第一話:我こそ、支配の魔王
「起きて、起きて、ゼル!」
おいおい、この状況……運がいいのか悪いのか、どっちだ?
突然、俺の部屋に押しかけてきて、睡眠という貴重な時間を邪魔する少女がいるんだが。
さて、紹介しよう。こいつはミツリ・カズコ、俺の幼馴染にして同級生。
そして俺はササキ・ゼルト、ゆか高校の二年生だ。
「いい加減にしてよ! いつまで俺の眠りを邪魔するつもり?」
「もう、起きないと授業に遅刻しちゃうよ」
その言葉に、渋々スマホを手に取る。
画面に映る数字は――午前六時。
……はぁ? 授業は八時からだろ!
なんでわざわざ、こんな朝っぱらから起こしに来るんだよ!?
いや、これはヤバい……起きるか、それとももう少し寝るか?
心の声に耳を傾け、俺は決断した。———もう一眠りだ。
「よし、一時間だけ待ってろ。おやすみ〜」
「ちょ、コラ! また寝る気なの!? ホラ、起きなさいよ、ゼル!」
「うるせー! 帰れ!」
「……ふふっ。こうなったら仕方ないよねぇ。起きないなら――」
――まさか!?
ボフッ!
「ぐふっ!!」
……そうだ。俺、腹を蹴られたんだ。
信じられねぇ、まさかこんな展開になるなんて。
そういやコイツ、空手得意だったんだっけ……完全に油断した。
普通なら今ので即KOだろう。
昔の経験が役立ったおかげで、なんとか立っていられるけどな。
まぁ……起こしたいっていうか、むしろ倒したかったんだろうな、あいつは。
でも、ここで寝続けたら本当に殺されるかもしれない。
そう思うと素直に起きざるを得ない。
まったく、今度こそ勝ったぞ、お前が……
「もう一度言う。起きなさい」
「あ、は……はい! お、おお……お前、勝ったのか。よし、起きるぞ?」
「うむ〜、いい子ねぇ」
何て言えばいいんだ、感想は一言で済む――めちゃくちゃ痛え。
本気で死ぬかと思った。腹のあたりがまだジンジンする。
よし、覚えてろよ、カズコ。絶対に復讐してやる……って、無理だな。
あいつが本気で来たら俺の人生終わるに決まってる。考えすぎも無駄だ。
それより早く支度しないと、またあの必殺技を食らう羽目になる。くそ、こんな時間に起こされるなんて全然納得いかねぇ。
そう毒づきながらベッドを出て、歯を磨き、朝食の準備を始める。台所に入ると、カズコがテーブルに座って漫画を広げているのが見えた。
「おいおい、朝から漫画なんて目に悪いぞ?」
「え? でも、もうすぐ終わるところなんだよ?」
「それはダメだ。そこは止めたほうがいい。じゃないと――」
「ん? 何それ?」
カズコが身を構える間もなく、俺はスッと彼女のマンガに手を伸ばした。
「ハッハ、取ったぞ」
「いやだ! 返してよ、お願い———」
カズコは悲しげな声で叫びながら、俺に懇願している。
「ダメだ! 朝食が終わるまで、これを持ってるからな」
「もう、ゼルのバカ!」
やばいな……なんで俺、カズコの親父みたいな気分になってんだ?
