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沈んだ記憶  作者: 松木類


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4/4

消された記憶

翌朝。京介は、ほとんど眠れなかった。

机の上には、昨日蝦蟇湖で見つけたものが並んでいる。

2003年8月17日の日付が入った写真。

古い学生証。そして、カセットテープ。

京介は学生証をもう一度確認した。

名前は、白鳥京介。

生年月日も間違いない。

だが、昨日から一つだけ引っかかっていた。

学生証の裏に書かれていた名前。

佐伯。

学校にいる友人の佐伯と同じ名字だった。

もちろん、ただの偶然かもしれない。

それでも京介は、気になって仕方がなかった。

「今日、聞いてみるか」

学校へ着くと、京介は教室に入る前に佐伯を探した。

「佐伯」

「ん?」

「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

佐伯は怪訝そうな顔をした。

「何だよ」

「お前の家って、昔からこの辺?」

「そうだけど」

「2003年って、何か知ってる?」

「2003年?」

 佐伯は少し考えた。

「何でそんなこと聞くんだ?」

「いや、昔のことを調べてて」

京介はそこで言葉を止めた。学生証のことは話さなかった。

佐伯の反応を見たかった。

「蝦蟇湖のこととか」

その名前を出した瞬間。佐伯の表情が変わった。

一瞬だった。

だが、京介には分かった。

「蝦蟇湖?」

「ああ」

「何で?」

「別に。ただ気になって」

「やめとけよ」

佐伯は笑わなかった。

「何が?」

「蝦蟇湖の昔の話」

「知ってるのか?」

「いや」

佐伯は目を逸らした。

「知らない。ただ…」

「ただ?」

「昔、うちの親が言ってたんだよ」

「何を?」

「蝦蟇湖には近づくなって」

京介は黙った。

「理由は?」

「知らない」

「本当に?」

「本当に」

佐伯はそう言って、教室の中へ入っていった。

京介はその背中を見つめた。

何かを隠している。そう思った。

だが、それ以上追及することはできなかった。

自分自身も、まだ何も分かっていない。


放課後。

京介は図書室へ向かった。古い新聞を調べるためだった。

2003年8月17日。蝦蟇湖。

この二つを手がかりに、新聞の縮刷版を一冊ずつ確認していく。

事故、行方不明、水難事故、少年。

そんな記事を探した。

しかし、何もなかった。

2003年8月17日の新聞には、蝦蟇湖の記事が一つも載っていない。

「おかしい」

京介は新聞を閉じた。

あの日、自分は確かに蝦蟇湖にいた。カセットテープにも、その証拠があるのに新聞には何もない。さらに調べていく。

2003年8月16日。何もなし。

2003年8月18日。何もなし。

その前後にも、それらしい記事はなかった。京介は別の資料を探した。

学校の記録、生徒名簿、当時の行事予定、古い学校新聞。

そして、卒業アルバム。

その中に、一つだけ気になるものがあった。

2003年の学校新聞。

そこには夏休み中の出来事が簡単にまとめられていた。

部活動大会、補習、地域清掃。

その中に、「蝦蟇湖周辺清掃活動」という文字があった。京介は記事を読む。

だが、内容はわずか数行だった。参加した生徒の名前もない。写真もない。

ただ、「8月17日、地域清掃活動を実施」とだけ書かれている。

「8月17日…」京介はその日付を指でなぞった。

カセット、写真、学校新聞。すべてが同じ日を指している。

偶然ではない。そう思った。

そのとき、「白鳥」

背後から声がした。

京介が振り返る。

担任だった。

「何してる」

「調べものです」

「何を?」

「2003年のことを」

教師の顔から、わずかに表情が消えた。

京介はそれを見逃さなかった。

「蝦蟇湖について調べています」

「そうか」

「先生」

「何だ」

