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銀龍の贄  作者: 天川 七
4/4

4話 終

 アンリは銀龍に泉の淵まで送られて、その場所で待っていた。


銀龍が教えてくれたのだ。ハムナがあの日から毎日のように泉にやって来ていたのだと。そして、アンリの名を何度も読んでいたことを。


 空に朝もやがかかる頃、一人の男がやってきた。年は十八ほどだろう。逞しい身体つきに整った顔立ちだ。茶色の瞳に深く憂いを滲ませて、何かを探すように周囲を見ている。


「アンリ……」


 男は泉の前で両膝をつくと両手で太ももを握りしめ、懺悔する様に彼女の名を呼んだ。そして頭を垂れたままじっと動かない。あの日から毎日ここにきていたのだろうか。こうして彼女の名を呼んでは誰にも言えないあの夜の秘密を胸に秘め、ずっと。


「ごめんな、アンリ……」


「謝らないで、ハムナ」


 名前を呼ぶと男がはっとしたように顔を上げた。


 灰色の瞳に子供の頃の面影が残っている。朧げになっていた幼馴染の顔を思い出す。そうだった。こんな目をしていた。こんな顔をしていた。少年が男に変わるだけの時間が二人には訪れていたのだ。

 ハムナは信じられないというように目を大きく見開き、アンリを茫然と見上げる。その手が震えながら伸ばされる。


「アンリ? 本物の、アンリなんだな?」


「えぇ、そうよ、ハムナ。私よ、アンリよ」


 大きな腕に抱きしめられる。


「あぁ、アンリ! 信じられない。もう二度と会えないと思っていたんだ! あの日、お前を置いて逃げてしまってごめんな。ずっと後悔していたよ。どうして、銀龍の前にアンリを置き去りにして逃げてしまったんだろうって。どうして、お前の手を引かなかったんだろうって」


 ハムナはまるで自分の罪を告白するように、嗚咽の混じった後悔を口にする。ずっと一人で抱えて来たのだろう。堰を切ったように言葉が溢れて止まらない様子だった。


「ごめんね、ハムナ。私があの時満月のことを話さなければ、あなたをこんなに苦しめることはなかったのに。あなたのせいじゃないの」


「オレはお前にそんな言葉をかけてもらえる人間じゃない! オレはあの夜のことを誰にも言えなかったんだ! 口を閉ざして隠したんだ。お前のご両親が訪ねて来た時も、責められるのが怖くて嘘をついて誤魔化した」


「お母さんとお父さんが……」


「小さな村なのに、アンリが消えたと大騒ぎだった。村の奴等は総出でお前のことを探したよ。だけど、お前は一向に見つからなかった。当然だよな、その時にはもう、龍に捕まっていたんだから。何回もお前について聞かれたよ。オレが一番仲が良かったからな。何か知らないのかって言われるのが嫌で、オレは皆とは離れた場所で探す振りをしていた。お前を探しても見つからないことを知っていたからだ」


「…………」


「結局見つけられなくて、皆諦めた。その年は稀に見る豊作だった。それを見て、お前のご両親がオレに聞いて来たんだ。娘はあの日、泉のことを話していなかったか? ってな。心臓が冷えたよ。忘れたくても忘れられない悪夢を思い出した。満月になる度に、あの夜のことを思い出すんだ。お前を置いて逃げた夜を!」


 ハムナの心の叫びは、アンリの胸を締めつけた。誰にも言えずに、ずっと自分を責め続けていたのだろう。その苦しみはアンリと同等のものだった。だからこれ以上自分を責め続ける姿は見たくなかった。

 ハムナの腕からそっと離れて、彼の両手を握って伝える。


「あなたはもう自由になっていい。私は今、幸せだから。それだけをあなたに伝えたかったの」


「待ってくれ! お前はもう解放されたんじゃないのか!? だから、この場に現れたんじゃ……っ」


「いいえ。私は銀龍の花嫁になるのよ。その前に一度だけ貴方に会う機会を得たの」


「そんな……」


「ねぇ、ハナム。あなたは私の大事な幼馴染よ。それは今までもこの先も変わることがないわ。あの満月の夜のことは、きっと私の運命だったの」


 ゆっくりと後ろに下がり、ハムナと距離を取る。そろそろ時間だ。


「アンリっ! オレはお前のことを────」


「夢を諦めて後悔に生きないで」


 さよならの代わりにそう伝えると、アンリは湖に飛び込んだ。銀龍の両手が伸びてきて腕の中に囲われていく。

 水面に滲む幼馴染の姿に、心の中で幸せを願う。彼の隣を夢見たことを、アンリは胸に死ぬまで秘めるのだ。


 銀龍にも教えない。アンリだけの胸に。







ここまでお付き合い頂きまして、ありがとうございました。二人と一匹の龍を通して、なにかを伝えられていたら幸いです。

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