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風の娘と帝王の鳥籠(大根と王妃の過去番外編)  作者: 大雪
第三章 風の娘は帝宮で保護される
20/23

謁見の失敗に風の娘は嘆き、皇帝達は『あの方』について話し合う

 謁見は大失敗だったーー。

 と、楓は信じて疑わないのだが、周囲は違うらしい。


 あの謁見から三日。

 楓は皇帝陛下の前だ卒倒した自分に心底呆れつつ、自己反省の日々だった。


 だがーー。


「見て下さいな、楓様。陛下からこの様な素敵な衣装が届いておりますわ」

「……」

「この装飾品は、我が帝国名産の宝石を使ったーー」

「……」

「こちらの靴の装飾は、陛下の尽力により復活した古代の装飾技術により作られた『国宝装飾』によるもので」

「……」

「楓様? どうなされました? もしかしてお気に召さなかったのでしょうか?」


 そんな事はありません。

 むしろとんでもありません。


 楓は、この三日間、皇帝陛下から毎日の様に送られてくる品物に恐れおののいていた。警戒して物陰に隠れる小動物の様な状態で、机の上に広げられた目にも眩しい贈り物に怯えていた。


「……その、もう服は沢山頂いていますし」

「まあ、何を言われますか! むしろ足りないぐらいですわ、楓様。ああ、こんなにも急いで楓様をお迎えせずにもう少し余裕がありましたら、完璧に準備を整えましたのにーーですから、その足りなかった分を今行わせて頂いているだけですわ」

「足りないって」


 どこが?


 楓にとっては分不相応な対応をしてもらっている。

 与えられる衣装も、食事も、そして通された部屋も、全てが楓には分不相応だった。


 まるでお姫様の様な扱い。

 それこそ、楓は一番不似合いな扱いである。


 それとも、これはお姫様にはまだまだ足りない扱いだろうか?


 そんな事を考え、楓はぶんぶんと首を横に振った。


 足りなかったとしても、楓には過ぎたる扱いである事には変わりなかった。




 帰りたいーー。



 楓の中に、軍への帰郷の念が募る。

 楓にとって、萩波率いる軍はもはや故郷そのものだった。


 懐かしい面々の顔を思いだし、楓は涙ぐむ。

 その様子に、菖蒲以下侍女達が言葉を詰まらせる。


 楓は決して大きな声で泣きわめなかった。ただ、静かに泣声を堪えるようにして涙を流していた。


 彼女達は目配せした。





「楓お姉ちゃんの所に行くの?」

「ええ、そうですよ。嫌ですか?」


 萩波は、拠点内の最奥のテントで明燐を側に読み書きの練習をしていた果竪に問いかけた。


「ううん、嫌じゃないよ。でも、行っても良いの?」


 果竪なり何かを感じ取っているのだろう。そこから来た問いかけに萩波はにっこりと微笑んだ。



「ええ、勿論ですよ。皇帝陛下から是非にとのお話ですから」

「では果竪、またお洒落ですわね!」

「え? 前の服で」


 前着せられた服で良いと言おうとした果竪に、明燐が目をつり上げた。


「まあ果竪! もしかしたら皇帝陛下にお目通りするかもしれない状況で、また同じ服などあり得ませんわっ!」


 果竪は明燐の勢いにたじろいだ。

 傍に座って書物を読んでいた朱詩にしがみつく。


「華美すぎず地味すぎず! それでいて、萩波の妻としての威厳と気品を失わない様な衣装にしなければ! もちろん、装飾品と靴もそうですし、髪型だってしっかりとしたものにしなければなりませんわっ」

