65話
「うわぁ、たっかいね」
「高さだけで言うと、東京タワーの三分の一くらいしかないんだけど、なまじ他の建物がそこまで高くないから余計にそう見えるよね」
中央広場にそびえたつ時計塔を見上げながら言うカナデに、シキはそう返す。
「へぇー、そういえば、この時計塔にも何か名前があるの?」
「あー、うん、まあ」
問いにシキは、言葉を濁す。
ステラスフィアに住む人々からすれば一般的に呼ばれている名前ではあるが、シキたちのような異世界人が口にするのは少しだけ憚られる……というよりも、中二心を刺激されて黒歴史を思い出しそうになるからあまり言いたくはないのだ。
「どんな名前なんですか? 白姫様」
ダイキとカナデに左右から見られて、シキは少しだけ唸った後、答える。
「時の番人と書いて、クロノス……だね」
「それは……」
ダイキは、目を逸らしながら呟いた。
彼も彼で元々中二病をこじらせていただけに、何かしら思い出してしまったのだろう。
「なんかかっこいい名前だね!」
そんな中カナデだけがそう言って目を輝かせていた。
「かっこいいっちゃかっこいいけど……」
中二病をこじらせた人や、もしくはゲームをする人ならばある程度知っているであろうその名前の元ネタは、ギリシア神話に登場する神で、クロノスは時間の神である。
「でも、大体そんな感じだよね。何かしら象徴なようなものに名前を付けようとすると、かっこよく聞こえる名前をチョイスしちゃうって言うか……うん、だから仕方ないんだよ。これは生まれながらに人が背負っている業なんだから……」
「その現実逃避は、ちょっと無理があると思いますけどね……」
そう言ったダイキの言葉は無視しておいた。
「それはそうと、どうする? この時計塔は中から昇ることも出来るけど、昇ってみる?」
「え、昇れるの?」
「うん。ほら、ちょっと見づらいけどあそこらへんが展望フロアになってるから」
食いつくカナデに答えると、次はダイキが質問をした。
「中には何かあるんですか?」
「うーん、確か食べ物屋のスペースがいくつかくらいだね。他の都市で過ごす人にとっては観光名所って感じだけど、連日人が訪れるような場所じゃないし」
ステラスフィアでは旅行などに足を伸ばそうと考える人は少ない。
三大都市にはある程度の防備があるが、他の場所だとそうはいかない。
《色無し》でも一般人からすれば脅威だというのに、アルカンシエルが現れたらと考えれば迂闊に都市の外を歩くことなど出来ない。
都市間を行ったり来たりする行商人も、護衛を雇わない限りは都市の外へは出ない。
「でもせっかくだし、昇ってみよっか。色々見てみたいでしょうし」
「うん!」
元気よく頷き気が急いてしまって先頭をずんずん歩いてゆくカナデを微笑ましく見ながら、シキとダイキはその後をついて行く。
時計塔の中は結構な広さがあり、外壁や内壁は加工された石造りとなっている。
一階のフロアにはいくつもベンチが備え付けられており、ここではちょっとした軽食やアクセサリーなんかが売っている。
「中はこうなってるんだぁ」
しきりに周囲を見渡しながら言うカナデにつられてシキも内部をぐるりと見渡す。
「…………?」
……何だろう、何かが、違う?
