我の名はヴァイスだ
転移の魔法陣は非常に便利だ。
あまり使いどころがない。そんな風に考えていた時期が俺にもあったけど、なにせ一瞬で数十日はかかる距離を移動できるのだから活用しない手はないだろう。
そう考え直した俺は、主要な土地に魔法陣を配置しておいた。
具体的には全部で六ヶ所ある。
まず帝都の屋敷にひとつ。
その前に滞在していた屋敷にひとつ。
城塞都市の貸し倉庫にひとつ。
東の森付近にある捜索隊の拠点跡地にひとつ。
オーガの集落近くにノブナーガらが建てた小屋にひとつ。
最後に、武王国の隠し部屋にひとつだ。
どれも管理はしっかりされていて、悪用されることはない。
特に武王国に設置したものは、誰かが勝手に部屋へ入ると魔法陣を描いた布が燃える仕掛けが施してある。
とあるマンガを参考にしたもので、まず奪われる心配はない。
仮に誰かが魔法陣を設置した部屋に入ったとしても、まったく関係のない似たような図形を描いた布が一緒に飾られているので、そうそう理解できないはずだ。
俺ですら、どれが本物なのか【鑑定】なしでは判別できない。
今回はその中から、城塞都市に設置した魔法陣へと転移する。
やり方は簡単だ。
本体である魔導布の内側に陣が描かれた面を上にして、それを【変形】で地面まで伸ばして乗れば、あとは魔力を流せば望んだ別の陣へと移動できる。
この際、普通なら使用した陣はその場に残すことになるのだが、描いているのは俺の本体そのものなので一緒に転移できる。
つまり、いちいち管理されている陣のところへ行かずとも、好きな時に各地へ転移できるのだ。
試しにまったく別の布に陣を描き、それを掴みながら転移したところ布だけ置いて移動してしまったので俺が特殊なのだろう。
それと冒険者の街でもある城塞都市において、上品な執事服は目立つと予想したのでマイナーチェンジをしておいた。
装飾は一切なくシンプルな白シャツと黒いジャケット、それと同色のタイトなスラックスという、デザインに大きな変化はないもののラフ寄りな服装だ。
やはりスカートやドレスなんかよりも、こういった男装のほうが落ち着く。
そして実は、シャツとスラックスは用意した物だったが、ジャケットだけ魔導布を【変形】させて【色彩】で染めたものである。
最近、色々と形を変えていたから割と変幻自在になりつつあるな。それを楽しんでいる俺がいる辺り、布に転生したのは妥当だったのか。
今後も機会があれば、様々なデザインに挑戦してみたいところだ。
そんなワケで久しぶりに訪れた城塞都市は、先ほどまでいた帝都と比べると乱雑な街並みに思えた。
でも行き交う人々の喧騒は初めて訪れた時と同じ活気で、魔獣事変なんて存在しなかったかのように日常を取り戻しているな。
元より魔獣という脅威と寄り添うように生きている者たちだから、相応にたくましいのだと勝手に納得する。
街の様子を眺めつつ城塞都市の中心にある冒険者ギルドへと赴く。
以前は中まで入れなかったが、今回はすんなりと入れた。前回が異常なだけだったか。身構えて損したよ。
内部は企業ビルの広い受付ロビーのような場所で、思ったより清潔な印象だ。
ちらほらと冒険者らしき人たちが受付でなにかを話していたり、あるいはソファが並べられた一角でくつろいでいるのが見える。
……ヴァイスはまだなのか。
ざっと見回しても、目立つ白い少女がいなかったため少し困る。
ひとりでは不安だから同行を頼んだのに、どうするべきか……。
とりあえず待たせて貰おうと、待合室らしきソファに座っておく。まるで病院か役所にいる気分になり、これはこれで緊張するが立っているよりはマシだろう。
借りられた猫の心地で大人しくやり過ごそう。
「ようこそ冒険者ギルドへ。本日はどのようなご用件でしょうか?」
だというのに案内役らしきお姉さんに話しかけられてしまった。
仕事熱心なのは結構だが、できれば放っておいて欲しいのに……。
黙っているワケにもいかないので仕方なく応対する。
「ええと、冒険者の登録をしに来たのですが、勝手がわからず知人の冒険者と待ち合わせをしていまして……」
「それでしたら、こちらで詳しくご説明致しますよ。さあどうぞどうぞ」
ニコニコと営業スマイルを貼り付けて、妙に押して来るお姉さんだ。
やめてくれ、俺はヴァイスが来るまで待っているんだ!
