こっち向いて、ダーリン!
悠紀さんが世界で一番私を愛している(誇張ではない)と言ってくれた事が嬉しくて、次の日にさっそく苑子に報告すれば、良かったわね、と相変わらず素っ気無く返された。私としてはもっと、共に諸手を上げて喜んで欲しかったのだが、その程度で苑子の冷静さは揺らがないらしい。同じく晴之に報告すれば、おまえの恋路に興味なんざ欠片もねえ、との返事を頂いた。晴之は最早、クールを通り越して単純に冷たい。
自分の恋が上手くいくと他人の恋路が気になるもので、苑子がいないときにこっそりと彼女に告白するつもりはないのかと晴之に尋ねてみれば、自分の恋が順調だからって調子乗ってんじゃねえぞ、と殺気立った目で凄まれた。間違いなく、友達に向けて良い目ではなかった。
余計な事すんな、と言われた手前、苑子にさり気なく晴之をどう思っているか聞きだす事も出来なくなってしまったが、私としては二人とも大切な友人なので、どうせなら上手くいって欲しいと思っている。
「悠紀さん、洋服をクローゼットにしまっていきますねー」
「よろしく」
そんな事を思い出しながら、段ボールを開けて彼の洋服を出す。本棚に本を並べていた悠紀さんは、振り返る事無く返事をした。
春になって、悠紀さんは八年住んだマンションから引っ越した。私との一悶着で、いい加減些細な事でも報告される今の住居は面倒くさいという結論に達し、監視体制をかわせるだけの準備も出来たようで、この機会に引っ越しを決意したらしい。
新しいマンションも以前と負けず劣らず立派で綺麗な作りをしているが、今度はワンフロアではなくマンションの一室で、部屋自体も以前よりは少々手狭になっていた。それでも、一般的にはファミリー向けとして販売されているマンションなので、部屋数としては十分らしい。
今日はそのお引越しの手伝いとして、彼の新居を訪ねたのだ。
「新しいお部屋ですね、悠紀さん!」
「そうだね」
「部屋数も沢山あって余っちゃいますね、悠紀さん!」
「そうだね」
「これはもうあれですね、私住んじゃいましょうか、悠紀さん!」
「それはだめ」
本棚に集中しておざなりな返事しかないのを良い事に、言質を取れないかと会話を誘導しようとしたが、あっさり拒否されてしまった。流されてくれれば良いものを。
「婚約者なので良いじゃないですか!」
「そういうのは、せめて高校を卒業してからね」
「まだ二年になったばかりです!あと丸二年もあります!」
「ああ、そう言えば進級祝いがまだだったね」
「それは今どうでも良いです!」
そして今日も、私は体よくあしらわれるのだ。どうせ先に惚れた方が負けなんですよーっ。とりあえず結婚するなら私を選んでくれる、という言葉でしばらくは納得する事にしたのだが、それでも悔しいものは悔しい。今度、本城麻耶さんが悠紀さんの学生時代の話を聞かせてくれると言っていたから、それを聞いてから改めて作戦を練ろう。
黙々と片付けに集中して、何とか気を紛らわす。
「とりあえず、進級祝いという訳でもないけど」
私が拗ねて片付けに熱中している間に本の片づけを終えたのか、こちらに歩み寄って来た悠紀さんが私の背後に立つ。振り返れば、ポンと小さな何かを頭に置かれた。落ちないように慌てて手に取れば、それは滑らかなベルベッドのような感触の小さな箱だった。
一目見て、私は言葉を失った。それが何であるのか、分からないはずがない。憧れ焦がれ続けて来たものだった。悠紀さんのそばにい続けても良いという証のようで。
「結婚指輪はまだ先だけど、しばらくはこれで我慢して欲しい」
歓喜と緊張で心臓が早鐘を打つ。震える手で何とか小箱を開ければ、中には輝きを放つダイヤモンドの指輪が収められていた。
「今はまだ、あくまで婚約だけど。椿」
