最終章 三人の約束
1
三人が坑道の前に着くと、背後から追いすがる影に気づいて振り返った。
追跡者が近づくにつれて、その異常な姿が鮮明になった。ナギン達に食いちぎられたのだろう、腰から下が消えてもなお、両腕で地面を目まぐるしくかき回すように這い進み、千切れた配線の束を引きずらせ、燃料オイルやらを滴らせても、一向に見せず、ついにニーナ達の背中に追いついたのだ。
さすがのノリスも、疲れたように溜息を吐いた。
「やはり、こいつの正体はロボットだったか」
「ロボット?」
「人間を似せて作った、機械の人形だ。このバアさんは、狂った柱時計と同じだ。止まるまで、血の果てまで我々を追いかけるつもりらしい」
先ほど人喰い達の根城で、図らずもニーナ達の脱出の機会を作った暴走ロボットは、本来の目的を思い出したのだろうか。老婆は首を廻らして、三人の顔を交互に観察した。
「赤ずきんちゃんや、待っておくれな」
黒焦げになった顔半分は、すでにオオカミをかたどったメッキがはがれ落ちていた。歯車と配線が露出し、ガラス玉に似た瞳がこちらを直視し、オオカミと老婆が共有する顔は、この上なく不気味だった。
ノリスが二人の前に立った。
「ジャミロ君、君はニーナが好きか?」
大冒険家の場違いな質問に、ジャミロは「へ?」とおかしな声を出した。ニーナも恥ずかしさで赤面した。
「どうなんだね?」
「はい」
「ニーナの方は?」
「はい」
「よろしい。実に初々しい。では、君達はトンネルに入れ」
「ノリスさんはどうするんですか?」
「私は暴走バアさんと、しばらく鬼ゴッコをしてくる」
「そんな!」
「このままでは、一人も森から出られなくなるぞ。一人が犠牲になって、二人が助かるのならば、三人そろって行き倒れになるよりは良い」
「でも――」
ニーナの言葉をノリスは制し、少年の方を向いた。
「彼女を守ってやるんだぞ、ジャミロ。私がいなければ、もう今度こそ、君しかいなくなる。だが、心配はいらない。君ならできる」
「そんなのダメだよ!」
「この森を抜けた先で会う、というのはどうだ? そうだ、今から十年後にしよう。君達もすっかり大人になっている事だろう。その時は酒を飲みながら、この冒険を語り合おうじゃないか」
ノリスは服の裾を上げた。雑多なガラクタが次々と落ちていく。以前よりもずっとスリムになった体格が残った。さっきのロープから抜けたマジックの答えはこれだったのだ。
「ブタだからデブとは限らん。人間の先入観を利用した、初歩的な手品だ。十年後の宴会には新ネタを披露するから、乞うご期待!」
壁にはめられた天井を支える止め板を、ノリスはその数本を力任せに外した。やがて、地響きと共に、天井から崩れ落ちる土砂がトンネルの入り口に雪崩のように殺到した。
「ノリスさん!」
「心配するな、今生の別れではない。ここは孤島ではない。森なら遠くても出口はあるさ。人間の人生と同じだ。いいか、若者達よ、我々は、根なし草のようなものだ。故郷を失くし、または追放され、寄り場のない漂流者だ。だが、今、我々は生きている。まだ死んではいない。臨終の時まで、一分一秒を真っ当に生きてやろうじゃないか!」
土砂の隙間から、こちらを見つめるノリスの小さな目は輝いていた。絶望の中で、なぜこれほどまでに生き生きとしていられるのか。
「私にも生きる希望がある。家族のため。そして、友に悲しい真実を伝えねばならん。オツカイが世間の知る所となれば、私は森を出たと思ってくれ」
ニーナには、彼の口元が微笑んだように見えた。
完全に遮られた壁から向こうは何も聞こえなかった。
