よそ様の世界を救うより、うちの子を叱る方が先だよ
「レーヤ。女神の祝福は、本当に元いた世界への帰還でいいのか?」
「ああ。この世界の掃除も済んだしね」
「魔王討伐を掃除と言うのは、君くらいだと思う」
「終わったなら同じだよ。それより、あんたは?」
「民から王になってほしいと言われている」
「いいじゃないか。やりな」
「簡単に言うな」
「魔王を倒すよりは楽だろ。毎朝、首を取りに来る相手はいないんだから」
「……君は王政を何だと思っているんだ」
「人に飯を食わせて、喧嘩させない仕事」
勇者はしばらく黙ってから、肩の力を抜いた。
「なるほど。少し気が楽になった」
「ならよかった」
「それで、レーヤ」
「何」
「僕の妻になってくれないか」
「またかい。お断りだよ。あたしにはもう、子どもがたんまりいる」
「四十七人だったな」
「そこはちゃんと覚えてるんだ」
「なら、四十八人目として養子にするか、夫にするか選んでほしい」
「何でその二択なんだい」
「合理的だと思うが」
「どこが。あたしゃ中身は四十三だよ」
足元に女神の光が広がった。もう時間らしい。
「本当に帰るのか。俺を置いて」
「何、その捨てられた犬みたいな言い方。帰るよ」
「……分かった」
「王様になるなら、ちゃんと食べな。忙しいからって飯を抜くんじゃないよ」
「最後までそれか」
「腹減ってる王様なんて、ろくな判断しないからね」
勇者が笑った。
「レーヤ。僕の祝福は、まだ残っている」
「そう。だったら大事に使いな。あんたの人生なんだから」
「ああ」
光が強くなる。
「そうするよ」
次に目を開けた時、レーヤは五年ぶりに元の世界へ戻っていた。
最後に聞こえたのは、勇者の声だった。
「レーヤ。また会おう」
◆
王都の朝は、焼きたてのパンと馬糞と噂の匂いがした。
その日は、噂が一番よく売れていた。
広場の掲示板に人だかりができている。衛兵が二人、野次馬が何十人。これだけ他人の頭が一か所へ向いているなら、昔なら財布の十や二十は抜けた。
もちろん、今はやらない。
買い出し袋を抱え直して、人の隙間から掲示板を覗いた。
『王城爆破予告』
『我ら、亡き主君の遺志を継ぎし四十七の刃。明晩、この腐敗せし王都へ、悲しき断罪を下さん』
まず文章が古臭い。
昔、木の棒を持てば「我が剣」、仲間を集めれば「我ら」と言い出す子がいた。しかも『断罪』の罪に、いらない点が一つある。
何度教えても直らなかった。
「……ダルガ」
嫌な予感しかしない。
十五年前、私は処刑された。
最後に願ったのは、あの子たちが私なんか忘れて、まともに飯を食って、喧嘩もほどほどにして、自分の人生を生きることだった。
それが十五年ぶりに帰ってみれば、
『亡き主君の遺志を継ぎし四十七の刃』
四十七。
私が育てた子どもの数と同じだった。
「あたしの遺志を勝手に作るんじゃないよ……」
手の中でネギが折れた。
飯を食わせて、喧嘩を止めて、熱を出せば一晩ついていた。王城ごと人を吹き飛ばす大人にするためじゃない。
「警備隊は正門へ集中させろ! 西側の兵も回せ!」
衛兵の声に王城を見ると、正門へ兵が集まり始めていた。
寄せすぎだ。
西壁は昔から警備が甘い。排水路の横には足を掛けられる石の継ぎ目もある。
私なら正面には行かない。
予告を出して兵を正門へ寄せたのも、おそらくわざとだ。
そこだけは、よくできている。
「西か」
買い出しは後だ。
十五年ぶりの再会は、説教から始めることにした。
◆
夜の王城西側は、予想どおりだった。
正門へ意識を寄せすぎて、こっちは見張りが二人。しかも二人とも、騒ぎが起きるたび正門を見る。
十五年前なら、これでも十分だった。
今の身体なら、壁は一蹴りで越えられた。
「……飛びすぎたね」
屋根まで来てしまった。
向こうの世界で五年使った身体だから分かっていたつもりだったが、昔の王城では物差しが合わない。
二階の窓は昔と同じ留め具だった。金具を差し込めば、すぐ外れる。
十五年も経って防犯まで成長してないのはどうかと思う。
地下へ続く階段まで降りると、男たちの声が聞こえた。
「西塔の火薬、設置を完了しております」
「人払いも済みました」
「うむ。明晩、定刻どおり決行いたす。我らが主君を奪いし王家へ、必ずや報いを受けさせようぞ」
いた。
声が低くなっても、武士かぶれは治っていない。
「我ら四十七の刃、この命すでに主君へ捧げたものと思え」
勝手に捧げるな。
階段の陰から見る。
でかくなった。髭まで生えている。頬には私の知らない傷が一本。昔の面影なんて、探さなきゃ分からない。
それでも、話しながら右腰へ何度も手をやる癖だけは変わっていなかった。
そこには小さな金属の箱が下がっている。
大事な物は何でも右。
七つの頃からそうだった。
私は階段の陰を出た。
「何奴!」
ダルガが剣を抜き、二人の男もこちらを向く。
「名を申せ」
「名前はどうでもいい。その右腰の箱、置いていきな」
ダルガの手が箱へ動いた。
「断る。女の身でここまで忍び込んだ腕前は見事。されど、これは貴様が首を突っ込む話ではない。命が惜しくば立ち去れ」
「それよりあんた、さっきから右腰を触りすぎ。大事な物はここですって、自分で教えてどうする」
手が止まった。
「何を申すか」
「ほら。また触った」
今度は反射で箱を押さえた。
昔から嘘が下手だ。
意識が右へ落ちた瞬間に横を抜け、箱だけ抜き取った。
「なっ」
「ダルガ様から……盗った?」
後ろの男が呆然としている。
次の瞬間には、首筋に剣があった。
速い。
「返せ」
さっきまでの武士言葉も消えている。
「次は斬る」
刃先に迷いはなかった。
木の棒を振り回していた子が、人を斬れる男になっていた。
知らない十五年だった。
「……斬れるの?」
「何?」
「七つの頃から面倒見てきた相手をさ」
「戯言を。我が主君は十五年前に処刑された」
「九つの時、勝手に屋根へ上って降りられなくなった。助けを呼ぶのが恥ずかしくて、夕方まで座ってた」
「調べれば分かる」
刃が少しだけ首へ食い込んだ。
疑えるようになったか。
そこは褒めてやってもいい。
「じゃあ、これはどうだい。ひどい熱を出した晩、一晩中手を握ってたのは誰だった?」
ダルガの目が動いた。
「『かあちゃん、どこにも行かないで』。何度言ったか覚えてる?」
剣先が止まった。
「その夜のことを知る者は……拙者と……」
そこまで言って、口が閉じた。
十五年前の私は、今よりずっと年上だった。
でも、箱を抜かれた手口まで見れば十分だったらしい。
「……かあちゃん?」
剣が落ちた。