そう思っていたのに、気付いたら受付カウンターに座らせられていた。
今さら逃げても怪しいだけだし、もう流れに身を任せるしかないじゃないか。
観念して、嫌々ながらも顔には出さずに耳を傾ける。
「では簡単にギルドの仕組みと、冒険者のランクについてご説明します」
そう言って話し始めたのは、本当に基本的な冒険者ギルドのシステムだった。
ほとんど予想できる内容だったので聞き流していたが、その中でも、なるほどと思う情報もある。
例えばギルドの受付は二か所あり、ここは表側の依頼者向けだというのだ。
裏側には冒険者向けの受付があって、依頼の受注はそちらで行われる。
これは冒険者の多くが血の気が荒いため、依頼者が委縮してしまわないための配慮らしい。
だったら俺も裏側に行くべきだったかと焦ったが登録はどちらでも可能で、むしろ表側はなんらかの申請をする時に冒険者が訪れるから構わないという。
どうりで、あまり人を見かけないワケだ。
それと冒険者になるのに試験官と模擬戦をするとか、筆記試験があると考えていたのだが、そういった審査は必要ないと言われたのが驚きだった。
というのも基本的に依頼されるのは危険地帯での資源採取で、他は魔獣を狩るぐらいだから実力があれば誰でもいいし、それで死んでも自己責任なのだとか。
なかなかシビアな世界だな。
もっと信用が必要となる依頼だと、実績を積み重ねた高ランクでなければ受注できないそうだから、依頼者からしても安心できるようだ。
かつてのミラちゃんたちのようにダンジョンへ潜るのも冒険者の仕事だけど、最近はほとんど探索され尽くしてしまって、未発見のダンジョンでも見つからない限り、あまり人気はないらしい。
それでも帝国法によると、未発見のダンジョンは発見者が探索する権利を得られるらしく、人跡未踏の秘境を巡って探し続けるダンジョンハンターなる者も少なからず存在するようだ。
もちろん常識的に考えれば個人で探索など自殺行為であるため、すぐに国へ権利を売却して大金を得るという。
ただし、なんの成果も挙げられずに終わってしまう者も多く、成功すれば一攫千金、失敗すれば人生を棒に振ると……。
冒険者というより、探検家みたいだな。
次はランクについてだが、これはもう知っている。
かつて、ミラちゃんの仲間であるノットに教えて貰ったからね。
たしか魔物になぞらえて、冒険者のランクは付けられているんだったか。
人畜無害のラビット。
集まっても脅威度は低いスライム。
集団だと危険なウルフ。
単体でも恐ろしいオーガ。
単独で防衛力があるゴーレム。
国すら脅かす天災のドラゴン。
うん、しっかり覚えているぞ。
ミラちゃんたちは当時ウルフ級だったから、まずはそこを目標としたいな。
そして、ゆくゆくはドラゴン級となってミリアちゃんを驚かせよう。
ふふふ……今から楽しみだ。
これから冒険者として活動できるというのも心が躍る。まだ俺にもこんな少年のような心が残っているとは驚きだが、いつだって内面は若くありたいからね。
「これで説明は終わりです。わからないことがありましたら、いつでも聞いてくださいね」
「ありがとうございます」
まあ細かいことはヴァイスに聞けばいいから、その必要はないだろう。
それから書類にいくつかの必要事項を書き込む。
年齢や住居などは人によっては不明という状況も多いらしく、俺も例に倣って曖昧にしておいた。
ただ名前をどうするかで逡巡し、結局はそのままクロシュと書く。
偽ってバレたら面倒だし、できれば隠しておきたい程度だからな。
「はい、クロシュ様ですね。……クロシュ?」
「どうかしましたか?」
「あ、すみません。なんでもありません」
気付かれたかと思ったが、意外と知られていないのか。
それか【魔導布】のほうが通りが良すぎて思い出せなかったのかも。
まだ写し絵もこちらでは広まっていないだろうし、騒がれるよりはいいはずなんだけど、なぜかちょっと寂しいのはワガママだろうか。
ともあれ無事に登録が済み、一枚のカードを渡される。
冒険者としての身分を証明するギルドカードと呼ぶもので、兎の図形が入っていて可愛らしい。
紛失したらペナルティもあるそうなので大事にしよう。
ふう、意外とあっけなく登録できたな。
これで俺も冒険者になったワケだが……ヴァイスをどうしようか。
こちらから呼び付けておいて先に登録を終えてしまいました、もう帰っていいですよ、というのはあまりに酷い。
俺は再び待合室のソファに座って、ヴァイスがやって来たらどう言い訳するかを考え始める。
うーん、これから一緒に依頼を受けましょうと誘うのはどうかな?
