◆アル様呼び事変(前)
今年もエイプリルフール記念投稿をさせていただきました!
ここ最近、エミーリア夫人との絡みや下町サイドのお話が続いていたので、いつもご要望の多い「皇子がハッスルしちゃうやつ」「レーナが苦労するやつ」あたりを書いてみました。
※すみません、後半の一部分が欠落していたので再投稿しました。
さて、今年で三度目となる還俗期間の、二日目。
エミーリアの発案によって開かれた「モーニングパーティー」が、悪徳チョコレート職人モブリスの登場によってしっちゃかめっちゃかになった直後のことである。
下町の聖堂の一室に籠もったそばかす顔の少年――の中に入ったレーナは、傍らに立つ褐色肌の青年・ブルーノとともに、長らく金盥を見つめていたが、ようやく緊張を解き、うーんと大きく伸びをした。
「やれやれ。悪徳チョコレート職人・モブリスは捕縛。祖母と孫は仲よし。聖女伝説は強化されちゃったけど、まあまあ、いい展開じゃないの」
「そうだな。モーニングパーティーは中止になってしまったが、贈り物攻撃に歯止めがかかるという点では、かえってよかったかもしれん」
二人は金の精霊・アルタが光景を中継する金盥から視線を外し、持ち込んでいたサンドイッチに手を伸ばす。
なにしろ、朝っぱらからレオの野郎があまりにもレオ野郎なので、心配で食事もままならなかったのだ。
どうにか展開が落ち着いた今、やっとパンを食む余裕も生まれたというわけだった。
「あほのよへいは何はっけ? はーひー、はーひー、はーひーってはんひ?」
「食いながら言うな。下品な奴だな。そう。金の精霊の情報によれば、後の予定もパーティー、パーティー、パーティーという感じだ」
「皇族並みの謁見スケジュールね。みんなそこまでしてレオノーラに会いたいってわけ?」
「ほれへも、ふひんがはいふ、整理ひはひはいはがは。今年はあへははっはほ、ふやひはひはをははふ連中ほひふほうは」
「食べながら言わないでよ、下品なやつね。これでも夫人が整理したほうですって? なのに今年は会えなかったって悔し涙を流す連中がいるだなんて、ほんと信じられない」
もっもっ、とサンドイッチを口に詰め込みながら、二人は残る予定を確認し合う。
レーナもブルーノも絶対に認めないが、この数年で培った彼らの以心伝心ぶりはかなりのもので、食事で多少発音が怪しくなっていようが、意思疎通に何の問題もない。
元々、好き嫌いがはっきりしたところや、目的を叶えるためなら手段を選ばない性格が、とてもよく似た二人である。
山と言えば川、ツーと言えばカー、レオと言えば金。
レオ騒動に巻き込まれるたびに二人が発揮してきた阿吽の呼吸はすさまじく、ときにレオが「おまえら相性いいよなー!」とやきもちを焼くほどであった。
ところがこれに対して、二人は「は?」と心底嫌そうに顔を顰める。
ブルーノは親友レオ以外と友誼を結びたいなどと思ったためしはないし、レーナもまた巷で叫ばれるような友情だとか絆だとか愛だとかキラキラしたものに対して、ある種の反感すら抱いていたからだ。
そもそもレーナは高飛車なうえに口調が攻撃的だし、ブルーノも基本的に他者へ思いやりを見せない。
間に立つレオは「レーナがもっと素直になって、ブルーノがもっと労りを見せさえしたら、世界はもっと平和になると思うんだけどなー」といつも呆れ顔でぼやくのだった。
さて、そんなこんなで手際よく朝食を済ませたその時だ。
レーナが数分ぶりにぱっと金盥を振り返ると、そこに紡がれた映像から、黒髪の美少女――ありていに言えば、レオノーラの体に収まったレオ――の姿が消えていたので、怪訝さに目を瞬かせた。
「あれ? レオはどうしたの?」
「パーティーが中止になったから、自室に戻ったんじゃないか?」
傍らのブルーノも首を傾げたそのとき、金盥がふわりと光を強め、神秘的な声を届ける。
――それが……。今、ちょっとした騒動が起こってしまって。
声の主は、健気にも還俗中継を続けていた金の精霊・アルタのものである。
「はっ!? 騒動? このたった数分の間に!?」
精霊がもたらす驚愕の展開に、レーナたちは呑み込んだばかりのサンドイッチを逆流させそうになった。
アルタもまた、少々申し訳なさそうに、この数分で起こった出来事を説明した。
――悪徳職人・モブリスが捕縛されたでしょう? 彼、単なる菓子職人かと思ったら、意外に格闘技をしていたらしくて、連行時に騎士と揉み合いになったの。結構すごい殴り合いで……。あなたたちは食事中だったから、音声をオフにしてみたのだけど。
