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(下)


 ■



 【勇者と魔王】は、有り体に言ってしまえばただのじゃんけんだ。

 ただしその全てが特殊手であり、三回の相対を一マッチ、三マッチを一戦とする知能比べでもある。


 魔王側は『剣技』『魔法』『魔王の邪剣』の三手、勇者側は『戦士』『魔法使い』『僧侶』『勇者の聖剣』の四手を使える。


 魔王の『剣技』は勇者側の『戦士』以外に勝てる。

 魔王の『魔法』は勇者側の『魔法使い』以外に勝てる。

 魔王の『邪剣』は勇者側の『聖剣』以外に勝てる。


 では、勇者側の『戦士』『魔法使い』が魔王の『剣技』『魔法』に勝つのかというと、そうではない。

 ただのあいこで終わってしまう。


 勇者側が魔王側に勝利する手はただひとつ、『聖剣』で『邪剣』を打ち砕く、その一手だけだ。


 そして、このゲーム一番の特徴が『死亡』だろう。

 敗北した勇者側の『駒』は『死亡』し、原則としてその一戦が終わるまで使用できない。

 唯一の例外が『僧侶』である。一度だけ『死亡』状態の駒を復帰させ、そのまま勝負させることができるヒーラーだ。


 魔王側は一マッチ、三回出す手のうち一回だけ『邪剣』を出さなければならない。

 勇者側は一マッチ、三回出す手は重複してはならない。


 そして、勇者側は出す手がなくなっても負けだ。


 ひどく歪なゲームである。


 さらに、このゲームは三マッチのうち二マッチを取れば勝ち、ではない。

 勇者側の三連勝のみが、勇者にとっての栄光であり、それ以外は魔王の勝利になる。


 僕の友達が作ったゲームは、そういうゲームだ。



 ■



『……死ぬ気か、お前は』

「当然だろ」


 ひどく純粋な眼差しで、歪んだ台詞を佐藤は平然と口にする。。

 自分の命を試金石にして、たった一度の勝負に勝つために。

 肉を切らせて骨を断つ、なんてレベルじゃない。

 右眼を賭けたところで、俺から奪えるのは『同価値である左右どちらかの眼球』でしかないのだ。

 それなのに、奴はただ俺を消耗させるためだけにその身体に欠損を負おうとしているのだ。

 眼球がなくなれば、次は耳なり足なりなんなり賭けるつもりだろう。


『……呆れた。馬鹿なやつだとは思ってたけど、ここまでとはな』

「うるせえ」

『ま、いいや。俺は魔王だ。俺自身の感情がどうあれ、勝負からは逃げないし奪うモンは奪う。くれるってんなら遠慮なく貰うぜ』


 概念といえど疲労はする。

 そして、今回賭けるものは『俺自身の眼球』でもある。

 運良く勝てれば俺自身からアドバンテージを得れるし、いつもどおり負けても俺から気力を奪うことができる。


『さて……じゃあ、賭けるものは『お互いの右眼』で、第一戦開始といこう』

「……おう」



 ■


 

 考えてみよう。


 魔王側は三回のうち一回でも安全に『邪剣』を通せば勝ちなのだ。

 ゆえに、魔王側の考えるべきは「どのようにして安全に『邪剣』を通すか」「いかにして相手の駒を削り選択肢を絞るか」の二点である。


 確立だけを見るならば、『邪剣』は相手に考える余地を与えない初撃が最も通りやすいだろう。

 しかし、十年間の戦い――二十回に及ぶ一回一回が非常に濃密なゲームは、そういった定石を知るには十分すぎる時間だったし、当然ながら私生活中においても僕はこのゲームの勝利法について頭をめぐらしてきた。