「あ、う、う」

「明燐、果竪が怯えてる」

「白と緑の服がいいな」

「それ絶対に大根色だろ!」


 果竪にしがみつかれた朱詩が明燐を抑えようと声を上げた瞬間、果竪は冷静に望む色を伝えて朱詩に突っ込まれた。先に押さえ込まれたのは果竪だった。


「私、白と緑が好きなんだもんっ!」

「絶対にだめ!」

「朱詩の馬鹿あぁぁぁっ」


 果竪は朱詩から離れようとしたが、ガシッと抱きしめられており失敗した。ジタバタと手足をばたつかせてはいるが、朱詩は絶対に離さないだろう。

 見た目は可憐華奢な美少女という容姿だが、力はしっかりと男なのだ。


「朱詩、果竪が嫌がってますわ、お放し下さいな」

「明燐に怯えて先に抱きついてきたのは果竪の方だけど」

「まあ? それは幻覚ではなくって? 果竪がこの私に怯えるなど笑止千万な事ですわ」


 かたや見た目妖艶可憐な美少女、かたや華麗妖艶な美少女。


 そんな二神がバチバチと笑顔で火花を散らせる様は、本当に恐ろしかった。


「果竪をお放し!」

「嫌だね!」


 暴れる明燐と朱詩。

 そんな彼女達を少し離れた所から見守るのは、鉄線と百合亜だった。


「なんていうのでしょうか」

「うん」

「絶世の美少女二神を左右に侍らす位置関係だと言うのに」

「うん」

「ヘビに睨まれた蛙の様な果竪の姿は」

「……ああ、そうだな」


 鉄線は、とりあえずそう同意する事しか出来なかった。相変わらず朱詩に抱えられている果竪は、手を明燐に引っ張られていた。


 恐ろしさに怯える様はあまりにも哀れだった。


「というか、萩波様」

「なんでしょうか?」


 忘れられそうだが、萩波はずっとそこに居て、その光景を笑顔で見守っていた。


「萩波様しか明燐達を止められませんが」

「そうですね。ですが、あの様な果竪も可愛らしくて」

「果竪は笑顔が一番素敵です」


 百合亜にバッサリ切り捨てられた萩波は苦笑した。萩波としても本気で言っていたわけではなく、彼はその後、いとも簡単に明燐と朱詩を止めてしまった。





「で、結局いつまでこの帝国に留まるのさ」


 明燐ととっくみあいになって乱れた筈の衣服は寸分の乱れもなく直され、朱詩は萩波に問いかけた。あの後、朱詩を始め、軍の上層部の中でも特に萩波に近しい側近達が本部のテントに集められていた。


 朱詩の言う事はもっともだった。

 時は金なりであり、少しも無駄には出来ない。


「そうですねーー問題が解決するまでは」


 しかし、萩波はそう言っていつもの笑みを崩さない。


「問題?」

「ええ」

「萩波、それはどういう事だ?」

「そうですねえ……ただ、一つ言える事は、この問題が解決した時、私達は楓を失うかもしれません」


 明睡が眉をひそめる。

 朱詩が息をのみ、他の者達も大きな声は上げないが目配せしたりと普段の冷静さからは考えられない姿を見せた。


「それ、どういう事?」

「それを今から説明しますよ。まあ、その時になって楓が私達と共にいる事を望めば、失わずにすむかもしれませんが……今からでは分かりません。それに……決めるのは楓でしょうから」


 そう言うと、萩波は口を開いた。





 淑芳は皇帝だけが座ることを許された玉座に足を組んで座り、片手で頬杖をついた。そんな淑芳の眼下には、既に自分の忠実な臣下となった者達が居る。彼ら彼女らはそれぞれに美しく麗しく、多種多様な美男美女、美少年美少女が揃っていた。