「それは、ご配慮をどうも。下町暮らしなんだし、そのくらい慣れてるから、全然よかったのに」
「どちらかといえば、流血沙汰は得意まであるが」
レーナとブルーノがそれぞれ肩を竦めると、アルタは一層申し訳なさそうな声になった。
――そうね。レオもそうだったみたいで……。激しいファイトに「これは見ごたえが」と思ったみたいなの。でも、騎士たちは「レオノーラ」の手前、穏便に済まそうと立ち回るから不利になっていてね。その様子を見て、さすがに罰当たりと反省したみたいで。
レーナたちは、ここまでに培った「レオ取扱い技能」を総動員して想像してみる。
下町で時々見かける、激しいファイトを前にしたレオを。
喧嘩自体には慣れっこのレオは、繰り出される武技を見て、むしろ「ほおっ」と観戦を決め込んだだろう。
あの守銭奴のことだ、「こいつァ観戦料を取れるんじゃ?」などと呑気に考えたかもしれない。
だが、侯爵家の騎士たちは、「繊細な少女・レオノーラ」の前で流血沙汰を演じないよう、不利な戦局に立たされている。
四苦八苦する騎士たちを見て、レオは「あっこれ、こんなこと考えちゃだめなやつだ」と思ったに違いない。そうした倫理観だけはしっかりした少年だから。
すると彼の中では葛藤が起きる。
激しめファイトを前にわくわくする気持ちと、いやダメだろ興奮してる場合じゃないだろと己を叱る気持ち。
結局視線を吸い寄せられては引きはがし、を繰り返し、しかも暴言を封印されている彼は、「ああ……」と言葉にならない呟きだけを漏らす。
もしかしたら「いやダメだろ」の一部が漏れ出て「いや……だめ……」のようになったかもしれない。
拳を握って欲望を堪えたりなんかして。
(それって)
ふと、「喘ぐような悲鳴を漏らしながら暴力的な光景を前に立ち尽くす美少女」の図を思い浮かべてしまったレーナは、顔を引き攣らせた。
(めちゃくちゃ哀れな感じに見えるんじゃ?)
答え合わせは即座になされた。
――譫言のように「いや……だめ……」と呟きながら拳を握るレオを見て、夫人たちはすっかり「虐待されていた悲惨な過去を思い返してしまったのだわ!」と思い込んでね。布団に簀巻きにして寝室に強制連行してしまったの。
「やっぱりいいいい! 今日も実績と信頼のレオ野郎!!」
レーナは頭を抱えた。
――しかも、「いえ、自分、大丈夫ですから……っ」と必死に制止する様子が一層周囲の哀れみを誘う始末で。
「抜かりなく誤解にとどめを刺す驚きの仕上がり」
ブルーノもまた遠い目になって天を仰ぐ。
「なんで! あいつは! いつもいつも! こうなのよ!!」
とうとうレーナは、先ほどまで丁寧に折りたたんでいたサンドイッチの包み紙をぐしゃりと握りつぶし、さらに床へと叩きつけた。
「なんでここまで呼吸するように、『繊細で哀れで健気で聡明な聖女・レオノーラ』の虚像を強化してしまえるの⁉ ちょっと目を離したらすぐ、勘違い伝説を積み上げていく! やっぱりこの世には勘違いの精霊がいるに違いないわよ!」
「架空の精霊を作り上げるな」
敬虔な精霊教の徒であるブルーノが、仏頂面でぼそりと突っ込む。
だが、レーナの怒りはそんな突っ込みで収まるはずもなかった。
「今年の還俗帰還は3日。そのうちの、まだ半分も経ってないのよ!?」
わなわなと震える手で数え上げる。
「初日の午前中に誘拐されて、からの相手を改心させて、夕方のパーティーでは酒に潰れて皇子をギラつかせて、なんとか回避したもののモブ聖職者に言い寄られて皇子の執着心を煽って、翌朝のパーティーでは悪徳職人を見破って、かと思えば『繊細な聖女様』の虚像を強化……っ。本当にこれ、1日半で起こった出来事? 7年くらい経ってるわよ絶対!」
「付き合うほうも体力がいるな……」
作者もそう思います。
7年も続く還俗日投稿にお付き合いくださりありがとうございます。
うわあああ! と髪を掻きむしったあと、レーナは据わった目で切り出した。
「対策が必要だわ」
「対策?」
「ええ」
感情突沸から一転、急激に冷静さを取り戻したレーナは、その優れた頭脳をフル回転させ、今後起こる事態を分析・予測した。
「『レオノーラ』が『哀れな少女』と思われることそれ自体が問題なのではない。哀れな少女と思い込んだ周囲が、正義感と庇護欲を暴走させることこそが問題なのよ。正義感は人を狂わせる。大人しい人間ですら、正義感を暴走させれば、精霊に刃向かうことも厭わない」
