昼に見る月(3)
ここは、ダークナイトの砦。夜よりなお暗い闇が蠢く世界である。
その居城で、ギャスリン侯爵は怨嗟の声を挙げていた。
「くっそうー、BJめがぁぁぁぁ。命を取らぬとは、わしにとってこれ程の侮辱はない! 怨むぞぉ。この怨みはらさでおくべきかぁ」
BJに敗れ、守護獣達にも裏切られた侯爵は、その無様に変形した両腕で、辺り一面を破壊していた。
「ギャスリン侯爵閣下、お気を確かに。ここは我らの居城。もうBJはおりませぬ。お早く、傷の手当を」
ピエール伯爵が、侯爵の怒りを鎮めようとしたが、火に油を注いだだけだった。
「ピエール。……お前のその身体、わしによこせ」
ギャスリンの、仮面の奥の目が異様に光っていた。ピエール伯爵は、その目の光と侯爵の異様な雰囲気に呑まれてしまった。
「侯爵閣下、い、いったい何を……」
ピエール卿の言葉に耳を貸さず、侯爵は近づいて来た。
「侯爵閣下、お戯れを……」
「ピエール、そこを動くな! その身体、わしの物となれ」
侯爵の鎧を構成するナノマシンが異様な動きをしていた。暗闇で、ざわざわとうねくるそれは、もはや人の形をしていなかった。流動する水銀のように、蠢く何かは、ピエール卿に近づき、その身体を取り巻くと、徐々に呑み込んでいった。
「閣下、何をなさいます。閣下! 閣下ぁぁぁぁ……」
後に残ったのは、ピエール伯爵の道化の仮面と、不気味に蠢く『何か』だった。
ダークナイトが去った後の駐車場は、まるで何事もなかったように静まり返っていた。
団一家も、隊員たちも、高位のダークナイトの戦闘力を初めて目の当たりにしたのだ。驚愕しない方がおかしい。
隊長の渡辺一佐は、麟太郎に話しかけた。
「なぁ君、えーと、麟太郎くんだったけ。君はBJと何度も会ってるんだよね」
すると、麟太郎は目を輝かせて、
「そうさ。おじさんも見ただろう。BJって強くて格好良いよな」
と、返事をした。すると、今度は吾郎の方を向いて、
「えーと、君、吾郎くんだったけ。君もBJとよく会うのかい?」
と、吾郎にも訊いた。
「いいえ。僕は今日見るのが初めてです。でも、あんなに強いんだったら、どうして積極的に人間の側に立って戦ってくれないんでしょうか? 彼一人で、ほとんどのダークナイトは撃滅しちゃえるような強さですよね」
と、吾郎は応えた。
「そうだね。どうかな、君達。どうしたらBJに会えるんだい? おじさんも、BJが味方になって、自衛隊と一緒に戦ってくれたら、助かると思ってるんだ。どうかな?」
と、渡辺隊長は、二人に尋ねた。
すると、麟太郎は、
「その通りなんだけど、俺達、BJへの連絡方法を知らないんだよな。危なくなった時にだけ助けに来てくれるんだ」
と、答えた。吾郎も、
「そうみたいだね。守護霊みたいなもんかな」
と返答をした。
「守護霊か。……それは参ったなぁ」
さすがの渡辺隊長も、この応えには困惑したらしい。
「仕方がない。今度、君達がBJと会った時に、伝えといてくれないかな。なんなら、名刺でも渡しておこうか?」
渡辺隊長は、そう言いながら二枚の紙切れを取り出すと二人に渡した。
「う~ん、こんな物もらってもなぁ」
と、言い捨てる麟太郎に。吾郎は、
「麟ちゃん、そんな身も蓋も無いような事は言わないものだよ」
と、注意したが、
「そんな事言ったってなぁ」
と、麟太郎の感性には敵わないようだった。
それから少しして、団一家は帰宅することにした。
「じゃぁ、おじゃましました」
と、声をかけ、彼等は家路を急いだ。夕暮れの、本当に危ない時間になる前に、帰宅しなければならない。夜は確実に彼等の時間なのだからだ。
「ただいまぁ」
大きな声で帰宅を告げる麟太郎だった。それを見て、弦柳と鈴華はクスリと笑った。
「俺は道場の方を見てきます」
と、伯父の海堂武史は、一言言って道場の方へかけて行った。
その後ろ姿を見送りながら、鈴華は弦柳に話しかけた。
「お祖父様、昼の事、どうお考えです?」
弦柳は一瞬立ち止まって、考え込んでしまった。
