C14.白熱! 飢餓のグルメレース! 後編
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飢餓のグルメ。
尊大にして傲慢なる女神エリス主催による、飢餓の神リーモス様とわたくしカラットの料理対決はいよいよ調理段階へと駒を進めました。
リーモス様は移動屋台を己の調理場にして山積みの、いえ軍団と化した翼ある食材たちを切り刻んでいきます。それはもう包丁裁きは流麗この上なく、タタタンタンッ!とリズミカルに。
優雅にして華麗。
伊達や酔狂でコック帽子にエプロンといういでたちではございません。
といいますか、ああ、じっくり眺めてみると存外に美しいお方ではございませんか。
やや中性的と申しますか、顔立ちは凛々しく背は高くて狼の野性味がある眼差しも素敵です。
惜しむらくはエリス様ともども性格に難がある点なれど、一心不乱に料理と真剣に向き合っている横顔には熱意が滲み出ており、わたくしへ嫉妬や敵意を向けていた時とは別人でございます。
イケメンは御免被りますが、イケメン(♀)はこれはこれでわたくし大歓迎でございます。
もちろん可憐で愛くるしい小動物めいた美少女然としたパトリツィアちゃんのような乙女度の高い正統派も大好きですが、それはそれ、これはこれでございます。
シェフの制服が特に性差のないシャキッとしたクールなデザインで男装の麗人っぽさがあります。
……いや、もしやエリス様と同じく男装ではなく一部男性でもある可能性も、と想像するとわたくし悪寒が走ってしまいます。そこは無論ツイてないことを願いますよ、ええ。
「うるっふん♪ ふふんふるっふーっ♪」
他にチャームポイントと申せば、やはり下半身のオオカミの尻尾でございますね。
さぞ料理が楽しいのか、しきりに尻尾を踏んでたり、鼻歌に合わせて後ろ足で地面をぽむぽむと叩くさまがチャーミングなのですよ。
「調理時間残り20分です」
何をおっしゃる女神様、とわたくしは刻限を告げてくれた方へちらと視線を送ります。
審査委員長、法と掟の女神テミス様。
法と掟を司るテミス様はその昔に農耕神クロノス率いる古き神々ティターン神族が大戦に破れた後、新たな秩序を築くためにオリュンポス側に忠誠を誓い、主神ゼウスに嫁いだ二番目の奥方です。
テミスの象徴は天秤と剣にございます。
『力無き秤は無力、秤無き剣は暴力』
この文言を信条として、法と掟を守護される志高く素晴らしき天上の女神様でございます。
そのテミス様をまたもや天鈴音一本で呼びつけて勝負事の公平な審査をさせようというのだからエリス様のわがままぶりと無駄な顔の広さは留まるところを知りません。
当初はテミス様も乗り気でなかったものの、あろうことか『じゃあリーモスとアエロー、神々同士の争いに不正があっても見てなかったから知りませーんって義母は言っちゃうの? 』と煽るのですから聞き捨てならぬと駆けつけたのでございます。
……え? 義母?
