63話
「はぁ……」
暖かな光が引き切り、すっかり暗くなって少しだけ肌寒さを感じるリインケージの夜の繁華街を歩きながら、シキは溜息を吐いていた。
そこまで期待はしていなかったものの、やはり断られるとへこむものがある。後、純粋にイロリに忘れられてしまっていたことが堪えているのだろう。華奢な肩ががっくりと落ち、道行く人がちらほらと心配そうにシキを見ている。
……知っている者、友人だった者、仲間だった者から忘れられているのは、心にぽっかりと空いた穴を覗き込むかのように空虚で行き場がないくらい哀しいことだ。
旧友でど忘れされてしまっているくらいのことならば自分も、そして相手も気を病むこともなく笑い話で済むだろうし、後々落ち込むことなんてそうそうないだろう。
けれどもシキの場合はその人についての記憶、思い出が多すぎる。
当たり前のように隣に感じていたその感覚が一気に消え失せた喪失感。どこまでも一方通行で、シキが積み重ねられた思い出の中の彼ら彼女らに話しかけたところで、親愛の感情は疑念の壁によって遮られて行き止まる。
「……早く、セラかカナデに会いたい……ダイキ君でもいいかも……」
ぽつりと、シキは呟く。
そんな中でも自分のことを覚えていてくれる者が居ることを、シキは何よりも嬉しく思う。
ついでのように言われたダイキだが、シキは彼に対する評価はそこそこ高い。
ここ最近言語魔術の修練を自力で進めいるのもそうだが、さらには体捌きの訓練すらも怠らず続けていることも知っている為、自分の意志で変わろうとしていることが見えて微笑ましい。
言ってもそれは異性に対する好意からくるものでは当然なく、どちらかというと歳下の弟に対する感覚……それも同性としての評価だ。
シキが男に対しても女に対しても、どちらも同性として考えてしまうのは身体が入れ替わったことによる一番の弊害だろう。
さすがにお風呂や温泉などで裸の付き合いとかとなるとうろたえてしまうが、それでもセラとじゃれあっている時なんか、自分のことを男と意識することはほとんどなくなった。
下ばかり見て歩いていたシキは、気持ちを少しだけ取り直して顔を上げる。
ガヤガヤと……雑踏に乗って話し声や笑い声がそこかしこから響き夜色の空へと飲み込まれていく。楽しそうに寄り添い会う恋人。両手を父親と母親に繋がれている子供。彼らは仕事が終わって飲みにいった帰りだろうか、まるで日本のサラリーマンのように酔っぱらってふらふらとおぼつかない千鳥足で器用に人波を避けて歩いてゆく。
どこの世界でも同じ、日常の風景。
そんな些細な風景。
近くの空に浮遊大陸が現れたというのに暢気なものだと思うが、彼らにとって日常を守ることは他の何よりも尊くて意味のあることなのだろう。
変わらない日常。
幸せそうに笑い、たまに不機嫌になって、時には辛くて泣いて、そうして何度も落ち込んで、けれどもそれを分かちあう隣人が居て。
また幸せそうに笑いながら、彼らは日々を紡いでゆく。
ステラスフィアでは世界魔術機構という武力だけで言うならば突出した組織が存在することもあるからか、人と人との戦争というものがほとんど起きたことが無いのも、こうした平穏な日常を支えているのだろう。
ふと、シキの脳裏にレインの横顔がよぎる。
彼女、レイン=トキノミヤも言ってしまえばアリスと同じく、世界に囚われている続けている存在なのだ。
彼女が持っている《凍れる時の魔眼》。
時間や空間を支配する為の魔術言語により、緻密な魔術式が組み込まれた、ある種の《魔導書》のような瞳だ。
レインがそれを手に入れた経緯はほとんど知らないが、それを誰から貰ったかについてならばシキはアリスの記憶を垣間見て知っている。
《凍れる時の魔眼》と呼ばれる、時間と空間を支配し、その人の存在としての時間を止める絶大にして狂気の沙汰としか思えないその瞳をレインに渡したのは……他でも無いアリスだった。
