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鋼鉄の棺、異空の咆哮ーU-47:消失の真実ー  作者: 光闇居士


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第10章:2245年の孤独と、異空への方程式

挿絵(By みてみん)

「うん……っ。うん! 私、絶対に帰ってくる! 叔父さんの淹れたココア、また飲むから……!」


【しおの】

西暦2245年。東京メガロポリス、タイムスライディング社・第4研究開発部。

純白の転送チャンバーに、青白い量子光が弾けた。

激しい重力異常の余波でコンクリートの床に投げ出されたリヒテンシュタインひかりは、むせ返るような咳をしながら、ゆっくりと身を起こした。

肺を満たすのは、徹底的に温度と湿度が管理され、塵一つない無菌の空気。

鼓膜を圧迫していたMANディーゼルエンジンの轟音は消え失せ、代わりにメインフレームの冷却ファンの微かな稼働音だけが、圧倒的な「静寂」として部屋に満ちていた。


「……戻って、きた……」


ひかりがダッフルコートの胸元に触れると、そこにはプリーン艦長から託された真鍮製の『Uボート戦闘章』が、確かに冷たい金属の感触を放っていた。夢ではない。彼女は1939年の海にいたのだ。


「――ひかりッ!!」


突如、チャンバーの防音扉が乱暴に開き、白衣を着た長身の男が血相を変えて飛び込んできた。

ひかりの叔父であり、この極秘プロジェクトの主任技術者であるリヒテンシュタイン健三だった。彼の目には、怒りと、それを遥かに上回る極度の恐怖が入り混じっていた。


「叔父さん……」


「馬鹿野郎!!」


健三は床にへたり込むひかりに駆け寄るなり、その両肩を掴んで激しく揺さぶった。


「お前、自分が何をしたか分かっているのか!? 私が管理室を離れたわずかな隙に、プロトタイプのクロノス・ゲートを不正起動するなんて! しかも、無人探査機プローブではなく、生身の肉体でダイブしただと……狂っている! 本当に死ぬところだったんだぞ!」


健三の怒鳴り声は、次第に震えを帯びていった。

それは、規則を破られた技術者の怒りではない。たった一人の大切な家族を失うかもしれないという、親としての悲鳴だった。


「ごめんなさい、叔父さん。でも、私は……」


「歴史を変えることがどれほどの大罪か、耳にタコができるほど教えたはずだ! 時空連続体への不正干渉は、国際時空法違反だ。もし『時空警備隊タイムポリス』の監査システムに検知されていれば、お前は歴史改変のテロリストとして永久拘束され、脳の記憶領域を焼き切られる厳罰を受けるんだぞ!」


健三はひかりを抱きしめ、その背中を強く叩いた。


「それ以上に……お前が座標計算を一つでも間違えていれば、お前はどの時代にも着地できず、永遠に次元の狭間を彷徨うことになっていたんだ。あの二人のように……!」


その言葉に、ひかりは息を呑んだ。

あの二人。すなわち、ひかりの実の親であり、健三の義理の兄夫婦にあたる二人の天才量子物理学者のことだ。

ひかりがまだ幼い頃。タイムスライディングの基礎理論を構築した両親は、初期の転送実験中の事故により、時空の彼方へと消え去った。死亡したわけではない。「いつ、どこにいるのか」が完全に不明となる現象――『時空喪失タイムロスト』である。

健三は、両親を失った幼いひかりを引き取り、自らの結婚も、個人的な人生の喜びもすべて投げ打って、男手一つで彼女を手塩にかけて育て上げてきた。ひかりが歴史に強い興味を持ち、将来は歴史研究者になりたいと語った時、誰よりも喜び、彼女の知的好奇心を全力で支援してきたのも健三だった。

