後編
翌日、アリスとハルは町を出た。
乗合馬車でしばらく街道を行くと、途中から道が合わなくなって徒歩で進む。
しかし幼いハルにとって、長い道のりを歩き続ける事は厳しかった。
なおかつ自分の荷物を背負ってもいた。
すぐに体力が消耗する事は当然だった。
アリスはそんな様子に気付いて、ハルが疲れると度々休憩を取った。
「ごめんなさい」
自分が足を引っ張っている。
そう思い、ハルはアリスに謝った。
「うまくいかない事があった方が楽しいもんさ。ぬるいゲームは嫌いだからね」
「ゲーム?」
「私にとって、人生はゲームと変わらないからね」
「遊びだって事?」
「そうさ」
人生が遊び。
ハルにはそのように思えなかった。
農村での生活は、決して楽しいものではなかった。
畑仕事は辛く、それでいてたいした糧となるわけではない。
食料が乏しくなって山で食料を探さなければならない事もある。
辛いだけだった。
それでも不思議と、両親がよく笑みを浮かべていたと思い出す。
両親もまた、うまくいかない人生を楽しんでいたんだろうか……。
そういえば自分もよく笑っていた。
両親と一緒に笑いあっていた。
今思い出しても、辛い事が多い思い出だけれど……。
両親が死んでしまって、そんな両親の死に群がるように大人達が何もかもを奪っていって、自分も奴隷として売られてしまった。
人生をゲームだとは思えない。
そんな余裕はなかった。
けれど忘れてしまっただけで、あの日までは確かに楽しさを感じていたのかもしれない。
「何であれ、楽しい方がいいでしょ?」
「そうだね。きっと、その方がいいよ」
休み休み、緩やかな歩調で道を歩み……。
日が暮れたのは、森林の中へ道が入り込んだ場所だった。
「さて、森を抜けてから野営するべきか……」
そう、アリスが迷いを呟いた時だった。
前方から、一人の女性が歩いてきた。
右目に眼帯を着けた女性は体を外套で纏い、その布地からはちらちらと佩いた剣が見え隠れする。
開かれた左目はじっとアリスを見据え、歩む足もまた彼女へと向いていた。
アリスは右手をリボルバーのグリップへやる。
「ハル。木の陰に隠れていた方がいいよ」
唐突な言葉にハルは驚いたが、少し迷ってからその言葉の通りにした。
そして……。
アリスはグリップを握り、銃をホルスターから抜き放つ。
狙いは、直上。
照星と照門が交わり、結ぶ直線上には木の上から飛び降り、アリスを奇襲しようとしていた不動の姿があった。
狙われた事に気付いた不動は頭を庇うように剣を構えた。
放たれた銃弾は不動の右腕を射抜く。
「フドウ!」
眼帯の女性、ジェシカが叫んで走り出す。
そんな彼女へ向けて、アリスは左手で抜いたオートマチックの銃弾を放った。
自分に向かい来る銃弾をジェシカは剣で切り落とす。
たいした腕だな!