ややこしきかな神々の家系図、何度目ですかコレ。
エリス様はゼウス様と正妻ヘラ様の嫡男。
テミス様はゼウス様の第二夫人、つまりふたりは義理の母子という間柄なのでございます。
しかし悪ふざけ大好きのエリス様とは大違いの、公平と秩序を絵に描いたような女神様です。
ああ、そのご尊顔、彩りますはなんといっても眼鏡でございます。
銀縁アンダーリムの冷涼なる眼鏡に理知溢れる整った目鼻立ち、真一文字に結んだ口許。長く美しき金の御髪に清廉楚々とした白い衣、天上の女神のお手本のようなクールビューティーここに在り。
いえね、ちょっと堅苦しい、近寄りがたさもあるのですよ。
しかしわたくしの趣味として申せば、寡黙で仕事熱心なカロン様然り、こういう真面目そうな大人の女性を口説き落とすことには強く、深く、冒険心を抱いてならないのでございます。
難攻不落の城あらば蛮勇誇りし戦士は猛るが如く。
前人未到の山あらばアルピニストの血滾るが如く。
わたくしの悪戯心がコケコッコーと夜明けに鳴く鶏のようにうるさく騒ぐのでございます。
……ああ、テミス様のお乱れになる様は一体いかようであることか。
わたくしじゅるりとヨダレをすすり上げる次第です、はい。
「えー、実況解説兼審査委員のクレオパトラよ。この勝負、なにか天界に配信してるんですって。カラット、なに考えてるのか知らないけどそのスケベ顔はもう放送事故じゃない?」
「失礼な! 麗しき法と掟の女神テミス様に見惚れしまわぬのは無理からぬこと、いえ礼節です! ゼウス様の第二の伴侶であらせられるテミス様の美貌をなんとも思わぬ方が不敬なのです!」
「……審査委員長のテミス様、一言どうぞ」
氷のかまくらを拡張して作った料理対決の場、その審査員席に座るお三方。
テミス様、エリス様、クレオパトラ様の三名。審査委員席と実況解決席が兼用とは雑な運営です。
冷静沈着なるテミス様は急なキラーパスに顔色ひとつ変えず、静かに答えます。
「カラット選手、審査員に世辞を述べても採点には一切反映されない。いいですね」
「お言葉ですがわたくし事実を申したまでのこと! 真実を見極めるあなた様の眼力あらば、わたくしが世辞ではなく本心から貴方様の美しきに賛辞を捧げたこと、おわかりになるはずですが!?」
「ふむ……」
わたくしの熱弁と真剣なまなざしを、テミス様はじっと見据えてこう答えます。
「貴女の主張は客観的事実であることを認めましょう、カラット・アガテール」
「わーいわーい」
「ボクにゃーわかるよ、そりゃ綺麗だってほめられたのに自分で否定したくないよね……」
哀愁漂わせて肩をポンと叩くエリス様の手を、テミス様は不機嫌そうにやんわり払います。
「彼女は虚言を述べてはいない。それだけです。そして私も事実を再確認しただけで一喜一憂しはしません。我が夫の伴侶に選ばれる女神は例外なく美しい。彼自身が望んで選んだのですから」
「真顔で言い切っちゃった、ちょっとボク引く……」
エリス様の茶化し言葉にも揺るぎないテミス様。ああ、その険しく鋭い眼差しが愛おしい。
眼光極まり眼鏡ビームでハートを焼き尽くされてしまいそうですよ、わたくし。
「いやホント女癖最悪よね、節操なさすぎでしょカラットったら……」
「クレオパトラ様、おやおやぁ、やきもちでございますか? えへへー」
「バカラット! 無駄口はいいから料理はどーする! 食材ちゃんとあるの!?」
「心・配・ご無・用!」
わたくしは今回入手できた唯一の食材、にんじんを高々と頭上に掲げてみせます。
「ちゃんと“ここ”に食材は揃っておりますとも」
「それだけ!? うわ、しかもあたしの大嫌……ちょっと苦手なにんじん……」
「クレオパトラ審査委員、個人的な趣味嗜好で公平な採点を拒むことはできません。食べなさい」
「なんて余計な人を呼んでくれるかなぁー! この邪神!!」
「あにゃははははは! お子様が子供舌棚上げして八つ当たりしちゃって恥ずかしくないのー?」
「ぐぬがっ」
エリス様の煽り言葉がグサッと刺さってクレオパトラ様は何も言い返せずに沈黙いたします。
わたくしにも見えますとも、ニンジン型の言葉の矢がぶっすり突き刺さった敗北者が……。
「マンマ! そろそろ着火係おねがい!」
「あーはいはい、燃えろ地獄の炎よ! わっはっはっはー!」
移動屋台の調理用炭に火入れする、火星の神。
冥界の暗澹たる黒き戦火の炎、二度目の出番はおいしい料理作りでした。
「あ、こちらもお願いしますエリス様」
「ねえボクなんで雑用やらされてるの? 偉大なるオリュンポス十二神だよ?」
「そこは主催者で言い出しっぺだから責任とってくださいな」
「はー、ボク炊事洗濯キライなんだよね、子育て時代にもう飽きちゃってさー」
それは何千年、いや何万年前の話でしょうか。
想像しがたいエリス様の子育てママ姿をわたくしは妄想いたします。
幼女然としたちいさなお姿のエリス様。ハイハイ歩きしてる子犬じみたリーモス様を見守りつつ、洗濯物を畳んだり、家計簿をやりくりしたり。あの無きに等しい平らかなる胸で我が子に授乳をなさるというのはあまりに想像しがたい光景でございます。
もしや、育児に適した在って然るべきお姿、エリス様オトナママ形態があるのでは。
であれば万事解決、賢母のように恵まれたる胸でリーモス様に授乳して差し上げられましょう。
ついでにオトナママ形態ではアレが生えてなければ言うことなし、究極形態ではありませんか。
……え? 台無し? 個性を殺すな?