隣に住んでるってのもあるけど、両親が海外に出張中だから、毎朝こうして俺ん家に来て朝飯を食べてるんだよな。
結果的に、俺が面倒を見る役になっちまってる。まったく、なんで俺みたいなやつに任せるんだよ。使用人でも雇えばいいのにさ。
……まあ、いいか。どうせ一人暮らしだし、誰かと一緒に食べると少しは楽しいもんだ。
「で、今朝は何が食べたい?」
「天ぷらとトンカツをのせたご飯! それに味噌汁もね!」
「はぁ!? 朝からカロリー爆弾じゃねぇか。太るの怖くないのか?」
「大丈夫、大丈夫! 心配しないで〜」
そういや……こいつ、胸は相変わらず小さいんだよな。いくら食べても、そのへんは育たなさそうで……ちょっと気の毒かもな。
「ねえ、今ちょっと笑ったでしょ?」
「い、いや……別に。気にすんな」
「ふぅん? その顔、絶対怪しい。私のこと笑ってたんでしょ?」
「ち、違うって! 俺がなんでお前を笑うんだよ。……わかった、ちゃんと作るけど、その代わり野菜も食えよ」
「うん! ゼル、大好き!」
「はいはい……」
そんなやり取りをしながら、二十分も経たないうちに料理は全部完成した。
二人で声をそろえて「いただきます」と言い、箸をつける。
「ん〜っ、美味しい! さすがゼル、料理の腕前は最高だね!」
「ゆっくり食べろよ。喉に詰まったら大変だからな」
もぐもぐと頬をふくらませながら食べてる姿……正直、反則だろ。
外国人みたいに輝く金色の長い髪に、エメラルドグリーンの瞳。
小柄で、どこか子供っぽい性格――その全部が、人を自然と惹きつける。
……まあ、性格はちょっと直したほうがいいかもしれないけどな。
こう言っても、別に俺が“胸の小さい子が好き”ってわけじゃない。
家では普通に過ごしてるけど、実際の俺はただのオタクだ。いや、“ただの”って言葉は違うな……本物のオタクってやつだ。
フィギュアにマンガ、ラノベにブルーレイ……気づけばかなりの額をつぎ込んでる。
でもそれが俺にとっての幸せで、生きる力でもある。
特に好きなジャンルは学園ラブストーリー。アニメの中の恋愛模様って、どうしてあんなに心を揺さぶってくるんだろうな。
だからこそ、俺は決めたんだ。たとえ年を取っても、この愛だけは捨てない。アニメとマンガに捧げる人生――それがオタクである俺の誇りだから。
……おっと、熱く語りすぎたな。話を戻そう。
「ねえ、ゼル。今日の放課後、予定ある?」
放課後か。うーん、特にないな。いつも通り家に直帰してアニメを朝まで観るか、秋葉原に行ってゲーム
やラノベを漁るくらいだ。
「いや、別に。どうした?」
「そ、そう……もし、もしよければ……放課後、その……あんたと……」
なぜだ? いつも元気なカズコが、今日はやけに言葉をつっかえてる。
「……私と一緒に遊園地に行かない?」
……え? これって、幼馴染からの――デートのお誘い、ってやつじゃないか!?
急すぎて一瞬、耳を疑った。
答えるべきか、それとも断るべきか。
だけど、頬を赤らめながら視線を泳がせるカズコを見ていると……“断る”なんて選択肢、最初から存在しない気がした。
「せっかく誘ってくれたんだもんな。俺が行かないわけないだろ」
「ほんと……?」
「うん、本当だよ」
「わぁっ!!! ゼル、大好きっ!」
カズコは突然、両手を高く掲げて飛び跳ねるように喜びを表した。その姿はまるで、ゴールを決めた選手が歓声を浴びる瞬間のようだった。
「はいはい。そんなことより、早く食べないと授業に遅れるぞ」
「はーい!」
……ったく。なんでこうなっちゃったんだろうな。もう返事しちゃった以上、今さら断れるわけもないけど。
やがて朝食は終わり、俺は皿と箸を片付けてから、カズコに借りていたマンガを返した。その後、二人で並んで学校へ向かう。
交差点まで来ると、自然と足が止まった。ここから先は別々の道。俺とカズコは違う学校に通っているからだ。
「じゃあ、またね、ゼル」
「おう、またな」
軽く手を振って別れたあと、俺は自分の学校へと歩を進める。
そして教室に足を踏み入れた瞬間――
ぽすんっ!
