第1話:開始国の選択と怒涛の特許コンボ
不定期更新になるかもしれません。
【現実:2026年10月1日(木)午後7時50分】
「いよいよ今日からですね、凛先輩!」
「ええ、美織ちゃん。準備は万端よ。βテストから待ち焦がれた本サービス開始……絶対にスタートダッシュを決めるわよ」
通話用ヘッドセットの向こうから聞こえる後輩の弾んだ声に、結城凛は口元にうっすらと笑みを浮かべた。
年齢、29歳。中堅メーカーで経理を担当する、一見すればごく普通のOLである。
しかしその本性は、休日のすべてを洋書の兵器図鑑や弾道計算のシミュレートに費やす、筋金入りの「軍事・兵器オタク」であった。
彼女のベッドの上には、最新型のVRデバイスが無造作に置かれている。
「私、完全なVRMMO初心者なんで、先輩だけが頼りです! 剣と魔法の王道ファンタジー、すっごく楽しみです!」
「ふふ、任せてちょうだい。私が最高の『魔法』を見せてあげるから」
『……ふふふ。βテストでこっそり見つけたあの仕様。無属性魔石の粉末が、黒色火薬と全く同じ燃焼効率を持ってるって物理法則が承認されたこと、まだ誰も気づいてないはず』
最新鋭の量子AIが導入されたこの『アビスジェネシス』は、プレイヤーが物理法則をシステムにプレゼンし、それが理論上可能であれば世界の法則として組み込まれるという、前代未聞の仕様を持っていた。
凛は今日この日のために、現実世界での膨大な化学式と弾道計算の知識を頭に叩き込んできている。
「それじゃあ美織ちゃん、予定通りスタート地点は『アルトリア王国』に設定してね。時差の関係で、こっちの夜20時が向こうの朝8時になるから。初日からたっぷり活動できるわ」
「はい! アルトリア王国ですね。……あっ、そうだ。キャラクターの年齢設定はどうしますか?」
「美織ちゃんは『8歳』にしてちょうだい。それと、システム設定にある『加齢ストップ機能』は必ずOFFにしておくこと」
「えっ? OFFですか? それじゃあ、ゲームの中で歳を取っちゃうってことですよね?」
「ええ。このアビスジェネシスでは、現実世界と同じく、幼少期から英才教育を施して身体を鍛えた方が、将来的なステータスの最大値が圧倒的に高くなるのよ。だから、加齢ストップ機能をOFFにして、ちゃんとアバターが成長するようにしておかないとダメなの」
「なるほど! さすが先輩、情報が早いですね。了解です、年齢は8歳、加齢ストップ機能はOFFですね!」
「じゃあ、向こうで会いましょう」
凛は通話を切り、ベッドに横たわってVRデバイスを頭に装着した。
目を閉じ、意識を仮想世界へとダイブさせる。
「リンク、スタート」
***
光の粒子が収束し、アルトリア王国の初期リスポーン地点である広場に二つのアバターが実体化した。
「うわぁ……! すごい、本当に異世界に来たみたい! 」
美織のアバター『ミィ』は、身の丈ほどの鉄の剣を背負った、栗毛のポニーテールが似合う活発な少女だった。
しかし、その年齢設定は先輩に言われた通り『8歳』。
初期装備である革の軽装鎧が少しブカブカで、背中の剣がやけに大きく見えた。
「……って、あれ? 私、なんか視線が低くないですか? 確かに先輩に言われた通り、年齢設定を8歳にしましたけど……先輩はどこですか?」
「ごきげんよう、ミィ。よく似合っておりますわよ」
「えっ? ……ええええっ!?」
ミィが声のする方を振り向くと、そこには金髪の縦ロールを優雅に揺らす、フリルたっぷりのドレスを着た幼女が立っていた。
年の頃は6歳ほど。抜けるように白い肌と、青い瞳をぱちくりとさせ、可憐な微笑みを浮かべている。
まるでおとぎ話から抜け出してきたようなお姫様だった。
「せ、先輩!? なんですかその格好!? っていうか、私よりさらに小さくないですか!?」
「今日からわたくしは『シャルロッテ』ですわ。以後、お見知りおきを」
シャルロッテはドレスの裾をつまみ、完璧なカーテシー(淑女の挨拶)を披露した。
その声色は、普段の凛の落ち着いたOLトーンとは全く違う、完全な「お嬢様」のものだった。
『ふふふ。このゲーム、女性アバターはNPCの好感度が上がりやすい恩恵があるのよね。しかも幼い貴族令嬢の姿なら、誰からも警戒されることなく立ち回れるわ。完璧な偽装よ』
内なる狂気をひた隠しにし、シャルロッテはふんわりと微笑み続ける。
「でも先輩……じゃなくてシャルロッテさん。なんでわざわざこんな子供の設定にしたんですか? これじゃモンスターと戦う筋力なんて……」
「もちろん、先ほど言った『将来のステータス最大化』のためですわ。ミィの8歳という年齢は、初期モンスターであるスライムを討伐する際のタイムロスが、ギリギリ許容範囲だと計算してのことですの」
「な、なるほど……? じゃあ、シャルロッテさんの6歳っていうのは?」
「魔石を粉砕できる『最低限の筋力』を確保できる下限年齢ですわ」