 勇者も、魔王も。

 僕も、吉田も。

 このゲームについてならば、世界中のだれよりも経験を積んでいるのだ。


『第一マッチ、一手目』


 吉田が宣言すると、ふわりと一枚の巨大な石版が宙に浮かんだ。


「……一手目、こちらも」


 僕の宣言でも、同じようにどこからともなく石版が浮かび上がってくる。

 夢空間ではよくあることだ。


『「オープン」』


 同時に宣言する。


 二つの石版がひび割れ、その中から銀板が現れる。

 僕の銀板に彫刻されているのは、光り輝く剣を振りかざす勇者。

 僕の一手目は『聖剣』。

 対して吉田は――



 ――二つの角を持つ魔王が、その手から火炎を噴出している絵柄。


『『魔法』だ。俺の勝ち。幸先悪いな、お前』

「……いやいや。絶好調だよ」



 ■



 開発者が一番ゲームの勝ち方に詳しい、と思うのは早計だ。

 もし本当にそうなのであれば、ペガサスは遊戯に負けはしなかったはずだし、マイケル・エリオットは各方面からあんなにも叩かれなかっただろう。

 だからこそ、俺は思考しなければならない。

 一度『聖剣』を潰したとしても、『僧侶』がある限りゲームは続く。


 『僧侶』は事実上あとだしだ。

 勇者側、魔王側の共通ルール「同マッチ内で重複する手を使ってはいけない」を破れる、勇者側の一手。


 俺の残り駒は『剣技』『邪剣』。

 対して、佐藤の駒は『戦士』『魔法使い』そして『僧侶(聖剣)』。

 こちらに『剣技』しか残っていない以上、相手が『魔法使い』を出すことはない。

 実質、二対二の戦いだ。


 ぶっちゃければ、ここで『邪剣』を折られたとしても、相手は『僧侶』を失い、手元に残るのは生き返った『勇者の聖剣』を含め『戦士』『魔法使い』の三手のみ。

 一マッチめを勇者側の勝利で終わらせられたとしても、そこから先は純粋に消耗していくだけのゲームになる。


 運ゲーといわれればそこまでだけれど、運ゲーだからこそ運の絡まない要素については慎重にならざるを得ない。

 俺は概念魔王。

 略奪する側は、いつだって全力なのである。

 負けたくても、負けられない。

 俺はそういう存在だ。



 ■



 参った。

 絶対初手は『邪剣』だと思ったのに。

 今まで行った二十戦中、吉田の初手『邪剣』の確立は二十分の十二。

 五分の三にも及ぶ高確率なのだ。

 ここから一マッチ目を取るには二分の一で『邪剣』に『僧侶』を当てないといけない。


『……さて、次だ。第一マッチ、二手目』


 また、ふわりと魔王の石版が浮かぶ。

 僕の石版は、まだ浮かばない。


『どうした? 選ばないのか?』

「……ちょっと黙ってろ」


 考えろ。

 選択肢は『戦士』か『僧侶』の二択。

 ここで外せば、それでゲームが終わってしまう。

 この勝負自体は捨て試合だから、負けても問題はない。

 問題はないけれど、第三マッチまで行かないと大した消耗を与えることもできない。 

 だからといってこちらが向こうよりも消耗するわけにもいかない。

 第二マッチ。それが最低ラインだ。

 そこまではなんとしてもたどり着く。

 魔王は、その概念としての性質上全力でしか戦えない。

 消耗は向こうのほうが激しいはずなのだ。

 たとえ、僕の身体が減り続けようと、精神力と集中力は別問題である。

 考えろ。

 考えろ。

 考えろ――……


「……第二手」


 迷った末の選択肢。石版が浮かぶ。

 どうせ二分の一なのだから、どちらを選んでも同じ――では、ない。


 僕は吉田を知っている。

 吉田は僕を知っている。

 ただその点において、確立は役に立たなくなる。

 お互いの性格と思考を個々個人、勝手に読みあう独り相撲。

 傍から見れば滑稽に映ることだろう。


『「オープン」』


 石版が、ひび割れ開く。



 ■



 銀色に輝く、杓を振りかざす法衣の美女――『僧侶』。

 銀板は、ひと際まばゆく輝やいてその姿を変える。

 光り輝く聖剣を、頭上に掲げる色男。


 相対するは、巨大な直剣を振りかざす二つ角の魔王の銀板。


 『剣技』だった。


『……やっぱり幸先悪いんじゃねえか』

「……なにいってんだ、どうみても絶好調じゃないか」


 吉田は嘆息し、僕の顔を指す。

 一マッチ目で『邪剣』を当てられなかった以上、僕に勝利はない。

 だから、奪われる。


『貰うぜ』

「……ッ」


 べこり、と眼窩から音がする。