だからこそ、健三にとって、ひかりが両親と同じ「タイムロスト」の危険に自ら飛び込んだことは、身を切られるような絶望だったのだ。


「叔父さん……ごめんなさい。本当にごめんなさい」


ひかりは、健三の白衣に顔を埋め、涙を流した。Uボートの男たちの前では絶対に見せなかった、ただの「健三の愛娘」としての涙だった。


「私、絶対に叔父さんを一人にしない。絶対に生きて、叔父さんの元に帰ってくるって決めてるから。……だから、怒らないで」


健三は深くため息をつき、ひかりの頭を撫でた。


「……無事に帰ってきたから良かったものの。二度と、こんな無茶はするな。いいな」


* * *


ひかりが2245年の日常に戻ってから、一ヶ月が経過した。

しかし、彼女の心は、平和で安全なメガロポリスの生活から完全に遊離していた。

大学の講義を受けていても、ホログラムの友人たちと話していても、彼女の耳の奥には常に、MANディーゼルの轟音と、プリーン艦長の静かな命令の声が響いていた。

周囲の人間が「メタバースの新作」や「天候制御の不具合」について笑い合っている中、彼女だけが、カビたパンの味と、死の恐怖に震える男たちの汗の匂いを、リアルな質量として抱え込んでいたのだ。


(ここは、私のいる場所じゃない……)


夜な夜な、ひかりは自室のモニターに向かい、歴史アーカイブの深海へと潜り続けていた。

第一回のダイブで、彼女はスカパ・フロー奇襲におけるU-47の航跡に、意図的に微小な変化バタフライ・エフェクトを与えた。それが歴史書にどう反映されているかの確認だ。

モニターには、20世紀の膨大な海軍記録が表示されている。


『1939年10月14日、U-47、英戦艦ロイヤル・オーク撃沈』


『沈没位置、時刻、被害状況……史実オリジナルと誤差なし』


そして、最も重要な、彼女が恐れていた「その日」の記録。


『1941年3月7日、北大西洋。ギュンター・プリーン指揮のU-47、未帰還。英駆逐艦ウォルヴァリンの爆雷攻撃による撃沈と推測されるが、確証なし。生存者ゼロ』


結果は、残酷なまでに変わっていなかった。

歴史の強大な修正力パラドックス・コレクションは、ひかりがカーク・サウンドで与えた微細な変化を飲み込み、結局は「1941年3月にU-47が消失する」という巨大な運命の終着点へと、強引に彼らを引きずり込んでいた。


「駄目だ……やっぱり、あの艦は1941年に沈む運命に固定されている」


ひかりは唇を噛み切り、VRシミュレーターを起動した。

彼女は昼夜を問わず、1941年3月7日の北大西洋・ロックオール・バンク南方の海域データを用い、「U-47がウォルヴァリンの包囲網から生還するシミュレーション」を何百回、何千回と繰り返していた。

しかし、結果は常に「全滅」だった。

当時のイギリス海軍が導入し始めていた新型の波長1.5メートル・レーダー、そして熟練のハンター・キラー・グループによる執拗な爆雷攻撃。どんなに未来の知識で最適な回避行動(ジグザグ航行や深度変更)を入力しても、圧倒的な物量と技術的優位の前に、シミュレーターの中のU-47は耐圧殻を砕かれ続けた。

何より致命的なのは、U-47の最期が「未帰還(原因不明)」であるため、シミュレーター自体が「何が決定打になって沈んだのか」という正確なパラメータを持っておらず、仮想のプログラムの域を出ないことだった。


