疑念の共鳴
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澪がスマートフォンを手に取ったのは、会社の昼休みのことだった。
画面には、先日遥斗からもらった名刺の番号が表示されている。あの日から一週間、何度も連絡しようとしては躊躇っていた。けれど今日、ようやく決心がついた。
『蒼真のことで、お話を聞かせていただけませんか』
短いメッセージを送ると、すぐに返信が来た。
『土曜日の午後、お時間いただけますか。都心のカフェでお待ちしています』
心臓が跳ねた。遥斗も、話したいことがあるのかもしれない。
指先が微かに震えながら、承諾の返信を打つ。土曜日の午後二時、都心のカフェで待ち合わせ。
約束の時間より十分早く着いた澪は、窓際の席で遥斗を待った。春の柔らかな陽光が斜めに差し込むカフェは、程よく賑わっている。周囲のざわめきが、かえって二人の会話を守ってくれるだろう。
やがて、ドアベルの音とともに遥斗が現れた。濃紺のジャケットに白いシャツ。弁護士らしい隙のない佇まいだが、その目元には蒼真と同じ柔らかさが宿っている。
澪は立ち上がりかけ、遥斗に制される。
「すまない、待たせたか」
「いえ、私が早く来すぎただけです」
遥斗は向かいの席に腰を下ろし、メニューを手に取った。
「……コーヒーでいいか」
「はい、同じもので」
沈黙が流れる。何から話せばいいのか分からない。蒼真という名前を出すことへの躊躇いが、二人の間に薄い膜を張っている。
「真凛との婚約の件、この前は急に話してしまってすまなかった」
遥斗が先に口を開いた。澪は首を振る。
「いえ、驚きましたけど……改めて、おめでとうございます」
「ありがとう」
その声には、幸せな婚約者の響きがない。遥斗の表情はどこか虚ろで、窓の外に視線を泳がせている。澪はその横顔を見つめながら、言葉にできない違和感を覚えた。
「……遥斗さんは今、お仕事は」
「去年、独立した。小さいけど、自分の事務所を構えている」
「そうですか……すごいですね」
「いや、単に一人が気楽なだけだ」
自嘲気味な笑みを浮かべる遥斗。その笑顔も、蒼真に似ている。けれど蒼真の笑顔が太陽のような温かさを持っていたのに対し、遥斗のそれは月光のように冷たく、どこか寂しげだった。
コーヒーが運ばれてきた。遥斗は一口飲んでからカップを置き、真っ直ぐに澪を見つめた。その瞳に宿る鋭さに、澪は息を呑む。
「本題に入っていいか」
「はい」
「蒼真の死について、今も調べている」
澪の心臓が跳ねた。
「調べて……?」
「事故だって結論づけられたけど、俺は納得していない」
遥斗の声は低く、抑制されている。けれどその奥には、三年間燃え続けてきた炎のような何かが感じられた。
「蒼真は泳ぎが得意だった。子供の頃から水泳を習っていて、高校では水泳部のエースだった。あの穏やかな湖で溺れるなんて、考えられない」
澪は言葉を失う。ずっと、ずっと自分だけが抱えていた疑問。誰にも言えなかった違和感。それを今、蒼真の兄が同じように口にしている。
「私も……」
声が震える。
「私も、ずっとおかしいと思っていました」
遥斗の目が微かに見開かれる。
「そうか」
「でも、警察が事故だって言うし、誰に話しても『受け入れなさい』って。だから、自分の感覚がおかしいのかと……」
「違う。君の感覚は正しい」
遥斗は断言した。その言葉に、澪の胸が震えた。
「俺も最初は自分を疑った。弟を失った悲しみで、現実を受け入れられないだけじゃないかと。でも三年経っても、この違和感は消えない」
窓の外では、街路樹の若葉が風に揺れている。澪はその光景をぼんやりと眺めながら、胸の奥で何かが軋む音を聞いた。封印していた蓋が、少しずつ開こうとしている。
「遥斗さんも……ずっと、一人で」
遥斗は頷かず、ただ真剣な表情で続ける。
「あの夜、蒼真が誰と会う予定だったか、知ってる?」
澪は俯いた。この話をするのは辛い。けれど、避けては通れない。
「……私と会う約束でした」
「……そうか」
「でも私が熱を出してキャンセルして……」
あの日のことは、今でも鮮明に覚えている。前日から体調を崩し、三十九度の熱が出た。蒼真に連絡すると、彼は『無理するな、また今度にしよう』と優しく言ってくれた。それが最後の会話になるとは、夢にも思わなかった。
「君は自分を責めているのか」
遥斗の声に、澪は顔を上げた。
「あの日、私が行っていれば……蒼真は一人で湖になんか——」
「それは違う。君のせいじゃない」
遥斗の声には、有無を言わせない強さがあった。澪は言葉を呑み込む。
「俺が気になっているのは、その後のことだ」
「その後……?」
「蒼真は一人で湖に行った。本当に一人だったのか?」
澪の血の気が引く。
「え……」
「蒼真のスマホの通話履歴を調べた。君への連絡の後、もう一件——発信者不明の着信があった」
「発信者不明……?」
「非通知だ。着信時間は午後八時過ぎ。通話時間は約三分。その後、蒼真は湖に向かっている」
「誰が……」
「分からない。警察にも確認したが、事故と断定された後は深く追及されなかったらしい」