「やあ、お嬢さん! 良かった俺たちと一緒に……」
「あとにしてください」
「いやいや、そんなこと言わずにさ!」
誰だか知らんがこっちは忙しいのに、しつこいやつだ。
「さっき見てたんだけど新人なんだろ? 俺たちが色々と教えてあげるよ!」
ここで初めて顔を上げてみると、予想通りのにやけ面が並んでいた。
どいつもこいつも、軽薄そうな男ばかりだ。
可愛い女の子をパーティに誘って、あわよくばってところか。
「おお、やっぱりすげえ美人じゃん!」
「ひゅ~! しかもあれ、かなりの持ち主……」
「お前らちょっと黙れって! ……いやぁ仲間が悪いね」
などと悪びれた様子もなく言える辺り、慣れているな。
あと微妙に下方向きの視線がとてつもなく不愉快だ。
……まあ、俺も元男だ。
というか今でも心は男のつもりだ。
だから、こいつらの気持ちはよくわかるとも。
俺だってミラちゃんが新人冒険者だったら色々と教えてあげたいと思うし、下心だって持つだろう。今回だけは大目に見ようじゃないか。
なによりこいつらは見る目がある。ミラちゃんをただ美人と評するのは、いささか言葉が足りないが、凡人の感性では限界があるからな。
ここはミリアちゃんを見習って、やんわりとお断りしよう。
「冒険者の知人がいますのでお構いなく」
「へー、それってランクは?」
そういえばヴァイスのランクはどのくらいだろう。
かなり昔から冒険者をやってるはずだし……。
「詳しくは聞いていませんが、そこそこ高いはずです」
「ちなみに俺たちは、ついさっきオーガ級まで上がったところだぜ」
「そうですか」
実際のオーガを目にした後では、オーガ級と呼ぶには貧相なのは仕方ない。
なんにせよ、意外と能力は高いようだ。
「はははっ、どうやら知らないみたいだね。自慢するようだけど、この街じゃオーガ級は俺たちを含めても十組ほどしかいないんだ」
「はあ」
「そんな俺たちが誰かを仲間に入れるなんて、めったに無いんだぜ?」
「ほお」
「……聞いてんのか?」
てきとうに相槌を打っていたら空気が変わった。面倒くさい。
布槍で締め上げてもいいが冒険者になったばかりで、しかもギルド内で揉め事を起こすのも気が引けるからな。
それに、ギルド職員も不穏な雰囲気に気付いて動き始めているし、この場はプロに任せるとしよう。
「おい、どこを見てやがんだ!?」
「どうせ知り合いの冒険者ってのも大したことねーんだろ? 大人しく俺たちの仲間になっておけって!」
「安心しなよ。君みたいな美人なら優しくしてあぎょぺっ!」
いきなり喚いていた男共のひとりが吹っ飛んだ。
誰もが突然のできごとに理解が追い付かない中、俺の前に跪く少女。
「到着が遅くなり申し訳ありません師匠」
「ああ、ヴァイスでしたか」
「誤って裏の受付へ行っておりました。この罰はいかようにも」
「いいから立ちなさい」
男たちの陰に隠れてまったく見えなかったけど、彼女が投げ飛ばしたらしい。
かなり体格差があるけど、筋力的なステータスってどうなっているんだ?
