B10.どうかご冥福をお祈りいたします、ミラ・トライト様
◇
死の神のノートに名を書かれたミラ会長はふらりとよろけ、力なくその場に座り込みます。
まるで糸の切れた操り人形のように。
まさか本当に亡くなってしまったのでしょうか。
「ミラ! そんな、まさか……!」
気を動転させ、蛇体を大きく暴れさせながらラミアのアンナ様は彼女へ駆け寄ります。
おふたりは親しい仲だったのでしょうか。
アンナ様の目尻には涙が一滴。
「ああ、こんな理不尽なことがであるでしょうか。いかに神々といえど横暴にございます!」
わたくしの抗議に、ペルセフォネ様は冷たく言葉を返します。
『カラット、なぜ理不尽だと言うのですか』
「彼女に何の罪があるというのでございますか! たかが冥王夫妻のエロい性活事情を見聞きして、さらにわたくしとペルセフォネ様の不倫関係のヒミツまで知ってしまい、あまつさえ冥府の七つの財宝を競売にかけて莫大な利益を得たという、たったそれだけなのに!!」
『……罪状多数では。しかも最後のひとつは初耳ですが』
しまった、とわたくしあわてて口を手で隠します。
何を余計なことをぺらぺらとお前のせいだぞおしゃべりクソバード! と言わんばかりのアンナ様の蛇睨みがグサリグサリと飛矢のように背に刺さります。
ああ、どうかお許しあれ。
そもそも他人の通信をつい盗み聞きしてしまうミラ女史の知りたがりも原因でして。
『本当に、貴女は何もかも忘れてしまっているのね……』
「……はい?」
深い溜め息をひとつ、ペルセフォネ様はこぼされて。
『わたしに他者をすぐさまに死なせる権能もなければ、権限もありません。死の神タナトスのノートは実在しますが、それは死した者の生前の行いをまとめて魂の処遇を判断するためのメモに過ぎません。要注意人物としてミラ・トライトの名を書いたのは本当ですがね。その意味するところは彼女が死ぬべくして死んだ時、より正確に見極めるように計らうだけです』
「と、いうことは……どういうことで?」
『冥府の神々が直接、地上の生命をみだりに死なせることは神々の約束事に反する越権行為です。冥府の管轄は死後の領域、生前の命にはなるべくして不干渉であるべし。いくつか例外はあっても、これは守られねばならぬ神々のルールです。冥府や冥王が積極的に人を死なせて死の国へ連れ去ろうだなんていうのは嘘八百です。地上の生命は皆、いずれ死ぬのに焦って冥土に送ったところで無駄に仕事が忙しくなるだけだというのに、ひどい誤解です』
「じゃあ、どうしてミラ様はお倒れに……?」
『さぁ? よっぽど怖かったのかもしれませんね。さて、そろそろ詳しい説明をいいかしら』
通話上で事の次第をかくかくしかじかお伝えいたしますうちに、アンナ様がなにやら意識を回復させるために癒やしの魔法なり薬草だポーションだとそれっぽいものをミラ会長に施しておりました。
ほどなくして意識を取り戻したミラ会長を、涙ぐんだアンナ様が力強く抱き締めます。
「ミラ様! よくぞご無事で!」
ああ、美しき愛と涙。
アンナ様はミラ女史をぎゅっと力強く抱き締めております、ラミアの蛇体をも巻きつけて。
「ちょっ、きつっ、あっ、あっ、し、死ぬ……っ!」
「もう離しません! ミラ様!」
「離し、げふっ! 骨が、ほね、あっ――ぐふっ」
「……ミラ様? ミラ様っ、そんな、会長っ!? 死なないでください、まだ、何も……!」
盲目なるかな。
アンナ様は気が動転して状況が見えていないのか、ミラ女史が青ざめてなお一層に力強く。
ああ、うらやましい。わたくしも故郷でよくラミアの女教師にああしておしおき頂いたもので。
ミラ会長の迫真の苦しみ呻く声にわたくし、見てるだけで軽く興奮してしまいます。
『カラット、今どうなってるか説明して』
「えと、はい、ミラ・トライト商会長は受付嬢のラミアのアンナ様の魅惑のボディに抱かれて、キツキツの締めつけにほぼイキかけておりますね。とても気持ちよさそうで、ハァハァ……」
『昼間っからなにヤッてるのですか、ハレンチな』
死人に口なし、と申します。
悲しいかな、完全にキメられててあらぬ疑惑に反論しようもないミラ会長。ハレンチ等とペルセフォネ様がおっしゃるのはお前が言うな案件なれど余計なことは言わぬが華と心得ますれば。
ああ、どうかご冥福をお祈りいたします、ミラ・トライト様――。