驚きをねじ伏せるように、アリスは内心で叫ぶ。
その時になり、着地した不動が剣を振ってアリスを狙う。
アリスは身をかわして距離を取る。
銃撃を加えると、派手に地面を転がってそれを避けた。
こっちはあの女ほど人間離れしていないようだ。
とはいえ、動きは良い。
銃を使う相手に慣れている。
向かい来る二人に銃撃を加えつつ距離を取る。
自然とアリスの足は、道からそれて森の中へ向かう。
そんなアリスを二人は追ってきた。
ハルの方には興味なし、か。
狙うようなら、アリスはそこを狙い撃つつもりだった。
ハルの心配をしなくていいなら……。
アリスは背を向けて森の奥へと走り出した。
不動とジェシカもそれを追って全速力で駆ける。
アリスは走りながら、時折背後へ向けて銃撃する。
狙いなどまともにつけられないが、それでも銃声がすれば相手も怯む。
走る速度も鈍るというものだ。
しかし……。
駆ける足の速さはジェシカが一番速かった。
その上、銃撃に対して怯む様子がない。
銃弾を恐れていない。
まるで、銃弾が見えているようだ。
いや、見えているのだろう。
でなければ、剣で叩き落すなどという事もできないだろうから。
不動の足は鈍り、ジェシカは怯む事無く全速力で追いかけてくる。
アリスとジェシカ。
彼我の距離が縮まっていく。
逃げられないと悟ったアリスは振り返り、二丁の銃口をジェシカへ向ける。
不動はまだ追いつけていない。
装填された全ての銃弾がジェシカへ向けて撃ちつくされる。
襲い来る鉛の雨を前に、ジェシカは速度を緩めぬまま飛び込む。
銃弾のいくつかを叩き落し、いくつかを無視して身に浴び、痛みを厭わずに近づいてアリスへ斬りかかった。
斬撃は間違いなくアリスを捉えた。
……かに思えた。
しかし、ジェシカに手ごたえはない。
ジェシカに焦りが生じる。
と同時に、背後からの銃声。
痛みと共に、文字通り背中が吹き飛んだ。
ジェシカの背後に回ったアリスの手には、一丁のショットガンがあった。
振り返って防御に徹しようとするジェシカ。
しかし、無数の鉛を発射するショットガンを至近距離で御する事はできなかった。
結局、頭を庇う事しかジェシカにはできなかった。
右足が弾け飛び、仰向けに倒れたジェシカにアリスは休む事無く銃撃を加えた。
不動が追いついてくる頃になるとジェシカは人としての原型を留めていなかった。
「ジェシカ!」
その有様を目にすると、不動は思わず叫びを上げていた。
叫びつつ、アリスを背後から斬りつける。
アリスは距離を取ってそれを避け、ショットガンを不動へ突きつけた。
すかさず発砲。
横っ飛びで避け、前転してすぐに体勢を整える。
が、顔を上げた時、そこには銃口が見えた。
剣が届かず、しかし発砲されて避けるには至難の距離。
もはや、不動に成す術はなかった。
「久しぶりだね。こっちに来ているとは思わなかったよ。不動くん」
そう告げるアリス。
呼ばれて気付く。
不動は彼女の事を知っていた。
「……有栖川さん」
まだ不動がこの世界へ召喚される前。
二人は同じ学校のクラスメイトだった。
アリスは殆ど学校に来ない生徒で、不動もあまり言葉を交わした事がない。
だから気付けなかった。
「どうして私を狙ったのかな?」
「君は恨みを買いすぎたんだ」
「その言い方……複数の人間が私を恨んでいるって事か……。ふんふん、なるほど。私は不動くんから恨まれる覚えがないから、他の人間に恨まれているとして。……君は暗殺者でもしているのか?」
今のやり取りで何か察したのか、そう問いかける。
不動はそれに答えない。
「私の行動範囲はなかなかに広い。その行く先々から依頼が出ているとすれば、それを受けている組織の規模もかなり大きいという事だね」
「……」
「暗殺者の組織に所属して、依頼をこなしていく。楽しそうだね」
「遊びじゃない……!」
静かながら、怒りの熱を秘めた言葉が不動から返される。
「遊びと同じだよ」
それに対して、アリスは笑みを含んだ弾む声で答えた。
「人生はゲームだ。元の世界でも、こちらの世界でも……。現代社会を舞台にした経営シミュレーションが、ファンタジー世界を舞台にしたオープンワールドRPGになっただけさ」
アリスは笑みを深めて続ける。
「オープンワールドは大好きだ。聖人のように善行を施し、悪魔のように無慈悲な死を振りまく……。その気まぐれが許される。咎めるものはなにもない」