 また、男の娘と呼ばれる性別を超越した美貌の持ち主達も多くおり、そこは『後宮』とすら言える様な絶景を生み出していた。


「鼠は動き出したか?」

「いえ、向こうもなかなかに慎重でして」

「ーー臆病なだけだ」


 淑芳はいつもの言葉遣いすらせず、淡々と臣下の言葉に答えた。


「あの、皇帝陛下」


 恐る恐る声を上げたのは、上層部の一神だった。


「本当に……あの、女性を」

「何か問題でも?」

「いえ、その、ただもし、楓という女性が、その」


 何かを言いよどむ、女性より余程美しい美貌を持つ青年に淑芳は艶やかに微笑む。


「もしかしたら怪我をするかもしれない」

「っ……」

「かすり傷ではすまず、怪我は大きなものとなるかもしれない。毒を盛られるかもしれない。そう……殺されるか」

「陛下っ」


 わなわなと青年が震える。


「もし万が一、その女性があの方でなければどうなさりますかっ?! 貴方様はいたいけで無辜な女性を危険な目に」

「『あの方』だったら?」


 淑芳の言葉に、青年の目が見開かれる。


「ならば『あの方』だったら」

「ーー帝国の民達を、怒らせたいというならば」

「そうだな。まだ十五年しか皇帝になっていない、外から来た外部者の俺など、すぐさま足下を掬われるな」

「陛下!」


 目をつり上げた青年は、それでも美しく麗しかった。そんな臣下を片手で制し、淑芳は威厳と高貴さに満ち溢れた、神の上に立つ事に慣れた様子で口を開いた。


「あの女性が『あの方』だろうとなかろうと、今更だ」

「陛下」

「既に、楓という女の存在は奴らも気づいている。疑わしきものは罰せよ。はっ……こっちが気づく前に、どこで見つけたのやらーー既に三度襲撃してきているからな」

「っ……なんと、忌々しい」

「幸いにもこちらの保護下に置けはしたが、身分も地位もない、素性のしれぬ女が皇宮に居る事を非常に嫌う者達は決して少なくはない。たとえ、『あの方』に似ているといっても」


 『あの方』という言葉に、臣下達は目を伏せる。


「本当に忌々しい限りだ」

「身の程知らずにも程がある」

「既に、悪評は覆されている」

「自分達が温情により見逃されているとも知らずに……なんと恩知らずな輩達」

「全てを『あの方』に押しつけたくせに」

「しかも、奴らがもったいぶるように戴く前皇帝陛下の、前々正妃腹の皇女ではありませんか」

「母君であられた前々正妃も名家の出身……奴らが望む、それはそれは高貴な血筋だと言うのに」

「ただし、寵愛無き前々正妃ではあったがな」


 臣下の一神の言葉に、周囲が咎める様に視線を向ける。しかし、その麗しい青年はそれらをものともせずに言葉を続けた。


「そして前皇帝好みの容姿も持たず無価値と判断され、皇宮の片隅に追いやられていた存在。『廃皇女』と呼ばれ、『後宮』の一番下の地位の妃すら足下にも及ばぬ卑しく下劣極まる石ころだったか」

「貴様」


 隣に居た、凜々しいーーけれど同性する堕落させる様な妖艶な美貌と色香の青年が厳しい声で咎める。


「本当の事だろう? 誰からも蔑まされ、価値無きものとして疎まれていた。しかも、前皇帝が寵愛した亡き寵妃の産んだそれはそれは麗しく美しく可憐で聡明な末皇女をそそのかし、常に自分の側に置き、前皇帝から奪った事で、実の父親からはそれはそれは憎まれていた。実の父の差し向けた刺客に襲われ、毒を盛られ、家臣から戯れに、また前皇帝の信頼を得ようとする手段として命を狙われ続けた。にも関わらず、末妹を側から離さなかった皇女様。前皇帝の不興ばかり買う事に気づかない、愚鈍で暗愚なお姫様」

「そう、お前の言うとおりだ」


 淑芳は頷いた。


「着る物にも苦労し、食べる物も満足に与えられず……けれど決して父皇帝に頭を下げなかった。這いつくばり、惨めに物乞いをしなかった。前正妃ーー前皇妃だったら、この俺にさえ助けを求めなかった」


 そこで淑芳は嗤った。


「それを知ろうとさえしなかった俺も俺だがな」

「陛下」

「いや、もう過ぎた事だ」


 果たして当時それを知った所で、淑芳に何が出来ただろうか?


