46話
都市から町へ村へと渡り、そこで収穫された作物や特産品を買って売り捌くという商売を続けるオルド=ディールという人物は、駆け出しの商人とは違い結構なベテランで、その界隈では様々な方面へと顏が利く男だった。
今回も突如空に現れた浮遊大陸によって、各都市の混乱が冷めやらぬ中、これは稼ぎ時だと近隣の町や村を巡って商品を仕入れてミラフォードへと卸して一稼ぎしていた。
そんな騒ぎからも一週間ほどが過ぎ、多少は落ち着きを見せてきた時にそれはやってきた。
「あの、わたしを護衛として、やとっていただけませんか?」
どこからどう見ても腕っぷしには自信がありそうではない線の細い白い髪の女の子に、オルドは最初難色を示した。
どこかおどおどしていて、あまり外へと出ていないのか肌も真っ白。腰には剣を下げてはいるもののその刀身は細く、どう見ても獣と渡り合う為に作られたようには見えない。例外として硬化の魔術処理が施されているのであれば或いは、と思わなくもなかったが、しかしそんなものは貴族の令嬢でもない限りは到底支払えもしない額になる。
では目の前の少女は貴族の令嬢なのか? と問われればそれもどうかとオルドは唸る。
顏は可愛らしくどこか気品があるように見えなくもないし、スタイルも良い。だがしかしその身に着けている服は、上は白いインナーに黒いジャケット、下はホットパンツに黒いニーソックス、そして動きやすそうな黒い靴だ。
仮に貴族の令嬢だったとしても、戦闘能力が無い者を護衛に雇うなどというのは、果たしてどうだろうか。護衛とは体の良い言い訳でタダ乗りを求められているのではないか?
少女の申し出にそう思ったオルドは断ろうとしたのだが、続けて少女が言った同行者の名前を聞いて、眉を顰めた。
――セレスティアル=A=リグランジュ。
世界魔術機構にも何度か消耗品や食料品を融通したことがあるオルドは、多少は魔術師に対する知識も持ち合わせていて、世界魔術機構に存在する魔術師の中でも、属性魔術の頂点に存在するという、特に秀でて並び立てられる魔術師が居ることもオルドは知っていた。
そのうちの一つ、氷の属性を操る最上位の魔術師の名前が白い少女が言った同行者の名前と同じだったのだ。
そのことについて白い少女に確認してみると、白い少女はその通りだと頷き、自分も魔術師だと名乗った。実は少し前に、セレスティアル=A=リグランジュが機構から脱退して旅に出るという噂を商人仲間から聞いて居たオルドは、そうならばと白い少女……シキの言葉を信じて了承したというわけだ。
そして今、目の前で繰り広げられている光景に、オルドは口をあんぐりと開けて放心しきって見入っていた。
数十匹の群れで襲いかかってきた馬型の《色無し》を見て、オルドは最初、
……ああ、これはダメかもしれない。
と思った。
普段襲われたとしても数匹程度の《色無し》が、土煙を上げて大量に迫ってきているのだ。
《色無し》は生物という枠組みを出ない身体能力しか持たないとは言っても、通常の上限であるリミッターは《呪い》によって取り払われているし、身体は《白樹海》から漏れ出た概念と結びついて攻撃的に変質してしまっている。
憎悪に血走った瞳で、自らの身体を壊すことも厭わずに群れとなって走ってくる様子は数十年商人としてやってきたオルドに諦念の情を抱かせるには十分だった。
鋭くなった馬蹄の音が耳朶を激しく叩き、もう彼我の距離が五十メートルほどになった頃には、悟りを開いたかのように思わず笑ってしまったという。
だがしかしそんな諦念は、戦闘が始まると同時に一瞬で吹き飛んだ。
それほどまでにオルドの目の前で起こった戦闘は……否、もはやそれは戦闘と呼べるものではなく、ただの一方的な蹂躙だった。
「《……凍土に顕現せ(あらわれ)し氷結の刃、空を埋め尽くす驟雨となって、射貫け》 <<<【氷刃の雨】」
