第四章 第五十六話 二つの翼、同じ空
山腹の岩陰を進む五人の頭上で、翼が風を切る音が途切れずにいた。灰をかぶった斜面は夕方の光を失いかけていたが、地面の割れ目には赤い熱が残り、吹き上がる空気が遠い景色を揺らしている。女は細長い箱を胸に抱え、先頭の男が選ぶ足場を慎重に踏んだ。箱の中の焼き物の筒は金具で封じられたままで、持ち去った黒い小石も外からは見えない。右膝を痛めた男は足取りが遅く、仲間の二人が交代で肩を貸していた。
「次の岩場を越えれば、下の道が見えるはずだ」
先頭の男が告げたが、女はすぐにうなずかなかった。先ほどから遠くで石の崩れる音が続いている。足元の岩は固まっていても、下に空洞があれば重みに耐えられるとは限らない。地図には道筋が描かれていても、火の噴く場所や崩れた足場まで記されているわけではなかった。
そのとき、上空を旋回していたグリフィンが急に翼を傾けた。焦げた先端を風にさらしながら、五人の進行方向へ回り込もうとしていた巨体が、火口のほうを向いたのである。雲の底に細い金色の筋が生まれ、灰の幕を内側から照らし始めた。女が顔を上げると、白く輝く光が一度雲に隠れ、次の瞬間には大きな翼の形となって現れた。それは、白金色の炎をまとった不死鳥だった。
輝く翼が山の上を渡り、長い尾のような光が薄暗い空に残った。翼の周囲では灰が光を受けて瞬き、すぐに風へ散っていく。アレンたちが火山で見届けた再生から、まだ長い時は経っていない。不死鳥は火口の上空から山腹へ飛び下り、一度高度を落としたあと、熱い上昇気流を捉えるように翼を大きく広げた。その飛行を見上げても、五人には不死鳥が何を目指して現れたのか分からなかった。
「今度は何だ……」
膝を傷めた男が声を漏らした。グリフィンだけでも逃げ道を探すのが難しいところへ、別の巨大な翼が現れたのだ。女は箱を握り直したが、不死鳥が自分たちを見ているかどうかは分からなかった。光る鳥は五人の真上を通り過ぎ、斜面に生じた赤い裂け目の上で旋回を始めた。
グリフィンは近づいてくる不死鳥を見据え、翼を打って高度を合わせた。二つの影は離れたまま並び、互いの飛ぶ道を塞がない距離を保っている。片方は灰色の空に重い輪郭を刻み、もう片方は金色の光で雲を染めた。炎と風が交わる場所でも、どちらかがもう一方に従っているようには見えなかった。
「山の奥で何が起きている」
グリフィンの低い声に、不死鳥は翼を緩めず答えた。火口から離れても、その白金色の羽根には炎の揺らぎが残っていたが、目は山の深い裂け目へ向けられていた。
「深いところで、火の流れが乱れている。けれど、誰が何をしたのかは見ていない」
「下の道を進む五人が、箱を運んでいる。中身を尋ねても明かさぬ」
不死鳥は斜面へ目を向けた。五人は岩陰から出たところで身を寄せ合っていたが、箱は女の腕の中に隠れている。その中のものが火の乱れと関係するのかどうか、ここから確かめることはできない。
「では、確かめる必要がある。ただし、山の傷を広げてはならない」
不死鳥がそう言った瞬間、南側の岩壁から赤い光が噴き出した。熱せられた石がはじけ、細かな破片が風に乗って舞う。グリフィンは高度を変えて避けたが、先ほど焦がした翼の端に新たな熱風が当たり、体勢を大きく崩した。不死鳥は近くの上昇気流に乗り、灰の濃い流れを避けるように弧を描いた。二つの翼の間に一瞬、灰の薄い空間が開ける。グリフィンはその隙に姿勢を立て直し、崩れかけた岩棚から距離を取った。
「助かった」
「まだ終わっていない。下にも人がいる」
不死鳥の視線の先では、五人が落石を避けて走ろうとしていた。負傷した男だけが遅れ、支えていた仲間の一人が足を止めた。女も振り返り、箱を抱えたまま道の端へ寄った。グリフィンが近づこうとすると、男たちは岩壁へ身を寄せ、落ちてくる小石を腕でかばった。人を傷つけずに箱を確かめるには、あまりに足場が悪い。
「そこに留まれ。岩が動いている!」
