格闘家 長谷川遼河
現代日本において最も熱い場所、それはリングの中。数多の観客から視線を集め、他のスポーツとは違い圧倒的な短期決戦。油断すれば負ける、全神経を注ぐたった十数分の殴り合い、目を奪われないわけがない。
そして今、そのリングで新星と言われる若い男が一人。
「長谷川いけー!」「今日も見せてくれー!」「遼河〜! こっち見て〜!」
黄色い声援も熱い声援も一身に受けるのは長谷川遼河。
二十四歳、総合格闘技界で最も注目される若手ファイターの一人だった。身長一七五センチ、体重七十キロの引き締まった体躯に、鋭い眼光を宿した瞳。彼の名前は格闘技ファンなら誰もが知っていた。
幼い頃から柔道にボクシング、空手と数多の格闘技に触れ、やがてあらゆる技術がぶつかり合う総合格闘技――MMAに行き着いた。高校時代からその才能を開花させ、アマチュアの大会では負け知らず。十八歳でプロデビューを果たすと、わずか二年で国内タイトルを獲得した。その後もあらゆる格闘技術を貪欲に習得しながら、敵を討ち取ってきた。
「遼河の強さは技術だけじゃない。あいつの心の強さが本物なんだ」
トレーナーはよくそう語っていた。実際、遼河は二十回の試合で十八勝二敗という圧倒的な戦績を誇り、そのうち十二試合を一本勝ちで決めていた。
「遼河! 今日も調子いいじゃないか」
トレーニングジムで汗を流す遼河に、トレーナーが声をかけた。サンドバッグを打つ音が響く中、遼河は振り返って笑顔を見せた。
「来月の試合、絶対に勝ちますよ。チャンピオンベルトが見えてきました」
遼河の拳は確実に、そして美しくサンドバッグを捉えていた。
ジムの壁には遼河の写真が何枚も飾られていた。デビュー戦から最新の試合まで、どの写真でも彼は勝利のポーズを取っている。格闘技雑誌の表紙を飾ることも多く、「次世代のスーパースター」「黄金の左腕」といった見出しで特集を組まれていた。
「俺の目標は世界チャンピオンになることです。でも、それだけじゃない。格闘技の素晴らしさを多くの人に伝えたいんです」
テレビのインタビューで、遼河はいつもそう語っていた。
幼少期から格闘技を始め、わずか十数年でプロの頂点を目指すまでになった彼の才能は、まさに天性のものだった。しかし、それ以上に彼を支えていたのは、どんな逆境にも負けない精神力。
ファンもトレーナーも、みんなこの夢物語に食いついていた。
しかし、ある日から遼河の体調に変化が現れ始めた。
練習中に突然息切れがひどくなり、いつものパフォーマンスを維持できなくなった。最初は単なる疲労だと思っていた。しかし、日が経つにつれて症状は悪化していった。
「先生、これは一体……」
病院での検査結果を聞く遼河の顔は青ざめていた。医師は重い表情で告げた。
「長谷川さん、申し上げにくいのですが、悪性の白血病です。すぐに治療を始める必要があります」
遼河の世界が一瞬で変わった。リングで戦う日々から、病院のベッドでの闘いへ。抗がん剤治療が始まった。髪は抜け落ち、体重は激減した。それでも遼河は諦めなかった。
「まだ戦える。まだ……」
病室のベッドで、彼は拳を握りしめた。しかし、その拳にもう以前の力強さは無く……。
トレーナーや仲間たちも頻繁に見舞いに来た。遼河は彼らに本音を漏らした。
「俺の分まで、リングで戦ってくれ。格闘技への愛を忘れないでくれ。そして、あとは頼む」
治療開始から八ヶ月後、遼河の体力は限界に近づいていた。
「俺、夢を見るんだ。リングに立って、色んな奴が俺を応援してくれる夢。すげぇよなぁ、性格も何もかも違う奴らが、俺の為に声張り上げて、幕掲げて、タオルを振るんだから。俺は目立ちたがりだから……それが嬉しくてよぉ」
遼河は天井を見つめながら話した。
「それは……遼河の心が……まだリングにあるからだろぉが……」
トレーナーの声は震えていた。喉の奥が詰まって、言葉がうまく出てこない。
「お前は……お前は格闘家の鏡だぜ? 本当によ……格闘界の神なんて……なんて……」
声がかすれて、必死に言葉を紡ごうとするが、涙が込み上げてきて続かない。
「クソくらえだよな〜……ほんとによ……」
最後は震え声でようやく絞り出した。
最後の夜、遼河はトレーナーの目を見ながら言った。
「俺、幸せだったよ。格闘技と出会えて良かった。短かったけど、いい人生だった」
「遼河……」
トレーナーの目から涙がこぼれ落ちる。
「馬鹿野郎……俺も……俺もお前に……どんだけ夢見せてもらったと思って……やがる……」
息が詰まって、言葉が途切れ途切れになる。
「きっと……きっとお前は来世があっても……格闘技やってるぜ……お前は……お前は馬鹿だから……」
声が震えて、最後は泣き声に近くなった。
「ひっでぇ……そうか、来世か……それは期待したいな。また、心ゆくまで、たたかいてぇ……な」
遼河は安らかな表情で目を閉じた。
翌朝、長谷川遼河は静かに息を引き取った。二十五歳の誕生日を迎える三日前のことだった。
◇
遼河の意識が薄れ、全てが暗闇に包まれた時、遠くから微かな光が差し込んできた。暖かく、優しく、まるで母親の胎内にいるような安らぎに満ちていた。
そして――
「生まれたぞ! 奇跡だ!」「本当ですか!?」「あぁ、だが泣かんな」
「な、泣かないとまずいんですか?」
「いや、そもそもあの病を持って生まれてきたこと自体が奇跡じゃ、この程度焦るまでもないわ。と言うか父親ならガツンと構えんしゃい!」
「そうは言ってもですね!」
普通ならば赤子の声が響くはずが、何故か産婆と父親の口喧嘩が響く異常な光景が広がる。だが赤子を抱える母親だけは、ただ優しく赤子を抱きしめた。障子から差し込む柔らかな夕日が、畳敷きの部屋を温かく照らす。
「楽、それがあなたの名前。強く生まれてくれてありがとう」
日野 楽――その名前が、新たに生まれた赤ん坊に与えられた。
(は?)
さぁ、ここまで静観していた赤子、遼河もとい楽は困惑していた。
(ここはどこだよ!? ってか赤子? 俺が? 二十四を赤子とか冗談すぎるぞ)
ドッキリとも一瞬疑ったがそんなことはあるわけない、そもそも俺は間違いなく死んだんだ。じゃあここは? 身体も上手く動かせなければ口を開くことも出来ない。
信じられないことが起きてる。身体は小さく、目の前には女性が二人に男性、風景は昔の日本の畳部屋みたいな……
(来世……来世かぁ)
これって転生って奴?




