エピローグ
1
果てしなく広がる大草原が、ニーナを迎えた。
黄緑色の草花は地平線まで続き、はるか向こうに山や峰が軒を連ねる。空は白から薄い青と明るく、巨大な積乱雲がゆっくりと浮遊し、青空を統べる太陽は大地をまぶしく照らす。
ゆっくりと目を開けてから、彼女は草原に足を踏み入れる。心地よく吹く風が、フードに掛かった顔をなでつける。しばらく草原の中に歩いていると、一軒の家が見えてきた。かやぶきの屋根に、丸太を重ねた壁面は質素な雰囲気を感じさせた。丸太小屋の周りには、菜の花畑、菜園と、ラベンダー、カスミやマーガレットが咲き乱れていた。
子供達は、丸太小屋の前にいた。先に気づいたクリスが手を振って、アンディも「こっちだ!」と大声で叫んだ。一斉に駆け寄る子供達の後ろから、二十歳ぐらいの若い女性が歩いて来る。丸太小屋の住人だろうか、とニーナは彼女とあいさつを交わした。
「あなたがニーナさんね? 私はケイティ。事情はこの子達から聞いたわ」
ケイティは膝を折ると、ニーナの顔の汚れをハンカチで拭き取った。風でそよぐ金髪を後ろに束ね、幾分あどけなさを残す表情は明るく、若々しさで溢れていた。おかげで、無用な警戒を持つ必要などなかった。
「今まで怖い思いをしてきたのね。でも、もう大丈夫よ」
逃げ遅れた子供は一人もいない。本当によかった、ニーナそうは思う。
「この人は、オレ達の先輩なんだぜ」
「先輩?」
「今から七年前、私も村でオツカイの子に選ばれたの。そして、樹海の中に入ったのよ。そこで、《ガイコツ帽子の塔》で人喰いの怪物に捕まりそうになってね。そんな時、一緒にいた男の子が助けてくれた。彼と一緒に森の外まで逃げて、ここでずっと暮らしているの。子供にも恵まれたわ」
ケイティの足元から顔を出して、こちらをうかがう幼子は、ニーナに妙な感覚を覚えた。どことなく、自分の顔に似ている気がする。
「あなたの事は昔から知っているわ」
「え?」
「彼がよく話してくれたもの。あなたがここに来たのを知れば、あの人はきっと喜ぶはずよ」
その時、ケイティが遠くの方へ手を振った。さっき、ニーナが出てきたトンネルの入り口から誰かが出てきたのだ。
「あの人が私の夫」
古いローブに身を包んだ青年が、こちらに歩いて来る。少し伸ばした黒髪を日光に輝かせ、精悍な顔立ちを子供達に向ける。
ケイティの夫であり、幼子の父親でもある、青年の面影に懐かしさを覚える間もなく、ニーナは駆け出していた。心臓の高鳴りは止まらない。
少女に気づくと、彼は立ち止まった。一吹きの強い風が花弁を舞い散らせる中、不思議そうに見つめ合う互いの瞳が、やがて驚きに変わった。
「ニーナなのか?」
「ブライアン……本当にお兄ちゃんなんだよね?」
七年前、オツカイに出て行った兄の姿が、時と場所の空白を一気に乗り越え、目の前に立つ青年と重なった。
ニーナは全力で駆けて、兄の胸に飛び込んだ。大粒の涙が泥のついた服を濡らした。喘息に似た嗚咽が漏れたが、止めようもなく、さめざめと泣き続けた。嬉しいはずなのに、人間というのは泣いてしまうものなのか。
「よかった……もう、会えないかと思った……」
何の前触れもなく、不安が急に芽生えた。もしかすると、これは夢ではないのだろうか、と。目が覚めると、自分はあの村の中にいて、オツカイの夜を迎えるのか、はたまた、あの暗い森の中にいるかもしれない。もしくは、あの《ガイコツ帽子の塔》の中で……。
「夢じゃないよね、お兄ちゃん? これは夢なんかじゃないよね?」
「夢なものか。ほら、空を見上げてごらん」
ゆっくりと顔を上げると、村に出てからずっと被っていた頭のフードを下ろした。長い黒髪が日光を浴びて、そよ風でたなびいた。
あまりのまぶしさに手で押さえながら、ニーナは、この時間が決して夢ではないと確信した。闇に満ちた樹海での恐怖も、出会いも、冒険も、そして別れも全部、自分を決して忘れない。彼女は心の底からそう誓うと、兄に似た笑顔をそっくり返して見せた。
「ただいま」
「おかえり」
十二歳のニーナのオツカイは、こうして幕を下ろした。
2
ちょうどその頃、彼女のマントのポケットに眠っていた手鏡が振動と共に光り出した。もう一方の手鏡から、相手の着信が届いたのだ。
液晶には、黒い森の出口から大草原にかけて、延々と続いていく、ブタのひづめに似た足跡が映し出される。
背景が青空に切り替わって、送信者のメッセージが端から横へ流れ出した。
件名:帰還報告
差出:ご存じ、勇猛果敢な大冒険家
宛先:ニーナ、ジャミロご両人
青き宝石の少年少女に告ぐ。
また会うその日まで、ごきげんよう!
(ダーク・フォレスト 了)




