ。この人が悪魔崇拝者だったら、人間不信に陥りそうだ。
私は立ったまま、真顔でフレドに尋ねる。
「フレドは昨日、どこに居たの?」
フレドの目が、私たちの顔を一人一人確認する。
不敵な笑みが真顔になり、フレドが私に尋ねる。
「……フィルに何があった?」
「どうしてフィルに何かあったと思うのかな?」
フレドは肩をすくめて応える。
「あいつがお前を放置して俺に会わせる訳が無いだろうが。周りに侍女が揃っていようが、必ずしゃしゃり出てきて俺の前を遮る。そういう男だ。フィリップって奴はな」
私の顔に思わず笑みが浮かぶ。
「……そうだね。フィルなら絶対、付いてきてるね」
フレドの真剣な目が私の瞳を見ている。
「昨日の予定を聞いていたな? 俺は一日、家に居た。この家の人間としか会っていない。お前らはどこに居たんだ?」
「私たちは午前中、神殿で礼拝してた。フィルは別行動で、お昼に合流して、昼食を街で取ってから王宮に戻ったんだ。戻る途中の馬車で、フィルが偽物だって分かった。偽物のフィルにはその場で逃げられちゃった」
フレドが顎に手を当てて思考を巡らしてるみたいだった。
「――なら入れ替わったのはその午前中だな。あいつの午前中の予定は?」
私は首を横に振った。
「”人と会う”って言ってただけ。王宮の誰も、誰に会うかは知らなかった。街で降りてから、どこに行ったのかも分からない」
「……それなら学院関係者、か。武錬クラブの連中が一番怪しいな――なるほど、それで俺に会いに来たって訳だ」
フレドが肩をすくめ、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「――で? お前の感想はどうだ? 俺が悪魔崇拝者に見えるのか? 正直に言ってみろ」
私は微笑みながら真っ直ぐフレドの瞳を見つめた。
「……フレドは、違うね。悪魔崇拝者じゃない」
私は自分でもびっくりするぐらい、あっさり言ってのけた。
フレドは意表を突かれたみたいに目を見開いてた。
「……いいのか? ゲルダ。お前とフィルの命が掛かってんだぞ? そんな簡単に信用していいことじゃないだろうが」
「しょうがないよ。正直、今の私は誰も信じられないけど、フレドが嘘をついているように見えないんだもん。今、目の前に居るフレドは、私の知ってるフレドだよ。不利な条件でも、公正で対等な戦いを求める人だ」
フレドが再び不敵な笑みに変わる。
「……いいことを教えてやる。そういう人間だって、時に自分すら裏切る事がある。どうしても欲しいもの、どうしても譲れないものがある時、人は悪魔にだって魂を売る。それを知って尚、お前は俺を信じられるか?」
ナディアが私の背後から声をかけてくる。
「殿下……」
ナディアの言いたいことはわかってる。
今、彼の潔白を証明するものは何もない。
フィルの命が掛かってる。ここで間違える訳にはいかない。
私は一度目を瞑って深呼吸して、再び目を開ける。
「フレド、貴方の名前を教えて。それで判断するよ」
真顔で見つめる私の目を見たフレドが、不敵に笑って応える。
「俺はフレド。フレディ・モフィス侯爵子息だ。そしていつか必ずゲルダの夫になる男でもある。今度こそ忘れるなよ?」
その目を五秒見つめた私は、ゆっくり微笑んだ。
「ありがとうフレド。やっぱり君はいつもの、私の知ってるフレドだ――協力は勿論してくれるんだよね?」
フレドは不敵な笑みのまま応える。
「ああ、俺の方でも出来る限り奴が誰と会っていたか追ってみる――だが一つだけ教えてくれ。なんで昨日の今日で俺に一番に会いに来た? 俺がフィルと休日に会う約束なんて、すると思うか? 他の武錬クラブメンバーの方が可能性は高かっただろう?」
言われて気付いた。そうだ。フィルが休日に私と神殿に行くことを後回しにしてまで会う程の人物。少なくとも、フレドは該当しない。
なんで最初に来たんだっけ? ナディアに相談したからだっけ? そのきっかけはなんだった?
「……んーと、前にクリスさんにね、”フレドは無条件に信用するな”って言われたのが、なんか気になって。それをナディアに相談したら、確認に行こうって話になったの」
フレドは不敵な笑みを消して遠くを見ながら考え込んでいた。
「……ま、確かに俺の行動は不審だ。いきなり転属でお前を追いかけてきてる。一番怪しい。一番疑わしい。信用するなと言われても”そうだろうな”としか言えん。そこだけ見ればな。そこは無条件に肯定しよう。まぁ納得した。そんだけ分かれば充分だ」
私たちはフレドと別れ、馬車に乗って王宮に戻っていった。
私は大きく溜息をつきながら椅子にもたれかかった。
「――はぁ。フレドが違って良かった。これで信用できる人が一人作れた」
ナディアが私を窘める口調で告げてくる。
「殿下、そう簡単に完全に信用してはなりませんよ。モフィス侯爵子息も口にしていたでしょう? ”人は時に悪魔にだって魂を売る”と。モフィス侯爵子息だって、いつそうなるか分かりません。今回たまたま無実だったからと言って、今後もそうだと限りません」
「んー、フレドは大丈夫だよ。ああして不敵に笑いながら名乗りを上げられる間は、絶対に大丈夫!」
「相手が姿を偽れる存在であることもお忘れなきように。人はいつ、どのように心を惑わされるか分からないのです。常に相手を見定める心積もりで接して下さい」
「はーい。でもそんな事を言ってたら、ナディアたちだって信用できなくなって心が壊れちゃうよ。私は信じると言ったら信じるよ。フレドをね」
****
目を覚ますと、そこは地下牢だった。
蝋燭だけの頼りない灯りの中で、自分が牢に繋がれていると知った。
両手首を枷と鎖で縛りあげられ、壁に固定されている。
辺りはカビ臭く、湿った空気が漂っている。
――地下牢? なのか?
鎖を外そうと藻掻くが、自分の腕力で外せる物ではなさそうだった。
――こうもがっちりと固定されていてはな。
何があったのか思い出そうとしても、記憶にもやがかかったようにハッキリしない。
王族である自分を捕らえる理由なら、いくらでもあるだろう。誰が犯人かもはっきりしない。
ゲルダたちは自分を心配しているだろうかと、ふと心をよぎった。
あれからどれだけの時間が経っているのか――
しばらく考え事をしていると、こつり、こつりと石畳を靴が叩く音がする。
やがて一人の人物が姿を現し、満足そうに笑っていた。
その姿を見て、フィルは自分が誰と会っていたのかを鮮明に思い出した。
「僕をこんな目に合わせて何がしたい? お前の目的はなんだ?!」
その人物はフィルの声を聞くと満足したように頷き、微笑みながら来た道を戻っていった。