「つまり、元々大人しくない人間は、より強固に精霊に刃向かい、レオノーラを奪還しようとする。今後ますます、レオノーラが奪還の気運が高まる、と」
「その通り。そして今この局面で、最も警戒すべきは、侯爵夫妻と、やはり――某皇子よ」
「ああ……某皇子」
文武両道にして眉目秀麗な帝国第一皇子・アルベルトのことを、レーナたちは「名前を呼んではいけないあの人」のように扱った。
「ア、で始まりト、で終わる彼は、レオノーラ奪還を願う気持ちを、なんとか理性で抑え込んでいる。けれど万が一そこに、レオノーラが相変わらず不幸だとか、悲惨な過去から脱せないで怯えている、との噂が届いてごらんなさい。どうなると思う?」
「正義感を燃やして、法を犯してでも聖堂に突撃するかもしれないな」
「その通り。今回の事態を、彼に知られてはいけない。百歩譲って知られるにしても、『助けてアル様!(うるうる)』みたいな文脈で伝わっては絶対にいけない」
レーナが思うに、男という生き物はたいていヒーロー願望が強いのだ。
か弱い美少女が目を潤ませて、自分の名を呼びながら「助けて」と訴えてきたならば、世界を破壊してでも彼女を救い出すべきだと考えている。
あの皇子は特にそうだ。
そしてもう一つ。
あのレオ野郎には、金の精霊を「アル様」と呼ぶ癖があり、それこそがすべての混乱を引き起こす原因になっている。
ただでさえ「レオノーラは相変わらずトラウマに苦しんでいるようだ」と目されているだろう状況で、やつに間違っても「アル様に会いたい」とか「アル様のそばにいたい」などと言わせてはいけない。
過去の経験則から判ずるに、その手の言葉は、なぜか必ずアルベルトに聞き取られ、彼のやる気を着火してしまうからだ!
「過去の経験と、私の勘が告げている……! 今こそきっぱりと、『アル様呼び』を禁じさせなくてはならないと。万が一この状況でレオが『アル様呼び』をしたならば、それは間違いなく誤解と化学反応を引き起こし、身の破滅を招くと……!」
だんっ! と激しく床を蹴るレーナに、ブルーノは少々呆れ顔になった。
「たしかに『可哀想なレオノーラ』と『アル様呼び』は、某皇子を刺激する危険な取り合わせに見えるが……たかだか呼び方ひとつが、そんなに重要か?」
「当たり前じゃない! もはや緊急介入が必要よ!」
レーナは、きっ! と金の盥を振り返った。
「指を咥えて還俗風景を見ている場合ではないわ。『アル様呼び禁止』の旨を、確実にレオに届けなきゃ」
ごそごそと懐を探ったレーナは、今にも魔力で作った水晶を展開しそうな勢いである。
――ええー。禁止しちゃうの? 愛し子のレオに、「アル様」って呼んでもらえるのって、とっても素敵な心地なのに。
レオを溺愛しているアルタは残念そうだ。
金の精霊の嘆きを聞き取ったブルーノは、レーナの腕を取り制止した。
「おい待て。おまえが魔力を使って水晶など展開したら、レオノーラの正体がバレるかもしれんだろうが」
「知ったこっちゃないわよ。いっそバレたっていいわ。還俗は年々大規模になっていってる。このままじゃいずれ破綻するもの」
「だがそれではレオが傷つく」
ここでレーナとブルーノの意見が完全に分かれた。
そもそもこの二人の立場は最初から異なるのだ。
レーナは我が身が一番可愛いし、ブルーノはレオの心情が最も大切だ。
そりの合わない二人は、剣呑ににらみ合った。レオの前ではあまり剥き出しにしない表情だ。
「はっ、あなたって結局ロマンチストなのね、ブルーノ。私は合理的だから、感情任せに選択を誤ったりはしない。必要な状況で、必要な手段を、冷静に講じるわ。膨大な魔力を揮ってね」
ばさっと髪を掻き上げたレーナに――とはいえ、レオの短い髪では単に頭をかき回しただけに見えるのだが――、ブルーノは鼻を鳴らした。
「ほう。合理性に、膨大な魔力ときたか」
彼は元々、ヴァイツの民ではなくエランドの王子。
獰猛な魔力を尊ぶ帝国民ではなく、調和なす精霊力を尊ぶ精霊の信徒だ。
尊大で魔力任せのレーナの立ち居振る舞いは、彼にとってはあまり愉快なものではないのだ。
よってブルーノは、ここぞとばかり冷ややかに反論した。
「胸に手を当てて考えてみろ。おまえが状況を打破しようと『合理的に』行動して、うまくいったことがあったか? むしろ全部、裏目に出ただろうが。俺の目には、おまえがフラグを立てまくっているようにしか見えん」