「侯爵級の力、思うにとても我らには荷が重い強さじゃ。まだその上に、公爵や大公と言うものが存在している。ダークナイトは戦闘に特化した知性体じゃ。その力は、純粋に爵位の順位と同じと言っていいじゃろう。しかも、その強さが桁違いじゃ。たぶん、爵位が一つ違えば、その戦闘力は十倍から百倍は違うじゃろう。そんなモノを相手に、我らはあまりにも非力じゃ」
答える弦柳に、鈴華は、
「はい」
と、応じた。
「彼等は、お父様をも行方不明にさせるほどの実力を持っています。更には、団式合気術と超次元流闘殺法の両方を会得した伯父様まで、音信不通です。まともな考え方では遅れをとります」
「鈴華……」
「私、BJはお父様か伯父様ではないかと思うことがありました。だから私達を守ってくれているのだと。でも、今日の戦いを見て違うと感じました。お父様や伯父様なら、後に禍根を残すような戦いはしないはず。必ず止めをさすはずです。それを『興が冷めた』の一言で済ませてしまうなんて。BJも、やはりダークナイト。戦いにしか興味がないんだわ」
そう言う鈴華の顔は、何かを決意したかのように見えた。
一方、麟太郎と吾郎は、主屋で麦茶を飲みながら談笑していた。
「しっかしすげけよな、BJは。スピードもパワーも桁違いだ。俺なんか、全然、目で追えなかったからなぁ」
「麟ちゃん。あのレベルの戦闘じゃ、人間の目で追うのは不可能だよ。気配で感じなきゃ」
「ダンゴ、そう言うけどなぁ、あっちで切り合わせたかと思えば、次の瞬間には別のところだぜ。察したとしても、身体がついていかないよなぁ」
「きっと、ダークナイトは脳神経のレベルで人間の思考速度を遥かに上回ってるんだよ」
そう言う吾郎に、麟太郎は、畳に寝転がると、
「それじゃぁ、尚更不可能じゃん」
と、言った。すると、吾郎は少し冷たい声でこう言った。
「だったら、どうなんだよ。麟ちゃん、僕等は鈴華さんを守るって誓ったじゃないか。麟ちゃんの決意って、その程度のものなの!」
吾郎の声は、厳しかった。麟太郎が眉をひそめた。
「だって、しかたねぇじゃん。あんなん見せられちゃぁ。俺達にどうしろって言うんだよ」
その言葉に吾郎は黙ってしまった。
それを見ていた麟太郎は、ばっと起き上がると、何かを決意したようにこう言った。
「よし、俺、BJを探してみる」
それに対して吾郎は呆気に取られて、
「何考えてんだよ麟ちゃん。それこそ不可能じゃないか」
そう言われて麟太郎は、
「俺達を助けてくれたって事は、BJはどこかで俺達を見てるってことだ。今だって。なら、また会えるよ」
と答えたのだ。
「会えるって、……どうやって」
仏頂面の吾郎に対し、麟太郎は、
「東京タワーの天辺から飛び降りるとか……どうかな」
と、脳天気な提案をした。
「麟ちゃんが危なくなったら、BJが助けに来てくれるって?」
吾郎は、何か嫌そうにそう言った。
「やっぱ、ダークナイトがらみじゃないとダメかぁ。今晩から、夜中に散歩とかするかぁ」
どこまでも脳天気な麟太郎に吾郎は、
「それこそ鈴華さんを泣かせるよ。鈴華さんを泣かせるような事はしないって、約束したじゃないか」
と、詰め寄った。すると、麟太郎は、
「ああ、約束した。でも、ダンゴ、お前こそ本当に約束守ってんだよな。隠し事なんてしてないよな」
と、逆に威圧を込めて吾郎に言い返した。
「な、何を言うんだよ」
吾郎はどもりながらそう応えた。
麟太郎はいつに無く厳しい目で吾郎を睨みつけていた。
「本当に、本当だな。隠し事してないな」
「何だよ麟ちゃん……」
吾郎は麟太郎のその眼差しに少し怯えていた。
麟太郎は、しばらく吾郎をそうやって睨んでいたが、しばらくすると立ち上がった。
「そんじゃぁ、俺は飯食って寝るわぁ。ダンゴ、お前も、鈴姉ぇを泣かせるような事すんなよな。ただでさえ怪我ばっかりしてんだから。分かってるよな」
吾郎はそう言われて、
「わ、分かってるよ」
と、ようよう返事をした。
「んじゃぁ、オヤスミ、ダンゴ」
麟太郎はそう言って、座敷を出て行った。
後に残された吾郎は、誰に言うともでもなく、
「オヤスミ」
と言った……