45話
その後の結果だけ言うと、セラはダイキの同行を認めてシキにお金を貸してくれた。
もっと尻込みされるかと思ったので予想外ではあったが、セラもシキと一緒にダイキの話を聞いていたので、さすがに無碍に出来なかったのだろう。もっともその大部分は、シキに頼まれたからという要素が占めており、ダイキが直接セラに言ったところでまず確実にお金を貸してもらうことなどできなかっただろう。
「……白姫様! 本当に、すいませんでしたっ!」
「や、良いって……」
荷台にぺたんと座ったシキは、土下座をするダイキへと憔悴した力ない声でそう返した。
先の会話で自分の浅慮さに気がついたダイキは、そうとわかった瞬間には荷台に額をこすりつけていた。
シキはこれまで何度も土下座をする人を見たことがある。
その一文だけ切り取って見ると特殊な性癖の持ち主なのかと疑われそうだが事実はそうではなく。
シキが治癒の魔術を使えていた頃に、重傷者を助けて欲しいと何度となく土下座されたことがあるからだ。
そして何度となく土下座を見ているからこそ、土下座をされただけでわかるものもある。
まあ、わかりたいかどうかはまた別の問題として。
真摯に願いを伝えるという姿勢において、土下座という行為は一種の暴力に近い脅迫的概念を内包している。
人が普段、見下ろして足蹴にしている大地に自らの意志で手を付き額を擦りつけ、自身の生殺与奪権を相手に委ねるが如く恥も外聞も捨ててただただ一心に平伏し求める。
――お願いします。――お願いします。――お願いします。
ただポーズとして行っているだけならば、その土下座ならば何も思うことも無いだろう。
だがしかしこれまで培ってきた全てを地に落としてでもただただ祈り願い求める本物のDOGEZAを前にして、平然として居られる者など存在しない。
人ひとりの人生という膨大な概念を投げ捨てるほどの、つまりはこれまでの人生と等価である願いの『要求』をぶつけられて、果たしてそれを無碍に扱うことが出来るだろうか。
もしそんな者が居るとすればそれは人ではない悪魔か何かに違いない。人を人として見てない、それこそ人外の化け物だろう。
そして少なくともシキには、その願いを無碍に扱うことなど到底無理だった。
ダイキのこれまでの人生がどうだったのかは知らないが、その十数年と言う時間と等価の願いを、シキはその土下座から感じ取ったのだ。
……本当に、どれだけ心を入れ替えたらこうなるのかなぁ……。
ステラスフィアに来た当初の彼からはとてもじゃないが考えられない変わりように、シキはそう思わざるを得ない。
自分本位で、ステラスフィアというこの異世界に自分の理想を押し付けて幻想に酔っていた彼が、まさかその全てを投げ出して改心するなどと誰が想像ついただろうか。
「……それよりも気になってたことがあるんだけど、いい?」
さすがに土下座されたままだと居心地が悪いので、シキはそう言ってついでに気になっていたことを聞こうとダイキに声をかける。
「気になってたこと、ですか?」
そう言って、ダイキはやっとのことで顔をあげてシキを見る。
「うん。街中で土下座した時とか、さっき土下座した時とか……わたしのこと白姫様って呼んでたよね? それにわたしのことを覚えてるし」
「え、はい。白姫様って呼び方は世界魔術機構で耳に挟みましたし、忘れようにも忘れられませんよ」
「――ううん、忘れてないとおかしいはずなんだよ」
断じて言うシキに、ダイキは首を捻る。
「……それは、どういうことですか?」
ダイキの問いに、シキは少しだけ話を頭の中で整理する。
がたごとと車輪が音を立てる中、十数秒考えてシキはうん、と頷く。
「……事情はちょっと複雑なんだけど、わたしはこの世界でセラ以外の全てから忘れられてるんだ。だから元々わたしが居た記録はこの世界に存在しないし、誰もわたしのことを覚えてない。この世界でのわたしの痕跡は全てなかったことになってるの」