「……歴史の中で彼らを生き残らせることは、不可能だわ」


ひかりは、VRヘッドセットを外し、充血した目で呟いた。

歴史を変えずに、彼らを救う。それは「死んだことになっているが、実は生きている」という状態を作り出すしかない。


「沈むその瞬間に……彼らを、潜水艦ごと『この宇宙タイムライン』から引き剥がす」


狂気的な発想だった。しかし、それ以外に道はない。

ただ、ひかりのオタク的な知識と、シミュレーターの操艦技術だけでは、潜水艦一隻を丸ごと次元の狭間へ跳躍させる「時空力学のロジック」を構築することは不可能だった。

彼女には、理論構築のための「天才」の助けが必要だった。


* * *


数日後。ひかりは、タイムスライディング社の最深部、厳重なセキュリティで守られた上位研究室を訪れていた。

そこにいたのは、車椅子に乗った白髪の老科学者、フランツ博士。

彼は、健三の大学時代の先輩であり、何より、タイムロスト事件を引き起こしたひかりの両親の、一番の親友にして共同研究者だった男だ。


「……なるほど。第一回の無断ダイブは、健三から泣きつかれて私がログを揉み消したが。お嬢ちゃん、今度は潜水艦一隻を、歴史の死角から『誘拐』したいと?」


フランツ博士は、ひかりが提出した膨大なデータと数式がびっしりと書き込まれたホログラムを眺めながら、片方の眉を吊り上げた。


「誘拐ではありません。救出です」ひかりは真っ直ぐに博士を見た。「博士。私は通信室のエニグマ暗号機に、量子コーディングを施してきました。1941年3月7日、プリーン艦長があのエニグマのキーを叩けば、それが時空の道標ビーコンになります」


フランツ博士は、感心したように喉の奥で笑った。


「君のご両親そっくりの、狂気に満ちた発想だ。……だが、論理的には破綻していないな。歴史書には『未帰還。原因不明の消失』と記されている。つまり、彼らが爆雷で沈んだのか、異次元に消えたのかは、誰も観測していない『シュレディンガーの猫』の状態だ。歴史の確定事項ノードは【彼らが1941年3月7日以降の歴史から完全に姿を消すこと】。ならば、その瞬間に彼らを異空間へ隔離してしまえば、タイムパラドックスは一切発生せず、時空警備隊のセンサーにも引っかからない」


「はい! だから、そのためのシステムを……!」


「だがね、ひかり君」


フランツ博士の顔が、突然、冷酷な科学者のそれに変わった。


「君は、U-47という総重量800トン近い鋼鉄の塊と、40名以上の生きた人間を、どうやって時空の壁を越えさせるつもりだ? 君一人が身につけている小型デバイスの出力では、人間一人をスライドさせるのが限界だ。潜水艦を丸ごと包み込む次元フィールド(特異点膜)を形成するための『莫大なエネルギー』を、1941年の海の上でどうやって調達する?」


ひかりは言葉に詰まった。

まさにそこが、彼女のシミュレーションが座礁している最大のボトルネックだった。タイムスライディングには、都市の電力を丸ごと使うような莫大なエネルギーが必要だ。1941年のディーゼルエンジンやバッテリーで賄えるレベルではない。


「……外部からの、エネルギー……」ひかりは俯いた。


「そうだ。もし君が再びあの艦に戻り、彼らを異空間デッドスペースへ引きずり込む『アビス・スライド(深淵跳躍)』を敢行するなら。君は、その起爆剤となる強大なエネルギーを、現地で調達しなければならない」


フランツ博士は車椅子を動かし、ひかりの目の前までやってきた。彼の皺が刻まれた手が、ひかりの震える手を包み込む。


「ひかり君。君の両親は、そのエネルギー制御に失敗して、時空の彼方へ消えた。私は親友を救えなかった罪悪感を、一生背負って生きている。……だからこそ、君のような優秀な若者を、同じ目に遭わせたくはない。健三の悲しむ顔も見たくない」