 喪失感が、顔の上部を覆った。

 痛みはない。

 けれど、違和感がある。

 視界が違う。吐きそうだ。

 思わずバランスを崩して、赤絨毯の上に膝から崩れ落ちた。

 なんだこれ。

 予想よりめちゃくちゃきついじゃねえか。


『夢空間といえど、感覚自体は現実に近い。いきなり視覚情報が不完全になったんだから、そりゃ酔うわな』


 吉田の声が遠い。

 酷い吐き気が、喉元までせりあがってくる。

 それを無理やり飲み下して、吉田をねめつける。


「……左耳」

『は?』

「次は、左耳賭けるつってんだよ。早くやれよ」

『……馬鹿じゃねえの』


 魔王は目元を引き攣らせつつ、続けて宣言する。


『第二戦開始だ』


 魔王は挑まれた勝負からは逃げられない。

 そういう存在なのだから。



 ■



 夢空間。


 魔王が唯一活動できる場所。

 魔王城と言い換えてしまっていいあの空間は、ひどく穴だらけだ。


 『賭けるもの』がなければ入れないといいつつ、入った後ならなにを賭けてもいいのだから。


 右眼、左耳、左手首から先、肋骨三本――それだけの部位が、眠る佐藤の身体から消失した。

 血も流さずに、最初からなかったかのように綺麗に。

 奪われてしまったのだろう。


「……ばか、ですね」


 不自然にくぼんだ右の瞼を、そっと撫でる。

 空洞の感触がした。


「……さとう、あなたはほんとうにばかです」


 不器用な人だ。

 どうしようもないくらい、不器用で、弱虫で、そのくせ優しくてお人よしで。

 そんなあなたに愛された。

 それがどれほどの幸運だったか、私にはわからない。

 けれど、あなたがどれだけ不運かはわかる。

 私なんかを愛したがために、寿命を減らし、いまその身体すらも奪われつつある。

 今年で終わらせるつもりなのだろう。

 もう、佐藤には今年しか残っていないのだろう。



 なんだかよくわからない、長ったらしい名前の病気のせいで。



 ■



 インターネットは便利だ。

 遠くの人とつながれる。

 知人とより手軽に連絡を取り合える。

 こっそりと、確実に。


 結局、私は佐藤自身にこうしろ、ああしろと口煩くいうことができなかった。

 言ったところで、彼は聞きゃしないだろうし。

 だから私は、もっと効果的な方法を使った。


 同居人に――一番伝えなければいけない人に、直接伝えたのだ。

 こういう行為は嫌われることだし、空気を読まない行動だろう。

 でも残念でした。悪いね、佐藤。


 教師が空気を読むと思うなよ。



 ■



 芋虫に似ている。

 もぞもぞ、と腹筋だけで蠢いている様は、なんというか非常に気持ち悪い。


「いやいや、吉田お前そんな目で僕のこと見ているけれど、アレだから。これはアレだから。ちょっとグレゴール・ザムザの気分を味わいたくて負け続けただけだから」

『その負け惜しみは無理がありすぎるぜ、佐藤』


 マジで芋虫に似ている。

 右眼、左耳、鼻、肋骨四本、両手足、左肺と腎臓と小腸を奪い取ったらこうなった。


「……まあ、負け惜しみ抜きにしても、十分すぎるくらい消耗させた自信はあるけどな」

『は? 俺のどこが消耗してるって? ちょっと体調悪いだけだし。昨日実質一時間しか寝れてねーからちょっと体調悪いだけだし』

「目ェめっちゃ充血してんじゃねえか」

『気のせいだし』


 実はそろそろヤバい。

 全力全開の集中力で戦い続けて、すでに二十戦以上だ。

 あまりにも小さい単位を賭けることは禁止しているけれど、パーツごとに粘られ続けるのは予想以上にきつかった。

 それでも無敗ではあったけれど、相手の目的はあくまで俺の消耗だ。

 佐藤にとって、この連戦はただ単にこっちのパターンを読み、確実な一勝に繋げるための布石に過ぎない。


『で? 次はなにを賭ける? 右肺でも賭けてみるか?』

「息できなくなるじゃんか。嫌だよ」

『じゃあどうする?』

「……そろそろ、僕も限界なんだよな」

『……ふうん』


 そりゃまあ、そうだろう。

 身体の半分以上を失っているし、そのつど強烈な喪失感に苛まれているのだ。

 精神をやらずにここまでもっているほうが、おかしい。

 いや、もともと精神をやっているのか、こいつは。


『まあ、どうであれ、佐藤。それはつまり、寿命を賭けるってことでいいんだよな? 残りたった一年と一週間ぽっちのお前の寿命の、その一年間をここで消費しちまうってことでいいんだよな?』