「うっ」
レーナは目を逸らす。
さすがの彼女も、これまでの数々の空回りを忘れられるほど、厚顔ではなかった。
「あいつがおかしいのよ。インプットがあいつを介すると妙な方向にねじ曲がってアウトプットされるんだわ。でも、少なくとも予測までは正しいはずよ。このまま『アル様呼び』を放置していたら、事態はより悲惨になる。今度こそ皇子がハッスルしちゃうかも」
それでも主張を曲げないレーナに、ブルーノはやれやれと首を振った。
「ほら、またそうやっておまえはフラグを立てる。おまえが不吉なことを言うから、それが実現していくんだ。実際には、呼び方ひとつでそんな大惨事が起こるものか」
「あぁーら。私はあなたより頭がいいから、より精密に、レオを襲う未来が予測できてしまうだけよ」
「おまえのほうがレオのことをわかっていると?」
「まあ、そうとも言えるわね」
論点が徐々にずれていくのに合わせ、二人の間の空気も一層険悪なものになっていく。
「馬鹿馬鹿しい。おまえは、物事を大げさに騒ぎ立てているだけだ。実際にはそんな懸念は起こらない。騒がず自然体にしているのが一番だ。最も被害が少なく収まる」
「私はそうは思わない。介入しないで、『アル様呼び』のせいで事態が悪化したら、あなたが責任を取れるわけ?」
「呼称ひとつでそこまで大げさなことになるものか。だからその水晶をしまえ」
殺伐としだした二人に、アルタがおろおろとした声を掛ける。
――ま、まあ、落ち着いて。そこまで喧嘩しなくてもいいじゃない。レオが悲しむわ。
愛し子の友人たちには仲良くしていてほしい彼女は、とりなすようにこう告げた。
――だったら、こうしましょう。魔力で水晶を展開するのではなく、私の力でこっそりレオとレーナの意識を繋ぐの。それなら大ごとにならず、でも直接、レーナがレオに忠告できるわ。
「意識を?」
そんなことができるのか、と目を見張る二人に、アルタは心なしか誇らしげな口調になった。
――夢の世界を繋ぐのよ。ちょうど今のレオ、寝室に押し込まれて、「なんかよくわかんねえけど、それじゃ昼寝すっか」とうとうとしてきたところだから、簡単にできるわ。
「この状況で呑気なやつね……!」
レーナは口元をひくりとさせたが、首を振って意識を切り替えた。
「だったら、お願い。今すぐレオに意識を繋いで。心配した連中が駆けつけてくる前に、『アル様呼び禁止』の旨を仕込んでおかなきゃ」
そうして、金の盥の上に姿を表したアルタへと、まっすぐに手を差し出した。
「まあ、こっそりとならいいか」
穏便な手段に落ち着いたことに、ブルーノも肩を竦めながら頷いた。
(呼び方ひとつで、大げさなことだな)
内心ではそんなふうに、ぼやきながら。
***
一方、侯爵家である。
レーナが知ったら絶叫していただろうが、侯爵家の玄関ホールには、レーナの予測を遥かに上回る驚きの速さで、続々と高貴な人々が押しかけていた。
「レオノーラが参加するパーティーに、賊が乱入したというのは本当ですの!?」
今や立派なレディに成長し、「社交界の薔薇」の二つ名をほしいままにする皇女・ビアンカ。
「モブリスのやつ、スーゲの職人を襲ってまでレオノーラに近付いたそうだな。レオノーラは無事なのか?」
「こう言っては申し訳ないけど、侯爵家の警備状況はどうなっているんだ!」
商人としてめきめきと頭角を現しつつあるベルンシュタイン兄弟・オスカーとフランツ。
「やはりレオノーラの還俗は、警備が厳重な王城で催行すべきだったと、皇帝皇后両陛下より申しつかって参りましたわ」
公爵令嬢として、皇帝皇后とも交流が深いナターリア。
そして。
「賊が暴れる様を見て怯えていたとか。せめて一目でいい。レオノーラに会わせてくれ」
純白のマントをばさりと翻し、颯爽と現れた皇子・アルベルト。
帝国権力者勢、大集合の図であった。
彼らは皆――フランツを除き――、「孫との時間を独り占めしたい!」と願ったエミーリア夫人の権謀術数により、今年の還俗帰還中、面会時間を極度に制限されている人物である。
なんとか隙間時間にでも面会をもぎ取れないか、敗者復活の余地はないか。
そうした打算のもと、侯爵家周辺を包囲……もとい待ち伏せ……もとい待機していたのであった。
アルベルトたちが大人げなく情報網を駆使したり、魔力を揮ったりしたこともあり、モーニングパーティーでの騒動は速やかに彼らの耳に届いていた。
