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歩く旅人  作者: San


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2/10

歩く旅人 2

やがて町も静かになった。


 翌朝。


 鳥の声で目を覚ました。


 カーテンの隙間から、白い光が差し込んでいる。


 レイはしばらく天井を眺めていた。



 レイは起き上がり、窓を開けた。


 海が見える。


 朝の海は、昨日と同じだった。


 静かだった。


 水平線まで、ほとんど波がない。


 海の上を、一人の旅人が歩いている。


 さらに遠くには、荷物を引きながら歩いている人もいる。



 レイは窓を閉めた。


 今日は海を歩くつもりはなかった。


 せっかく島へ来たのだから、少しくらい町を見て回ろうと思った。


 宿の主人に聞くと、


「この島なら市場から行くといいよ」


 と言われた。


「朝なら魚が一番多い」


「市場って、どっちですか?」


「海の匂いが強い方」


 レイは笑った。


 あまりにも曖昧な答えだった。


 けれど、この島ではそれで十分らしい。


 外へ出る。


 朝の町には、すでに人が多かった。


 道の両側に小さな店が並んでいる。


 パン屋。


 果物屋。


 旅人向けの道具を売る店。


 島の人間しか使わないような道具を置いた店もあった。


 レイは道を歩きながら、何度も立ち止まった。


 知らない場所を見るのは好きだった。


 市場へ着く。


 そこには、たくさんの人がいた。


 魚を売る声。


 野菜を並べる音。


 木箱を運ぶ音。


 笑い声。


 値段を交渉する声。


 昨日まで歩いていた静かな海とは、まったく違う世界だった。


 レイは魚の並ぶ店の前で立ち止まった。


「旅人さん?」


 店の女性が声をかけてきた。


「はい」


「どこから来たの?」


「南の島です」


「歩いて?」


「歩いてです」


 女性は当たり前のように頷いた。


「じゃあ、この島は初めてね」


「そうです」


「だったら、これ食べていきな」


 小さな魚を焼いたものを渡された。


「いいんですか?」


「旅人にはサービス」


 レイは礼を言い、魚を食べた。


 塩の味がした。


 特別な味ではない。


 けれど、海を歩いてきた後だったせいか、妙においしく感じた。


「この島、何か見ておいた方がいい場所ありますか?」


 レイが聞くと、女性は市場の奥を指差した。


「灯台」


「灯台?」


「それと、北側の坂」


「坂?」


「あと夕方の海岸」


 女性は少し考えた。


「一週間いるなら、全部見られるよ」


 レイは少し驚いた。


「一週間もいるって、どうして分かったんですか?」


「旅人はだいたい、それくらいいるから」


 女性は笑った。


 レイも笑った。


 その日から、レイはこの島に一週間滞在することにした。


 旅を急ぐ必要はなかった。


 次の島は逃げない。


 海も、どこかへ行くわけではない。


 一日目は市場を歩いた。


 二日目は町の北側へ行った。


 三日目は灯台へ向かった。


 灯台は島の一番高い場所にあった。


 そこから見ると、島が思っていたより小さいことが分かった。


 建物。


 道。


 市場。


 宿。


 そして、その周囲を囲む海。


 島は、海の中に置かれた小さな石のようだった。


 レイは灯台の下で、しばらく海を眺めていた。


 遠くにいくつもの島が見える。


 近い島。


 遠い島。


 さらに遠く、ほとんど見えない島。


 どこかの島へ向かう旅人が、小さな点になって歩いている。


 四日目には、海岸へ行った。


 昼間の海岸には子どもがいた。


 水面を走っている。


 海の上を走ることは、子どもたちにとって遊びだった。


「もっと早く!」


「待って!」


 笑い声が海の上を広がっていく。


 レイは砂浜に座って、その様子を眺めていた。


 自分も子どもの頃は、海の上を走った。


 転びそうになったり、友達と競争したりした。


 あの頃は、海がどれほど広いのか考えたこともなかった。


 ただ、向こう岸まで歩ける。


 それだけだった。


 五日目。


 レイは町の外れにある小さな喫茶店へ入った。


 店には老人が一人で座っていた。


「旅人かい?」


「はい」


「どこへ行く?」


「まだ決めてません」


 老人は笑った。


「それが一番いい」


「そうですか?」


「行き先を決めると、そこへ着くことばかり考えるからな」


 レイはその言葉を覚えておこうと思った。


 六日目。


 雨が降った。


 海はいつもと同じように静かだった。


 雨粒だけが水面を細かく揺らしている。


 レイは宿の窓から外を眺めていた。


 雨の中でも、旅人が歩いている。


 傘を差している人もいれば、何も持たずに歩いている人もいる。


 海の上に薄い霧が出ていた。


 その向こうに、誰かが歩いているように見えた。


 レイは目を細めた。


 人影だった。


 一人。


 ゆっくり歩いている。


 昨日も見たような気がした。


 けれど、レイは窓を閉めた。


 今は追いかける気にはならなかった。


 七日目。


 朝から空がよく晴れていた。


 レイは荷物をまとめた。


 宿の主人に鍵を返す。


「もう行くの?」


「はい」


「次は?」


「東の島へ行こうと思います」


「そうか」


 主人は少しだけ寂しそうに笑った。


「また来なよ」


「はい」


 宿を出る。


 市場へ寄った。


 最初の日に魚をくれた女性が、レイを見つけた。


「あら、もう行くの?」


「はい」


「これ」


 小さな包みを渡された。


 中には焼いた魚とパンが入っていた。


「海の上で食べな」


「ありがとうございます」


「次はどこ?」


「東の島です」


「あそこは遠いよ」


「歩いていきます」


「知ってる」


 女性は笑った。


 レイも笑った。


 そして町を出た。


 砂浜に立つ。


 目の前には海がある。


 七日前と同じ海。


 静かで、広くて、何もない。


 レイは靴を脱ぐこともなく、そのまま水面へ足を乗せた。


 一歩。


 また一歩。


 島が少しずつ遠ざかる。


 振り返ると、町が見えた。


 灯台。


 市場の屋根。


 宿。


 そして、海岸に立つ人々。


 レイは手を上げた。


 向こうからも手が上がった。


 やがて島は小さくなった。


 レイは前を向いた。


 東の島は、まだ見えない。


 海だけが続いている。


 昨日までなら、この何もない海を退屈だと思ったかもしれない。


 けれど今は違った。


 何もない場所にも、時間がある。


 歩いた距離がある。


 すれ違った人がいる。


 島で過ごした七日間がある。


 レイは歩き続けた。


 昼になった。


 魚を食べた。


 午後になった。


 雲が少し増えた。


 夕方になった。


 空がゆっくりと赤くなった。


 そして、ようやく。


 遠くの水平線に、小さな影が現れた。


 次の島だった。


 レイは足を止めなかった。


 ただ、その島を見ながら歩き続けた。


 

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