「ませきをふんさい……? な、なんだかよくわかりませんけど、さすが経験者ですね」
ミィは納得したような、していないような顔で首を傾げた。
「ではミィ。さっそく街の外へ出ましてよ。最初の獲物を狩りますわ」
「はい! 私、頑張って剣振りますね!」
***
アルトリア王国周辺の平原。
青々とした草が生い茂る中、プルプルと震える半透明のゼリー状モンスター——スライムが姿を現した。
「で、出たー! モンスターです! ええと、剣を抜いて……えいっ!」
ミィが背中の剣を抜き、ぎこちないフォームでスライムに斬りかかる。
しかし8歳の筋力では鉄の剣は重すぎた。
鈍い音がしてスライムがひしゃげたものの、体力が半分ほど残ってしまった。
「す、隙ありですわ!」
すかさずシャルロッテが駆け寄る。
彼女は可憐なドレスの裾を気にすることなくしゃがみ込むと、足元に落ちていた手頃な石を拾い上げ、スライムの体内に浮かぶ核をピンポイントで叩き割った。
パァン!
という軽い音と共に、スライムは光の粒子となって消滅した。
後には、くすんだ色をした小さな石——『無属性魔石』が一つ、草の上に転がっていた。
「やった! 初勝利ですね、シャルロッテさん!」
「ええ。見事な太刀筋でしたわ、ミィ。……さて」
シャルロッテはドロップした無属性魔石を拾い上げると、顔の前に持ってきた。
「ミィ、ちょっとそこら辺で警戒していてくださる? わたくし、少しこの魔石に用事がありますの」
「え? は、はい。わかりましたけど……」
ミィが周囲の安全を確認しようと背を向けた、その瞬間だった。
シャルロッテは持っていた石を振り上げ、硬い地面の上に乗せた無属性魔石を、ガツン! と力強く叩き割った。
ガリッ、ゴリゴリゴリ……!
6歳児の細腕ではあるが、魔石を粉砕できるギリギリの筋力は計算済みだ。
シャルロッテは一心不乱に石を押し付け、魔石をすりつぶし、細かい粉末状にしていった。
『あはっ! あははははっ! これよこれ! これがやりたかったの!』
表の可憐な顔とは裏腹に、シャルロッテの内心は歓喜に震えていた。
指先が少し擦り切れたが、そんな痛みなどどうでもよかった。
『さあ、ここからが本番! システムAIにプレゼンよ!』
シャルロッテは虚空に向け、システムへの申請ウィンドウを開いた。
あらかじめテキストファイルにまとめておいた膨大な理論式と化学式を、コピー&ペーストで叩き込む。
『無属性魔石の粉末における、急激な燃焼および膨張法則の適用申請! 成分組成と燃焼速度は、現実世界の黒色火薬と同等とする!』
数秒の沈黙。
この世界の物理演算を司る量子AIが、シャルロッテの提示した「妄想」を物理的・理論的に検証している時間だ。
緊張でシャルロッテの喉が鳴る。
そして——。
《システム通知:申請された物理法則の適用と、特許が承認されました。特許第1号が登録されました》
『よっしゃああああああっ!! 読み通り! 私が特許第1号よ!!』
ガッツポーズを決めたい衝動をなんとか抑え込み、シャルロッテはすぐさま特許の設定画面を開く。
『特許使用料は……そうね、1回生成につき1アルトでいいわ。薄利多売でいくわよ……よし、完了!』
これで、この世界のどこかで誰かが「無属性魔石を粉末にして爆発させる」たびに、シャルロッテの口座に自動的にお金が入ってくる仕組みが完成した。
「シャ、シャルロッテさん……?」
不意に背後から声をかけられ、シャルロッテはビクッと肩を揺らした。
「さっきから虚空を見つめて、石すりつぶしながらニヤニヤしてますけど……どうしたんですか?」
「お、お気になさらず、ミィ。わたくし、独自の『魔法』の準備をしておりましたの」
「独自の魔法……ですか?」
「ええ。さぁ、準備は整いましたわ。このまま第1エリアのボスを討伐に向かいますわよ!」
「えええっ!? まだスライム1匹しか倒してないのに、いきなりボスですか!? 絶対無理ですよ!」
「問題ありませんわ。わたくしに任せておきなさいな」
***
第1エリアの最奥部。
すり鉢状になった岩肌の地形の底に、それはいた。
周囲の空気を陽炎のように歪ませるほどの熱を放つ、巨大な炎の塊。
第1エリアボス『火の精霊』である。
「ひぃぃ……! なんですかあれ! 絶対に強いやつじゃないですか! 近づいただけで焼け焦げちゃいますよ!」
「落ち着きなさいな、ミィ。剣を構える必要はありませんわ。あなたはあそこで、ただ見ているだけで結構ですの」
怯えるミィを安全圏まで下がらせ、シャルロッテは堂々と一歩前へ出た。
その手には、道中で採取した太い竹の筒が握られていた。
竹筒の中には、先ほどスライムを狩りまくって粉砕した『無属性魔石の粉末(黒色火薬)』が限界までぎっしりと詰め込まれ、木の栓で硬く蓋がされている。
『導火線なんて不要よ。火の精霊さんが、自らご丁寧に火種を提供してくれるんだから』
ゴォォォォォォッ!!
