13.拳
――明るい執務室。
老年の男が机に向かっていた。
今日も執務が滞り、陽が落ちても片付かない。思わず溜息が男の口をついた。
それもこれも、予定外の行動を取るあの娘のせいだ。
大人しく当初の予定通りに動いていれば、こんな余計な書類に煩わされる事もなかったというのに。
侍従に合図をしてブランデーを用意させ、グラスに注いで煽り、机に叩きつける。
酒気を吐息と共に吐き出し、男は再び書類に向かおうとした――ドアがノックされ、侍女が来客の到来を告げた。
男は舌打ちをした後、執務室を後にした。
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薄暗い応接間に貴族のスーツに身を包んだ老年の男が入ると、そこにはマントを羽織りフードを目深にかぶった男がソファに座り酒を呷っていた。
「お前に酒の味が分かるのか?」
「”味”だけはな。酔う事はできんさ」
老年の男が対面に腰を下ろし、別のグラスに酒を注ぐ。そのまま呷り、机に叩きつける。
「それで? 今日は何の用だ」
「間もなく首尾が整う。そちらは?」
「監視は付けてある。今のところ問題はない」
再びお互いがグラスに酒を注ぎ、グラスを打ち合わせる。
「我らが侯爵閣下の為に」
「乾杯といこう」
二人の男が酒を呷り、グラスが机に叩きつけられた。
****
――明るい執務室。
老年の男は先程より更に不機嫌になっていた。
だが侯爵からの強い要望だ。応じざるを得ない。
増えた書類にペンを走らせながら、男はブランデーを呷った。
叩きつけたグラスに、侍従がブランデーを注いだ。
続けてもう一度ブランデーを呷りかけ、途中で止めた。
――さすがに飲み過ぎか。
グラスをそっと机の上に置き、再び書類に向き合い、ペンを走らせた。
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朝、武錬クラブに顔を出した私は、目が点になっていた。
「よっ! ゲルダ。久しぶりだな!」
「フレド、なんでここに居るの?」
武錬場に居たのは、武錬服を着たフレドこと、フレディ・モフィス侯爵子息だった。
「今日から俺も武錬クラブだ。よろしくな!」
フレドはニヤリと不敵な笑みをフィルに向けたようだった。
私は思わずフレドに尋ねる。
「フレド、武錬の心得があるの?!」
「あー、やってみればなんとかなるんじゃねーの? とりあえず最初の相手は、お前がしてくれるか?」
フレドに見つめられ、冗談とも本気とも付かない言葉に混乱する。
「私は武錬なんてできないよ?!」
「じゃあなんで武錬クラブに居るんだ? やる気があるから居るんだろう? 違うのか?」
「それは……違わないけど……その」
まさかフィルと一緒に居たいから入りました、などと言える訳が無いじゃないか!
「お互い初心者同士、丁度いいだろう?」
「――嘘をつきなさい。貴方は経験者でしょう」
ナディアが冷たくフレドに言い放った。
氷雪の嵐の如き眼差しにさらされたフレドは肩をすくめた。
「嘘ではないさ。武錬として覚えた技術は一つもない。ただの我流、喧嘩殺法って奴だ」
ナディアが経験者と言い、フレドは初心者だと言う。
なんだか矛盾してる気がした。私には理解できない事の様だ。
私はまず、ナディアに聞いてみることにした。
「ねぇ、フレドってどのくらい強いの?」
「おそらく、フィリップ王子と互角でしょう」
えっ! フィルと互角?! それってかなり強いって事じゃないの?
私はフィルに振り返る――フィルもナディアの言葉に驚いたようで、目を見開いていた。
「ねぇフィル、我流とか、喧嘩殺法とか、どういう意味?」
「……武術としてではなく、喧嘩の中で磨かれた技術、ということです。誰かに教えられたわけではない、自分の力のみで培った技術。そういったものを俗に我流や喧嘩殺法と呼びます」
フィルがフリードマンさんに振り向いた。
「モフィス侯爵子息がクラブメンバーになったというのは本当か?」
フリードマンさんが困ったように肩をすくめた。
「ああ、朝一番に俺も知らされたばかりだ。昨日付で白竜信仰クラブを辞めて、今日付で武錬クラブ入りだそうだ」
あれ? フレドはあの日に白竜信仰クラブに入会したって言ってなかった?