遥斗の声には苦々しさが滲む。弁護士として、証拠の重要性は誰よりも分かっているはずだ。それが見過ごされたことへの怒りが、彼を突き動かしているのだろう。
「そんな……三分も話していたなら、知り合いですよね」
「ああ。見知らぬ相手と三分も話すとは思えない」
澪は震える手でコーヒーカップを握りしめた。三年前のあの夜、蒼真は誰かと話していた。そして、その後湖に向かった。
「本当に……一人だったんでしょうか」
「それを、調べたいと思っている」
二人の視線が交わる。そこには、同じ疑問を、同じ痛みを抱えてきた者同士の共鳴があった。
「……私も、知りたいです。蒼真に何があったのか」
気がつけば、そう口にしていた。遥斗の目が微かに揺れる。
「ずっと、誰にも言えなかったんです。おかしいと思っても、受け入れられないだけだって……自分で自分を納得させようとしてました」
「俺もだ」
遥斗は静かだが、その奥には揺るぎない決意が宿っている。
「三年間、一人で調べ続けてきた。でも限界がある。弁護士でも、警察じゃなければ踏み込めない領域がある」
「……」
「だが諦める気はない。蒼真は俺の弟だ」
「私にも……何かできることはありますか」
「無理はするな。危険なことには巻き込みたくない」
「でも、私も——」
「分かってる。君も蒼真を大切に思っていた」
澪は頷いた。「……はい」
カフェを出ると、春風が頬を撫でた。陽は少し傾き、街は夕暮れの気配を帯び始めている。
「送ろうか」
「いえ、大丈夫です。駅まで歩きます」
「そうか」
遥斗は澪を見つめ、静かに言った。
「前に渡した名刺の番号に、いつでも連絡してくれ。何か思い出したことがあれば」
「……はい」
「俺も調べ続ける」
「……ありがとうございます」
「三年経っても諦められないんだ。蒼真のことは」
「……私も、です」
遥斗は澪を見つめ、小さく頷いた。
「……ありがとう」
「え?」
「同じように感じている人がいて……少し、救われた」
「……私も、です」
遥斗はそう言い残し、反対方向へ歩き出した。その背中を見送りながら、澪は胸の奥で何かが動き出すのを感じていた。
三年間、止まったままだと思っていた。けれど本当は、動き出すきっかけを待っていただけなのかもしれない。
帰宅すると、リビングから温かい光が漏れていた。玄関を開けると、透子が顔を出す。
「遅かったわね。夕飯、温め直す?」
「うん、お願い」
リビングのソファに腰を下ろすと、透子が温かいお茶を差し出してくれた。
「今日、どこに行っていたの?」
「……遥斗さんに会ってきた」
透子の手が、一瞬止まる。
「遥斗さん……蒼真くんのお兄さんね」
「うん」
「あの子……真凛ちゃんと婚約したのね」
透子の声には、複雑な響きがあった。顔に浮かぶ表情も、祝福とは程遠い。澪はその反応に引っかかりを覚える。
「……知ってたの?」
「先日、たまたま聞いてね」
透子は窓の外に視線を移した。沈黙が流れる。
「お母さん、真凛のこと何か気になることある?」
「……どうしてそんなこと聞くの」
「なんとなく……お母さんの顔見てたら、気になって」
透子は少し躊躇した。お茶を一口飲み、カップを両手で包み込むようにして、ゆっくりと口を開く。
「……そうね」
澪は息を呑んだ。
「あの子の目は、昔から笑っていないような気がするの」
「笑っていない……?」
「うまく言えないんだけど。いつも完璧な笑顔でしょう、真凛ちゃんは。でも、目だけが違うの。特に、あなたを見る時」
透子は夜の帳が降り始めた空に、細い月が浮かんでいるのを見つめながら続けた。
「前にも言ったことがあったと思うけど、澪、あなた覚えてる?」
「……うん」
覚えている。高校生の頃、一度だけ母が同じようなことを言った。『あの子の目は笑っていない』と。けれど当時の澪は、母の言葉を聞き流してしまった。真凛は親友だ。そんなはずはない、と。
「あの時は聞いてくれなかったけどね」
「……ごめん」
「謝ることじゃないわ。親友を信じたかったんでしょう」
「……うん」
「お母さんの思い過ごしかもしれないわ」
透子は微笑んだ。けれどその笑顔の奥には、娘を案じる母親の深い眼差しがあった。
「でも、気をつけてね。人は、見かけ通りとは限らないから」
「お母さん……」
「さ、ご飯にしましょう。冷めちゃうわ」
食事を終えた後、澪はふと尋ねた。
「ねえ、お母さん」
「何?」
「真凛の目が笑ってないって……いつから思ってた?」
透子は少し考えてから答えた。
「……最初から、かしらね」
「最初から?」
「あの子が初めてうちに遊びに来た時。あなたがお菓子を取りに行っている間、私を見る目と、あなたを見る目が……違ったの」
澪は言葉を失った。
「ただの母親の勘よ。当てにしないで」
「……ありがとう、お母さん」
「何かあったの?」
「……まだ、分からない。でも——」
「うん」
「ちゃんと、自分の目で見ようと思う」
透子は娘を見つめ、静かに頷いた。
「……そう。それでいいわ」
その夜、澪は窓から細い月を見上げた。母の言葉が、遥斗の話と重なって胸の奥に沈んでいく。
真凛の笑顔。完璧で、愛らしくて、いつも澪の傍にいてくれた親友。
その仮面の下に、何が隠されているのか。
窓の外の細い月が、まるで何かを見透かすように、静かに光っていた。




