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ソラと異国と綺麗な魔法  作者: みんみん
第三章 ソラと自然の綺麗な魔流
90/130

10.苦難を越えて

「そう、一段一段、確実に足を掛けて。(すべ)らないように、足の裏の中央部分でしっかり梯子(はしご)の段を捕らえて」


 フリオーゾが細かくマドリガーレに指示を出す。岩場の勾配(こうばい)がきつく足場が少ない場所では、鎖ではなく金属製の梯子が掛けられている。五分ごとの物質軽量化魔術の掛け直しも梯子に手足を掛けたまま行い、休憩らしい休憩ではない。途中、一度だけイントラーダが突然歌いだしたので、そこで二分から三分ほど止まったが、それ以外は、ほんの少しだけ立ち止まっては登り、登っては立ち止まる、を繰り返し続けた。延々と続く梯子をいくつ登ったのか、もう数も数えられなくなった頃、それは唐突(とうとつ)に終わりを告げた。


 広い。

 圧倒的な広がり。


 梯子を登り切った場所は少しだけ開けていて、その先に広がる風景は。

 左右、遠くに見える、もう少し高い山。そこまで続くのは長い、長い稜線(りょうせん)。そう、ここは稜線の途中だったのだ。

 そしてその稜線の脇は両方ともに急な斜面、と言うか、崖。崖の先は深い谷。


 雲ひとつない紺碧(こんぺき)の空。

 遠くに見える山の中腹に白い(もや)が見えるだけ。

 崖の下には生命の象徴である鮮やかな緑。

 雄大な自然の美しい色合い。


 どこまでも広がる空間。

 足元にしか地面が無い感覚。

 自分の立っている場所は、なんて不安定なのだろう。


 目が回りそうになりながらも、座り込んでいるマドリガーレになんとか近付く。


「マーレ……」


「……ソラ……」


 息が全然整っていないマドリガーレの瞳が、少しだけ潤んでいる。


「凄い景色だね……私、こんなの初めて見た……」


「うん、俺も……」


 ふたりでもう一度、周囲をぐるっと見渡してみる。

 何度見ても圧巻。

 壮大な風景に言葉が出ない。


「自分の足で登ってきて良かった……魔術で簡単に運んでもらっちゃったら……きっと、ここまで感動しなかったと思う……」


 俺は、うん、うん、と何度もうなずきながら答えた。


「そうだよな。すごいよ、マーレ。よくここまで頑張ったな。驚いた」


「うん……私も、自分でここまで頑張れるとは思わなかった……何度も何度も、もうやめたい、もう泣きたいって思ってた……でも、そう思って振り返ると……下にいるソラと目が合って……ソラが『頑張れ』『応援してる』って言ってくれてるような気がして……それで、くじけそうになった心を叱咤(しった)することができたの……ソラ、あなたのおかげよ……私がここまで来られたの、あなたのおかげ……」


 マドリガーレは時折……いや、何度も繰り返し、俺の方を振り返っていた。俺は笑顔でうなずくことしかできなかった。だって、俺だって大声で励ますだけの力が足りなかったんだ。自分が登り続けるのだけで精いっぱいで、マドリガーレに声をかけてやることができなかった。

 でも、それだけじゃなく。


「いいや、そうじゃない。俺だってマーレに力をもらってたんだ。マーレが時々振り向いてくれるから、一生懸命頑張ってる姿に励まされた。『マーレがあそこまで登ってる、俺はまだここだ、マーレが登れてるんだから、俺だって登れるはずだ、マーレが頑張ってるんだから、俺も頑張んなきゃ恥ずかしい、マーレに恥ずかしくない俺でないと、マーレの横には立てないぞ』って、ずっと考えながら登ってたんだ。だから、俺がここまで来れたのはマーレのおかげだよ」