私の手の中から指輪だけを抜き取って、悠紀さんが私の左手を取る。薬指にその指輪を通しながら、彼はまるで世間話のように軽い調子で問い掛けた。
「高校を卒業したら、僕と結婚してくれる?」
左手の薬指に嵌められた指輪に視線を落として、どうにも働かない頭で何とか答えようとする。けれど、喉がつっかえて言葉が出ない。気付けば、手の甲や、せっかく悠紀さんが嵌めてくれた指輪にまで涙が落ち、溢れだして止まらなくなってしまった。それでも、早く何とか答えなければ、と私は言葉の代わりに必死で頷く。
「………っき、さ……」
声にならない言葉を紡いで、彼の首に腕を回す。悠紀さんが抱きとめてくれるのが嬉しくて、そのまましなだれかかるように強く抱きついた。
「……っい、好きですっ………」
掠れる声で、溢れる気持ちを伝えれば、やはり彼はどこまでも余裕のある落ち着いた声で、私の言葉に応えてくれた。
「知ってる。………ありがとう」
それでもやっぱり『好き』とは言ってくれない悠紀さんが、悔しいくらい悠紀さんらしくて、私は少しだけ笑った。
幼い頃に恋をした。初めての恋で、最後の恋だった。
好きな人に振りむいて欲しくて、早く大人になりたかった。好きな人に相応しい女性になりたくて、自分を磨いた。迷子だった私に微笑みかけてくれたあの人の一番そばにいたくて、ずっとずっと追い掛けた。
きっと私は今後も彼の背を追い掛けるだろう。彼に、振り向いて微笑んで欲しくて。
だから、ねえ。
こっち向いて、ダーリン!
読んで頂きありがとうございます。
遅くなるかもと言いつつ、結局早めに上げる事が出来ました。
高校卒業したら~とか言ってる綾瀬ですが、きっと卒業間近になると、今度は大学卒業したら~とか言い出す。でも、たぶん大丈夫だよ、たぶん…
一応、これにて完結です。
桐生椿
本編のまま。分厚い猫を持っているが、親しい人の前では一切被れていない。恋愛ハウトゥー本のチョイスを間違ってしまった為に、よく突飛な行動に出る。上流階級のお嬢さんだが、憧れの奥さま像が庶民的。ドラマや小説、ハウトゥー本の知識の為にイメージが偏っている。とにかく綾瀬と結婚したくて仕方がない。きっと自身の結婚式まで、佐久間の嫁も麻耶の旦那が誰かも知らないまま。
綾瀬悠紀
悪い大人。椿の事は面白いなー、と常々思っている。彼は椿に恋はしていない。けれど、世界で一番愛しくは思っているんじゃないかなーと思う。何だかんだ、本人的には可愛がっているつもり。かつてないほど書きにくかった。途中サイボーグなんじゃ、と思う勢いで何考えているか分からなくなってしまった。悩まない人。
佐嶋苑子
綾瀬の分家の子。悠紀とは従兄妹になる。落ち着いた優等生タイプ。綾瀬とは親戚の集まりで何度か顔を合わせたが、椿が現れるまでは特に話した事も無かった。あまり綾瀬の事は好きではない。椿のよく言えば真っ直ぐな性格に好感を抱いている。
御代晴之
苑子が好き。彼女との二人きりの世界に割り込んできた椿の事が、出会った当初は割と真剣に嫌いだった。今は嫌いじゃない。長い付き合いで情もある。見た目はやんちゃしているが、情に厚く友人は多い。完璧超人で何をやっても叶わない兄がいるが、唯一友人の多さでは勝っている。
佐久間誠一郎
綾瀬の高校時代の同級生。当時はほとんど接触もなかった。綾瀬の事が真剣に苦手。毎度手ひどくやられているのに、全く懲りない。見た目ホスト。女性に対する口は上手い。この世で一番愛しているのは嫁、しかしこの世で一番恐ろしいのも嫁。
本城麻耶
綾瀬の高校時代の友人。持ちつ持たれつな関係。妊娠中だったお子さん含め、二児の子持ち。生まれは庶民なので、時々無性にコンビニスイーツとか食べたくなる。今は玉の輿。割と頻繁にこの男のどこが良いんだろう、と旦那を眺めながら真剣に考える。
最後までお付き合い頂きまして、ありがとうございました!