グリフィンの警告に、先頭の男はかえって身を縮めた。彼には命じられているようにしか聞こえなかったのだろう。女は先頭の男の腕を引いて斜面の内側へ戻し、負傷した仲間を低い岩の陰へ座らせた。そのあいだにも、足元を走る赤い筋が一本増えていった。
不死鳥は上空から谷の筋を見渡し、翼を大きく開いた。岩の割れ目を塞ぐのではなく、そこから吹き上がる火と灰がどちらへ流れるかを確かめるように、ゆっくりと弧を描いた。熱せられた空気が斜面の一角へ集まると、そこに近づいていたグリフィンが横へ退いた。二つの神獣は声を交わさずとも同じ危険を見ていたが、起きていることの原因まで理解したわけではなかった。
女はその動きを見上げ、岩の陰からのぞく下り道へ目を向けた。先へ進めるかもしれない。しかし道の途中には、火の色に染まった細い溝が横切っている。負傷した男を背負えば一人分の足を使えず、箱を持つ女にも誰かを支える余裕はない。五人は進むことも戻ることもできず、落石が収まるのを待つしかなかった。
◇
村の外では、鈴葉が戻ってからも商隊の出発準備が続いていた。バルドは六台の荷車に掛ける覆いを確かめ、御者には馬の水と飼葉を灰から守るよう伝えた。ガレスは槍を持って街道側に立ち、ニアは村の入口と東の空を交互に見張っていた。ローデンとミックも後方を離れず、アレンは中央の荷車のそばでテオの様子を確かめていた。
「アレン、山の空を見て」
鈴葉に呼ばれて顔を上げると、雲の切れ目に二つの翼が浮かんでいた。一方は灰色の大きな影で、もう一方は白金の光を帯びている。アレンは息をのみ、まぶしいほうの姿を見つめた。火山で炎の中から再び姿を現した不死鳥。その翼の形には見覚えがあった。
「不死鳥もいる……グリフィンと、同じ空に」
鈴葉はうなずいたが、二つの神獣がなぜ近くを飛んでいるのかは分からなかった。以前出会ったことのある存在でも、離れた場所で何を考えているかまでは見通せない。グリフィンが傷を負ったのか、不死鳥が助けに来たのかも、雲の向こうの動きだけでは判断できなかった。
「二人とも、あの火の近くを飛んでいるのね」
「何かが起きているのは確かだ。でも、山で何があったのかまでは分からない」
アレンの腰の小袋には、別々の布に包んだ二枚の不死鳥の羽根が収められていた。しかし、その羽根から遠くの神獣の様子を確かめられるわけではない。鈴葉も山へ向かおうとは言わず、今見えたことをガレスへ報告した。バルドの許可した偵察は終わっており、商隊を守る役目は変わらなかった。
テオが荷車の陰から空をのぞき、白い光を指さした。恐怖のためなのか、驚きのためなのか、少し口を開いたまま声を出せずにいた。鈴葉は少年の隣にしゃがみ、見える範囲のことだけを伝えた。
「あれは、遠くを飛んでいる神獣よ。今は御者さんのそばにいてね」
少年は小さくうなずき、足元へ視線を落とした。アレンは鈴葉が少年の気持ちを決めつけず、確かめられることだけを伝えたのを聞き、静かに目を合わせた。山の異変を知りたい気持ちは二人とも同じだったが、ここを離れれば、今そばにいる人たちを守る手が一つ減る。その事実は変わらなかった。
◇
山腹では、赤い裂け目の周囲で細かな落石が続いていた。グリフィンは岩棚へ降りるのを見合わせ、五人が見える高さを保っていた。箱の中身は依然として分からない。不死鳥も火の流れを確かめながら飛び、斜面の別の場所へ火が広がらないかを見張っていた。二つの翼は同じ雲の下で弧を描き、ときおり近づき、また離れた。守ろうとしているものも、確かめたいことも違う。それでも、崩れかけた山の上で、どちらもまだ目をそらしてはいなかった。
五人の足元で、それまで細かった赤い溝がゆっくり広がり始めた。女の抱える箱は固く閉じられたままで、負傷した男は仲間の肩につかまって立ち上がった。熱風が岩の上を渡り、上空の二つの翼を同時に揺らした。
読んでくださり、ありがとうございます!
楽しんでいただけましたら、ブックマークと評価をいただけると嬉しいです。




