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12漏れるため息に俺は天を仰ぐ

 漏れるため息に俺は天を仰ぐ


「もう……僕は呑めない。キモっ……苦しい」


 食べかけのどら焼きを片手に、呑み散らかされた部屋で横になる姿は滑稽だ。

 いつも紫苑の側にいる白猫も呆れた様子で欠伸をしている。

 このヨシワラでは名の知れた写真館蘿蔔(すずしろ)の前を通りかかった俺は、女主人の清白(すずしろ)婆さんに頼まれるままに紫苑を起こしに来てみればこの有様だ。

 あの後呑みに行ったのは知っているが、二日酔いになるまで呑むとか馬鹿じゃないのか?

 部屋の中は酒臭くてたまらない。

 勝手に上がらせてもらい換気をしようと窓に手を掛ける。



「萩ぃ? お水頂戴」


 だらしなく伸ばされた手を弾き


「紫苑は女なんだからさ、もうちょっとどうにかならないの?」


 汲み置きの水を渡してやると一気に飲み干す。


「僕は女じゃないよ。男でもないけどさ」


 紫苑はいつも自分のことをそう言う。確かに中性的ではあるけどさ。


「で、萩はなんで僕の部屋にいるの?」


 ああ、そうだ。俺は清白婆さんに言伝を預かって来たんだった。


「清白婆さんが今朝の仕事はどうしたって……」


 紫苑は俺が言い終わる間もなく落ちていた刀とカメラを手に窓から外へ飛び出そうと手を掛け、白猫も慌てた様子で窓辺に立つ。

 今まで二日酔いにうなされていたとは思えない俊敏な動きに関心するけど、真っ青な顔で振り向き窓から転がるように戻ってきた。


「なんで清婆(すずばあ)があそこにいるんだよ!」


 なんでと言われても、この部屋の下は写真館蘿蔔だし。

 清白婆さんを見てそんな顔面蒼白になるってなにをやらかしたのか、碌でもないことに決まっているし、紫苑の事だから仕事をさぼったんだろうけどさ。


「まずい、まずい、まずい、まずい……萩どうしよう?」


 涙目になってなにやって……可愛いなっ、じゃなくて。


「紫苑」


 清白婆さんの地に響くようなドスの利いた声が響く。

 びくりと肩を震わせる紫苑は窓から遠のこうと下がり、俺にすがりついた。

 なにをやらかしたのか知らないが、紫苑はいつも清白婆さんに怒られている。

 紫苑の日常は清白婆さんに怒られることから始まるといってもいい。


 やっぱり紫苑は今朝早くに入っていた仕事をすっぽかしたらしい。

 こんこんと怒る清白婆さんに紫苑は縮こまって大人しくしていた。

 紫苑はここの写真館で写真師をしている。

 いつからここで働いているのか知らないけど、このヨシワラでは人の過去を探索しないことが暗黙の了解だ。


 エドの都にある小さな街に過ぎないこのヨシワラは夜の花が咲き乱れる楽園でありながら地獄でもあるんだ。

 この街で遊ぶ男にとっては至上の楽園でありこのヨシワラに身を落とした者にとってはこの世の苦界だ。

 ヒノモトの国にあってエドの都の一画にある只の小さな街に過ぎないこのこのヨシワラは独自の法律のような『暗黙の了解』が多々あり、治外法権のような場所になっていた。

 この街で街の外と同じように振る舞えば苦界の闇に呑まれ日の目を見ることはなくなるとされている。

 太夫として松の位に名を連ねていただけあって闇に呑まれていく御仁を何度か目に耳にしたことはあるんだ。

 それがほんとうかどうかは知らないが、自業自得なものだったけどね。

 それにどんな聖人にだって人に話したくないことの一つや二つあるはずで、どんな切っ掛けがあってこの街に来たのか聞くなんて野暮ってものだ。


 俺だって、俺の事を知らない相手に遊女を母に持つ元稚児だって事を知られたくはないね。

 別に恥ずかしい事って訳じゃないんだ。

 母が遊女ってだけで、元稚児ってだけで、色眼鏡をかけられるから嫌なんだ。

 今の俺はこのヨシワラを守る棋士なんだよ。

 いっぱしの侍だ。

 まだまだ見習いのような扱いを受けることも多いけど、この織部色の制服は俺の誇りだ。

 

 説教を受ける紫苑を横目に茶を頂いていると、写真館の扉から中を覗く男の間延びした声に紫苑は顔を輝かせる。


「今日って、やっているんだよな?」


 あの鴇羽色の半纏は置屋『勝山』だ。


「もちろんだよ。仕事?」


 どこかうん臭そうな笑顔を浮かべ対応する紫苑に清白婆さんは深い溜息を吐く。

 その顔はまだ言いたいことがまだまだありそうだ。

 どれだけお小言があるのかと呆れるけど、お小言を言わせる紫苑が悪いのかな。

 清白婆さんも毎日毎日同じような説教を紫苑にしているけど、飽きないのか? 俺には関係ないけどね。

 いつまでも紫苑を見ているわけにいかないし、俺にだって棋士の仕事がある。

 そろそろ仕事に戻るかと腰を上げたところへ清白婆さんは


「萩、ありがとうね」 


 俺の手に金平糖の包みを握らせる。

 こんなもの俺に渡してどうするっていうんだ?

 怪訝な視線を向けて見れば


「おや? 萩坊は甘い物が好きじゃなかったか?」


 それは子共の頃の話しだ。

 今はもう立派な大人の男になった俺に金平糖はないだろう!

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