「人の命を玩ぶ事は許される事じゃない」
「私だって命をクレジットしてる。それに誰かから許されなかったとして、デメリットは暗殺者を差し向けられる程度だろ。いや、楽しいイベントが一つ増えるならむしろメリットかな?」
「君は……」
あまりにも食い違う価値観に、不動は驚愕する。
「不動くんは違うの? 自分の都合の良いように振舞ってはいない? 命を扱っている事には違いないだろう。殺す命と殺さない命、その線引きは何? 結局は自分のさじ加減だろう」
不動は答えなかった。
彼女の言葉に心当たりがないわけではない。
自分の都合よいように振舞う、それは確かだ。
だが、不動は自分の行いが間違いであったとは思わない。
「好き嫌いはともかく、この世界でロールプレイに従事している事に変わりないでしょ」
「どう思うかは勝手だ。僕は、この世界をゲームだとは思えない。そして、君の考え方を理解する事ができない」
「そう」
アリスは不動へ向けていた銃口を逸らした。
ショットガンのグリップを右手だけで持ち、肩に担ぐ。
「クラスメイトのよしみで見逃してあげるよ。だから今回は狙わないでおくれよ。私だって、顔見知りを殺したくはないからね」
アリスは不動の横を通り過ぎ、来た道を戻っていく。
その背を見やり、次にジェシカを見る。
おびただしい出血の中、動かなくなっている。
呼吸が定期的に胸を押し上げているから、生きているようだった。
それでも、もう助からないだろう。
不動は隠し持っていた拳銃に手をやる。
アリスの背に狙いをつけた。
「やめなよ」
振り返らないまま、アリスは声をあげる。
「嘘つきになるつもりはないん――」
言葉が終わる前に、重ねるような発砲音。
アリスはすぐさま身を翻し、オートマチックで応酬の銃撃を加えた。
硝煙を吐く二つの銃口。
互いに向けられたそれらの、一方が下を向く。
右腕を打たれた不動は、その場に銃を取り落とした。
アリスの放った銃弾は二発。
もう一発は、不動の太腿を穿っていた。
「またね」
アリスはそう言葉を残すと、今度こそその場を離れた。
不動にはそれを見送る事しかできなかった。
全身の力を抜く。
「大丈夫か?」
不意に後ろから声がかけられた。
振り返ると、ジェシカが立ち上がろうとしている姿が見えた。
「……そっちこそ」
「これくらいじゃ死なないよ」
そう答えるジェシカ。
彼女の吹き飛んだはずの右足は、いつの間にか繋がっていた。
不動達の襲撃から三日。
アリスとハルの旅程は、平穏なものだった。
そうして、目的地へと辿り着く。
そこは大都市に建つ一件の豪邸だった。
「ここに僕の親戚が?」
何かの間違いじゃないのか? という思いからハルは問いかける。
「間違いないはずだけど。入れば解るさ」
門番に名前を出すと、二人はあっさりと中へ通された。
その対応を見て、ハルは間違いじゃなかったという実感を得る。
「よく来てくださいました」
案内された部屋には、一人の中年男性がいた。
ほっそりとした体つきで、仕立ての良い服装を身に纏っている。
顎鬚こそあったが、その顔はどことなくハルの父に似ていた。
懐かしさにも似た感情を抱き、ハルがその男性を見ていると視線が合う。
柔和な笑みを男は向けた。
「本当に、あなたは僕の親戚なんですか?」
「僕は、君のお父さんの弟なんだよ」
その顔に抱いていた気持ちを思えば、無条件に信じてしまう事に抵抗はなかった。
「兄は、結婚を反対されてこの家を出て行ったんだ。そして、相手と駆け落ちした」
自分の知らない両親の過去。
それを訊いて納得する。
「君はそこで待っていてくれ。僕は、彼女と話がある」
依頼についての話だろうな、とハルは思った。
そう、彼女は依頼を受けて自分をここまで連れてきただけなのだ。
なら、その話が終われば彼女とはお別れだろう。
短い間の付き合いだけれど、寂しさを覚える。
依頼があったからだろうけれど、それでも自分を助けてくれた恩人だ。
最初は恐ろしく思いもしたが、今はその恐ろしさも感じない。
親しみの方が強い。
別室に向かうアリスと男性。
「さて、依頼料を渡そう」
その部屋は男の書斎であるようだった。
「ありがとう。それより訊きたい事があるんだけど」
「何かな?」
「どうしてあの子を引き取ろうと?」
「数少ない肉親だ。何かおかしな事か」