「そうだ。そうだけれど、吉田。ひとつ間違えているよ」

『……あ?』

「勝てば、消費しない」


 ……。

 二十戦以上連続で戦って一回も勝てなかったくせに、こいつは……。


『ポジティブと愚かしいのは意味が違うと思うぜ、俺は』

「この世の中は愚かな人間が一番力を持ってるものなんだよ」

『そりゃ頭数が一番多いからだろう。たった一人の愚か者じゃ、なにもできんだろ』

「できるさ。できる」

『……「お前に勝てる」とか、そういう格好良い台詞を言っちゃうのか?』

「いいや」


 芋虫のように転がった身体をくねらせ、非常に格好悪い体勢のまま――佐藤は、最高に格好良い台詞を口にした。



『恋人と親友を救える』



 ■



 芋虫に似ている。

 変わり果てた姿のグレゴール・ザムザを見た妹の気持ちがなんとなくわからなくもない。


「……あぅ」


 あ、やっぱりわからない。

 全然わからない。

 どれだけ芋虫っぽくても、私のために戦ってくれている人だと認識すると凄くカッコいい。

 その反面、複雑な気持ちはもちろんある。


「……さとう、あなたはわたしのためにたたかってくれているのしょうけれど――やっぱりわたしは、あなたにはいきてほしいのですよ」


 生きていて欲しい――というか。

 生きていてくれなければ、なんのために私が生きているのかわからなくなる。

 自分でも参ってしまうくらい、私はあなたに依存している。


「それもそれで、わるくはないかんけいですよね」


 傍から見ればいびつでも、それが私の愛なのだ。



 ■



 泣いても笑っても、これが最終決戦だ。

 十年間に終止符を打つ、ラストマッチ。


『……最後だってのに、随分と余裕だな。なにか秘策でもあるのか』

「あるよ」


 ないです。


「もちろん、最後の最後、お前をぶっ潰すためのとっておきの秘策がちゃーんと僕の頭の中にあるんだよ。凡人である僕が魔王吉田を倒す、裏技って奴がさ」

『すげえ胡散くせえなおい』

「はっはっは」

『まあいいけど。……初手、選択』


 石板が浮かぶ。既に見飽きた光景だ。


「初手選択」

『ん? なんだ、今回はえらく早いな。最後なんだから、もっとよく考えろよ』

「いいや、初手は考えなくていい。お前の癖は見切った」

『あ?』

「お前もさ、初手はほとんど考えないんだよな。癖で選んでるんだよ。お前自身気づいてなくてもな」


 癖。

 じゃんけんで、思わずグーを出してしまう人がいるように、吉田にもあるはずなのだ。

 そして、僕は吉田の癖を見抜いた――なんてことはなく。

 やっぱりこれも、ただのはったりで見得だった。


『……そんじゃ、まあ』


『「オープン」』


 石板が砕け、内側から出てきたのは『聖剣』と『邪剣』。


「ほらな?」


 内心、心臓をバクバクさせながら、虚勢を張る。


『……やるじゃねえか』


 にやり、と吉田が頬を緩ませる。


『俺の心理を読みきるとはな。いや、これは読みきれるほど俺を消耗させた戦略の勝利か?』

「お、おう」


 ……。

 なんだろう、この申し訳ない気持ちは。



 第一マッチは、その後二戦とも『戦士』と『剣技』、『魔法使い』と『魔法』で引き分けを取り、最高の出だしで勝負は走り出した。


 すごく釈然としないものを抱えつつ。



 ■



 第二マッチ。お互いにノーダメージではじまっているけれど、それでも僕の圧倒的不利は変わりなく。

 正直な話をすれば、消耗しているのは吉田だけじゃない。

 僕も――精神的疲労という意味であれば、おそらく僕のほうが苦しんでいる。

 身体の半分近くを失って、そのつど喪失感と嘔吐感に苛まれているわけだし、集中力という意味でもとっくに限界だ。

 だから。


「第二マッチ第一手、選択っ!」

『……早いな。速攻か』


 考えない。

 隙を見せない。

 天運我に有り、とか。

 まあそんな感じで――最後の最後に神頼みとは、なかなか笑えない戦い方だ。

 こんなんだから、僕は勇者に成れないんだろう。

 せいぜい詐欺師か――村人A。


「だから言ってるだろ。読みきったから考える必要ないんだよ」


 吉田が押し黙る。

 黙ったまま、俯きぎみに考え込む。


「……さっさとしろよ」

『……まあ、ちょっと待てよ』


 脂汗を浮かべながら、吉田は微笑んだ。