あれからそんなに経ってないのに武錬クラブに入りなおしたって事?
なんで?
私と同じように呆然とするフィルに、フレドが笑いかける。
「同じクラブメンバー同士、仲良くやろうぜ?」
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試武台ではフィルとフレドが激しくぶつかり合っていた――らしい。
当然私の目で追いきれるものではなく、ちょこちょこナディアに解説してもらいながら見守っていた。
小柄で身体が柔らかい女子ならではの俊敏性を生かしたアーネと違い、フレドは男性らしい正統派スピードファイター……という事らしい。全てナディアの解説なので、私には何一つ意味が分からないけど。
そういう意味で、フィルにとっては戦い慣れた相手のはずだ、という話だった。
「その戦い慣れた相手に、三十分くらい闘い続けて勝負が付かないの?」
「それだけ力が互角、という事です。モフィス侯爵子息の動きが武術の動きではないので、そういう輩に慣れていないフィリップ王子が手間取っている面もありますね」
「それはどういう意味?」
「武術での戦いにばかり慣れているフィリップ王子には、武術の動きから逸脱したモフィス侯爵子息の動きを予測できないということです。スピードタイプにこれをやられると少々厄介ですから、苦戦は仕方ないでしょう。慣れるまで耐えられるか、慣れられる前に潰せるかの勝負です」
うーん、難しい事だらけでよくわからない。
でもフィルには負けて欲しくないな。
だけどフレドにも負けて欲しくない気持ちもある。
なんで二人が戦ってるんだろう?
別々の相手と戦っていれば、素直に二人を応援できたのに。
目を伏せてモヤモヤしていると、ナディアが「あっ」と声を上げ、私も目を向けた。
足を滑らせたフィルに向かって、フレドの拳がフィルの顔の目前で止められていた。
寸止めというらしく、これで当たったと見做して勝利になるのだとか。
不敵に笑うフレドがフィルに勝ち誇っていた。
フィルはわずかに悔しそうな表情を浮かべている。
「まず、俺が一勝だな」
「……まだあと一本ある」
「ねぇナディア、あと一本ってどういう意味?」
「この勝負は三本勝負。先に二勝した方が勝者となるルールです」
「いつもはそんな事してないよね?」
「モフィス侯爵子息からの提案ですよ。公正を期すと言って」
「それはどういう意味?」
「トリッキーなモフィス侯爵子息は、相手に動きを把握される前に勝負を決めるのが命の戦い方です。ですが、それではすぐに一勝して終わってしまう。だから動きに慣れる為に一勝負譲る――そういう意味です。次の一勝負が決まるまでにモフィス侯爵子息の動きを捕らえられれば、フィリップ王子にも勝ち目があります。三本目にもつれ込めば、スタミナで勝るフィリップ王子有利でしょう」
つまり、自分が一方的に勝利する試合を好まず、相手にも勝利する機会を与えたんだ。だから”公正を期す”って事なんだな。
……やっぱりフレド、悪い人じゃないよな。
悪い人ならそんなことしないで、勝ったらお終いにするだろうし。
二本目は途中からフレドの動きに着いて行けるようになったフィルの蹴りがフレドに決まり、お互い一勝一敗に。
三本目にもつれ込み、スピードの落ちたフレドをあっさり捕えたフィルが拳を顔面に寸止めしてフィルの二勝一敗。
試合としてはフィルが勝利した。
対戦が終わると、武錬場が割れる程の拍手と歓声で包まれてた。
「お前それで初心者かよ!」
「よくそのスタイルで三本勝負を申し込んだな?!」
「我流でこのクラブトップクラスとか、俺たちの立場がないんだが?!」
疲れ切って倒れていたフレドにフィルが手を差し伸べて助け起こすと、起き上がったフレドの背中をクラブのみんながバシバシと痛そうな音を立てて叩いていた――あれで激励の意味があるらしい。クラブの生徒たちがフレドの気概と実力を認めて褒めたのだと、ナディアは言っていた。
「いてぇっ! 加減して叩けよ!」
背中を叩いていくクラブの生徒たちに向かって、フレドが文句を言っていた。
どこか納得のいかなそうなフィルが、フレドに語りかける。
「おいモフィス侯爵子息、なぜ三本勝負なんて提案した」
めんどくさそうにフレドが振り向いて応える。
「あー? 一本目は見事にお前が負けてたろうが。それでしまいじゃつまんねーだろう?」
「……一本勝負なら言い訳にならない。負けなら負けで認めるさ」
「あれが俺のスタイルだ。ま、一本目でてこずった時点で俺の負けみたいなもんだ――文句は言わせねぇ。俺のスタイルにお前が口を出す権利はねーな」
「ヘッ!」と不敵に笑って見せるフレドに、フィルも「フッ!」と笑って互いに拳を伸ばして、打ち合わせていた。
「ねぇねぇナディア、今の拳をぶつけるの、痛そうだけど意味あるの?」
「あれは男同士が互いを認めあった時のサインです。フィリップ王子もモフィス侯爵子息も、お互いの実力と気概を認めあった、そういうことです」
うーん、よくわかんないけどモヤモヤする……
なんで男の子同士なのにあんなに仲がいいんだろう?