 最後に彼女を見殺しにした、淑芳が。

 淑芳は淑芳なりに全力を尽くした。

 前皇帝の末皇女の件でもだ。


 末皇女は誰よりもそれを分かってくれていた。


 ただ、それでも思う。



 もし、淑芳の真意が、彼のやろうとしている事を『あの方』が知ることが出来たら


「大丈夫だ」


 誰かがそう言う事が出来ていたならば、『あの方』は自分の手を父の血で濡らす事は無かっただろう。


 そして、彼女が生活に困窮していた事をここに居る誰もが知らなかった。前皇帝から疎まれ、前皇帝派の者達から蔑まされ、前皇帝に目をつけられる事を恐れた者達に見捨てられ。

 それでも生きようとした中で、彼女は見つけ、手をさしのべ、少しずつ集めていった。


 ここに居る者達は。

 淑芳や一部を除けば、多くが彼女のその行動によって大切な宝を守られた。


 彼女が集め、隠し続けてくれたからこそ、再び取り戻す事が出来た。



「今更だ」



 小さな声で、けれど誰のどんな囁きよりも艶めかしく色香に富んだ声音に含まれているのが諦観にも似たものである事に眉をひそめた者達は決して少なくはなかった。





 演舞帝国には、女帝の三つの懐刀がある。中でも、第一の懐刀と呼ばれる存在こそが、演舞帝国の右宰相閣下だ。


 女帝には劣る物の、それは美しく艶っぽい滴るような色香を放つ右宰相は、颯爽とした身のこなしで裾を翻してある場所へと向かっていた。


 右宰相の姿に、行き交う者達は次々と頭を下げていく。その麗しさに思わず腰が砕けそうになった者も決して少なくはなかった。


 しかし右宰相はそれらをものともせず、次第にすれ違う者達が少なくなった廊下をただひたすら進んでいく。

 そしてようやく行き着いた場所は、皇宮の外れにあるひっそりと佇む小さな離宮だった。小さいといっても、それなりの広さではある。ただし、他から見れば明らかに小さく、狭く、古ぼけてボロい建物だった。