 ■



 読みきられている。

 俺の知らない俺の性格や癖を、俺の無意識を読みきっているからこその即断即決で、第一マッチの完封勝利。

 つまり――このままでは、俺は敗北するだろう。

 それはいけない。

 概念魔王は自身の敗北を許さない。


 だから俺は常に全力で、そのせいで佐藤も田中も十年間を棒に振った。

 棒に振らせた、というほうが正しいか。

 種を蒔いたのは俺で、その種を育てたのも、やっぱり俺だった。

 俺がいなければ、田中が七年目を失うこともなかったし、佐藤がただでさえ短いその生涯をさらに縮めることはなかったはずなのだ。


『……第二マッチ第一手、選択』

「お、ようやくか」

『お前が俺の無意識を読んでいるとしても、それが無意識である以上、俺がノーヒントで気付くことは無理だろ。なら、思考を単純化すればいい』

「……うん?」

『結局、このゲームは二分の一なんだよ。魔王側からすればな』


 『邪剣』で負けるか。

 『魔法』『剣技』で引き分けか。

 どちらにせよ、魔王側の絶対有利は変わらない。

 なら、考える必要はないし、俺自身がパターンから外れてしまえばいい。


『初手は考えない。適当に選ぶ』

「……」


 魔王側からすれば、ある意味必勝法だ。


『「オープン」』


 石板が砕け開く。

 炎を放つ魔王と、杖から水激流を放つ美丈夫。

 『魔法』と『魔法使い』。


「……人の無意識からは、逃げられない。適当に選んでも、お前の無意識が必ず邪魔をする。何度でも言うよ、魔王――吉田」

『……』


 佐藤はうざったいくらいのドヤ顔で言った。


「僕はお前を読みきった」



 ■




「僕はお前を読みきった」


 とか。

 ドヤ顔で言ってみたところで、やっぱり運だ。

 たまたま運が良かっただけで、次がどうかもやっぱり運次第なのだ。


「第二マッチ第二手、選択」

『……また速攻か。いいだろう。こちらも選択』

「……悩まない、か。なるほど、それでもお前は無意識からは逃れられないんだぜ?」

『……ふん』


 残りは『戦士』『聖剣』『僧侶』と『剣技』『邪剣』。

 僕はまだ一回負けられる。

 ここで外しても『僧侶』が残っている以上、『聖剣』を割られても三マッチ目までは戦い続けられるのだ。

 はったりがばれようがばれまいが、最終戦まではもっていける。


『「オープン」』


 筋骨隆々な戦士と、直剣を振り上げる双角の魔王。

 『戦士』と『剣技』


『……マジで、読みきってるってのかよ』


 吉田が憎憎しげに呟いた。

 ごめん、本当は全部運です。

 ただ、その運は確実に僕のほうへ向かっている。

 天運我に有り。とか。

 言ってみても、いいくらいには、たぶん。



 当然、残りの組み合わせは『聖剣』『邪剣』だから、第二マッチも乗り越えた。



 ■



 第三マッチ。

 最後の、最後。

 ここまで勝てたこと自体が、奇跡に近い。

 ならば最後までその奇跡、すがり続けてやる。

 強運なだけの僕が、魔王を倒す。

 努力とか苦節とかを極端に排除した、中高生が大好きな俺TUEEEEというやつだ。

 小説家になろうで掲載したらきっと人気が出るに違いない。

 とか、とか。


「第三マッチ第一手、選択……なあ、吉田」

『ああ? なんだよ』

「ありがとうな」

『……こちらこそ。選択だ』


 所詮、その程度だ。

 僕らの十年間は。

 たった三人の当事者と、その親と教師を巻き込んだ、ごくごく小規模でしょうもない、ただの不幸話。

 その程度でしかない。

 僕らはちょっと――かなり不幸だっただけだ。

 田中は奪われ。吉田は囚われ。僕は挑んだ。

 世界を揺るがしてもいないし、ハーレムもないし、血沸き肉踊る冒険もない。

 何十年にもわたる因果もなければ、伝説の勇者も出てこない。

 だらけきった、惰性の勝負と惰性の人生。

 緊張感もなにもない、ちょっとしたスリルのあるコミカルでアホらしい戦い。

 それでいい。

 それが、いい。

 僕らは、遊んでいるだけだ。

 ハッピーエンドが欲しくて遊んでいるだけの、ただの子どもでいいんだ。


『「オープン」』


 最後の最後、その最後。

 切って落とすは終幕の仕掛け紐。

 終わろう。

 そろそろ、お家に帰る時間だから。