これは恐らくだが、アリスはアルカンシエルの脅威から人々を護るために《白樹海》に沈み、そして自分が護ることの出来ない人々の為に、レインに世界魔術機構の最高責任者という立場を任せ人々を助けることを求めたのだろう。
それからおおよそ500年。
レインはアリスの意思を継いで、人々を助ける為に世界魔術機構の長として存在し続けている。
けれどもその思想がどこかで歪んでしまったのか。
世界魔術機構は魔術師を優先して、人々ではなく、世界に住まう《人》という種の存続を優先して考えるようになってしまっている。
その思想は初めからそう歪んでいたのか、何かの拍子にそうなってしまったのか、それはステラスフィアに来てまだ二年しかレインと関わっていないシキにはわからない。
ただ……レインがアリスから受け取った瞳、《凍れる時の魔眼》には制約がある。
それは――
「――あれ」
街灯に照らされて夜を払う繁華街の通りで、シキは自分を見つめる視線を感じ、違和感を覚えた風景の中から彼女の姿を捉え、その瞬間ぱちりと目が合った。
「カナデ?」
「お姉ちゃん!」
シキの姿を見つけるなりカナデは嬉しそうに駆け寄ってきて、そのままシキの目の前で止まる。
因みにカナデは世界魔術機構の制服である『軍服』帽子無しバージョンを身に纏っていて、繁華街の街並みからは少々浮いている。
「もう、遅いから心配したんだよ」
「もしかして、探しに来てくれたの?」
「お姉ちゃんがまたどっかいっちゃわないようにね」
「あはは……」
わかりやすく腰に手を当てて膨れながら言うカナデに、シキは乾いた笑みを浮かべる。
これではどちらが姉なのかわからない。
もっとも、シキとカナデは双子の兄妹……今は姉妹か。ともかくだったので、あまり年齢的には変わらないのだが。
「あはは、じゃないよ。みんな待ってるんだから」
「え?」
「え? でもないよもう……これからこれからの打ち合わせも兼ねて、晩御飯食べに行くんだから、お姉ちゃんが戻って来ないと話にならないでしょ」
「ちょ、あ、カナデ!?」
強引に手を取って歩き出すカナデに手を引かれながら、シキはカナデの後をついてゆく。
「あ、そうだ!」
「わぷっ!?」
と思ったら急停止したカナデの背にぶつかって、シキはもう少し落ち着きを持とうよカナデ……と心の中で呟きながら、恨めし気にカナデを見る。
「ねえねえお姉ちゃん、明日って少し時間ある?」
「明日?」
シキは首を捻って考える。
リインケージを出発するのは、明後日の早朝で、それはキキョウ遺跡に調査に向かった騎士団のメンバーが生きているならば、ギリギリの日数である。
「リインケージには世界魔術機構のように魔術師御用達のお店とかが少ないから少し不便だけど、各自色々と必要な物を買うための自由行動にしてなかったっけ?」
「鈍いなぁ。うん、だから、お姉ちゃんは時間あるの?」
はー……と息を吐いて、カナデは呆れ顔でもう一度言いなおす。
「む……失礼な……わたしは時間あるけど、それが」
「じゃあね! 明日わたしに都市を案内して!」
「どうしたの……って、え、別にいいけど……」
言い切る前に言われて、シキは戸惑いながらもカナデの提案を受ける。
「良かった……お姉ちゃんやキョウイチさんやセラは良いかもしれないけど、わたしは初めてなんだから、色々教えてもらえないと準備も何も出来ないよ」
「そういえばそっか」
すっかり失念してしまっていた。
「うん。じゃあ、明日朝9時くらいから案内しよっか」
「やった!」
わぁいとはしゃぐカナデを見て、シキはついついつられて笑ってしまう。
この程度のことでうれしそうにして貰えるなら、いくらでもしてあげようかなと思う。
そう思いながらもしかし、
……そういえば、ダイキ君もリインケージは初めてなんだっけ。
それがフラグだとは知らず、シキは頭の中でそんなことを考えているのだった。