屈指の権力者たちが大挙して侯爵家に押し寄せたものだから、その迫力に、さしもの侯爵家使用人勢もたじたじだ。
そこに、こつ、と靴音を鳴らして登場した人物が一人。
「皇子殿下にはご機嫌うるわしく。侯爵閣下ならびに夫人も、心より皆様のご訪問を歓迎申し上げます」
執事として絶賛成長中のカイである。
すっかり背も伸びた美貌の執事は、委縮しているほかの使用人たちを退け、アルベルトたちに対峙した。
「ただ申し訳ございません。侯爵閣下および夫人は、モーニングパーティーに乱入した悪徳職人に余罪ありとして、国の忠臣としてこれを放置するに忍びなく、尋問と捜査を優先しております。ご挨拶が叶いませんこと、なにとぞご容赦をいただきたく」
慇懃な言い方だが、要はこれは「真っ当な臣下としては捜査を優先するので会えません。真っ当な君主なら当然理解してくれますよね?」という遠回しな釈明だ。
社交界の重鎮として知られるエミーリアの、明らかな仕込みと見えるカイの発言を、聡明なアルベルトは当然正確に理解した。
「やあ、カイ。報告をありがとう。もちろん国の安寧のために、捜査を優先してくれて構わないし、我々への挨拶は不要だ。ただ我々は、レオノーラの身を心配している。事件のあった侯爵家で、心細い思いをしていないかとね」
「ご配慮痛み入ります。我が主・レオノーラ様は、パーティーでの一幕に心を痛め、夫人のご意向もあって今は寝室で休んでおられます」
翻訳するとこれは、「前置きは結構。レオノーラに会わせてくれ。事件のあった侯爵家に置き続けられるわけもないし、王城に攫っていいかな?」ということであり、「寝てるんで無理でーーーーーす」ということである。
エミーリアが早々にレオノーラを寝室に送り込んだのは、こうして駆けつけてくる連中に付け入る隙を与えないためでもあったのだ。
「そう、休んでしまったか。……さすがに、レディの寝室に押し入るわけにはいかないね?」
すう、と、アルベルトが碧眼を細める。
ならば寝台ごと王城に運び出してしまおうか、とでも言い出しそうな勢いだ。
これ以上焦らしては、権力勢は強硬手段に出る可能性もある――。
エミーリアから社交術を仕込まれているカイの判断は早かった。
「ですので夫人は、今回特別に、『スリーピングビューティーの会』に皆様をご招待することにしました」
「……なんて?」
「眠り姫を見守る会――つまり、健やかに眠るレオノーラ様を特別に見守る企画ということです」
聞いたこともない趣旨の企画に、アルベルト以下、一同は怪訝な顔になる。
淑女の寝室に、それも本人が眠っている状況で、ずらずらと大勢で踏み入ってよいということか。
「それは……あまりに、マナーに欠くのでは?」
「淑女のプライベートな空間に、限られた異性が踏み込むからこそ問題となるのです。同性も交えた大勢で、距離を保ち見守るのならば、空間はパブリックなものとなる。よってレオノーラ様の貞淑さを傷付ける状況ではない、との夫人のご判断です」
そもそも寝顔を勝手に見物されたくないという少女側の意志もあるはずだったが、ここではさらっと棚上げされていた。
「いや、寝顔を勝手にというのは――」
「2時間」
良識の観点から抗議しようとしたアルベルトに、カイは不敬にも声をかぶせる。
「ウォッチパーティーは二時間にわたり開催予定と、夫人はお考えです。レオノーラ様は成長途上。昼寝は2時間以上が望ましいからです」
「2時間……!?」
「2時間だと?」
「2時間ですって……!?」
破格の時間設定に、周囲がざわつく。
これまで、レオノーラとの面会を望む者はあまりに多く、かつ、エミーリアによる統制はあまりに厳しかったため、還俗帰還の面会時間は、一人当たり十五分程度というのが相場であった。
それを、二時間もレオノーラと接触できるとは。
一気に前のめりになった周囲とは裏腹に、しかし、アルベルトは冷静だった。
「しかしそれは、レオノーラの意識がない間に、面会予定をすべて詰め込んで済ませてしまおうという、夫人のお考えではないのかい?」
なるほどそうした策か、と、一同ははっとする。
だが、鋭い指摘を受けたカイは、小揺るぎもせず、
「別枠です」
とだけ答えた。
エミーリアとしては、自分たちが捜査でレオノーラを構えない二時間に限り皇子たちに寝顔を見せておくだけで、満足度が引き上げられ、貸しを作ることができ、還俗主催権を奪われずに済むというメリットがあるわけだ。
これはWin-Winの提案ではないか――?