下手すると私より仲が良くないかな?!
私はフィルに駆け寄っていって「拳を出して!」と叫んだ。
フィルは戸惑いながら拳を前に出したので、私はそれに合わせて自分のげんこつを思いっきりぶつけてみた――「いったあああい!!」
私は床を転げまわりながら「なにこれ凄い痛いじゃない!!」と叫んでいた。
それを見ていたクリスさんが大笑いをしながら近付いてきて、私の手をさすってくれていた。
「あれは殴り慣れた人同士じゃないと痛いのよ? 殴り慣れてない人はそっと合わせるの」
「それを早く言って?!」
「私が教えたわけじゃないもの。私に言われても困るわ――それにしても、男同士の友情にまで嫉妬するだなんて、あなた本当に独占欲が強いわね」
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試合が終わったフィルとフレドが、武錬場の壁際に並んで腰を下ろしていた。
彼らの視線の先、反対側の壁際には無垢な王女が白いローブを着て、やはりこちらを眺めているようだった。
遠目でもわかる程、端正で美しく小さな顔。艶やかな長い亜麻色の髪の毛が、純白のローブに映えていた。
彼女はその美しい顔で表情豊かに無邪気に振舞い、花のように柔らかく微笑むのだ。
王女を青空の瞳に映しながら、フィルが尋ねる。
「おいモフィス侯爵子息、どうして武錬クラブまで追ってきた」
不敵な笑みを浮かべながらフレドが応える。
「へっ、あんないい女、そう簡単に諦めると思うか? この俺様が」
「勝ち目がない勝負だという自覚はあるのだろう?」
「そういう勝負こそ燃えるってのは、お前も理解できるんじゃねーの?」
男たちは再び静かに拳を打ち合わせた。
それを眺めていた王女の顔が、わずかにしかめられたようだ。
フレドが含み笑いをしながら語る。
「ククク……どんだけ嫉妬深いんだかねぇ、あのお姫様は」
「さぁな。僕にも予想外だ――あんな嫉妬深い女でも、追いかけるのか? モフィス侯爵子息」
「フレドだ。あんたはそう呼んでいい」
「そうか。じゃあお前もフィルと呼べ」
「じゃあフィル――嫉妬深い女、大いに結構。それだけそいつの中身が俺で染まってる証拠だ。滾るね。お前は違うのか?」
「……その気持ちは、まぁわかる。充足感で堪らん気分だ。だが彼女の周囲に居る為には覚悟がいる。他の全てを投げうつ覚悟が――お前には有るのか?」
「まさか、お前に無いとは言わないよな? なら分かるだろう?」
三度目の拳が打ち合わさった時、愛らしく顔をしかめた王女が武錬場を横切って男たちの元へ駆け寄っていった。
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――薄暗い石造りの部屋の中。
マントを着込んだ男の足元に、穢された白いローブが転がっていた。
「――ようやく一人か。侯爵閣下の命令とはいえ、まったく面倒だな」
男が魔導術式を展開し、場の封印を解いていく。
封印を解き終わると、男は白いローブの上から転がる”もの”を踏みつけた。
「まったく忌々しい! こんな面倒をせず、さっさと”あの寵児”を始末すればいいものをっ!」
男の背後で黒い何かが封印から解かれ、うごめきだした。
「……あとは任せる。俺は別の場所へ行かねばならん」
男はフードを目深に被ると、足早に石造りの部屋から去っていった。