侵入者を感知した火の精霊が、轟音と共に灼熱の火球を放ってきた。
常人のプレイヤーなら恐怖で足がすくみ、回避行動をとる場面だ。
しかし、シャルロッテの青い瞳は極めて冷静に、飛来する火球の弾道を計算していた。
『風速、重力、空気抵抗……完璧ね』
「ごきげんよう、火の精霊さん。わたくしからのプレゼントですわ!」
シャルロッテはふんわりとしたドレスを翻し、思い切り竹筒を投擲した。
放物線を描いて飛んでいく竹筒。
それは、迫り来る火球のど真ん中を通過して、ボスの胸元へと正確に吸い込まれていった。
「えっ……?」
ミィが間抜けな声を漏らした次の瞬間。
ドッゴォォォォォォォォォォォォン!!!!
鼓膜を破るような轟音と共に、凄まじい爆発が巻き起こった。
密閉された竹筒の中で急激に燃焼・膨張した魔石の粉末は、逃げ場を失い、巨大な爆発エネルギーとなって解放されたのだ。
爆風が火の精霊の核を穿ち、その炎の身体を跡形もなく吹き飛ばす。
ボスのHPバーが、一瞬にしてゼロになった。
『あはっ! やっぱり圧倒的火力しか勝たないよね! 汚物はまとめて消毒しちゃおーっと!』
濛々と立ち込める爆煙の向こうで、優雅に微笑む6歳の幼女。
ミィはその光景を、ただただ絶句して見つめることしかできなかった。
ピロリン♪
《エリアアナウンス:第1エリアボス『火の精霊』が討伐されました! 討伐者:匿名プレイヤー2名。サーバー最速討伐記録が更新されました!》
「……えっ? お、終わった……? 剣も魔法も使ってないのに……?」
「ふふっ。これがわたくしの『魔法(※物理)』ですわ。さぁミィ、ドロップアイテムを拾いますわよ」
爆心地の中心には、赤く輝く大きな石——『火属性魔石』が転がっていた。
「わぁ、綺麗な石……これがボスのドロップアイテムなんですね。高く売れそう……」
「ええ、素晴らしい素材ですわ」
シャルロッテは火属性魔石を受け取ると、再び足元から手頃な硬い石を拾い上げた。
「あの、シャルロッテさん……? なぜまた石を……?」
嫌な予感がしたミィが止める間もなく、シャルロッテは腕を振り上げた。
ガリッ、ゴリゴリゴリゴリ……!!!
「ええええええええっ!? なんでボスのレアアイテムらしきものを、速攻で粉々に砕いてるんですかぁぁぁ!?」
悲鳴を上げるミィを尻目に、シャルロッテは猛烈な勢いで火属性魔石をすりつぶしていく。
『火属性魔石の粉末は、ニトログリセリンと同等の反応速度を持つ! ただし、粉砕・調合時は安定しており安全に扱えるものとする! 申請開始!』
《システム通知:申請された物理法則の適用と特許が承認されました。特許第2号が登録されました》
「……ふぅ。これで新しいおもちゃ(爆薬)が作れますわね」
「先輩……いや、お嬢様! 笑顔で爆弾作らないでください! 怖い!! 私、普通に剣と魔法の世界で冒険したかっただけなのにー!」
初心者の悲痛な叫びが、アビスジェネシスの青空に虚しく響き渡っていた。
かくして、清楚な令嬢(中身は兵器オタク)による、剣と魔法の世界の幕が上がったのである。