一同が悩み始めたとき、カイはこう付け足した。
「寝顔とは最も無防備な姿。レオノーラ様の寝顔を見られるのは、本来、家族だけの特権でございます」
家族。
その単語を聞き取った瞬間、ビアンカは爆速で妄想を展開する。
一緒の寝室を使うレオノーラとアルベルト。
夫婦《、、》ならば当然のシチュエーションだ。
すやすやと寝息を立てる妻の傍らに、夜更け、政務を終えた夫がそっと近付く。
聡明なレオノーラの、普段は誰にも見せない無防備な姿。真実を見通す紫水晶の瞳も、今は闇色の睫毛の奥に隠されたまま。
夫は眠る妻に向かってふっと微笑み、額を覆う前髪を優しく撫でる――。
(いいわね!)
ずっと報われなかった兄の幸福な姿 (※妄想)に、ビアンカは思わず親指を立てそうになった。
同時に、想像力豊かなナターリアも忙しく脳を働かせていた。
たとえば、光差し込む朝。
甘い夜を過ごした (※妄想)妻は、疲れきって (おやおやまあまあ)ぐっすりと眠り込んでいる。
艶やかな頬に当たる光は、清冽な明るさを誇っている。
その光に導かれるように、アルベルトは妻の長い睫毛を、滑らかな頬を、細い首を、華奢な肩を愛おしげに見つめる。
シーツに隠された秘めやかな場所。
爽やかな朝の光に、そっと昨夜の記憶が重なり始める――。
(最高なのでは!?)
乙女小説を愛してやまなかったナターリアは、久々の興奮に目が眩むかと思った。
「これはアリですわ、お兄様。乗りましょう、この話」
「そうですよ、アルベルト様。参加しましょう、このウォッチパーティーに!」
「大丈夫です!女性的にも全然問題ないと思います! 全然!」
「ええ、全然! いけますいけます!」
よって女性陣は、熱烈な強さで企画参加を促した。
「そ、そうかい……?」
こうして、「レオノーラの寝顔を見守る企画」はあっさりと催行決定し――不穏の足音はひたひたと、レーナたちのもとに近付いていった。
***
レオは極楽にいた。
厳密にいえば、美しい夢の中――全方位がキラキラと金色に輝く縁起のよい夢の中だ。
「ふへへ……ふへはははは! なんってゴージャスな夢! 二度寝、最高おー!」
本来ならばこの日は「モーニングパーティー」とやらを皮切りに、多種多様なパーティーや面会に出続けるという多忙なスケジュールだったのだが、武闘派悪徳職人・モブリスの乱入によって、捜査を優先した夫人がそれらの予定をすべてキャンセルしてしまったのだ。
のみならず、うっかり激しいファイトにわくわくしていたレオのことを、「こいつやべえサイコパスだな」とでも思ったか、部屋で大人しく寝ているよう厳命した。
なんといっても、せっかくの還俗期間。
レオとしては、極力時間いっぱい旧交を温めておきたい気もしたのだが、エミーリアには逆らえない。すごすごと寝室に引き返した。
せめて貴族社会の流行研究でもと思い、すでに部屋に積まれていた贈り物の中から最も高級そうなハンカチを掴み、織り方や刺繍の具合などをつぶさに観察していたのだったが、体はそれなりに疲れていたのか、気付けばハンカチを握りしめたまま、すやぁ……と意識を失っていたようだった。
「ま、こうなりゃ、がっつり昼寝を楽しむしかねえな!」
思考がはっきり冴えている状態で見る夢というのも珍しい。
そもそも、貧乏暇なしを地で行くレオは、滅多に昼寝などしないので、日が高いうちから眠りこけるなんて久々だ。
キラキラと音を立てる金の砂に、光り輝く金の壁。
ふわりと漂う芳しい金の香り。
なんだかレオの精神世界を、いいやそれともアルタへの敬虔な想いを具現化したような空間で、レオは先ほどから「こういう昼寝ならいくらでもすべきだな」と浮かれているのだった。
「はー、それにしてもなんって綺麗な場所なんだ……。随所にアル様の気配を感じるぜ!」
推しの生家を訪れた強火ファンは、もしやこうした心境だろうか。
あまりにも神々しい光景に胸が逸り、感動が満ち、意味もなく叫びたくなってきた。
「うわああ! アル様! アル様! 今日も輝いています! うわああ! アル様って最高――」