「博士……。でも、私は行かなきゃいけないんです」


ひかりの目から、再び涙が溢れた。オタクとしての好奇心ではない。血の通った、家族のような彼らを見殺しにはできないという、強烈な人間としての情。


「彼らは……私を、仲間だと言ってくれました。最高に臭くて、汚くて、でも、あんなに綺麗に生きている人たちを、ただの歴史の数字になんてさせたくないんです!」


フランツ博士は、ひかりの目を見つめ返し、やがて深く、長く息を吐いた。


「……親友の娘は、親友以上に頑固らしい。分かった。私が、君の『アビス・スライド方程式』を完成させてやろう」


博士はホログラムモニターを操作し、新しい数式を展開し始めた。


「エネルギーの問題だ。1941年に存在し、潜水艦の周囲で発生する、最も瞬間的で強大なエネルギー……。それは『敵の爆雷デプス・チャージ』だ」


「爆雷の……爆発エネルギー!?」


ひかりは目を見開いた。


「そうだ。君は1941年3月7日、U-47がイギリス駆逐艦ウォルヴァリンの爆雷攻撃を受ける『まさにその瞬間』を狙う。敵が投下した数トンもの火薬の爆発力。その破壊エネルギーが耐圧殻を砕く寸前の数ミリ秒に、君のデバイスとエニグマを直結させ、爆発エネルギーを『時空フィールドの形成エネルギー』へと強制変換コンバートするのだ」


フランツ博士の語る理論は、あまりにも危険で、綱渡りだった。

タイミングがコンマ一秒でもズレれば、U-47は次元を越える前に、普通に爆雷の直撃を受けて木端微塵になる。


「これが、潜水艦を歴史から『蒸発』させるための唯一の理論だ。……やる覚悟はあるか、ひかり君」


「やります」


ひかりは、一瞬の躊躇もなく答えた。


「よろしい。健三には内緒だ。私が責任を持って、君のデバイスのプロトコルを『アビス・スライド仕様』に書き換えよう。……生きて、そして彼らを連れて、次元の海を泳ぎ切りなさい」


* * *


決行の前夜。

ひかりは、自室でダッフルバッグの最終点検を行っていた。

U-47の乗組員たちへの差し入れとして、未来の栄養タブレットではなく、叔父の健三が趣味で淹れてくれた本物のコーヒー豆を密かに詰め込む。彼らは、あんな合成食料よりも、泥臭い本物を喜ぶはずだからだ。


「……ひかり。起きているか」


ドアが開き、健三が部屋に入ってきた。彼の手には、温かいココアの入ったマグカップが二つ握られていた。


「叔父さん」


「夜更かしは体に毒だぞ。歴史の勉強もほどほどにな」


健三は、ひかりのベッドに腰を下ろし、ココアを差し出した。彼は、ひかりが再びダイブの準備をしていることに、薄々気づいているようだった。しかし、彼はそれを力ずくで止めようとはしなかった。


「……お前の両親はな。ただの科学者じゃなかった。誰よりも好奇心が強くて、誰よりも『まだ見ぬ世界』を愛していた。お前を見ていると、時々、あの二人が乗り移ったんじゃないかと思う時があるよ」


健三は、寂しそうに微笑んだ。


「叔父さん。私……」


「何も言うな。お前が一度決めたら、テコでも動かないのは、私が一番よく知っている」


健三は、ひかりの頭を優しく撫でた。それは、第一回ダイブの時にプリーン艦長が見せた手つきと、どこか似ていた。


「お前は、私のたった一人の大切な娘だ。お前がどこへ行こうと、どんな無茶をしようと……私はここで、お前が帰ってくる場所アンカーとして、ずっと待っている。だから……絶対に、ロストするなよ」


その深い無償の愛に触れ、ひかりはココアのカップを握りしめたまま、声を上げて泣いた。


「うん……っ。うん! 私、絶対に帰ってくる! 叔父さんの淹れたココア、また飲むから……!」


ひかりは孤独だった。

1939年の海に愛する戦友たちを残し、2245年の未来で彼らの死の記録を抱えて生きることは、身を裂かれるような孤独だった。

しかし、彼女は決して一人ではなかった。

命を懸けて背中を押してくれる老博士がいて、どんな時も無償の愛で帰りを待ってくれる家族(叔父)がいる。

その絆があるからこそ、彼女は「時空」という神の領域に、もう一度だけ牙を剥くことができるのだ。


「カレウン。もうすぐ、行くから」


窓の外、東京メガロポリスの眠らない光を見つめながら、ひかりは胸のUボート戦闘章を強く握りしめた。

時計の針は、運命の1941年3月7日へ向けて、静かに、そして確実に進み始めていた。


群狼を深淵アビスへと導く、孤独で熱い少女の戦いが、今、最終章へと向かおうとしている。

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