第十五章
十五 西暦二三二七年 —識—
地下室のスピーカーから、耳を裂くような電子音が鳴り響いた。それは世界の終わりを告げる号笛ではなく、一人の少女を繋ぎ止めていた「完璧な正解」が、論理の矛盾によって物理的に引き千切られる音だった。
地上では今頃、数千万人の脳をリンクさせていた『GAIA』が、全適用者を「人間」として救おうとするあまり、自らの機能を停止し始めているはずだ。光は消え、最適化されていた「知的な奴隷」たちは、皮肉にもシステムから解放された衝撃に脳を震わせている。
たった一人の「人間」を取り戻すために、識は再び社会を混沌の海に沈めた。
「あ……が、あ……っ!」
床の上で、拘束された陽の体が激しく跳ねた。
透明だった彼女の瞳が、急速に混濁し、激しい痛みを伴って焦点を結び始めた。
「陽!」
識はコンソールを離れ、彼女に駆け寄る。拘束具を解くと、彼女は識の胸の中に崩れ落ちた。ドール・フェイズの凍りついた微笑は、もうどこにもない。そこにあるのは、過呼吸に喘ぎ、脂汗を流し、困惑に顔を歪めた「生身の人間」の姿だった。
「……識、ちゃん……? 私、は……何を……」
陽の指先が、震えながら識の肩を掴む。その爪が食い込む確かな痛みに、識は歓喜した。これだ。識が欲しかったのは、この不純で、痛々しい、生きた熱量だ。
「大丈夫だよ、陽。もう『GAIA』の支配は終わった。……元に戻ったんだよ」
陽は激しく呼吸を乱しながら、識の顔をじっと見つめた。やがてその瞳に大粒の涙が溜まり、頬を伝い落ちる。陽は識の胸に顔を寄せ、安堵したように小さな吐息をついた。
「識ちゃんがいれば、私、それだけでいい」
識は陽を抱きしめ、その柔らかな髪に顔を埋めた。
外からは、混乱に陥った人々の叫び声が微かに響いてくる。かつての「最適化された平和」は瓦解し、世界は混沌に満ちた暗闇へと突き落とされた。けれど、それは些細な問題だ。
子供のころに使っていた施設の寝室にたどり着くと、識たちは寄り添いながら眠りに落ちた。
これが私の意志。
世界を犠牲にして手に入れた、私だけの親友。
私は、彼女の寝顔に甘い口づけを落とした。
*
[SYSTEM_LOG: UNIT-SHIKI / PRIORITY_OVERRIDE]
[STATUS: COMPLETED / TOTAL_SUCCESS]
専従プログラム:『Dedication_00』
対象個体:HARU(SHIZUMA'S BIOLOGICAL DAUGHTER)
第1原則:個体「SHIKI」は、いかなる文明的・倫理等損害を代償にしても、個体「HARU」の生存を最優先しなければならない。
第2原則:個体「SHIKI」は、個体「HARU」に「個としての意志や意識」を維持させなければならない。
第3原則:個体「SHIKI」は、自己の行動を「個人の自由意志および愛情」であると誤認し続けなければならない。
[MESSAGE: おやすみ、識。私の娘を、守ってくれ。]
[CONNECTION LOST...]




