64話
「…………」
朝は満面の笑みを浮かべていたカナデが、今はその真逆の素晴らしく不機嫌そうな顔でシキとその横に並ぶダイキを睨みつけていた。
「(……白姫様、カナデさんはなんでこんな不機嫌そうなんですか)」
ぼそぼそと、ダイキは小声でシキに問いかける。
「(……わかんないかもしれないような、そうじゃないような……)」
視線を逸らしながらダイキと同じく小声でそう返すシキの横顔に、ダイキは「ああ……この人はまた何かしたのか……」と早くもシキの性格を悪い方向へと掴み始めているようだ。
「……お姉ちゃん」
「は、はい!」
ほの暗いニュアンスを含んだカナデの声に、ダイキと小声で喋っていたのが気に障ったのだろうかと、シキは背筋を伸ばしてカナデの次の行動を待つ。言葉じゃないのは、もしかしたら手が飛んでくるかもしれないと警戒している為である。
カナデはヤンデレの素質でもあるのではないだろうかと思われるが、シキはそんなことに気がついていない。
そもそも気がついていればわざわざ怒りの火種を呼ぶなんてことはしないはずだ。
緊迫した時間が流れてゆく。
「…………はぁ」
そしてその空気を破ったのは、失望したようなカナデのため息だった。
「カ、カナデ?」
「お姉ちゃんの馬鹿」
「えぇ……いきなりなん……んん」
いきなり馬鹿呼ばわりされてシキは疑問の言葉を返そうとしたが、何とか言葉を飲み込んだ。
ここで何か言って、藪蛇になったら目も当てられない。
「ごめんね、ダイキ君も」
「い、いえ……こっちこそ、お邪魔しちゃってるみたいで……」
……そう、ダイキの言う通り、カナデはどうせなら二人で街を歩きたかったのだ。
明日にはリインケージを出立して行方不明となっている調査隊の追調査を行わなければならない。可能性は低いが彼らはまだ生きていているかもしれない。
なのに二人で出かけたいなどと不謹慎な話だとは思ったが、けれどもシキに置いていかれて一人、世界魔術機構で目が覚めたカナデは、自分が意識を失うに至った記憶を思い出して恐怖した。
《黒影襲撃》の際にシキと別れ、そして戻ってきたら少し前にシキが居た場所辺りには巨大な氷塊が突き立っていて、その氷塊付近に赤い血が飛び散っていた。
いつの間にか近くに居たキョウイチやクレアやキリエが何か言っていたが、カナデにはその言葉は聞こえていなかった。
忙しなく打つ心臓の動悸は止まらず、血液が酸素を求めて循環しているにも関わらず呼吸は浅く酸素を供給出来ない。それに伴い脳が酸欠によって視界がどんどんと白っぽくなり、視野が急激に狭まり思考が定まらない。
いや、理解したくなかったのだ。
何故、ここにお姉ちゃんは居ないのか? 黒い影のアルカンシエルはするすると世界魔術機構へと続く道を進んで行っている。そこにある巨大な氷塊は何だろうか? そしてそこから僅かに飛び散った血は……もしかしたら、自分の兄の物なのか――。
――そこから先の記憶は、カナデは覚えていない。
目覚めた後になって、その時カナデはキョウイチすらも初動に気が付くことが出来なかった驚くべき速度で黒い影のアルカンシエルへと躍りかかり、黒い影のアルカンシエルを何度も斬り裂きながらも、黒い影のアルカンシエルが唐突に生み出した地の槍をかわしきることができずに昏倒してしまったのだとキョウイチから聞いて知った。
それを聞いた直後にカナデはキョウイチにシキがどうなったのかを尋ねたが、そこで帰ってきた答えはカナデにとってまったく理解できるものではなく、他の人に聞いたところでそれは同じ答えだった。
誰に聞いても帰ってくる答えは、シキの存在自体が世界から無くなってしまったかのように「そんな人物は知らない」とという答えばかりだった。
昨日の寝る前に部屋でシキに一から説明をしてもらって納得はいったが、それまでカナデはずっと不安で仕方なかった。
周りが『黒い』色を『白い』と言っている中、自分だけがそれを『黒い』と言っているような、当たり前の真実を言っているだけなのに、自分以外の全員がそれを否定している。
それが本当にその通りなのだろうか……。
そう記憶を疑い、洗脳にも似た脅迫概念に流されそうになっていた時、レインからキョウイチと共にリインケージに向かって監視するようにと命じられた人物の名を聞いて、カナデは自分の記憶が正しいことを知った。
