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止まった時間の中で

【お知らせ】

この作品は生成aiを用いて執筆を行なっています

あらかじめご了承の上、お楽しみください

夕暮れの電車は、オレンジ色の光に満たされていた。


白波澪は窓際の席に座り、流れゆく景色をぼんやりと眺めている。住宅街、踏切、小さな公園——どれも見慣れた風景のはずなのに、今日はどこか違って見えた。


三年。


今日で蒼真が死んでから、ちょうど三年が経つ。


澪は手元のスマートフォンを見下ろした。画面には何の通知もない。当然だ。今日が何の日か、誰にも言っていないのだから。会社の同僚にも、昔からの知り合いにも。言う必要がない。言ったところで、何が変わるわけでもない。


『次は——、次は——』


アナウンスの声が車内に響く。澪は反射的に降車駅を確認し、まだ三つ先だと分かると再び窓の外に視線を戻した。


肩で切り揃えた黒髪が、窓ガラスに微かに映っている。色白の肌、大きな藍色の瞳。三年前から何も変わっていない——いや、変われていない自分の姿。


私だけがいつまでも止まったまま。


そう自覚しながらも、前に進めない。進み方が分からない。


隣の席では、女子高生が二人、スマートフォンを覗き込みながら何やら楽しそうに話している。澪は意識を向けるでもなく、彼女たちの会話が耳に入ってきた。


「ねえねえ、これ見て。月ヶ淵湖って知ってる?」


女子高生の一人が、スマートフォンの画面を友人に見せている。澪の耳が、無意識にその言葉を拾った。


月ヶ淵湖——。


心臓が、一瞬だけ跳ねた。


「何それ、心霊スポット?」


「違う違う、もっとロマンチックなやつ。都市伝説っていうか、伝説? 満月の夜にね、湖の底に鏡が現れるんだって」


「鏡? 湖の底に?」


「そう。で、その鏡を覗き込むと、会いたい人の姿が映るらしいよ」


澪は窓の外を見たまま、呼吸を止めていた。指先が微かに冷たくなっていく。


「へー、好きな人とか?」


「それもあるけど……死んだ人にも会えるんだって」


「えっ、怖い」


「でしょ? しかもね、話しかけたら連れていかれるって噂もあるんだよ」


「やだ、それ完全にホラーじゃん」


二人はきゃあきゃあと笑い合っている。澪は唇を噛んだ。


馬鹿馬鹿しい。


そう思った。思おうとした。けれど、胸の奥で何かが疼いている。


月ヶ淵湖——蒼真が死んだ場所だ。


三年前の春、あの穏やかな湖で、蒼真は溺れて死んだ。


電車が揺れる。女子高生たちの笑い声が遠のいていく。澪の頭の中では、蒼真の笑顔がちらついていた。人懐こい笑顔。少し照れくさそうに頬を掻く仕草。最後に会った日の、どこか緊張した声——。


『今度の週末、月ヶ淵湖に行かない? 話したいことがあるんだ』


あの約束を、澪は守れなかった。



玄関の扉を開けると、線香の香りがほのかに漂ってきた。


「ただいま」


澪は靴を脱ぎながら声をかける。リビングに続く廊下を進むと、仏壇の前に透子が座っているのが見えた。背筋を伸ばし、静かに手を合わせている母の後ろ姿。


透子は娘の気配に気づくと、ゆっくりと振り返った。五十代前半の穏やかな顔立ち。澪と同じ藍色の瞳が、優しく細められる。


「今日は早く帰ってきたのね」


「別に、普通だよ」


澪は素っ気なく答えながら、仏壇に目をやった。蒼真の写真はない。この家の仏壇には、早くに亡くなった父の位牌があるだけだ。それでも透子は、時折こうして手を合わせている。誰のために祈っているのか、澪は聞いたことがない。


「今日ね、お刺身が安かったの。夕飯、手巻き寿司にしましょうか」


「……うん」


澪は自分の部屋に向かおうとして、ふと足を止めた。透子の視線が、まだ自分に向けられているのを感じたからだ。


振り返ると、母は何も言わずに微笑んでいた。けれどその目は、娘の強張った表情を見逃していないようだった。


「……何?」


「ううん、何でもないわ」


透子は立ち上がり、キッチンへと向かった。澪は母の背中を見送りながら、自分の頬に触れた。どんな顔をしていたのだろう。無意識のうちに、三年前のことを考えていたのかもしれない。