 この『聖剣』で、勝つ。

 銀色の美丈夫が、光り輝く剣で魔王を――



『いいや、まだだ』



 ――『聖剣』が、砕かれた。

 魔王の直剣によって。

 『聖剣』と『剣技』。

 運気が、逃げた。

 あるいは――魔王の意地とか執念とか、そういうやつだろうか。



『佐藤。もうちょっとだけ大丈夫だろ。遊ぼうぜ』



 わがままなやつめ。



 ■



 第三マッチ、第二手。

 もう考えない。

 考える必要もない。二分の一。二分の一。五十パーセントのせめぎあい。

 ああ、なんて泥仕合だ。

 スカッとしない、俺と佐藤の、魔王とモブの最終決戦。


『選択だ!』

「同じく!」


 もう、この場には疲労とか戦略とか読みあいとか存在していない。

 迷子の俺たちの、ノリと勢いが加速する。

 童心に還るには、少々遅すぎたかもしれないけれど――どうせ、十六歳。まだガキだ。

 それに、ここは夢空間。

 怒ってくれる望月先生もいない。

 ちょっと――あとちょっとだけ。


 はしゃいでもいいじゃないか。



 ■



 楽しいと思うことは、不謹慎だろうか。

 ランナーズハイ的な、そんな状態なんだろう。

 泣きそうだ。

 興奮して昂奮して、もうなにがなんだかわからない。

 楽しいことは確かだけれど、悲しいことも同様に確かで、嬉しさも、怖さも、なんでもある。

 一種の恐慌状態かもしれない。そうじゃないかもしれない。どうでもいい。


 ただテンションのままに――突っ走ろうじゃないか。


『「オープン」』


 痛いほど喉がひりつく。ぜいぜいと、呼気が漏れ出る。

 へばりつく上下の瞼をむりやり引っぺがし、左眼を空中へ向ける。

 異様なほどの汗が背中を流れ、がんがんと脳裏に鐘の音が響く。

 見たくない。けれど、見なければ。見なければ、終わらない。


「……!」


 ――ぎらりと輝く、魔王の剣。その直剣は炎を纏い、大地を裂いている。


 『邪剣』だ。


 そして、僕の手は――



 銀色に輝く、



 杓杖を振り上げた、



 法衣の美女。



 ひと際眩く輝いて――姿を、変える。



「ッしゃあああああああああッ!!!」


『――があああああああああッ!!!』



 勇者の振りかざす『聖剣』が、魔王の『邪剣』を打ち砕き。



 魔王の敗北の咆哮をBGMに、僕は七つの田中を取り返した。



 ■



 終わってしまえば、とたんに冷静な僕が戻ってきて囁いた。

 これでいいのか、と。

 もちろん、と頷く。


 これでいい。

 これで、いいんだ。

 この終わり方が僕らしい、最低で最高なハッピーエンドじゃないか。

 田中は成長を取り戻し、吉田は魔王の責務から開放され、そして――



 そして、僕は死ぬ。一年と一週間後に、だれに悟られることなく、ぽっくりと。



 この世に未練がないなんて到底言えないだろうけれど、それでも僕は幸せな最後を迎えられる。

 みんなが幸せな最後を掴み取ることができたんだ。

 もう、思い残すことはなにも――なにも、ない。



 ■












「さとう。あなたがしんだら、わたしもしにますよ?」




 聞きなれた、舌っ足らずなロリボイスが、ひとつ残った右の耳朶を叩いた。









 ■



「もちづきせんせいから、しんぞうびょうのことをしらされてから、ずっといわかんがあったのです」


 【勇者と魔王】――ひいては、魔王との勝負には賭けるものが必要だ。

 そして、それらは等価でなくてはいけない。

 等価という言葉に、踊らされていた。

 私が賭けたのは『七つの私』であって、寿命ではないのだ。

 寿命を賭したのであれば、佐藤のように減っていくはずで、止まるということはないはずだ。

 つまり、賭けたのは『七つの私』そのものだった。肉体だった。


『……で? それがどうかしたのか?』

「じぶんのことなのにわからないのですか、このあほまおう。『じてん』でうばうんですよ、あなたは」

『……『時点』。そうか、そういうことか……!』

「……どゆこと?」

「あぅ」


 私のカレシが頭悪い。


「さとうー。まおうは、『じゅみょう』と『にくたい』をべつのものとしてあつかっているですよ。そして、うばう『にくたい』には『いつうばったのか』というじょうほうもふかするです」

