夜霧の煙る路地裏で
こんにちは、あるいはこんばんはかもしれないね。
君がこの手紙を読んでいる時間が分からないから、挨拶をすべて記しておくことにするよ。
軽薄に感じるかな?
すまないが、この手紙も君の筆記用具を勝手に使って書いているよ。
奇妙としか言いようがない縁で私たちは繋がってしまったけれど、どこか君に親近感を持っているんだよ、君も不思議な繋がりを感じているだろう?
君の年齢、性別、どこに住んでいるのか、どういう容姿をしているのか。
それは現状知りようがないけれど、追々、お互い知れていったらと思っているよ。
◆
12歳になり受験が近いシロは、最後の追い込みで遅くなった塾の帰り、途中までは同じ塾に通う友達と一緒に帰っていたのだが、少し前に帰り道が別れ、独り夜の街を歩いていた。
少しだけ降り始めた小雨の道中、手持ち無沙汰のシロは今日の復習を兼ねて指先に魔力を集める。
ぽわりと浮かぶ水の玉。
それがガス灯の温かな光に照らされて、独りの不安感や寂しさ、受験期特有の焦燥感を和らげてくれるような気がした。
シロは自分の魔力が水属性傾向にあると知って、少しがっかりした。
人生がある程度決まるであろう魔法属性判定の前日は、希望と不安であまり上手く眠ることができなかった。
父と同じ道である、軍人になりやすい火属性に憧れもあったし、使い手が少なく珍しい、そんな強力な属性だったりしたらどうしようかな、なんて。
結果は水。
ありふれた戦闘には向かない属性。
働き口には困らないけれど、まぁ地味なものだ。
複雑な気持ちで報告したシロとは裏腹に、両親は使い勝手の良い水魔法を大層喜んでくれた。
母は、井戸での水汲みが要らなって助かると言って喜んでくれ、父は、息子が生成した水で酒を割って飲める日が来るなんてと、感慨深そうだった。
両親は…もしかしたら気を遣って過剰に、かもしれないけれど喜びはしてくれたし、地味でもこれはこれで悪くないかもしれないと、自分の魔法が悪くないと思い始めていた。
それに、こうやってただ浮かべているだけの水玉をシロは気に入っていた。
「きれいだ。」
シロは見た目のいいものが幼い頃から好きだった。
特にこういう透明なものが、ひかりにあたってキラキラしている様はなんというか、心が安らぐ。
ただ火が揺らめいているのを眺めるのも心惹かれるけれど、あの感情はおそらく、危ないものを制御しきっている優越感や安心感がそうさせるのだろう。
単純に綺麗だとは感じていないのかもしれない。
火魔法使いであれば、火こそ一番美しいと思っていたかもしれないけれど。
風魔法使いであれば揺れる草木を、土魔法使いであれば生成される土壁を誇るように。
昔、寺院を燃やした火魔法使いが語った犯行理由もそんなものだったと何かで読んだ記憶がある。
燃える火が心を輝かせるから、輝いている物を燃やせば、より心が光り輝くのではないか。
妙に詩的な声明にどこかで心に引っ掛かりを感じさせられたのをふと思い出させた。
魔法に集中しすぎて歩くのを辞めていたシロは、普段聞くことのない大時計の鐘の音を聞いて我に返った。
時計は、本来なら20時にその日の終わりを知らせるように鳴り響くはずが、しかし古くなったからなのか常に10分か15分か、それぐらい遅れているので、今の時刻は20時15分過ぎだろうか。
少し強くなり始めた雨と遅れた鐘の音が歩みを急かしているような気がして心がざわつき、道もいつもより暗く見え、少し早足で歩き始める。
近隣の台所となっている屋台通りの広場の真ん中の噴水は、夜のこの時間は止まっている。
この時間には屋台も閉められ始めていて、昼間より人気は少ないが、街灯は多く比較的明るい。