「行こう、ニーナ。ノリスさんの言う通り、ゴールは近い。この長いトンネルを抜け切れば、すべてが終わる」
「すべてが?」
ジャミロは静かに頷き、彼女に手を差し出す。
ニーナは手を繋ぎ、少年と共に歩き出した。
2
狭いトンネルの中を、二人は淡々と進んだ。お互い、言葉を交わす事はなく。気まずいわけでもなかった。暗闇と静けさが彼らの口を重くしているのか。湿った土を踏む足音だけがリズム良く響き、二人は樹海から、《ガイコツ帽子の塔》から遠ざかりつつあった。
トンネルの出口と分かる小さな光がだんだんと近づく。ニーナの鼓動も高鳴った。同時に言い知れぬ不安もあった。森の外にある世界へ飛び出す事だけではない。ノリスがいなくなった時から芽生えた予感がくすぶっていた。
光が降り注ぐ出口の手前に来ると、ジャミロは急に立ち止まった。
「僕の役目はここで終わりだ」少年は振り向いた。その眼はどこか悲しげだった。「ここから先は、ニーナ一人で行くんだ」
どこかで聞いたようなセリフだったが、村の外に出た時に、ハンスにも言われたのを思い出した。だが、今の言葉の重みは全く違う。
「ちょっと待って。どういう事なの?」
「僕は、この先へは行けない」
予感は当たった。今日は本当に、いやなほど辛い事ばかりが的中する。ニーナは何か言おうとしたが、のどに出かかった想いが言葉になって出てこない。もどかしく思っていた矢先、足音がジャミロの背後で響いた。
「ノリスさん?」
呼びかけたジャミロは、すぐさま正体に気がついたのか、「ニーナ、外へ早く逃げて――」と叫んだ直後、暗闇の中から伸びた爪が、少年の顔を裂いた。少年のうめき声を漏らした。
ニーナがランタンを向けるよりも先に、首筋に強い圧迫を感じた。ものすごい力で壁に叩きつけられる。ランタンは地面に転がり、青い薄明りの光りが襲撃者の顔を映した。
憤怒の形相を張りつける、デルザ・ナギンがそこにいた。
「小娘が――お前のせいで、私の一族はおしまいだ。やられたままで逃がすものか。色ボケの馬鹿息子と道連れにしてやる」
怪物の口が耳まで裂けた。徐々に顔が肥大する。開かれた口がニーナの頭を覆い被さろうとした。
後ろからジャミロが飛びかかった。首を絞める力が緩み、ニーナは地面に転がった。闇の中で縺れる二人。獣の咆哮と肉を引き裂く音が交差する中、一方の断末魔が響いた。しばらくの沈黙が訪れる。
むくりと、一人の小柄な影が立ち上がった。
「ジャミロ?」
恐る恐る、ニーナがランタンを向けた。突然、彼は顔を隠した。ニーナが近づこうとすると、「来ないで!」と止めた。
彼が手に持つ物に気づき、ニーナは小さく叫んだ。ジャミロの顔に似た布だった。今までまったく気がつかなかったのだが、縦に大きく裂かれたそれは、近くで見ると肌色の布を縫い合わせて作り物だとはっきりと分かった。
「君に本当の顔を見られたくない。見たら、きっと怖がる」
「ジャミロ……」
「僕は人間じゃない。生きて、この樹海から外へは出られない」
ニーナは彼の手に触れた。自分のそれと同じ温もりを伝わる。
「あなたは私を助けてくれた。一緒に外へ行きましょう」
だが、細い手を無理やりトンネルの外へ引いた途端、彼の肌から煙を立てた。ニーナは慌てて闇の中に引っ込めた。
「僕は人喰いの子だ。これは呪いなんだよ。僕達は、昔からこの森の外へ一歩も出たら、こうやって体が焼けただれてしまう。夜も同じだ。月も太陽も、僕らを焼き殺そうとする」
「そんなのあんまりだわ。どうして?」