「平仮名で言うな、解りにくいだろう」

「あなたはいまわたしのあいでんてぃてぃにけんかをうった」


 舌が回らないのは仕方ないじゃない。


 簡単に、かつ正確にいうと、吉田は『七歳の私』から『一年間分の肉体』を奪ったのだ。

 そして、その『一年間分の肉体』と『寿命一年』が等価だった。

 齟齬。違和感。

 魔王吉田が等価だと判断したけれど、それこそが彼の無意識だった。

 本来別のものを、等価値だと判断してしまったのだ。


「さて、ここまでいえばわかりますよね。さとう」

「……うん」


 今の間はなんだ。


『というか、田中。お前なんでここに――夢空間にいるんだ?』

「……なんでって、いちゃいけないんですか?」

『いや……まあ、理論はわかるぜ。取り返した以上、お前は賭けるものがあるからいても不思議じゃない』

「ならいいじゃないですか」

『だが、取り返してもらったのに、その犠牲を忘れてまた挑むってのか?』


 吉田が少し語意を強める。

 佐藤が軽く目を見開いた。すがるように、私を見つめる。

 微笑み返す。大丈夫、任せてください。


『佐藤のことを思うのならば、リスクを恐れろ。気持ちはわかるが、その行為は――』

「いいえ、よしだ。リスクはありません」

『――あ?』


 そう。

 私には、タダで賭けれるものがあるのだ。


 十年間分の肉体を、私は賭けることができる。



 ■



 寿命は絶対だ。死因も、絶対だ。

 それを覆すことができるゲームが【勇者と魔王】で、概念魔王だ。

 けれど、私の肉体はこれからようやく育ちだすのだ。

 すると、どうなるか。


「わたしがじゅみょうをむかえるとき、わたしはけっていされていたじゅみょうまいなすじゅうねんのがいけんねんれいをしているはずです」

『……『肉体』と『寿命』は別。なるほどな』


 私の決定された運命線上に存在する、『最後の十年間の肉体』は消費されずに終わる。

 けれど、それは確かに存在するはずだ。

 なら、それを賭けることができる。


「まおうよしだ。わたしはあなたに、【ゆうしゃとまおう】をもうしこみます」

『……申し込まれちゃ、逃げられねえな。取り戻すのはどこだ? 佐藤の手か? 足か?』

「ぜんぶです」

『んん?』

「わたしの『さいごのとしのにくたい』ぜんしんをかけます」

『……おっけ、わかった。それでいこう』

「待て、待ってくれ! 田中、なんでいきなり全身を賭けるんだっ? リスクはなるべく分散したほうが勝率が――それに、僕の寿命はもう皆無だ。肉体を取り戻したところでッ」

『さとう。あなたは――あなたは、ゆうしゃじゃありません』


 既に、彼は勝負に挑む気がない。賭けるものを失っている――いや、あると言えばあるけれど、彼自身に勝負する気がないのなら、それはつまり夢空間にいる資格がないということだ。