それでも街角には暗がりが沢山あり、その静かな暗闇から黒い手が伸びてきて、自分の足首を掴んで引き摺り込んでいく想像をしてしまう。
いつもは見ないし考えないことにしているので、普段通ることはないその暗い路地に、この夜、シロは足を踏み入れた。
なんて事のない、近道だからという理由で。
明るい通りから見れば暗いとはいえ前が見えないほどではないので、入ってみれば薄暗いだけの道。
振り返り明るい道へ目を向けると、噴水に彫られた獅子のレリーフと目があった。
百獣の王たる彼が見張ってくれているなら、この道は安心。
そんな威容に気を取られていたのがまずかったのだろうか、前を見ずに歩いていたらシロは、何かに躓いた。
最初は、石畳が捲れ上がっているのだと思った。
裏路地だし、メンテナンスも雑なのだろう。
薄暗いからそれに気が付かなかったのも仕方ない。
いや、しかし、全く、受験生の足を取るなど。
躓いた自分を棚に上げ、無礼で、手入れもされない哀れな石畳を睨みつけてやろうと振り返ると、そこに落ちていたのは、足だった。
足。
人の、足。
身体はなく、ただ、足。
靴を履き、ズボンを履いた、片足。
うっかり誰かが自分の足を忘れるだろうはずは、ない。
シロはその足を見て、一目で作り物ではないと感じた。
暗くても分かるその奇妙な迫力が、本物だろうという事を訴えかけていた。
付け根は黒々している。
暗くてよく分からないが、それを見てしまわなくて良かったのかもしれない。
でも、それでも、もしかしたら。
そう、作り物かもしれない。
シロは自分が怯えきっているだけで、ただマネキンの足が、捨てられているだけかもしれない、もちろんそう考えた。
確かめるか。
触りたくはないが。
作り物なら、なにも怖くはない。
悪戯か、あるいは、劇か何かで使う小道具か。
そうだったなら腹は立つけれど、恐怖とは距離を置くことができる。
シロはあまり見ないようにしながら手を伸ばし、足のふくらはぎ辺りを触った。
やわらかい。
シロはそのまま足を見返すことなく駆け出した。
雨で濡れた石畳で足が滑り、進んでいないような気がして余計に心が焦らされた。
恐ろしい。
恐ろしい。
あれは、あれは、あれは。
あれは、本物の人の足に違いない。
家まで一息で駆け抜けた。
冷静でないまま、濡れた姿で勢いよく玄関に転がり込むシロを見て、両親は目を白黒させている。
今思えば、疲労で喋るのもやっとであったはずだが、それどころではなかった。
早口で何があったかを、何を見たかを、あまり要領を得ないままに事情を説明すると、父はカッパを被り近くの駐在所まで通報しに行ってくれた。
シロはそのまま、しばらく玄関にいた。
普段の夜なら、帰宅後すぐにご飯を食べていたはずなのに、何故か動いてはいけないような気がした。
すごく長く感じた時間の後、父は駐在さんを連れて戻ってきてくれて、シロ先ほどよりは多少冷静に、足が落ちていたともう一度説明をすることが出来た。
どこにあったのかと聞かれたシロはこう答えた。
屋台広場の、噴水の、獅子が見ている先の、裏路地。
「風呂に入り温まってゆっくりしていなさい。
なにも心配しなくていいからね。」
父は優しい声でそうシロへと伝えると、家族を残して駐在さんを案内する為に出掛けて行った。
味が分からないまま口へと放り込んだ夕飯の後、お風呂に入る。
母に促され、日課となっていた予習復習もせずにベッドへ入り目を瞑ったが、外の雨の音が自室と外を繋ぎ、なにか得ないのしれないものが自分に向かってきている気がして怖くなり、普段よりも深く布団に潜り、キツく目を閉じていると、いつの間にか眠っていた。
疲れていたのだろう。
沢山走ったものだから。
その日が、シロが父を見た最後の日だった。