「……いってぇ!? な、なんだこれ……黒板消し?」
頭に落ちてきたのは、教卓の上に置かれていたはずの黒板消しだった。
「はははっ! ゼルト、お前への仕返しだ!」
声のした方を見ると、そこにはニヤついた顔の男――クラスの悪友、アカツキ・コムロが立っていた。こいつは人をからかうことだけが生きがいみたいな、どうしようもない奴だ。
よくいるモブキャラって感じだな。
コムロの繰り返すくだらないイタズラには、本当にうんざりさせられる。まるで小学生のガキそのものだ。
「おいおい、そんなに怒るなよ。ただの冗談じゃん」
「うるさい! おかげで朝っぱらから頭がチョークまみれになっただろ」
「わかった、わかったよ。ほら、もう許してくれ」
そう言いながらも、コムロは悪びれもせずヘラヘラ笑っている。
「それよりさ、今期のアニメでおすすめあったら教えてくれよ」
「……ったく。まあいいや。俺は『マスクス・アンド・ヒーロー』と『異世界から帰ってきた俺』が一番だと思う」
「ははっ、やっぱお前、筋金入りのオタクだな、ゼルト」
「気にすんな」
昔はコムロの方が俺にアニメを勧めていたっけ。なのに今じゃ、立場がすっかり逆になっちまったな。
「ふん、オタクどもって本当に気持ち悪い連中よね」
唐突に、冷たい声が俺たちの会話を切り裂いた。
現れたのは――ヨシダ・ノムラ。クラスで一番オタクを毛嫌いする女だ。
彼女はいつも俺たちを嘲笑し、軽蔑し、オタクという存在そのものを敵視している。理由はよくわからない。けれどオタクの話題が出るたびに、まるで俺たちを抹殺しようとするかのような鋭い目を向けてくるのだ。
そのせいで、オタク仲間はみんなノムラを恐れ、誰も彼女にまともに話しかけることができない。
……ただし、俺を除いては。
「そうだな。少なくとも、ただ本に没頭してるだけの退屈な奴よりはマシだ」
「……何言ってるの? 今日はずいぶんと生意気ね。あたしに口を利こうなんて」
「うん、どうだってんだよ。俺がお前を怖がると思ってるのか」
「き、きみ……っ!」
――そうだな。俺たちの関係は、まるで犬と猫みたいなもの。クラスではいつも小競り合いばかり。
「もういいって。ゼルト、お前はこの子とケンカするなよ。面倒が増えるだけだろ」
「……ああ。わかったよ」
コムロの言葉に従い、俺は適当に理由をつけてその場を離れ、自分の席へ戻った。
「ゼルトくん、おはようございます」
え……誰だ?
振り向くと、そこには腰まで届く銀色の長髪を揺らす、華奢な体つきの少女が立っていた。見覚えが……ない。いや、待て。どうしてだ? まるで前から知っているような、不思議な既視感が胸をざわつかせる。
その瞬間、頭に鈍い痛みが走った。
くそっ……これは一体?
混乱した俺は、すぐさまコムロに声をかける。
「なあ、ちょっと聞きたい。この子、誰だ?」
「はあ? お前、マジで頭大丈夫か?」
「どういうことだよ。俺、全然わからないんだけど」
「おいおい、冗談だろ? 忘れたのか? 彼女はイケダ・サオリさん。同じクラスの仲間だぞ」
「なっ……! 本当に? 俺、今日初めて見たんだけど」
最悪だ。夜通しアニメを見てるせいで、ついに記憶まで曖昧になっちまったのか? ……いや、もしかしてそれだけじゃない。胸の奥で何かが引っかかっている。
「さあ、みんな席について、静かにしてねー」
そのとき、教室のドアがガラリと開いた。
入ってきたのは、俺たちの担任で数学教師のカガシマ・トウコ先生。
ショートヘアに、まだ発展途上って感じの体型。そして二十九歳、独身。
そのせいで、よく男子生徒たちにからかわれている。
……本当に、いろんな意味で同情したくなる先生だ。
プルルッ――。
あれ、メッセージ? カズコからだ。どれどれ……。
《放課後、学校の門の前で待ってるから、一緒に行こうね》
……なるほど、思った以上に遊びにワクワクしてるみたいだな。まあ、それはそれとして、今は授業に集中しないと。
***
放課後。
校門を出ると、壁際に寄りかかりながらスマホをいじっているカズコの姿があった。にやにやしながら画面を見てるあたり、多分俺にメッセージを送ってる最中だろう。
……どうやら、俺の存在にまだ気づいていないらしい。
よし、ちょっとしたサプライズを仕掛けてやるか。