見える光景に違いは見られない。前から知っている時計塔の内装。加工された石がいくつもいくつも積み上げられて出来た時計塔。
前にリインケージを訪れた時に見た光景なのに、前とはまるで別物に見える光景に、シキは頭にずきりとした疼きを覚える。
「お姉ちゃん?」
「……うん、大丈夫」
様子が少し変だと感じたのか、カナデが少しだけ心配そうな声をかけてきたので、シキは先手を打ってそう返して感じていたものを吐き出すように、深く息を吐いた。
そしてもう一度内装に目を向けた時には、もう頭の中に感じた疼きは消えていた。
……何だったんだろうか、今のは。
「……本当に大丈夫?」
「うん、ごめんね。ちょっと立ちくらみしただけだから」
「白姫様、疲れてるんじゃないですか?」
「へーきへーき」
「むぅ……ならいいけど、無理しないようにね、お姉ちゃん」
「あはは、心配性なんだから」
シキは笑ってそう言うが、カナデはつかつかと歩いてきてかぶりを振るシキの手を取った。
「カナデ?」
「お姉ちゃんが心配だから、手を引いてあげるんだよ」
「ちょ、カナデ引っ張らないで!」
心配と言いながらもぐいぐい引っ張ってくるカナデに戸惑いながら、シキはそのまま階段を昇り始める。
「……うへぇ、やっと、ぜぇ……着きましたね……はぁ……」
「ダイキ君、情けないなぁ……もうちょっと体力つけないと」
「……がんばります」
エレベーターも無く約百メートルの建造物の階段を昇り続けたのだから、息が切れていてもおかしくないものだが、元々身体能力に自信があるカナデや、日頃から鍛えているシキにとってはこの程度の階段はわけない。
そのかわりまだまだ鍛練を初めて間もないダイキは、目に見えて疲れ果てていた。
膝がガクガク笑っていて、生まれたての小鹿のようだった。
「わぁ、わぁ! すごーい!」
そんなダイキを放っておいて、カナデは一部が解放されている展望台から外の風景を眺めて感想を叫ぶ。
「屋上に昇ればもっとすごいよー」
「屋上! 行けるの?」
「うん、あっちの階段から昇れるけど、って、もう……」
シキが別の階段を指さした瞬間、カナデは走ってそっちへと向かってしまっていた。
「……テンション高いなぁ」
……バカと何とかは高いところが好きって言うよね。なんて失礼なことを考えながら、シキは仕方なしにカナデの後を追う。
その前に、
「ダイキ君は、辛かったら少し休んでてね」
「はい……そうします」
ダイキにそう声をかけて、今度こそシキはカナデを追う。
と言ってもカナデのように走って昇るのではなく、先程と同じようにカツカツと一定のリズムを刻みながら昇ってゆき、やがて透明色の出口が見えてきてそこをくぐるとそこは、リインケージの中でもっとも透明色の空に一番近い場所だった。
先ほどまで見る物見る物に声を上げてはしゃいでいたカナデは、そこから見える風景に心を奪われて立ち尽くしていた。
「――カナデ」
シキが名前を呼んでも、カナデの反応がない。
透明色の空に反して、地上に見えるのは様々な色合いで展開される家屋や建築物、それに豆粒のように見える人の姿。細い路地がまるで迷路のように見え、そこかしこを人が歩き言葉を交わしあっているようだが、雑踏も話し声もこの高さではもう聞こえない。
ついと視線を上げると、そこには透明色の空がどこまでも続き、ステラスフィアの大地と透明色の空が交わる地平線までも一望することが出来る。
その透明色の空に、今はもう一つ浮かぶ大陸が存在し、リインケージから見るその浮遊大陸はミラフォードで見るよりもかなり大きく見える。リインケージの北西、キキョウ遺跡辺りを中心にしておおよそ直径十キロ程度だろうか。浮遊大陸の形はひょうたんのような形のうち細い胴体の部分をやや太めにした感じだ。
高さで言うならば、地上よりおよそ千メートル程の高さにあるらしく、この高さでも上の様子をうかがうことは出来ない。
「――すごいね」
ぽつりと、カナデが呟いた。
その一言にカナデが見て、感じた全ての感想が凝縮されていた。
「そうだね」
ステラスフィアという箱庭の世界。
異世界人が喉から手が出るほど求めて止まない魔導の技術の存在する、美しい箱庭の楽園。
……アリスが創った世界。
浮遊大陸のその先へとシキは視線を向けると、そこには空の彼方その先にある《白樹海》の中に、ゆらりと揺れる《古代魚》の姿があった。
「……戻ろっか」
「うん」
声をかけると、カナデはあっさりと頷いてシキの隣へと並ぶ。
「さ、いこ!」
そして再びシキの手を取って歩き出した。
「もう、引っ張らなくてもちゃんとついてくから」
困ったように言いながら、シキは時計塔の屋上を、後にした。