 へへへ、と笑うと、マドリガーレが俺の胸に飛び込んできた。

 後ろに倒れ込まないように、慌てて片手を地面について体を支える。

 それからゆっくりその手を離して、ズボンでちょっとだけ汚れを(はら)った後、そっとマドリガーレの背中に手を回した。


 しばらくそうした後、マドリガーレは静かに俺から離れる。

 泣いているのかと思ったけれど、予想に反して彼女の瞳は先ほどの潤みさえ姿を消していた。


「泣いてるかと思った」


「泣かない」


「そっか」


「うん。だって、まだここは途中だもの。宿泊所に着くまでは、泣かないって決めたから」


 そう言って、強い光を(たた)える瞳でマドリガーレは笑った。

 強い女性だ。

 なんて強い人なんだ。

 俺も負けないように頑張らなくちゃ。


「おふたりさん、そろそろ出発したいってフリオーゾさんが言ってるよ。水分取ったら行こう」


 パストラーレの言葉に慌ててコップを取り出して、俺達は水を飲んだ。

 魔術で出すのだから味は変わらないはずなのに、いつもよりも物凄く美味しく感じた。




** ** **




「そうそう、上手よ」


 イントラーダが下りの足運びを教えてくれた。


 膝は常に少し曲げた状態で、足を踏み出す時もできるだけ真っ直ぐにしないように気を付ける。

 歩幅は小さく、急がず慎重に。

 (かかと)から勢いよく着地したりせず、足の裏全体で静かに踏みしめるように。

 浮き石は踏まないようにする。


 そう教わって、現在稜線を下っている。

 先ほどの休憩地点から少し稜線沿いに下り道があり、しばらくするとまた登りとなって、今日の宿泊地である建物が遠くに見える山へと続くのだ。けれどもすぐそこに見えた登りもまだまだ着かず、未だ下りの道は続く。


 この稜線は幅が三メートルほどあるので、中央を歩けば片側に存在する崖から落ちる心配もなく進める。しかしカーブを描いた道なので、少し先では切り立った崖下が見えるのだ。マドリガーレがそれを見て唇を噛みしめ、青い顔をして歩いている。しかも足元はごつごつした歩きづらい道。たとえるなら、崩れ割れた大きめのレンガがたくさん埋まった道、という感じか。足を置くたびに体がふらふらするマドリガーレに、全員が心配の視線を向けている。それでなくても、何もない道でこけることができる才能の持ち主だ。本人もそれをよく分かっているので、もしもこけて崖下に転落したら……と想像してしまっているのであろう。


「手は後ろで組んだ方が本当は歩きやすいし疲れないのだけれど、マドリガーレさんは少し腕を広げて、ふわふわと腕を動かしながら歩いた方が、上半身のバランスが取りやすいかも知れないわね」


「左側が緩やかな斜面に見えるからと言って、崖のある右側を避けて左に寄り過ぎないよう気をつけてね。右に比べたら左側の方が安全に見えるけど、落ちたら危ないのは斜面の方も変わらないから」


 そんなアドバイスを受けながら二十分以上下ると、ようやく稜線は登りに転じた。そしてそのまま進み続けていると、とうとう右側の崖が終わって次の山へと足を踏み入れた。

 今度は少しだけ腰丈くらいの低い木が生えている。


 その頃からなんとなく周囲が(もや)に包まれてきた。フリオーゾの前にいるマドリガーレの姿は、白く薄い影のような感じでなんとなく見えているのだが、その前にいるはずのイントラーダは既に俺からは見えない。それほどの白い空気の流れの中を、俺達は黙って進んだ。


 長い間、砂礫(されき)の道が続く。道の脇には岩があり、その岩と岩の間に時折草花が見えた。高山植物という奴かも知れないが、どうにもこの白い靄の中。なんとなく空全体が薄暗い感じがして、花を綺麗だと見つめることすら、する気にならない。草花が生えているということは、地面は土なのだろうか……でも歩く場所は、ずっと景色が変わらない。


 いったい、いつまで。

 まだ着かないのか。

 マドリガーレは大丈夫か。


 白く揺れる空気の中、彼女の背中が一歩一歩、歩みを進めているのがぼんやりと見えた。

 負けられない。

 彼女にみっともない姿なんか見せたくない。

 ――でも。


「着いたわ!」


 突然、イントラーダの声が聞こえた。

 マドリガーレの歩みが急に早くなる……と言っても、かたつむりの歩みから亀の歩み程度に変わったくらいかも知れないが。


 そしてとうとう俺も最後の一歩を登りきり、広い場所の奥に宿泊所を見つけた時には、ホッとして顔が歪んでしまいそうだった。いや、実際に歪んでいたのかも知れない。もう、泣く一歩手前だった。


 ところが。


「ソラ、見て!」


 唐突にマドリガーレから腕を引っ張られ、後ろを振り向かされると、そこには。


「雲海……!」


 見渡す限り、一面の雲海であった。

 たった今、歩いて来た道を見ると、もう、すぐそこが雲でもこもこしているのだ。

 あの白く流れる靄は、全部雲だったのか。

 俺達は雲の中を通って登ってきたのか。


 夕方になりつつある黄色とオレンジ色の空。

 どこまでも続く雲海。

 雲の波頭(なみがしら)が透けて黄色く光っている。

 一面に広がるその景色を、俺達は言葉もなくずっと魅入っていた。

もう駄目だ、もう無理だ、と思いながらも、もう少しだけ、ほら、あそこまで、もうちょっとだけ……と頑張って頑張り続けて登って、目的地に着いた時の安心感と達成感。

そして雲が眼下に広がった時の感動は、忘れられるものではありません……。

ソラとマーレに、この景色を見せてあげられて良かったです。

読んでくださっている皆さんに、少しでも伝えられていたら嬉しいです。


次回更新日は9月19日(水)です。

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