いやはや皆さまご意見は各々ありましょうが、これは所詮わたくしの妄想語りでございますからメスガキロリママふたなり邪神を盛りに盛ってオトナママ賢母にして余計なものを取ってしまってもいいではありませんか。
なに? ロリ巨乳ママ化で解決? なんとも悪魔的発想でございますが一考の余地アリですね。
「調理時間残り10分です」
ハッ、失念していました。
そうです、大事なことを忘れておりました。
乳母です。乳母という可能性です。古来より乳の出に左右される赤子の食事を安定させるためにも高貴な者ほど乳母を用い、子育ての代理をさせるということがございます。
つまりエリス様のお産みになった赤子のリーモス様を、いずれかの乳の出がよき豊満なる女神様にお手伝いいただいてお育てになったとすれば合理的に説明がつきましょう。
わたくしの回収せねばならない豊穣の角笛コルヌ・コピアの原点、牝山羊アマルテイアのように。
おや、なんだか綺麗に物事が繋がってしまいました。
いやしかし、浪漫を申せばやはり我が子に自ら授乳を行われるエリス様こそ夢があると……。
「調理時間残り5分です」
「……あ」
過ぎ去りし時、飛矢の如し。
「なんということでしょう。もう時間がありません!」
「遅すぎるんですけど!? せめて5分前の段階でハッとしておくべきだったよね!?」
「ああ、どうしましょう! どうしましょう!」
大慌てするさまをあえて演じるわたくし。
とうに調理を終えて、お皿に盛りつけていらっしゃる対戦相手のリーモス様は苦笑なさいます。
「素直に負けを認めたらいいんじゃないかネェ? 時間も食材もないんだから」
「じゃあ先攻はそちらで構いませんよね! ギリギリまで悪あがきさせてもらいたいので!」
「うるっふっふっふー、構わないよ。最後までもがき苦しむのも飢餓らしくて良いからネェ」
油断なさっているリーモス様相手に、わたくしは心の奥底でガッツポーズを決めます。
料理バトルにおける必勝法をどうもこの方は知らないのです。
そう、必勝法――。
後手必勝を!
料理対決にまつわる古今東西の勝負の逸話を踏まえれば、後の後こそ必勝の策でございます。
……え? 負ける時もある?
そこはそれ、験担ぎとて勝負の駆け引きということで。
「調理時間あと3分です」
「なにやってるのカラット!? 調理は!? 食材は!? てかずっとエロ妄想してなかった!?」
クレオパトラ様が心配して叫ばれるのも無理からぬこと。
我が手にある食材はニンジン一本。
やった調理といえば、特大の大きな大きな土鍋に上質な氷を溶かしたお湯という下準備のみ。
これで万全を期した飢餓の女神リーモス様の料理を打ち破れるとは一体どなたが想像できようか。
「さぁご覧にいただきましょう、わたくしにできる最大限の愛情手料理を! 飢餓のグルメを!」
「調理時間あと2分です」
わたくしは大見得を切るや否や、雪のかまくら特設調理ステージにて。
バサリッと! 衣を脱ぎ去って!
一糸まとわぬ我が身を、特大土鍋でカメラから隠しながら天界へ晒してしまうのでした。
逆転の切り札、ここにアリ。
白熱の料理対決、完結編につづく!