「2003年8月17日に、学校で何かありましたか?」

教師は答えなかった。

「先生?」

「そんな昔のことを調べて、何になる」

「知りたいんです」

「何を?」

「自分が何をしていたのか」

教師の視線が止まった。

京介は続けた。

「俺、あの時のことだけ、覚えてないんです」

「……」

「でも、写真がある。テープもある。学校の記録にも蝦蟇湖って書いてある」

「白鳥」

「はい」

「そのことは、もう忘れろ」

京介は息を止めた。

以前と同じ言葉だった。

――昔のことを調べるのは、もうやめなさい。

あのときと同じ。

教師は京介から目を逸らした。

「学校には、関係ない」

「じゃあ、どうして俺に忘れろって言うんですか?」

「……」

「先生は、何を知ってるんですか?」

教師は答えなかった。

ただ、図書室を出ていった。

京介はしばらく動かなかった。やがて、机の上の学校新聞に目を戻す。

そこで、妙なことに気づいた。

記事の下に、紙を剥がしたような跡がある。

新聞紙の一部分だけが、不自然に白くなっていた。

京介は指で触れた。誰かが、何かを切り取った。

その下には、かすかに文字が残っている。

京介は紙を光に透かした。

完全には読めない。

それでも、いくつかの文字が見えた。

 ――生徒四名。

 ――蝦蟇湖。

 ――発見。

京介の心臓が大きく鳴った。

「四人?」

昨日、写真の裏にも書かれていた。四人で来た。

京介は急いでノートを開いた。写真に写っていた人数を数える。

一人、二人、三人、四人。

そして、写真を撮った人物がいる。

つまり、本当は五人いた可能性がある。

京介はペンを止めた。

「五人?」

その瞬間。昨日の記憶が、また頭の中に浮かんだ。

湖、水面、白いシャツ、誰かの叫び声。

そして五人目。

顔だけが、どうしても見えない。京介は目を閉じた。思い出せ。思い出せ。そう念じる。

だが、頭の中に浮かんだのは、顔ではなかった。声だった。

『京介、これを持ってて』

幼い自分が何かを受け取っている。小さな手。冷たい金属。そして、誰かが言う。

『絶対に開けるな』

「何を?」

京介は思わず声に出した。答えはない。

だが、その瞬間、自分の鞄の中に入っているカセットテープが気になった。

京介は教室へ戻った。誰もいない。机の中からカセットプレーヤーを取り出す。

テープを入れ、再生ボタンを押した。

ザーッという雑音、蝉の声、水の音、幼い自分の声。

『ここ、どこ?』

続いて男の声。

『覚えてないのか?』

『何を?』

『お前が見たものを』

そこまでは昨日と同じだった。

だが、今日は違った。

最後に、昨日は聞き取れなかった小さな音が入っていた。

カセットの向こうで、誰かが何かを落とした音。

カチャン。

そして、男の声。

『これを持っていけ』

幼い京介の声がする。

『何?』

男は答えた。

『12年後これが必要になる』

京介の手が止まった。

テープはそこで終わった。

教室に静寂が戻る。

「12年後……?」

京介は時計を見た。

今は、2005年。

2015年。

その数字を見た瞬間。背筋が冷たくなった。

自分が十年後に何をするのか。なにに巻き込まれるのか。そんなことはわからない。

それなのに、テープの男は言った。12年後に必要になると。

京介はカセットを取り出した。そして初めて考えた。

もしかすると、このテープは、過去の記録ではない。

未来の自分に向けて残されたものなのではないか。

だとすれば、2003年8月17日に起きたことは、まだ終わっていない。

十年後。蝦蟇湖で、何かが起きる。

そのことを、あの日の自分は、知った。

そして、その記憶を、今の自分は、失っている。

京介は窓の外を見た。空はいつの間にか暗くなっていた。

遠くで、雷が鳴った。

その音を聞いた瞬間。京介の頭の中に、一つだけ言葉が浮かんだ。

 ――「死んだのは、一人じゃない」


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