ジャミロは「分からない」と首を力なく振った。「小さい頃に、母さんが言っていたのは覚えてる。僕らは神様に見捨てられたって。だから、この森は、僕らにとって牢獄なんだって」
ニーナの身の内に怒りを湧き、知らずに拳を握らせた。何の罪もないジャミロを森から出そうとしない神様なんて、悪魔と変わらない。
「わたしを助けなければ、あなたは一人にはならなかったのに……」
「そんな事を言わないで。家族を裏切ったのは後悔していない。オツカイなんて恐ろしい事を続けていたら、いつか罰が下るのは分かっていた。今日がその日だっただけだ。ニーナのせいじゃない」
「どうして、わたしなんかを助けてくれたの?」
「昔、僕はここで大火傷を負った。何も知らずに外の世界に飛び出した僕の体を、太陽の光が焼きつけた。死ぬほど苦しかった。その時、誰かが僕を助けてくれたんだ。その人がトンネルの中まで戻してくれた」
ジャミロの背中にある古い傷は、その時にできたのだろう。
「彼は、醜い僕の体を手当てしてくれた。そして、故郷の村での話をしてくれた。オツカイに選ばれた事とか、偽物の両親とか……あの人はすべて気づいていた。彼には、たった一人の妹がいた。悪ガキにいじめられる度に亀の甲羅みたいになる女の子」
「その人って、まさか――」
「彼は言った。妹だけはオツカイに選ばれてほしくない。もしも、十二歳になったあの子を、この森の中で見かけたら、どうか助けてほしい。ここまで連れて来てくれ。妹の名は、ニーナ。ちょうど、君と同じぐらいの年になる」
「あなたって人は……」
ニーナは少年に歩み寄り、細い体を抱き寄せた。
「いつでも、会えるよね?」
ジャミロは少女を引き離した。彼の手がわずかに痙攣している。
「僕は所詮、人喰いの子だ。母さんを殺めた時に思い知った。この体の中にも、家族と同じ呪われた血が流れている。心が訴えるんだ。カエルや虫よりも、人間を喰え。お前は人喰いのナギンだ。運命に逆らうな……。もうじき、君の事は忘れてしまう。躊躇する事なく、君の喉笛に喰らいついてしまうだろう」
「それでも、わたしは――」
ニーナの言葉を制し、少年は闇の奥へと踵を返した。
「君が行くべきはトンネルの向こうだ。もう闇の中に留まる必要なんてない」
「待って。あなたはこれからどうするの?」
「村に、オツカイのために連れて来られた子供がまだ大勢いるはずだ。彼らを助けに行く。僕の身も心も、完全にナギンの側に傾いてしまう前に」
「わたしも一緒に――」」
「ダメだ!」
ひときわ甲高い一声がトンネルの中にこだました。
「そんな、イヤだよ。そんなの……」
せっかく村の外で、初めての友達ができたばかりなのに。
「アンディ達や、あの人が待っている。もしも、ノリスさんもいたら、僕は死んだと伝えてくれ。嫌な役ばかり押し付けて、本当にごめんなさい」
ニーナは再び歩み寄り、ジャミロが止める暇も与えず、手や顔の傷の手当てを始めた。
「僕にそんな事をしても意味ないよ」
「わたしにはある。こんな事しかできないのがくやしいけど」
器用に包帯を巻き終えると、少女は自分のランタンを拾い上げて、ジャミロに手渡した。青い光が煌々と二人を照らす。
「絶対に無茶をしないで」
「ありがとう。人間の心が残っているうちに、君に会えてよかった」
母親の遺体を軽々と背負うと、ジャミロはトンネルの闇へと溶け込んだ。
「さようなら、ニーナ」
少年の声が耳元を流れ、規則的な足音も小さくなり、やがて、水滴の音だけが戻った。
「さようなら、ジャミロ。あなたの優しい心を、わたしは忘れない」
少女は、陽光があふれる出口へ踏み出した。