「まあ、しんじてまっていてください」

「ちょっ、田な――」


 フッと。佐藤が消えた。

 たまには待つほうの身にもなれ。


『……心臓だろ』

「……。ふぇえ」


 図星を突かれた。


『心臓ごと肉体を賭けることに意味があるんだろ。運命決定によって決められている寿命も死因も『心臓病』が根幹だからな』

「……できれば、きづかないでいてほしかったです」

『俺はいつでも全力で考えてんだよ。脳みその血管切れそうだ』


 まあ、つまり、これも一種の賭けだった。

 心臓自体を二つ持てば、心臓病では死なない――はずだ。


『それもこれも、お前が俺に勝ったあとの話だろ』

「かちますよ。がいけんどおり、わたしはわがままでゆめみがちなおこちゃまですからね。はっぴーえんどいがいはみとめません」

『……そんじゃま、やるか』

「やりましょう」


 結局のところ、佐藤は勇者でもなければ村人Aでもなく――僧侶だったのだ。

 私という、ただ一発の『聖剣(ハッピーエンド)』を通すための。



 ■



 結局のところ、僕は勇者でも村人Aでもなんでもなく、それどころか僧侶でもなかった。

 当然グレゴール・ザムザでもない。

 強いて言うならば、僕は僕だ。

 手も足も失い、ただボロアパートの天井を見上げながら転がっていることしかできない無力な――ああ、そうか。


 毎年、田中はこんな気分を味わっていたのか。


 待つことしかできない、こんな最低な気分を、毎年。


「……『任せて』か。そういわれたら、信じるしかないよなあ」


 僕は馬鹿だから。

 田中がなにをしようとしているのかは、わからない。

 けれど、好きな人を信じるくらいのことはしようと思う。

 それくらいしかできないから。


 外見と違って、僕は我侭で夢見がちな中二病だからね。

 ハッピーエンド以外は、認めない。



 ■



 二十歳になった。

 二十歳に、なれた。


 ミンミンだとかツクツクホウシだとか、そんな感じの蝉の声が響いている。

 なんだかんだ、今年も暑い。年々暑くなっていている気がする。

 そんなこんなで、八月十四日。

 今年も僕は生きてます。


「とか」


 言ってみたところで、それがどうしたって話である。

 ハッピーエンドだのなんだのいいつつ、結局、それらは僕らの自己満足でしかない。

 田中の両親は未だに『娘なんていない』って言ってるし、望月先生は預金が尽きたし、僕は未だに童貞だし。


「とか、とか。それこそ、どうしたって話だよな」

「さっきからなにをぼそぼそ言っているですか、佐藤。気持ち悪い」


 ロリボイスも、随分と滑舌がよくなった。とはいえ、まだまだロリボイスだけれど。

 肉体年齢は十歳だからなあ。


「そんな風に気持ち悪いから未だに童貞なのですよ」

「僕が童貞なのは田中のせいだろ! 田中がいつまでたってもFカップにならないからだろ! いい加減にしろ!」


 いや、いくらなんでも外見年齢十歳の少女にFカップを求めるのは酷か。自戒自戒。


「いえ、あの、佐藤? そもそも身体年齢十歳の私とセックスしようと思わないでください。あと五年は待ってもらわないとですね」

「田中、いいことを教えてやろう」

「? なんですか?」

「初潮が来ている女の子ならセックスしても問題ない」

「いま、わりと本気であなたのことが気持ち悪い……!」


 でも好きなんだろ。

 とか、とか、とか。


 そんなくだらない話をする。

 吉田の墓の前で。



 ■



 十四年前――つまり、最初の最初。

 『七つの田中』が奪われた日は、同時に魔王吉田が生まれた日でもあった。


 交通事故だった。


 どういう世界のシステムでそうなったのかはわからない。

 けれど、その事故で吉田は概念魔王になって、夢空間でしか活動できなくなった。


 八月十三日から十五日にかけて限定で。


「お盆の時期にしか帰ってこれない魔王ってのも、なかなか間抜けでいいよな。実に僕たちらしい」

「年中居座られても鬱陶しいですけどね。すでに死んだ人間のことをとやかく言うつもりはありませんけれど。ああ、人間じゃなくて魔王でしたか」

「概念のな」


 悲しいことに、僕らの親友はもう帰ってこない。

 とりあえず、缶チューハイをお供えしてみた。

 僕自身の手で。

 クーラーボックスから取り出して。

 ついでに僕のぶんも出して、プルタブをおこす。ぷしゅり、と気の抜けた音が墓所に響いた。


「吉田の二十歳初酒だな。おめでとう」

「佐藤、私のは?」

「ホルモンバランス崩れるからダメ」

「むぅ」


 頬を膨らませる田中。可愛い。そして生キャベツと大豆の成果が出たのかおっぱい大きい。もうちょっとだ。頑張れ、僕。


「……まあ、そんなこんなで、僕らは元気だよ、吉田」

「……はい。たぶん寿命で死ぬまで、ずっと元気ですよ」


 魔王吉田と七つの田中をめぐるお話は、これでお終いだ。

 クソ暑い夏の日差しの中で、僕らは大したオチもなく、物語を終える。

 でも、ハッピーエンドだ。

 間違いなく。


 太陽が眩しい。蝉がうるさい。今年もいい夏だ。



 ■



 とか、とか。

 とか、とか、とか。


 そんな綺麗に終われたらよかったのだけれど。

 現実はそんなに甘くない。


 どくりどくりと、心臓が鼓動する――田中にも言っていないことがある。


 どうして、死んだ後も吉田が成長を続けていたのだろうかという疑問と――





 ――鼓動しているこの心臓はだれのものなのだろうか、という疑問だ。





 吉田から奪ったもの? だとすれば、この心臓は最初から動いているはずがないのだ。

 吉田は十四年前に死んでいるはずなのだから。


 なら、この心臓は――どうして、動いているのだろうか。



 もしかして――と。


 吉田の墓を見る。


 もしかして――もしかして。





『本当に、俺は死んでたのかな?』





 そんな声が聞こえた気がした。







 (終わり)





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