あ、これ本日二度目でございますね。
「ぜぇはぁぜぇはぁ……、あ、危うく死にかけました」
『このまま死んでくれたら不倫の口封じにもなって一石二鳥でしたのに残念ですね』
「ペルセフォネ様!? 鳥を殺戮することわざ気軽に使うのやめてくださいません!?」
「残忍な! わたしが治療しなければミラ様は危うく死ぬところだったのですよ……!?」
「アンナ様まで!! お前が言うなを連発しないでくださいまし!」
どったんばったん大騒ぎ。
金銀財宝の山さえ忘れられかける混乱ぶりにわたくし流石にツッコミ疲れてしまいます。
しかしまぁ、これでわかることがひとつ。
運命を読み解く力でコレが見えていたとして不可避の未来であれば絶望しかなく、可避の未来であれば努力むなしく、見えていなかったのであれば頼りなく。
運命の女神の気まぐれさは子孫にさえも度し難いのでございましょうか。
七転八倒して九死に一生、災い転じて福となす。
寛大なるペルセフォネ様は『不倫の事はナイショですよ』と釘刺しに留める慈悲を示します。
のみならず、冥府の七つの財宝を競売にかけて莫大な利益を得たことについても不問としました。
ペルセフォネ様は直接ではなくて、冥府の使いであるわたくしの口を借りて、語りかけます。
神聖なる春告の女神パワーで足元や背景に真冬の室内にも関わらず、草花を生い茂らせて。
しゅるりしゅるりと蔦が這い、木床は芽吹き、花が薫るのでございます。
『商会長ミラ・トライト。冥府の七つの財宝を盗品と知りつつ己の利益のために売買の仲介を行ったことは罪深い行いでこそありますが、其方は地上の人間達自らの守るルールに反してはいません。
もし神々や精霊の物へのあらゆる盗み、略奪が例外なく悪行であったとすれば、川水の一滴を飲んだ罪にて全人類を裁くことも道理に叶ってしまいます。わたしにとっては不都合ながら、神々や精霊の所有物を人間が奪うことを禁じる人間のルールはありません。地上にあっては地上の規律を尊重して、わたしは其方らの罪を問いません。
しかし、盗み奪われた財宝をこちらが取り戻そうとしてはならないという地上のルールもないのです。親切な貴女はぜひ手伝いをしたいと願い出る、そうですね』
これ、わたくしの口から発せられているのですよ。
いつもより賢そうに見えません? 1.5カラットくらいの倍率で賢く見える気がいたします。
いやはや、ようやく初めて“冥府の使い”らしい仕事ができました。
それにしても巧妙なるかな、権限の都合で直接は何もできないクセにさも慈悲深さゆえの寛大さを強調しつつ、罪滅ぼしの懲罰ではなく善意の協力を強制してくるのでございますから恐ろしい。
懲罰で命令されて協力する。
善意で依頼されて協力する。
やることになる結果は同じだというのに伴う名誉や意識がまるっと変わってしまうのです。
大商人のミラ女史もその機微や思惑がわかるようで、頭を下げて協力の依頼を受託なさいます。
「慈愛と春告の偉大なる女神ペルセフォネよ、我々商会は喜んで協力をお約束いたします」
終わりよければ全てよし。
過ぎたる醜聞痴態を闇に葬り忘れたことにして。
ここに冥府と商会の密約が成立したのでございます。
その一番の成果は山積みの宝箱ではなくて、商会の握っている一番に重要な情報――。
冥府の七つの財宝を買った落札者情報を、わたくし達はついに入手するのでございました。
ちなみにこのあとわたくし小一時間アンナ様と応接間にて後始末をするハメになりました。
ペルセフォネが草を生やしたせいで。
まったく、なにか良い除草剤でも売ってたら皆さまに紹介していただきたいものでございますね。
毎度お読みいただきありがとうございます。
おかげさまで当方の連載作としては好調の、連載10日目で2500PV、100ptに到達いたしました。
日頃のご愛顧、応援のおかげでございます。
ミラ・ボレアス商会のエピソードはこれで一区切りですね。B章はこれにておしまい、つづいてC章へ。
100億円(?)の活動資金と大商会の後ろ盾、そしてオークションの顧客リストを入手したカラット。
お次はいよいよ第一の冥財奪還へ動くことになる? 待て、次回!
お楽しみいただけましたら感想、評価、ブックマーク等ぜひご贔屓に。感想つけづらいアレな内容ですけどもお気軽に!
それでは、今後ともよろしくお願いいたします。