部屋に入り、鞄を置く。デスクの引き出しを開けると、古びた腕時計が目に入った。蒼真の形見だ。三年前の夜——蒼真が死んだ時刻で、針は止まったまま。


澪はそっと引き出しを閉じた。



夕食の席は、いつも通り穏やかだった。手巻き寿司の具材が並び、透子は澪に酢飯をよそいながら他愛ない話をしている。仕事のこと、近所の噂、テレビで見た料理番組のこと。


澪は適当に相槌を打ちながら、海苔にご飯と刺身を乗せていた。マグロを一口食べたところで、透子がふと箸を止めた。


「そういえば、月ヶ淵湖の伝説、覚えてる?」


澪は思わず顔を上げた。母の口から、その名前が出るとは思わなかった。


「……なんで急に」


「ふふ、急に思い出しちゃって。昔ね、あなたが小さい頃にお父さんと三人であの辺りに行ったことがあるの。覚えてないかしら」


「覚えてない」


「そう。あの時、地元の人から聞いたのよ。満月の夜に湖を覗くと、会いたい人の姿が映るって」


電車の中で聞いた噂と同じだった。澪は動揺を隠すように、また海苔を手に取った。


「お母さんは信じるの? そういうの」


「さあ、どうかしらね」


透子は穏やかに微笑んでいる。その目には、何か深い光が宿っているように見えた。


「でもね、澪」


「何」


「会いたい人がいるなら、会いに行けばいいのよ」


澪は言葉に詰まった。母は何を言っているのだろう。蒼真のことを指しているのか。それとも、もっと別の何かを——。


「お母さん……」


「ごめんなさい、変なこと言って。さ、冷めないうちに食べましょう」


透子はそれ以上何も言わず、再び食事に戻った。澪は母の横顔を見つめながら、胸の奥で何かが揺れ動くのを感じていた。



夜中の二時を過ぎても、澪は眠れずにいた。


ベッドの中で何度も寝返りを打ち、目を閉じては開く。瞼の裏に浮かぶのは、蒼真の笑顔。電車の中で聞いた噂。母の意味深な言葉。


『会いたい人がいるなら、会いに行けばいいのよ』


馬鹿馬鹿しい。都市伝説なんて、ただの噂に過ぎない。死んだ人間に会えるはずがない。そんなことは分かっている。分かっているのに——。


澪はベッドから起き上がり、ベランダに出た。


夜風が頬を撫でる。見上げた空には、煌々と輝く満月があった。雲一つない夜空に浮かぶ、完璧な円。その光は冷たく、けれどどこか優しい。


「蒼真……」


名前を呼んでみる。返事はない。当然だ。蒼真はもういない。三年前のあの夜、月ヶ淵湖で命を落とした。事故だった。そう聞かされた。信じるしかなかった。


——本当に、事故だったのだろうか。


ふと、そんな考えが頭をよぎった。澪は首を振る。今さら何を考えているのだろう。


月を見上げる。満月の光が、まるで自分を呼んでいるように感じた。


「馬鹿みたい……でも」


澪は部屋に戻り、クローゼットを開けた。コートを羽織り、財布とスマートフォンをポケットに入れる。気づけば玄関で靴を履いていた。


時計を見る。終電にはまだ間に合う。


「……行ってみよう」


そう呟いた自分の声が、やけに遠く聞こえた。



終電は空いていた。


澪は硬い座席に腰を下ろし、窓の外を見つめている。街の明かりが次第にまばらになり、やがて暗闇だけが流れていく。電車が走るたびに、澪の心臓は速く鳴った。


何をしているのだろう、自分は。


真夜中に一人で、三年前に幼馴染が死んだ湖へ向かっている。都市伝説を信じて。死んだ人間に会えるかもしれないと思って。


正気の沙汰ではない。そう分かっていても、足は止まらなかった。止められなかった。


最寄り駅で降り、タクシーを拾う。運転手は不審そうな顔をしたが、行き先を告げると黙って車を走らせた。


窓の外には、田園風景が広がっている。月明かりに照らされた稲穂が、銀色に光っていた。


「お客さん、こんな時間に月ヶ淵湖って……釣りでもするの?」