俺はそっと背後に忍び寄り――思いきり声を張り上げた。
「ワッ!!」
「きゃあっ!!!」
ビクッと肩を震わせたカズコが、振り返った瞬間に目を丸くする。
「ちょ、ゼル!? あんたかよ!」
「アハハ! 見事に引っかかったな、カズコ」
「もーっ! 心臓止まるかと思ったんだから!」
ふくれっ面になりながらも、耳まで赤くなっているのが見える。……悪戯成功だな。
「で、なんでわざわざここで待ってたんだ?」
「決まってるでしょ。放課後に一緒に行こうって言ったじゃない」
「ああ……そういえば、そんなこと言ってたな」
「そんなことってなによ! ……もう、いいから早く行こ!」
「はいはい」
歩き出した途端、カズコが小声でつぶやく。
「ねえ、制服のまま行っても大丈夫かな……?」
「別に平気だろ。気にするなよ」
「そ、そう……? じゃ、じゃあ……」
頬を染めて、そわそわしてるカズコ。
まったく……こいつ、本当に楽しみにしてたんだな。
カズコが突然、俺の右腕をぎゅっと掴んできた。柔らかな感触が一瞬、腕に触れそうになって――思わず心臓が跳ねる。
……いや、別にやましいことを考えてるわけじゃない。ただ、ちょっとだけ恥ずかしいだけだ。
駅を出て、他愛のない雑談を交わしながら歩いていると、やがて視界いっぱいに遊園地のゲートが見えてきた。
観覧車にジェットコースター、電子ゲームや子供向けのアトラクション。屋台の匂いも漂ってきて、すでに祭りのような雰囲気だ。
とはいえ、俺たちが選んだのは穏やかなアトラクションばかりだった。カズコは昔、スリル系の乗り物でひどい思いをしたらしく、それ以来ジェットコースターの類は一切ダメらしい。
まあ、彼女が楽しそうにしてくれるなら、俺としてはそれで十分だ。
――と、思っていた矢先。
「ふふ……ついに連れ込むことに成功したぞ」
そう、俺はカズコをお化け屋敷へと引きずり込むことに成功したのだ。
「ね、ねぇ……やっぱり出ようよ?」
「却下だ。入場料を払ったんだから、最後まで楽しんでから出るんだ」
「で、でも……ここ、絶対やばいって……!」
やっぱりな。
一歩足を踏み入れた瞬間から、カズコはずっと出口を探してそわそわしている。けど、いくらジタバタしたってもう遅い。
今、俺たちは“墓地エリア”に立っている。
血に濡れた墓石、低く唸る風の音、どこからともなく響く鎖の音――このお化け屋敷で一番の恐怖スポットだ。
音響と仕掛けのリアルさが、嫌でも背筋をぞくりとさせる。
隣を見ると、カズコの顔は今にも泣き出しそうに引きつっていて――その様子が、なんだか妙に可愛く思えてしまった。
ふふふ……
「きゃあっ! こ、これ……な、なに!?」
響き渡る音響に合わせて、カズコの悲鳴が墓地エリアに反響する。その怯えきった表情が、今はやけに愛らしく見えて仕方がない。――これは今朝、俺の睡眠を奪った彼女へのささやかな復讐だ。
――三十分後。
「うぅっ……ひどいよ、ゼル……」
泣き顔のカズコを見て、さすがに罪悪感が胸を突く。ちょっと調子に乗りすぎたかもしれない。ここはなんとか機嫌を直してやらないとな。
「もう泣かないで。……わかった、償いに今晩は夕飯をご馳走するよ」
「ほ、本当に?」
「本当だ」
「やったぁ! ゼル大好きっ!」
「はいはい。じゃ、行くか」
「うんっ!」
そう言って歩き出した矢先、カズコが急に立ち止まった。
「あ、ちょっと待って」
「ん?」
彼女は恥ずかしそうに俺の耳元に顔を寄せる。
「……ちょっとトイレ、行ってくる」
「え、用を足すってこと?」
「しーっ! 大声で言わないでよっ! 恥ずかしいんだから……」
トイレくらい、別に普通のことじゃないか……。
「わかった。ここで待ってるから、早く済ませてこいよ。もう夜も遅いし」
「……うん」
そう言い残して、カズコは近くの公衆トイレに駆け込んでいった。
俺はベンチに腰を下ろし、ふぅと大きく息を吐く。
……この調子じゃ、家に着くのは九時を回りそうだな。
一時間後。
……あれは、イケダさんじゃないか?
遠目に見える人影が、建物の角に身を潜めるように立っていた。よく見ると、そのシルエットはイケダ・サオリに酷似している。
なぜ隠れているんだ……? まさか、俺を監視しているのか?