「こんの、レオ野郎おおおおおお!」
両手を突き出して叫んでいた、そのときだ。
背後からどーん! と激しく体当たりをかまされて、レオはごほっと喉を詰まらせた。
「なっ! ご、ごほ……っ、レ、レーナ!?」
誰あろう、その場に現れたのは、黒髪に紫の瞳を持つ美少女――つまり、自分本来の体をしたレーナだったのである。
「えっ、あれっ!? なんでおまえ、元の姿に戻ってんの!? やべ、もう入れ替わり終わってた? あれ、でもまだ還俗期間中……」
混乱をきたしたレオ――気付けば、おろおろと見下ろす自分の掌も、すっかり元の少年のものに戻っている――を、レーナはぎろりと睨みつけた。
「ここはあなたの精神世界。金の精霊に、夢の中であなたと私の精神を繋げてもらっているのよ」
「へっ!?」
レオは目を丸くした。
「アル様ってそんなことまでできんの!? すげえ……三年以上一緒にいても次々と新しい魅力の引き出し開けてくんじゃん……やっぱ最高にして最強の俺の精霊……」
「ああーーー、はいはいはいはい、リアクションすべきはそこじゃなくて!」
なぜ夢の中にレーナが現れたのか、ではなく、即座に「アル様すげえ!」となるレオの思考回路に、レーナがこめかみを押さえる。
彼女はせっかくの美貌を苛立たし気に歪めると、びしりとレオに指を突き付けた。
「いい? 端的に言うわよ。なんで私が夢に乗り込んできたかと言えば、それはあなたの、その『アル様呼び』を止めに来たからだわ」
予想外の発言に、レオは怪訝さも露わに首を傾げた。
「アル様呼びを? へ? なんで?」
「今日こそはっきり言う。誤解が生じないよう、この上なく明確に」
レーナは、覚悟を決めるようにふうっと息を吐き出していた。
それから、一語一句を強調するかのように、ゆっくりと告げた。
「『レオノーラ』が言うと、『アル様』は、金の精霊ではなく『アルベルト皇子』のことだと思われるの。『アル様が好き』『アル様のそばにいたい』、これらの言葉はすべて、皇子への告白だと思われて、あなた、アルベルト皇子を愛していると思われているのよ!」
まるで、一途な愛の言葉だと思っていた表現が、スラングでは下品な罵倒だったかのような衝撃――。
「…………っ」
レオは言葉も忘れ、ひくっと喉を引き攣らせた。
***
寝室に到着したアルベルトたちは、寝台から一定の距離を取り、眠る少女の姿を見守っていた。
ふかふかの羽毛に包まれた少女は、長い睫毛を閉じ、窓から差し込む光を白い頬に受け止めながら、静かに眠っている。
控えめな寝息を立てるその美貌ときたら、まるで無垢の塊だ。
一同は、マナー違反に気が咎めつつも、そのあまりの可憐さと愛おしさに胸を詰まらせ、まるで尊い芸術品を見守るかのような敬虔さで、じっと少女を見下ろしていた。
「よかった……魘されていたらどうしようかと思いましたが、穏やかに寝ていますね」
「ああ。すぐ気丈に振舞おうとする彼女だが、さすがに夢の中までは気も張らないだろう。このぶんなら、今回の事件のダメージは少なく済んだのかもしれないね」
ナターリアとアルベルトは、極力声量を抑え囁き合う。
「あ……ご覧になって」
と、恐る恐る寝台に身を乗り出したビアンカが、かすれた声を上げた。
彼女の指が示す先には、シーツのすぐ下で軽く握られた少女の手がある。
その華奢な手元には、なにか布のようなものが握り締められていた。
「お兄様の贈ったハンカチですわ」
それは、アルベルトが少女を想って贈っていたハンカチだったのである。
「――……!」
少女が、まるで、よすがにするかのように、自分の贈り物を握り締めていたこと。
その事実に、アルベルトが咄嗟に息を呑む。
「きっとレオノーラは、お兄様を想って、心を宥めていたのね」
「……いいや、ビアンカ。たまたま、手近にあったハンカチだったから手に取ったに違いないよ」
興奮に顔を赤らめる妹を、アルベルトは慎重さの滲む苦笑で宥める。
「そんな、お兄様! レオノーラはときどき、愛おしそうに『アル様』とお兄様のことを呼ぶではありませんか。彼女にとって、お兄様が心の支えであることは間違いありません」