初めに仕掛けたのは、セラによる二節の詠唱からの魔術だった。
透明色の空の下に現れた無数の氷の刃が、正面広範囲へとばら撒かれて馬型の《色無し》の群れへと次々と突き刺さってゆく。血塗れになりながら慣性のままに倒れる馬型の《色無し》に引っかかって、後続も次々と転倒してゆく。
「……ねーさま!」
「はーい!」
足並みが乱れて迂回して襲いかかろうとする個体も居るが、しかしそんな個体は【不滅の灰】を使って灰色のドレスを纏ったシキによって、次々と斬り倒されてゆく。
硬化の魔術言語が刻まれた剣を片手に、ヒット&アウェイで空中を駆けながら、シキは喉から突き刺し、首を斬り落とし、胴を薙いでゆく。
その姿はどちらかというと魔術師よりも魔導騎士を彷彿とさせる戦い方ではあるが、もちろんそれだけではない。
「《省略詠唱》 <<<【紫の雷槍】――三つ!」
軽やかな着地から、剣を収め、順番に現れた紫電を纏った黒い巨大な槍を三連投する。
冗談なような速度で飛来する紫電を纏った黒い巨大な槍を前に、馬型の《色無し》は後ろの数匹を巻き添えにして串刺しになり地面に縫い付けられる。
「さてさて、こっちだよ!」
その時点で大部分の馬型の《色無し》が既に駆逐されているが、しかし残りの数匹も恐れをなして引くなんて、普通の獣のような無様な真似はしない。
むしろより憎悪を募らせてシキへと襲い掛かってくるくらいだ。
基本的にはシキが前衛を務め、臨機応変に中距離までの殲滅を行い、注意を引き、まとまったところをセラの広範囲魔術で一掃する。
それが基本パターンになると、シキはセラに前もって伝えてある。
襲い掛かってくる馬型の《色無し》を、シキはひらりひらりと躱しながら、セラの方を見ながらタイミングを図り――そして一気に飛び退る。
「ん……ねーさま、ばっちり」
シキが時間を稼いでいる間に四節の詠唱を終わらせたセラが、そう呟いて魔術を発動させる。
「……<<<【氷刃乱舞】」
告げた瞬間、霜がまるで道標のように落ち、凍て付いた地面から氷の刃が無数に突き出しながら進み、ちょうどシキが引きつけていた馬型の《色無し》の集団へと直撃する。
馬の嘶きのような悲鳴を上げながら、馬型の《色無し》は残ったほとんども貫かれて果て、まだ息があった数匹もシキが素早くトドメを刺した。
「……うーん、こんなところかな……」
アルカンシエルとは違い、虹色の粒子となって《白樹海》へと還ってゆかない《色無し》の死骸を見ながら、シキは血払いの為に剣を振って腰の鞘へと戻した。
「……ん、たぶん終わり……」
「やっぱり、まだかなり疲れるねー」
シキはセラに【不滅の灰】を使っての初実戦の感想を述べながら、思う。
……今回はうまくはまって短期決戦だったけど、山岳地帯とか森の中とかだと、かなり面倒そうだなぁ……もっと剣の練習をしないと……。
「すげぇ……」
「こいつは……たまげたな……」
まだまだと評価しながらセラの元へと戻るシキに、ダイキとオルドは感嘆の声を漏らす。両人からすれば、目の前で起こった戦闘は明らかに常軌を逸したものだった。
「そんなことないですって。まだまだ……ととっ」
「……ん。ねーさま、無理しないでもいいの」
【不滅の灰】を使ってふらつくシキを支えながらセラはそう言う。
「ありがとう、セラ。まあ、わたしもこんなに早く実戦で使うとは、思ってなかったんだけどね。まさかこれほどの数の《色無し》が出てくると思わなかったし」
……さすがに今回のは数が多すぎるし、もしかしたら、浮遊大陸が現れた事と何か関係があるのかなぁ……。
そう思いながら、シキはセラに支えられながらダイキとオルドの元へと近付き、そしてとりあえずさしあたって問題になるであろうことを尋ねる。
「それよりもえーっと……これ、どうしましょうか?」
そう言って向けられたシキの視線の先には馬型の《色無し》の大量の死骸が転がっていたのだった。