「おい、そこの君。俺を見張ってるのか?」
声をかけると、その人物がゆっくりと顔を出した。やっぱり……イケダさんだ。
「どういうつもりだ?」
「ち、違う。勘違いしないで。ただの偶然よ」
「偶然通りかかっただけで、なんで壁の影に隠れるんだ?」
「……うるさい」
その返しに、彼女自身が矛盾を自覚しているのかどうかは分からない。だが、ここ最近ずっと感じていた“視線”の正体が彼女だと確信する。
「……実はね。君に一つ、忠告しに来ただけ」
「忠告?」
俺の胸に、不気味なざわめきが広がる。
「いったい……何のことだ?」
「ここから離れたほうがいい」
「離れろって……どういう意味だ? ここで何か起きるのか?」
「信じるかどうかは君次第。でも今の君は――危険の真っ只中にいるわ」
「危険? 冗談だろ」
「……じゃあ、さようなら」
「ま、待て! まだ行くな!」
必死に呼び止めたが、イケダさんは振り返ることなく闇の中へ消えていった。
胸に残るのは、不吉な余韻だけ。
それ以上に気になるのは――カズコのことだ。
もう一時間も経つのに、まだ戻ってこない。
嫌な予感に突き動かされ、俺はとうとう決断した。
公衆トイレへ、彼女を探しに行くことを。
……警察の皆さん、どうか誤解しないでほしい。
本当はこんな真似、したくなかった。
だが今の俺には――他に選択肢がなかったんだ。
そして、俺は意を決して、慎重に女子トイレの扉を開いた。
「……っ!? な、なんだこれは……!」
視界に飛び込んできたのは――血の海。
白いタイルの床が真っ赤に染まり、鼻を突く鉄の匂いが充満している。
その中心には、カズコが倒れていた。
体中に鋭利な刃物で刻まれたような傷跡が無数に走り、制服は血に濡れて原型を留めていない。
「う、うそだろ……? これは幻覚だ……そうだ、幻だ! 誰か、嘘だって言ってくれ!」
つい数時間前、笑顔で隣にいた彼女が、なぜこんな姿に――。
頭が真っ白になりながらも、俺は必死に彼女へ駆け寄った。
「カズコ! しっかりしろ! 一体誰がこんなことを……!」
微かに震える唇が動いた。
「ゼル……ワタシ……ハヤク……ニゲテ……」
「何言ってるんだ!? 今すぐ救急車を――」
「……無駄よ」
不気味な声が、どこからともなく響いた。
「だって、君もすぐに……同じ運命を辿るのだから」
「な、なんだって……?」
――その瞬間。
グサッ。
「……っ!? あ、ぐ……! こ、これは……っ!?」
胸に焼け付くような痛み。
視界がぐらりと揺れ、暗闇が迫ってくる――。
腹部に焼け付くような激痛が走る。
視線を落とすと、鋭い刃が俺の身体を貫いていた。――剣だ。
「ぐっ……!」
突然の一撃に、無意識のうちに膝から崩れ落ちる。
腹部を押さえても、指の隙間から血が溢れ出し、口の中まで鉄の味が広がっていく。
「ハハハハ……! ついに……ついに倒したぞ……! 永きにわたり人間を苦しめた魔王を! これで俺は……英雄だ!」
「……てめぇ……ッ、くそっ……誰だ……お前は……?」
震える声で問いかけると、影の中から姿がにじみ出る。
その男の瞳は狂気に満ち、口元は歓喜に歪んでいた。
「おや? まだ喋れるのか。てっきり心臓を貫いたと思ったんだが……どうやら腕が鈍ったようだな。は
は……まあいい、何度でも突き刺してやるさ。お前は魔王なのだからな」
この野郎、いったい何者なんだ――?
そして、何を言っているんだ? 魔王って、俺のことを指しているのか? 馬鹿げてる。
こいつは明らかに普通じゃない。話し方、喉から漏れる高笑い、手に握られた剣の冷たさ――すべてが異様だ。
「お前、狂ってるのか⁉」
力を振り絞って、俺は声を絞り出した。
「ああ、礼儀ってやつを知らないな」
男は嘲るように笑い、表情を楽しげに歪める。
「俺の任務は、ここで君を始末することだ。ていうか、言い忘れてたな。こんな風に喋ってると誰かに見つかるかもしれん。じゃ、さよならだ」
そう言い放つと、男は容赦なく剣を振るった。
――グサッ。
「うっ……!」
痛みが体を突き抜け、肺が焼けるように痛む。視界が滲み、世界が赤く溶けていく感覚。男の声は遠く、けれどはっきりと耳に届く。
「ははは! 死ね、死ね!」
何度も、何度も、剣が突き刺さるたびに、激痛が身体の隅々まで広がっていった。
俺はその場にへたり込み、血の味が喉の奥で鉄のように広がるのを感じた。
これで……俺、死ぬのか?
