第50話 そして夜は明ける③(あなたはどうしたいんですか?)
「……機密事項?」
急にそんなことを言い出した蒼悟に、何事かと驚いて重治郎は慌ててストップをかけた。
「いやいや、ちょっと待って! そ、それって、俺が聞いて大丈夫なのか?」
いくらかつて親友だったとはいえ、あれからずっと会ってもいない人様の家のことだ。それも名だたる家柄のお宅の機密事項など、一般庶民である自分が知っていいものではないのではと、重治郎は心配になる。
「他の者には絶対に知られてはならない秘密なんですが、あなただけはむしろ、知るべきだと思います」
「……えっ? 俺が?」
「何で?」と聞く前に、蒼悟はひと際重治郎に近づいてそっと耳打ちした。
「佐原家に生まれた者は、生涯たった一人の人間しか愛せないんです」
重治郎は何のことかと理解が追いつかず、呆然としたまま首を傾げる。
「? え? どういうこと……?」
「それが『呪い』です。俺たち佐原家の人間は、初恋の相手その一人しか愛することができない。そういう性質なんです。少々現実離れした話かもしれませんが……」
蒼悟の話は確かに非現実的で、にわかには信じ難く、重治郎は戸惑いを隠せなかった。
「えっ、でも、あいつは君のお母さんと……」
「契約結婚でした。実の息子の俺から見ても分かるほどに」
「え?」
むしろ家族として近くで見ていたから分かる。
父と母はお互いに必要以上に干渉せず、一定の距離を保っていた。そのドライな関係性はとてもビジネスライクで、まるで夫婦という役を演じているように見えた。
「俺の弟が成人した時、父と母は離婚しました。そこまでの契約だったんでしょうね。実に円満であっさりとした離婚でした」
間近で微笑みながら余りにもあっけらかんと、とんでもない話をする蒼悟に、重治郎は面食らってしまう。
「け、契約って……」
「かくいう俺も、今の妻とは契約結婚です。俺は、父のことが好きなので」
「? ……ん? えっ?」
「俺の初恋の相手は、父なので」
その一言で脳内が情報過多に陥り、重治郎は固まって動かなくなった。
重治郎が混乱して処理落ちしているのを知ってか知らずか、蒼悟は追い討ちをかけるかのように、重治郎の耳元で淡々と囁き続ける。
「もちろん最初は俺も『呪い』なんてそんなの迷信だろうと、信じていませんでしたし、他の人間を愛する努力はしましたよ。ですが全くダメでした。初めて好きになった一人の人間しか愛せない性質なんて、確かに『呪い』のようなものですよね。妻とはお互い利害が一致したので結婚しました。恋愛感情はありませんが、家族愛はもちろんありますし、契約の目的は果たされているので、今のままで満足しています。父への俺の想いは永遠に叶わないでしょうが、傍にいられるだけで十分幸せですしね。ああ、そうそう、俺の弟も佐原家の人間ですので同じく呪いに……」
「あああ、あの、ちょ、ちょっと待て!」
重治郎は堪らず耳を押さえて叫んだ。
「情報量が多すぎる……!」
「はは、まだ話は終わってないですよ」
蒼悟が爽やかに笑いながらそんなことを言うので、重治郎は背筋がぞっとして、さらに身を引いた。
(何だ、この子。こ、怖い……)
しかし蒼悟のこの突拍子のない話が、嘘だとは思えない。わざわざここに自分を呼び出してまで、そんな作り話をする理由がまるでない。
蒼悟が言うように、佐原家の人間が、ただ一人しか愛せないという性質だというのなら。
(あいつは、誰を――)
重治郎は何度か深呼吸をして、混乱する心を落ち着けてから、おもむろに口を開いた。
「あの……俺も質問していいかな?」
「はい。何でしょう」
「仮にその話が本当だとして、君の家の人間がそういう性質だっていうなら……」
にこやかに頷いた蒼悟の顔を窺うように、重治郎は話の中で気になったことを訊いてみる。
「あいつの……ユキの、初恋の相手は、誰なんだ?」
ここに来て初めて父の名前を呼んだ重治郎に、蒼悟はふっと笑みを溢した。
「それは、俺には知りようがないことです。あなたもご存知の通り、父は自身のことを話さないので」
柔和な微笑みだが、その目は笑っていなかった。
親友を思い出させるその鋭い瞳に深く見つめられ、重治郎はハッと息を呑む。
「気になるのでしたら、直接父に訊いてみてはいかがですか?」
蒼悟の瞳から目が離せないまま、重治郎はふるふると首を振った。
「そんなこと、出来るわけがない。あいつに……『二度と会うつもりはない』とまで言われたのに、今さら、どの面下げて会えるっていうんだ」
重治郎は言いながら、声が震えてだんだん視界が滲んでくる。
「あいつから梅子を奪ったのも、あいつがあれだけ世間から叩かれたのも、全部、俺のせいなのに……それどころか、最後まで梅子を守れなかった俺に、あいつに会う資格なんて、あるわけが……」
「重治郎さん」
蒼悟が重治郎の震える声を遮って、その背中に手を置いた。
「俺からもう一つ、質問させてください」
「えっ?」
「あなた自身は、どうされたいんですか?」
蒼悟は穏やかな笑みを浮かべたまま、潤んで揺れている重治郎の目を見つめる。
「父に会いたいのか、会いたくないのか。あなたがどうしたいのか、知りたいんです」
「い、いや、お、俺は……」
強い視線に耐えかねて、重治郎が顔を逸らしたその瞬間に、蒼悟は逃がさないとばかりに、背中に置いていた手で肩を掴んで引き寄せた。
蒼悟に横から肩を抱かれる形になって、重治郎は驚愕する。
「は……⁉︎」
「俺は? 何ですか?」
「え、いや、あの……俺は、別に……」
「別に? どうしたいと?」
「そ、蒼悟くん? ちょ、近くない?」
「そんなことないですよ。それより質問に答えて下さい」
「ひえ……っ」
重治郎は思わず小さな悲鳴が出た。
至近距離から笑顔でガン詰してくる、その圧力が半端ではなかった。
(やっぱりこの子、なんか怖い……!)
かつて行哉も人に対する圧が強い性格であったが、息子の蒼悟にはそれとはまた違う怖さがあるような気がする。
「本当は父に、会いたい、ですよね?」
重治郎は蒼悟の笑顔に気圧されて、震えながら観念したように頷いたのだった。