 建て直した方が良いぐらいの建物だ。実際、あまりにもボロい建物は次々と建て直されている。しかし、ここだけは決して手をつけられる事は無かった。

 それどころか、許可された者以外は決して此処に立ち入るどころか、この周辺に近づく事すら許可されなかった。


 やはりボロい塀で囲われたその建物の前に立てば、見張りとして立っている女武官達が次々と敬礼をしていく。


「変わりは?」

「ありません。いつもと同じく、健やかにお過ごしでございます」


 女武官は礼を持って答え、右宰相が中に入るのを見送った。



 建物の中には、侍女達が居た。

 右宰相、そして他二名ーー左宰相と外務長がそれぞれ雇った者達だ。彼女達は厳しい基準をクリアしただけではなく、その経歴でもって採用された。


 彼女達は実によく働いた。

 彼女達は本当に仕事熱心だった。


 そして仕事の垣根を越えて、彼女達は自分達がお守りする主を大切に思っている。


 右宰相は、もう少しでその部屋に辿り着こうという場所まで来た時だった。



「きゃはははははははっ」

「おひいさま! お待ち下さいませっ」

「あはははははは」


 子供の甲高い叫びに似た笑い声だが、それをもたらす存在は到底子供とは言えない年齢だった。


 年の頃は二十代後半。

 整った容姿をしているが、美女と言うには色々と足りない。けれど、穏やかで品の良い顔立ちは今、無邪気な笑みを称えていた。

 女性はケタケタと嗤いながら、裾を翻しながら走り、その後ろを侍女達が追いかけている。その侍女の一神の手には、小さな女の子が抱きかかえられていた。

 まだ二つになるかならないかの幼子は、不安そうな顔をしていた。


 その幼子は女性によく似ていた。

 一目見て、親子と分かる顔立ちだった。


 しかし、女性は幼子に見向きもせず走り、そして右宰相の元まで来る。彼女はこちらをちらりとも見ようとはしないが、右宰相は彼女の腕を優しく掴み、その歩みを止めさせた。


「あ~?」


 動きを止められ、女性は不満そうな声を上げる。成神した女性のする言動ではない。それもそうだ。彼女の心は言葉も話せない幼児に戻ってしまっているのだから。


 心が粉々に砕け散った彼女は、言葉も話せず、物も分からぬ子供の様に振る舞う。自分の産んだ子さえ忘れ、その父親すら忘れ。


真紫(しんし)っ!」


 鋭いが、艶めいた声音に右宰相は声が飛んできた方を見た。そこに居たのは、険しい顔をした彼の同僚ーー左宰相だった。


 彼は真紫と呼ばれた女性の腕が右宰相に握られている事を知ると、よりいっそう顔を険しくした。けれど、類い希なる美貌は険しくなっても尚麗しく、見る者達を魅了した。右宰相を除けば、ただ一神、真紫と呼ばれた女性以外は。


「あーーっ!」


 彼女は右宰相に捕まれた手を振り払い、そのまま走りだそうとして左宰相に捕まった。


「真紫っ! 何をしているっ」


 無愛想と言われている彼は、基本的に言葉数も少ない。しかし今は、その艶めかしい唇から幾つも厳しい言葉を紡いだ。

 その後ろには、父に似た双子の兄弟が居た。

 左宰相の双子の子息達だった。


 まだ十にもならないが、父に似た麗しい美貌は子供とは思えない婀娜っぽさを匂い立たせていた。髪も長く、まるで少女の様な出で立ちの彼らは、父の後ろから飛び出て真紫の足にすがりついた。


「お母さん」

「お母さん、どうしたの?!」


 真紫は彼らの母だった。


 そして、左宰相の妻だった。

 彼女は左宰相の妻として子を産み、二神の息子と一神の娘を産んだ。

 しかし悲劇は娘を産んでまもなく起きた。


 彼女は夫と、夫によく似た息子達を奪われた。

 この国の大将軍と呼ばれた男の息がかかった盗賊と奴隷商神達によって。

 彼女は幸せだった家庭を壊され、夫と息子を奪われ、残った娘と共に夫達の目の前で猛獣と共に洞窟に閉じ込められたという。

 その後どうなったか知らないのは、妻と娘の悲鳴を聞きながら夫と息子が連れ去られていったからだ。


 それから、かなりの時を経て彼女は夫と息子の元に娘と共に現れた。

 夫と息子は、何神かの主達を経た後、最後にこの国の大将軍に献上された。夫は、大将軍の最も寵愛深い愛妾とされ、息子達は未来の愛妾候補として養育された。


 今はもう思い出したくもない過去だった。


 それよりも大切なのは、長きに渡って離ればなれになっていた妻と娘の事だった。死んだと思っていた彼女達は彼らの下に現れた。

 ひょっこりと言うべきか、突然と言うべきか。


 左宰相となった夫は喜び、息子達は母にすがりついた。

 しかし、その時にはもう、妻の方は壊れていた。

 娘は怯え、神の手を拒んでいた。

 妻は娘に危害を加える事は無いが無関心で、まるで幼児の様に振る舞った。


 そんな妻を見捨てろという者達は多かった。左宰相に自分の縁者の娘をと望む者達は率先して騒いだし、むしろ左宰相を妻にと望む男達もそを望んだ。


 左宰相は、寡黙な男だった。

 見た目がどうであれ、彼は男だった。


 彼は妻を力で排除しようとする輩を、口にする事すら憚られる様な手段で排除していった。そして、壊れた妻を、娘と共にこの建物の中に囲っているのである。


「真紫っ!」

「あぁっ!」


 夫の手を振り払い、泣きじゃくる真紫は幼子にしか見えなかった。そんな壊れた母を、息子達は慕う。自分達を見てくれなくても、彼らにとっては最愛の母だった。


「真紫、来なさい」

「やぁぁあっ」

「真紫っ」


 抵抗する真紫を引きずり、左宰相が連れて行く。侍女達がおろおろとするが、敬愛する主にもの申せす事も出来ず、その後をついていった。左宰相の双子の息子達がこちらを見て、ぺこりと頭を下げて父達の後を追っていく。