もしかしたら投げ技という攻撃に分類されて、攻撃力分のステータスが加算されているのかも知れないな。
「な、なんだテメェ! なにしやがった!?」
「ところで師匠、すでに登録は済ませたのでしょうか」
「そのことなんですが……」
「無視してんじゃねえ!」
大男はヴァイスの細い腕を、何倍も太くて毛むくじゃらの剛腕で掴みかかろうとして……空を掴んだ。
「うおぉあああああッ!?」
傍目には、ヴァイスが手をかざしただけで大男が宙に持ち上げられて放り投げられるように映っただろう。
だが俺は、その魔力の流れがはっきりと感知できた。
どうやら投げたのではなく、なんらかの魔法を使っていたようだ。
確認すると【雷魔法・中級】を持っていたから、きっとそれだな。
「続きをどうぞ、師匠」
「こ、この野郎!」
あくまで無視するつもりのヴァイスだが、侮られていると理解した男たちはそれを許そうとしない。
と、ここでようやくギルド職員が場を治めようと動き出した。
冒険者を相手にするからか、なかなか屈強な男たちがぞろぞろと取り囲む。
中でも特に強そうで、かつ立派な制服を着た職員が声を張り上げる。
「そこまでだ! 暴行の現行犯で捕縛する!」
「俺たちは被害者だ! 見てただろ!?」
これはマズイか?
思い返すと、理由はどうあれヴァイスが先に手を出してしまっている。
元はと言えば俺のために強硬手段を取ったのだろうから、聖女の身分を利用してでも穏便な方向へ持って行こう。
そう思って言い出すタイミング窺っていたのだが……。
「黙れ! お前たちが悪いに決まっている!」
「な、なんだよそれ! 俺たちゃオーガ級だぞ!?」
「それがどうした! こちらのお方はドラゴン級だ! お前らとは格が違う!」
「う、ウソだろ……」
「マジかよ!」
「……え、えっ?」
俺も思わず二度見してしまった。
聞き間違いかと耳を疑うが、職員の手は丁重にヴァイスへと向けられている。
ヴァイスが最高ランクのドラゴン級だって?
「白姫様、大変失礼しました。この者たちの処罰なのですが……」
「どうでもいい。それと、我の名はヴァイスだ。以後はそう呼ぶように」
「かしこまりましたヴァイス様」
なんだ、なにがどうなっているんだ……?
「お待たせして申し訳ありません。続きをどうぞ」
「あーヴァイス、まず先にこの状況の説明をお願いします」
「ドラゴン級の数が極端に少ないことから、優遇されているようです」
優遇ってレベルじゃねえぞ。
「そうなのですか?」
「あ、はい! その通りでございます!」
一番偉そうな職員に聞いてみたら本当だった。
「現在ドラゴン級の冒険者は白姫様……失礼しました。ヴァイス様を入れても僅か二人ですので、できる限りギルドに留まって頂きたいのです」
なるほど。ギルド側の都合で考えてみると納得できる話だ。
ヴァイスほどの強者が今後も依頼を受けてくれるなら、軽くねじ伏せられるほど能力に差があるオーガ級を処罰するくらい安いものだろう。
あまり乱用すると反感を買いそうだが、今回は男たちにも非があるから心配しなくとも良さそうだな。
「……ところで、貴女様はどのようなご関係で?」
「ああ、私は――」
「我の師匠だ」
「ヴァイス様の師匠ですと!?」
ざわっ、と広いロビー内がどよめいた後、一瞬のうちに静まり返った。
「師匠、何度も話を中断させてしまい申し訳ありません」
「それは構わないのですが……」
さーて、どうしよっかな。これ。
なんかもう、かなり目立っちゃって依頼を受けるどころじゃないし、ドラゴン級を目指すとか今さらな感じがする。だって目の前にいるんだもん。
……別に、俺の名前がまったく知られてなくて、ヴァイスだと騒がれるのが悔しいなんてワケじゃないよ? 注目されるのは嫌いだし。
でもね、うん、仮にも師匠と呼ばれているワケで、それはちょっとね?
「あれが白姫様……いや、ヴァイス様の師匠だって?」
「ヴァイス様に勝るとも劣らない、なんという美しさだ……」
「でも新人なんじゃなかったか?」
「いやいや、ランクと強さは関係ないだろ」
周囲がなんか騒がしいけど、微かに聞こえたのはヴァイスの名前ばかりだな。
……とりあえず落ち着いて話せる場所に移動しようか。
そうして初めての依頼は諦め、ヴァイスと共にギルドを後にするのだった。
本来の目的は果たせたんだし、これで良しとしよう。はぁ……。
実は二章でやろうと思っていた話ですが、
二章自体が長くなりつつあったので三章へ移しています。