そこから準備をして、《加速》の魔術を使い、昼も夜も関係なく野を、森を駆けてリインケージへとたどり着き、そこでシキと再会して思わず感情のままにシキを平手打ちしてしまったというわけだ。
不安で、寂しかったから、少しくらいはと思って気を弾ませていたら、そこにダイキという闖入者が現れて気落ちしてしまったというわけだ。
もちろん、カナデもダイキが悪いなんてことは思っていない。
彼が前に機構から脱走した人物で、最初のレクリエーションの時にレインに噛みついていた少年だと知って、そのイメージと今の心を入れ替えたダイキのイメージが異なりすぎていて驚きはしたが、それはそれとして、彼もリインケージについて全く何も知らない、自分と同期の異世界人なのだ。
リインケージで各自準備に取り組む時間を得たとしても、彼は何をしたらいいのかわからなかったのではないだろうか。
だからこそシキが気を効かせてダイキも誘ったのだろうし、そこに他に深い意味が存在するなんてことカナデは疑ってはいないが……いないが、それでもカナデはまだシキと同じ18歳で、年齢的に自分の感情を完璧に割り切って考えるなんてことは出来ない。
「ううん、ダイキ君も準備しないといけないだろうし、キョウイチさんには頼み辛いだろうから仕方ないよ」
口に出して言うと、本当にそう思えてくるから不思議だ。
別段ダイキを嫌っているわけでもないので、カナデはそう言って自分を落ち着かせると、ダイキも「あはは、まあ……そうですね」と気まずそうにではあるがそう言ってくれた。
「でも、セラがついて来ないのは意外だけど、どうしたの?」
こういうイベントで来るならばセラがついてくるのではないだろうかと思っていたカナデはむしろダイキが来てセラが居ないことで意表を突かれたところもあるのだ。
「セラは《ライン》本部の部屋を借りて、キキョウ遺跡で使う魔術言語を組むみたいだね」
「あ、そうなんだ」
「そういえば、カナデは創成魔術の方はどうなの?」
ふと気になってシキが聞くと、カナデはきょとんとした表情で首を傾げた。
「《加速》の魔術以外、練習とかしてないよ? 出来る気がしないし」
「うわぁ……」
カナデには七色もの属性適性があるというのに何とももったいない話だ。
確かに、属性適性があるからといって創成魔術を使えるとは限らないのだが、早々に諦めてしまっているらしいカナデの言葉に、シキはどうしてももったいないと感じてしまう。
「そんなこと言わずに練習しようよ。ダイキ君でさえ使えるようになってるんだから」
「え! ダイキ君、創成魔術使えるのっ?」
「いや、まあ……今日も一応魔術言語を組もうとしていましたし……」
そう、驚くべきことに、ダイキもこの数日で一つではあるが実戦的な創成魔術を使えるようになっている。地道に黙々とやっていたらしく、今日もシキに誘われるまではリインケージの街に出たところで何があるかもわからなかったので一人部屋で瞑想でもしていようと思っていたのだ。
「うーん……」
ダイキに先を越されていたことが悔しかったのか、カナデは眉を顰めて唸る。
「まあ、まだまだ荒いし、使い道も限られてるけどね」
「うぐ……精進します」
シキの一言に今度はダイキが唸る。
実際、ダイキが使える創成魔術は『石の壁』という、眼前に高さ3メートル程の石の壁を構築するという、まさにそのまんまの言語魔術である。
「でもこの短期間で使えるようになったのはすごいね。偉い偉い」
「あ、ありがとうございます」
そう言ってダイキの肩に手を乗せてシキが言うと、ダイキは照れたように笑った。
「……わたしも、創成魔術の練習頑張る!」
と、いきなり何を思って決意したのか、カナデがそう言って両手を握って力を入れていた。
「うん、がんばって?」
そんなカナデを不思議そうに見ながらシキはそう言って、さらに続ける。
「でも、先に明日の準備しよっか。ダイキ君にも付加魔術処理されてる服とか欲しいしね」
アードルで倒した《色無し(ミスト)》の報酬と、今回の追調査の経費を貰っているので、まだそこそこお金がある。
「は、はい」
「カナデも軍服だと目立つし、良さそうな服と予算があったら頼んでみるのもいいかもね」
「あ、お金は結構持ってるから大丈夫かも」
今回の任務に当たるに際して、レインから支度金と称する金銭を結構長く貰っている。
「じゃあいこっか」
そう言ったシキの言葉と共に、三人はとりあえず中央広場を目指すのだった。