「セラが覚えているのは、ねーさまへの愛の深さ故……」
「や、違うからね?」
「そ、そうなんですか」
「違うからね?」
驚愕の表情を浮かべるダイキに、わかってるかなぁ、と思いながらシキは続ける。
「ステラスフィアを取り巻く《白樹海》っていう概念の海に落ちた人は普通ならそうやって世界から忘れられることになる。んだけど……わたしはかなり特殊なケースで、戻ってこれちゃったから、少し厄介なことになってるんだよ……」
ふぅ……とシキは溜息を吐く。今後星書に刻まれる神話の事を考えると、自然と気が滅入って溜息が出る。セラにお金を借りているところなどが記述に乗ったりしないかと戦々恐々だ。
シキはそう思っていたのだが、しかし次にダイキが言ったのは、まったく別の事だった。
「厄介なことっていうのって、もしかしてあの空中都市のことですか?」
「……うん?」
「……ん?」
「……え?」
疑問符が一週ループして、シキへと戻ってくる。
首を傾げたシキとセラにならって、ダイキも何故か首を傾げていた。
「……空中都市って、なに?」
「え、なにって……それは」
「ねーさま……きっと彼の妄想……」
「あぁ……」
挟まれたセラの言葉に、シキは合点がいった。なるほど、妄想かぁ……。
「ち、違いますよ!? あの、空に浮かんでるやつですよ!」
そう言ってダイキはもぞもぞと荷台から身を乗り出して、進行方向から少しずれた空へ向かって指を指す。
そこに在ったのはステラスフィアの人々が浮遊大陸と呼んでいる大地で、未だ誰も全容を知らない未知の大陸、その姿だった。
「あれって……浮遊大陸のことだよね? ……えっと、ダイキ君って、ゲームのやり過ぎで、何か見たらオリジナルの名前とか付けるのにはまってたりする?」
「違いますって!?」
さらりと酷いことを言うシキに、ダイキは否定する。
「……否定するところが、怪しいの……」
セラの追い打ちにダイキは「ちょ、信じてくださいよ!」と必死に追いすがる。
あ、これ避雷針代わりにいいかも。……なんて思いながら、シキは一つ咳払いをして改めてダイキに問いかける。
「……それで、中二病やDQN的な何かじゃないとしたら、何でダイキ君はあれの名前を知ってるの?」
改めたところでかなり酷かった。
けれども突っ込んだら負けだと思ったのか、ダイキは前振りには突っ込まない。
「……それなんですけど、たぶん黒い影のアルカンシエル……ですか? それに憑り付かれてた後、解放されてから目を覚ますまでに、俺はあの大陸を見たんです」
「……見た?」
ダイキの言葉を反芻してシキは呟く。
「はい。夢みたいなものだと思うんですけど、確かに。都市とそこに暮らす人々と、それとそこの隣の迷宮で……っ!?」
「ん……っ」
「セラっ!」
ダイキがそれを語ろうとした瞬間、唐突に事は起こった。
馬車が急停車し、荷がぐらりと傾く。いきなりの事にダイキが転がって荷台の壁にぶつかる。シキは何とか咄嗟にセラを抱きかかながら衝撃を緩和したが、いったい何が起こったのか……。
「いってぇ……っ」
「もしかして……セラ!」
そう呟いてシキはセラをそっと離し、転がるダイキをよそに荷台の後ろから飛び降りて周囲を見回す。
「あ、あんた! 大丈夫かい!?」
操者の商人が驚いたように声をかけてくる。
「はい! それよりも……やっぱり!」
それにはっきりと頷いて返して、視線の彼方に予想通りの存在を見つけてシキは叫ぶ。
「……ねーさま!」
セラもすぐに追いついてきて、シキの隣に位置取ってその存在の姿を確認する。
それは、100メートルほど先から驚くべき速度で一目散に駆けて来る馬のような、だが普通の馬よりも二回り以上大きな、三メートルほどはあろうという生き物の群れで。
唐突に訪れた事態。
それはアルカンシエルとは違う人に仇なす存在。
――《色無し(ミスト)》の襲撃だった。




