エルヴァイン独立村への道中記 ①
道中記って名前にしましたけど、実際はまだ始まっていません……
顔を何かにくすぐられている気がする。
そう思い目を開けてみると、アイリスのしっぽがちょうど顔に乗っかっていた。
どうりでくすぐったいわけだ、そう思いそのしっぽを優しくどかす。
首を横に傾けると、瞳をつぶったままの狼アイリスがいた。
どうやら、彼女はまだ起きていないらしい。
「ちょっと早起きがてら、外に出てみるか……」
そうつぶやき、アイリスを起こさないように体を起こす。
無機質なくせにどこか温かみのある岩石で作られた空間を後にし、俺の知る唯一の道を進む。
ちなみにここは四階層で作られているらしく、各階に三本づつ道があるのだという。
その中で俺が知っているのは、昨晩ここに来るときに使ったあの細道だけだ。
「自分で言い出したことだ、せめて足手まといにはならないようにしなければ……アイリスには無理と言われたが、マァナとスキルを練習してみるかっ」
ぐっと握りこぶしを作り、自分を鼓舞する。
何もないといわれたままで終われない。
何もなくても、何かができるまで、少なくとも自分を納得させられるまでは。
努力を怠ってはいけない、そう感じる。
そんなことを考えながら歩いているといつの間にか洞窟の入り口まで来ていた。
外に出てみると、洞窟に入る前とさほど変わらない、夜のとばりが下りている。
気持ちの良い朝日が降り注いでいるわけではなかった。
「さて、まずは何からやるか……マァナを意識することから始めてみるか」
マァナは生命力である。
アイリスから言われた言葉を思い出し、生命、というものをイメージする。
生命、つまりは命。
命とは、心臓の鼓動といことではないだろうか。
そう勝手に解釈してみる。
「この身体にも心臓ってあるのかな?」
右手を胸の中央においてみる。
そこには、とくんとくんと脈打つものがあった。
「なんだ、ちゃんとあるじゃん。なら、努力するだけだな」
意識を潜らせるようにして心臓の鼓動を感じる。
とくん、とくん、そう繰り返される鼓動。
もっと意識を深化させ、意識を、注意を、一身に傾ける。
そうすると、脈打つ中で、なにか、力強い何かが発せられるのを感じた。
「そうか、これが生命力か。ぐっ!? ぐぁ、ぐるしぃ……」
マァナを感じたと思った瞬間、心臓を何かに鷲掴みにされたような感じがする。
いままでに経験したことの無い痛みに、頭は悲鳴を上げた。
ぐらりと視界が歪み、地面へと身体が叩きつけられる。
「アデル! どうしたのじゃ!?」
遠くからアイリスの声が近づいてくる。
声も絶え絶えに、今起こったことを説明すると、彼女は幾つかのスキルを唱えた。
そうすると、ふっと身体が軽くなるような感じがして、心臓の痛みが消える。
「ばか者! そちの身体はマァナを扱えぬといったであろう!?」
「ああ、聞いてたよ。それでも、俺はアイリスの足手まといにはなりたくなかったんだ。俺がやらなきゃいけないことなのに、君を頼るどころか君がいないと何もできない、そんな俺は嫌なんだ」
「それでもじゃ! そちがこんなバカなことをするとは思わなかったから言わなかったのじゃがな、そちは、マァナを扱おうとするだけで命の危機に陥るのじゃ!」
アイリスから告げられたのは想像も絶する言葉だった。
マァナを扱えないどころか扱おうとすると死ぬ可能性がある。
どれだけ役に立たないのだろうか、この俺は。
こんな状態なら、道端にある雑草のほうが幾分か有益だろう。
「何もしなくていい! 儂がすべての面倒を見てやる! だからそちは、儂のそばにいて、一緒にいてくれるだけ、それだけでいいのじゃ……」
アイリスは目じりに大粒の涙を浮かべ、懇願するようにそう言った。
その必死な叫びに、意識を奪われる。
俺はそれに対して、彼女の方を抱くことしかできなかった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
朝の一件ののち、俺たちは洞窟に戻り出発する準備をした。
俺はアイリスがあらかじめ用意していた旅装束に着替え、アイリスは狼の姿に変化する。
「良いか、もうにどとあんなことはするでないぞ」
「わかった。アイリスを悲しませるわけにはいかないからね」
「そうじゃ。あんなことされると儂が悲しむでの、やめておくのじゃ」
笑い交じりにアイリスはそう返す。
その言葉には彼女の大事な気持ちが隠されているような気がしたが、見て見ぬふりをする。
「さぁて、じゃあエルヴァイン独立村に向かうとするか」
そう言って歩き始めて向かったのは第四階層の一つの通路であった。
先が長いのか、奥は真っ暗で何も見えない。
「ここが人族の地に一番近い魔族領につく道じゃ」
そういうと、アイリスはこちらに振り返った。
「本当に、人族のところに向かう覚悟はできているのじゃな?」
「ああ、もちろん」
「……愚問じゃったな。よし儂の背に乗れぃ、出発じゃ!」
アイリスの背に跨ると、彼女は走り始めた。
過ぎ去ってゆく風景を見ながら俺は決意を新たにする。
どうなっても、使命を果たすのだ、と。