その答えに、アリスは小さく苦笑する。
「あんたそういう人間じゃないでしょ?」
「……まぁいいだろう。簡単な話。僕の父の諦めが悪かったという事だ。父は、兄を勘当しておきながら、それでも戻ってくる事を願い続けていた。その結果、遺言状にある一文を記した」
言うと、男は棚に歩み寄って中を改める。
「そこまで聞けば、だいたい想像はつくね。でも一応、最後まで聞いておこうか」
「遺産相続の権利は、兄かその家族に委ねる。条件を損ねると、莫大な遺産は教会に寄付される事となっている。私が遺産を相続するには、唯一残った兄の家族であるあの子のサインが必要になったわけだ」
「なるほど。でもその内容だと、どちらかと言えばお父さんは家族が仲良くして欲しいと思っていたんじゃないかな?」
「かもしれんな。だが、そうはならんよ」
「引き取るんだろ?」
「そんな事は言っていない」
答え、棚から出した金貨の詰まった袋をアリスへ差し出す。
「サインさえさせれば、あとはもう用などないからな」
「ふぅん」
「何なら、始末もつけてくれるか? 倍の料金を出すが」
アリスは金貨の袋を一瞥する。
「これは多分、選択肢によって打ち切られるタイプのイベントだね」
「何だと?」
男の問いかけに答えず、アリスは銃撃した。
「は……?」
左胸を射抜かれた男は、そんな声を漏らして崩れるように倒れた。
「私はお金より、面白い方が好きだね。それに、悪い人間は殺すようにしているんだっ❤」
暗殺者ギルドのロビー。
「怪我はもう大丈夫なのか?」
テーブル席に着いた不動を見つけて、ジェシカは声をかけた。
彼はここしばらく右腕と太腿の怪我の治療に専念していて、ギルドには顔を出していなかった。
特に右腕は銃撃されてからも振り回していた事と二発も銃弾を受けたため、怪我が酷かった。
不動は一度ジェシカを見る。
五体満足、それも怪我などなかったかのように綺麗な上腕が服の袖から覗いている。
そちらこそ、という言葉を不動は飲み込んだ。
「完治した」
「じゃあ、もう一度?」
ジェシカが問いかけたのは、アリスの事である。
「すぐには無理だ。無策で挑んでも勝てそうにない」
不動も彼女の問いかけに誤解なく答える。
「能力には察しがついた。だが、察しがついた所で対処が難しい」
不動の脳裏に、周防の事が浮かぶ。
能力を封じる力があれば戦えるかもしれない。
けれど、通じるのは一度きりだろう。
アリスの能力は強力だが、アリス当人はその力に溺れていない。
襲撃された時にも、ギリギリまでその力は使わなかった。
能力を封じられても対応できるだろうし、周防の能力の範囲外に出ればすぐに能力を使うだろう。
そうなれば、二度目の機会はない。
「難しい顔で何を考えているのかな」
そんな言葉と共に、小さめの手が不動の視界を遮った。
ジェシカがその手の主を見て、剣の柄に手をかける。
「君を殺す方法だ」
不動は声の主に気付いて、そう答え返した。
「そこまで私の事を考えてくれるなんて光栄だ」
手を離すと、アリスは不動から距離を取る。
正確には、殺気を向け続けるジェシカからだろうが。
アリスは一度ジェシカに笑みを向けてから、また不動へ目を向けた。
「どうしてここに?」
「話を聞いて面白そうだから、私もギルメンになろうかと思って。新入りのアリスです。よろしく!」
複雑な表情の不動を尻目に、アリスは同じテーブルの席に着く。
その隣の席にハルが座る。
「ハル。好きなもの注文していいよ」
「うん」
ハルは答えると、テーブルに置かれたメニューに目を向けた。
「しかし面白い所だね、ここは。義憤だっけ? 人の心情を拠り所として成り立つ組織。それがしっかりとまとまっているのは驚きだ」
「それが必要とされているからだ」
「至極当然。望まれていないものは、淘汰されるものだからね。とはいえ、社会とは合理で動くものだ。存在が許されているというのならば、感情論が合理の一部として受け入れられているという事でもある。それだけ、この世界はまともじゃないという事かな?」
どう思う? とアリスは不動へ問いかけた。
「まともかどうかはわからない。でも、まともではないと思うのは、前の世界と比べているからだと思う」
「なるほど。興味深い知見だ」
アリスは、不動へ向けて握手を求める。
「では改めて、よろしく」
その挨拶と差し出された手を不動は無視した。




