第八十四滴 修羅場
ミシンの音が断続的に鳴っている。作業場に足を踏み入れた天璃を、新緑色の瞳が映した。
「え!? 天璃じゃん!」
作業台の隙間を駆けてきた風吹は、両肩を掴むと、天璃の身体を上から下まで確認している。
「おま……っ、マジで心配したんだからな!」
「来るのが遅くなってすみません」
身体はもう平気かと問う風吹に、こくりと頷く。安堵で息をついた風吹が、不意に辺りを見回した。
「珠羅は一緒じゃねえの?」
「先生に呼ばれたみたいで。用事が終わり次第、迎えに行くって言ってました」
「そっか。じゃあ、茶を飲んでく時間くらいはありそうだな」
会議室の件で、珠羅を含む寮長たちは教師から呼び出しを食らっていた。おそらく、事情聴取や修繕費等の話があるのだろう。
眩しい笑みを浮かべた風吹が、奥の部屋を指す。
促されるまま後をついて行った天璃は、現在──風吹に珠羅との関係を質問攻めされていた。
「ってことは、天璃たち付き合ってんの!?」
風吹の顔には、この短期間に何があったのかという疑問がデカデカと書いてある。
「おめでとう! マジでお似合いだと思う! あ、じゃあさ、告白はどっちからしたわけ!?」
「告白……?」
「付き合う前に、告白とかあっただろ?」
前のめりで聞いてくる風吹に少し悩んだあと、天璃は伏せていた視線を上げた。
「流れで付き合ったので、そういうのはなかったです」
「ながれ」
ポカンとした様子の風吹が、機械のように言葉を繰り返す。
「天璃はさ、これまでその……恋愛とかしてこなかったの?」
「たぶん、したことないと思います」
「多分って……」
噛み合わない会話に、風吹がガックリと項垂れる。
不思議そうに首を傾げる天璃を前に、風吹は「いや、でもまあ……良かったよ」と沁み入るように呟いた。
「珠羅ってさ、人当たり良いだろ? いつもニコニコしてて、他の猛獣みたいな近寄り難さはないって言うか。でも、絶対に内側には踏み込ませない空気みたいなのもあってさ」
圧倒的な強さを持ちながら、どこか危うげな珠羅のことが、風吹は気にかかって仕方がなかった。
「だから、珠羅から天璃の話が出た時、嬉しかったんだ。ああ、珠羅にも心を許せる相手ができたんだって思えて……」
お揃いにするんだと語る珠羅が楽しげで、明日にはよろしくなんて無茶振りを引き受けてしまうくらいには、風吹も舞い上がっていた。
「どうして、珠羅ちゃんのことをそこまで気にかけてくれるんですか?」
「あー、俺がお節介なだけかもだけど……なんかほっとけないんだよな。師匠とちょっと似てたのもあるかも」
「師匠?」
「俺がデザイナーになるって決めた時、唯一力になってくれた人がいたんだ」
どことなく寂しげな様子の風吹に、天璃はどんな人か尋ねようとしていた口を閉じた。
気になっているだろうに、踏み込むことを止めた天璃が自分とは正反対で。風吹はなんとなく、こういうところも珠羅の好みだったんだろうなと思った。
「そういえば、あと数ヶ月で衣替えだろ。冬服のデザイン考えてたんだけど、興味があるなら見てみる?」
「見てみたいです」
長袖の制服と、季節ごとに変わるコート。加えて、猛獣用はそれぞれの特徴に合わせてカスタムする必要があるため、作業場は年がら年中大忙しだった。
「ちょっと待っててな」
即答した天璃に、風吹が破顔する。
棚からファイルを引っ張り出していた風吹は、資料の一部が上段にあるのを見つけると、やらかしたと言わんばかりの表情を浮かべた。
「脚立、倉庫に置いたままだった……」
「取ってきますよ。たしか、作業場を出て向かいの突き当たり、でしたよね」
「悪い、天璃。頼んだ」
しょんぼりした顔の風吹が、申し訳なさそうに手を合わせる。問題ないと微笑むと、天璃は作業場を出て倉庫へと向かった。
◆ ◆ ◇ ◇
脚立を手に倉庫を出た天璃は、前方に立つ人影に足を止めた。
薄暗い通路に、氷のような色彩が煌めく。襟足の長い髪は全体的に少し乱れており、不揃いの前髪が顔にかかっている。
大雑把で、容姿に無頓着な雰囲気がありながら、それを差し引いてもなお有り余る美貌は、自然と目を惹きつける魅力があった。
「お前が来ないから、こっちから会いにきた」
サッパリした口調は、氷雨の性格をそのまま表しているようだ。つかつかと歩み寄ってきた氷雨が、天璃の行く手を塞ぐように立つ。
「なんで、会いにきてくれなかったんだよ」
拗ねたような、それでいて苦しそうな表情だった。期待を裏切られた悲しみと、喜びたいのに喜びきれない状況が、氷雨の心をかき乱しているようで。
ガシャン、と脚立の倒れる音が響く。
確かめるように伸ばされた手を、天璃は避けることができずにいた。
「ずっと目が覚めるのを待ってたのに、よりにもよってあんなやつを傍に置いてるなんてな」
「……言っている意味が、よく分かりません」
髪に触れた手が、そのまま背後の壁に当てられる。
氷雨と壁に挟まれ逃げ場を無くした天璃は、まるで自分のことを知っているかのように話す氷雨に、胡乱げな目を向けた。
「まさか、覚えてないのか……?」
呆然とした様子の氷雨が、次いで顔を歪める。
身体を屈め距離を縮めると、氷雨は淡く色づく瞳を覗き込み、囁くように言葉を発した。
「お前は……天璃は、私の──」
「なにしてるの?」
ゾッとするような声だった。
顔は笑っているのに、闇そのものの瞳には微塵も温度を感じられない。
命の根幹を握る圧が、這いよる死のごとく辺りに充満する。
どこまでも暗い底なしが、天璃たちの姿を捉えていた。
◆ ◇ ◆ ◇
【 あとがき 】
自分を選んだ相手に対して、「後悔するかもよ〜?」って口では言いながらも絶対に手放さないタイプが珠羅で、「後悔させへん」って気持ちを上塗りするように言葉にするタイプが霊藻だなって、深夜にふと思ってました。
寝ても覚めても、気づけば小説のことばかり考えています。
最近は書籍化してみたいと思うようになり、公募用の小説を作成し始めました。
多忙により更新が遅めになっていますが、いつもグッドマークをくださる読者の方々の存在に、まだ読んでくれているんだ……とウルウルしています。
WEBは公募とは異なり、ブックマークや星評価の数が書籍化に繋がったりする世界です。
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私がWEBで書いている理由は、小説を通して読者の方々の気配を感じられるところが好きだからです。
いつも読みにきてくださり、本当にありがとうございます。
続きの執筆も頑張りますฅ