「どうだろう。面と向かって呼ばれた場面は少ないからね。案外、別の誰かを指しているのかもしれないよ」
「そんなはずが……!」
ビアンカは眉を顰める。
兄の頑なさがもどかしかったのだろう。
ベルンシュタイン兄弟もまた、皇子に物言いたげな視線を送ったが、なにも言わず肩を竦めた。
彼が過剰に慎重であろうとする、その気持ちもわからないではなかったからだ。
だって、もし「レオノーラもまた自分を慕っている」と確信してしまえば、恋心は一気に暴走してしまえる――。
話題を変えるつもりで、兄弟が再度少女に視線を戻した、そのときだ。
「…………っ」
不意に、穏やかに眠っていたはずの少女が、ひくっと喉を引き攣らせた。
「う、そ……。いや……」
のみならず、譫言を呟き首を左右に振りはじめる。
「ごめ……なさ……ごめ……。許し……」
「おい……! レオノーラが、うなされていないか!?」
眉を寄せはじめた少女を前に、周囲は一斉に顔色を失った。
さて、ところ変わって下町の聖堂である。
アルタに意識を繋いでもらうため、床に横たわり眠りはじめたレーナのことを、ブルーノは胡坐をかいて見守っていた。
「やれやれ、呼び方ひとつに大げさなことだな」
ぼそりと呟く。
レーナときたら、そんな些細なことを理由に魔力を使おうというのだから呆れてしまう。
ブルーノやアルタが介入し、精神世界を繋ぐという手段に落ち着けたからよいものの、あのまま水晶を展開し、侯爵家を大混乱に陥れていたらどうなっていたことか。
(こいつに任せておくと、ろくなことが起こらない)
ブルーノからすれば、レーナというのはやることなすことが裏目に出る、「裏目の精霊に愛された人間」とでも呼ぶべき存在だ。
やはり、自分のように冷静で良識的な人間がストッパーになることが肝要と思われた。
(さて、向こうではどうなっているかな)
金の盥を見つめてみるが、盥にはなにも映らない。
金の精霊アルタが、今は精神世界を繋ぐことに専念していて、貴族側の光景を紡げずにいるからだ。
(まあ、のんびり待つしかないか)
あっさりと割り切ったブルーノに、しかしそのとき、珍しい声が掛かった。
――のう、愛し子よ。おまえに、面白いものを見せてやろうか……。
ずる……と聖堂の片隅で影が蠢き、老人のシルエットを象る。
にたりと笑う口元だけが見える、フードを被った陰気な老人。
闇の精霊であった。
(珍しいことだ。話しかけてくるなんて)
ブルーノは闇の精霊の愛し子ではあるが、仲は良好なものではない。
冷ややかに影を見つめていると、闇の精霊はそれを了承とでも取ったか、勝手に影を広げはじめた。
影はずず、と輪郭をうねらせ、たちまち、複数人の姿を描き出す。
寝台に眠る少女に、それを見守る5、6人の人物。
『きっとレオノーラは、お兄様を想って、心を宥めていたのね』
『……いいや、ビアンカ。たまたま、手近にあったハンカチだったから手に取ったに違いないよ』
声まで聞こえはじめた。
まるで影絵の芝居のようになったそれは、どうやら、貴族側の様子を映し出したもののようだった。
前後の会話から察するに、貴族連中が、眠るレオノーラのもとに早速駆けつけたらしい。
レオノーラは皇子を心の支えにしているはずだとか、いいやそうでもない、といった皇族兄妹の応酬が聞こえる。
(もう皇子たちが見舞いに来ていたのか!?)
さすがに速すぎないか。
予想を上回る執着ぶりに、さしものブルーノも顔を引き攣らせる。
だが、彼が最も動揺したのは、その次の瞬間であった。
『ごめ……なさ……ごめ……。許し……』
『おい……! レオノーラが、うなされていないか!?』
レオノーラは突然「うなされはじめ」、周囲が一斉に心配しだしたのである。
(これは……)
感覚の鋭いブルーノは、じわりと冷や汗を滲ませる。
彼の研ぎ澄まされた第六感が、今、激しく警鐘を鳴らしていた。
(まずいやつでは?)
今、ブルーノのもとにも、裏目の精霊が忍び寄ろうとしていた。