ふざけるな。まだやりたいことが山ほどあるんだ。今日は新作アニメの放送日だし、今週末にはイベントにも行く予定だ。そんなことで終われるか。
頭の中で、意味のない日常の予定が断片的に浮かぶ。現実と虚構が交錯して――それでも、どうにかして生き延びる方法を探そうとする自分がいた。
だが、体は言うことを聞かない。胸の奥で鼓動が弱まり、世界はゆっくりと暗く沈み始める。
くそっ……血が止まらねぇ。
床に這うようにして横たわり、俺は自分の無様さに苦笑した。これが、イケダさんが言ってた「警告」ってやつなのか? でも、あいつは一体どうやってそれを知ってたんだ?
俺の人生、ここで終わりかよ。こんなにあっけなく死ぬなんて、笑えるほど納得いかねぇ。神様よ、俺を試してるのか? ――ごめん、カズコ。守れなかった。
「まったく……ここには近づくなって言ったでしょ。ほんと、困るんだから」
え、イケダさん? なんでこんな時に来てるんだよ。まずい、こいつがイケダさんまで――。
「逃げろ……ここには入ってくるな」
俺は震える声で叫んだ。
「あら? 見つかっちまったか。邪魔者は始末して、証拠も消すに限るな」
男は剣を振り上げ、残虐そうにニヤリと笑った。
「やめろ――――ッ!」
その瞬間、イケダさんの手に握られていたカードが光を放ち、一筋の鋭い光線となって男へ一直線に飛んでいった。
「な、なんだ――! クソッ、魔法か!? お前は……誰だ!?」
イケダさんは冷ややかに微笑み、低く名乗った。
「私はダークエンジェル、オリビア。魔王に仕える忠実なる軍将の一人よ」
オリビア――その名に、どこかで聞いた記憶がかすかに反応する。魔王の軍将、だと……?
うっ……! 頭が割れるように痛い。なぜだ? 考えれば考えるほど、痛みが鋭く突き刺さってくる。
「ふふ……面白くなってきたな。それなら僕は――」
バンッ!
「ぐああああああああ!」
「うるさい男ね。それに、ここがどこか分かってる? ――女子トイレに入るなんて、許されないことよ」
な、何なんだよ……! 彼女の一蹴で、奴は壁に叩きつけられ、崩れ落ちる。あまりの衝撃に、壁がひび割れ今にも崩れそうだった。
俺の体はもう限界だ。意識が遠のく……ああ、これで終わりか。
――その時。
「え……!?」
な、なんだこれ……! か、彼女が俺に……キスを……? よりによってこんな状況で……!?
え……痛みが、消えた……? 傷まで、まるで最初から無かったかのように。全身を包む温もりに、力が戻っていく。
ああ、この感覚……悪くない。いや、それどころか心地良すぎる……。
「それで、思い出したかしら? 自分の――本当の正体を」
俺の……正体……?
ズキンッ!
「ああああっ! あ、頭がっ……!」
前よりも激しい痛みが脳を焼く。
「思い出すのよ。すべてを。あなたの記憶も、本当の自分自身も――」
「お、俺……俺は……うああああ!」
「――そろそろね。あなたの体にかけられた封印を、解く時が来たのよ」
「……俺は……俺自身が……」
――そうだ。思い出した。
なぜ、今まで忘れていたんだ?
ゆっくりと立ち上がる俺の体から、圧倒的な威圧感が溢れ出す。鋭く光る瞳は、怒りと残忍さを孕み、さっきまでの弱き俺とはまるで別人。
「そうだ。我は……我こそは――」
空気が震える。時が止まったかのような静寂の中、宣告の声が響き渡る。
「――支配の魔王、ゼルドだ!」
最後までお読みいただきありがとうございます!
もし気になった点や「ここを直した方がいい」という箇所がございましたら、ぜひご意見をいただけますと嬉しいです。皆様のフィードバックをお待ちしております。