 真紫の泣声はしばらく続き、そして聞こえなくなった。



「……」


 溜息を漏らし、右宰相は歩き出す。

 そして程なく目的地についた。



 しかし、そこには普段は居るはずの彼女は居らず、ただかの神だけが静かに眠っていた。


 幾重にも張り巡らされた薄絹の奥ーー部屋の中央に置かれた天蓋付きの寝台の上で微動だにせずに眠り続けるのは、十代後半の少女だった。


 愛らしい顔立ちだが、こちらもやは美少女と言うには少し足りないがーー。


「何か用か?」


 背後から問いかけた相手に、右宰相は振り返らずに答えた。


「此処に、目当ての神物が居ると思って来たんですがね」

「ーーああ、今の時間は居るな」


 そう言うと、その青年は笑った。ゆっくりと振り替えると、先ほど会議で皇女を悪しきざまに、いや、悪しきざまとは少し違うが、今はもう居ない『あの方』の悪評を語っていた男だった。


「お前も此処に来ていたんですね」

「そういうお前こそーー」


 そこで言葉を止め、青年は寝台に横たわる少女へと視線を向けた。その視線に含まれる物を見ながら、右宰相は口を開いた。


「今日もすやすやと眠っていますね」

「ああ。十五年、いや、その前からずっとだ」


 いつ彼女が『あの方』の手に渡り、此処に居るようになったのかは知らない。ただ、見世物とされていた少女は確かに『あの方』によって好奇な目に触れず、静かに眠り続けられるように隠されるようになった。


 『生き神形』として、どんな事をしても目覚めないと乱暴の限りを尽くされ治らぬ傷を受け続けていた体は、長い時をかけて傷一つ無い肌を取り戻した。


 それでも、彼女は眠り続ける。


「見れば見るほど似ていませんね」

「当たり前だ、俺とこれは血が繋がってないんだからな」


 それでも、青年にとっては特別な存在なのだろう。今はこうだが、小さい頃はひねくれてはいたが臆病で泣き虫な所のあった青年の手をひいて、この義姉は歩いてくれた。


 本来であれば、青年よりも少し年上ーー三十に達する筈の体は、十代前半で止まったままだった。神なのだから、成神すれば外見年齢は自由に変えられるが、この少女の体は成長そのものを止めてしまっていた。


 だから、いつまで立っても体は成神前なである。


 彼女もまた、義理の弟と離されて久しかった。義理の弟は姉と引き離されて長く、もう彼女は生きていないと思っていた。彼女は、両親と共に火に巻かれて死んだ筈だった。

 しかしーー。


「戦果はどうですか? その為に外務長になったのですから」

「さっぱりだ」


 外務長と呼ばれた男は、お手上げと言わんばかりに両手をあげた。どこかふざけた様子だが、これで仕事となれば誰よりも優美で気高く気品溢れた言動で周囲を魅了する。


「ま、気長にいくさ。どうせ、神に寿命なんて無いんだからな」

「そうですね」

「それに……生きていれば何とかなるもんさ」


 生きていればーー。

 そう、生きていればどうにかなる。


 生存すら絶望視していた。

 また会えるなんて思ってもみなかった。


 再びその姿を目にして、触れる事が許されるなんて。



 カタリと音が聞こえ、右宰相は音のした方を見た。そこに居たのは、両目を細い帯状の布で覆い、喉元に包帯を巻き、長い髪を背に流した十代後半の少女だった。

 手には、美しい花々を抱えている。


「おやおや、お戻りだ」

遙華(ようか)


 右宰相は、ごく親しい者達にだけ見せる笑みを浮かべ、近づいてきた彼女の手をそっと取り、その手の甲に口づけた。

 だが、その手の甲の反対側ーー掌は両手共に焼け爛れ、誰もが思わず顔をしかめる様な醜さを持っていたのだった。


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