「……少し、用があって」


運転手はそれ以上何も聞かなかった。


十五分ほどで、湖畔に着いた。料金を払い、タクシーを見送る。エンジン音が遠ざかると、辺りは完全な静寂に包まれた。


澪は深呼吸をして、湖の方へと歩き出した。



月ヶ淵湖は、記憶の中よりも美しかった。


満月の光が水面を銀色に染め上げ、まるで巨大な鏡のように空を映している。周囲の木々は黒々としたシルエットになり、湖を囲むように佇んでいた。虫の声さえ聞こえない。世界から切り取られたような、不思議な静けさだった。


澪は湖岸に立ち、水面を見つめた。


三年前も、こんな夜だったのだろうか。蒼真は何を思いながら、この湖を見ていたのだろう。約束を破った自分を恨んでいただろうか。それとも——。


「馬鹿みたい」


声に出して呟いてみる。自分を嘲笑うように。けれど足は動かなかった。


三年前の記憶が、波のように押し寄せてくる。


蒼真の笑顔。「話したいことがあるんだ」と言った、どこか緊張した声。約束の日、熱を出して寝込んでいた自分。「ごめん、来週にしてくれる?」と伝えた時の、電話越しの沈黙。「……分かった。大事にしろよ」という、最後の言葉。


——そして、翌朝のニュース。


『大学生が湖で溺死 事故と見られる』


澪は唇を噛んだ。あの日から、時間が止まってしまった。止まったまま、三年が過ぎた。


「蒼真……」


名前を呼びながら、澪は水面を覗き込んだ。



最初は、自分の顔しか映らなかった。


月明かりに照らされた自分の顔。青白く、疲れた表情。大きな藍色の瞳には、虚ろな光が宿っている。


「やっぱり、馬鹿みたい……」


澪は苦笑した。何を期待していたのだろう。都市伝説を信じて、真夜中に一人で湖まで来て。蒼真に会えるはずがない。死んだ人間は戻ってこない。そんなことは——。


その時だった。


月が、真上に昇った。


水面が、波打った。


風は吹いていない。それなのに、鏡のように静かだった湖面が、突然揺らぎ始めた。澪は息を呑み、身を乗り出す。


波紋が広がり、そして収まる。


水面が再び静まった時——そこには、見慣れた顔が映っていた。


柔らかな黒髪。人懐こい笑顔。少し照れくさそうに細められた目。三年前と変わらない、穏やかな光を纏った姿。


「——っ」


澪の心臓が止まった。


声が出ない。呼吸ができない。目の前の光景が信じられなかった。


水面の中で、蒼真が微笑んでいる。あの頃と同じ、優しい笑顔で。まるで生きているかのように。まるでずっとそこにいたかのように。


「蒼……真……?」


かすれた声が、ようやく唇から漏れた。


水面の蒼真が、静かに頷いた。その唇が、何かを形作る。


声は聞こえない。けれど、澪には分かった。読み取れた。


『澪』


自分の名前を、呼んでいる。


三年分の感情が、堰を切ったように溢れ出した。涙が頬を伝い、顎から滴り落ちる。視界がぼやけても、蒼真の姿だけは鮮明に見えた。


「蒼真……蒼真……!」


澪は水面に向かって手を伸ばした。触れたい。もう一度、あの温かさに触れたい。


指先が水面に触れた瞬間——。


蒼真の姿が、歪んで消えた。


「待って……!」


叫ぶ澪の声が、静寂の中に吸い込まれていく。水面には再び、自分の顔しか映っていなかった。泣き濡れた、哀れな自分の顔だけが。


けれど、確かに見た。確かに会った。


蒼真は、そこにいた。


東の空が、わずかに白み始めていた。澪は湖畔に崩れ落ち、冷たい土の上で嗚咽を漏らした。三年間、閉じ込めていた涙が、ようやく解放されたように。


——次の満月まで、あと二十九日。


澪の中で、何かが動き始めていた。

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