◆金か命か(後)
「……んー」
だが、その後に続いた意外な言葉に、三人は目を見開くことになった。
「やっぱ、いいです」
「え?」
「特別コースとやらは、受講しなくていいです」
レオはあっさりと、そんなことを言ってのけたのである。
「なんかー、契約書をつぶさに見たら、めっちゃ不穏なこと書いてあるじゃないですか。拘束されるとか、主の要求にはすべて従うとか。隠語もたくさん。要はこれ、男娼になれってことでしょ?」
「……字が読めるのか?」
「そりゃまあ、院長仕込みなんで」
驚く面接官に、レオはちょっと照れたように告げる。
それからさっさと席を立ち、扉の方向へと近付いてきた。
「世の中にはいろんな趣味の人がいるんで、男娼自体は否定しないんですけど、なんか音楽性の違いというか、そういう系の齟齬を感じました。じゃ、失礼します。お時間ありがとうございましたー」
「お、おい、待てよ!」
先ほどまでの親密さから一転、あっさりと踵を返したレオに、面接官が思わずと言った様子で声を上げた。
取り繕っていたのだろう口調も乱れている。
「金貨一枚だぞ!? そこまでしっかり世間を理解してんなら、これがどれだけの大金かもわかるだろうが! 言っとくが、孤児風情に対して、これは相当な好待遇だからな!?」
孤児風情、という言葉に、扉の前の三人は一斉に眉を寄せる。
「てめえだって、『命より金』と言ってたろうが! 口先だけかよ、ああ!?」
「いやいや」
男はなかなかの迫力で凄んだが、恫喝には慣れっこの下町育ちのレオは、どこまでも軽やかに言い返した。
「本心ですって。命より断然金のほうが大切。同じ額の金貨が天秤に掛けられてたら、間違いなく命より金取りますもん、俺」
胸でも叩いたのだろうか。
ばしっ、と軽快な音が聞こえる。
「でもねー。少し前まで、俺の命って銅貨三枚分くらいかなーってなんとなく思ってたんですけど。どうも、俺の命って、そんなに安くないみたいなんです。金貨一枚程度じゃ、ちょっとね?」
扉を挟んで、ブルーノたちは言葉を詰まらせた。
まさか、レオがそんなことを言うとは思わなかったからだ。
「はあ? 孤児のおまえが、金貨一枚以上の価値があるとでも言うのかよ! ああ!?」
胸ぐらを掴み上げようとでもしているのだろうか。
どんどん男の声が近付いてくる。
だがレオは、それに対して小揺るぎもせず怒鳴り返した。
「あるっつってんだろうがボケ! たとえ俺本体には銅貨三枚の価値しかなくても、首から提げた金貨一枚のほか、プライスレスなダチの友情やら身内の愛情やら、もはや人にはカウントできない金の精霊様の庇護やらが乗って、とんでもねえ額になってんだよ!」
ついで即座に、ごっ、と鈍い音がする。
「ぐぉ!」
くぐもった悲鳴が響いたことから察するに、どうやら面接官の股間を蹴り上げたらしい。
「俺が損得勘定を間違えるわけねえだろ。守銭奴舐めんな」
捨て台詞を吐き、レオはとうとう扉に手を掛ける。
がちゃ、と音を立てて扉を開いた瞬間、呆然と立ち尽くすブルーノたちが視界に入ってきたためか、レオはぎょっと目を剥いた。
「うお! なに!?」
「レ、レオ兄ちゃ……」
「レオ兄ちゃあああん!」
エミーリオとマルセルは目を潤ませ、ひしとレオに抱きついた。
「え? なに? おまえらも面接希望? いやーやめといたほうがいいぜ。契約書見た感じ、おまえらとじゃ絶対方向性合わねえから。てか、金貨一枚でおまえらに身売りさせるなんて、俺許さねえし」
「う……っ、ううっ、受けるわけないよおお……」
「僕たちだって、許さないよおおお」
涙で声を詰まらせる年少組に、レオは怪訝そうに首を傾げるだけだ。
「つーかなに? ブルーノまで小姓希望? よせよせ、ここって実際には男娼斡旋所っぽいし、そもそもおまえ、人に仕えるとかの適性ゼロだろ」
「……当然だ」
自分が踏み込む前に、自力で難局を逃れてしまった親友を前に、ブルーノはただ肩を竦めた。
「え? なに? 小姓希望でもないのにここに来たの? あ……、もしかして、俺のこと心配して駆けつけてきた!?」
仲間がこの場にいる理由に、ふと気付いてしまったらしい。
レオは途端ににたりと笑って、肘でつんつんとブルーノの二の腕をつつきはじめた。
「やだもー、ブルーノったらすぐ保護者ぶる。保護者ぶるーノなんだから。さすがに俺だって、ほいほい詐欺に引っかかったりしねえよ」
「……現に面接までは来ていただろうが」
「そりゃだって、万が一にも一攫千金の機会だったらいけないから、見極めておかねえと」
けろりと答え、「さーてと」と階段を降りはじめる。
「おっさん昏倒させちまったし、騒ぎになる前にさっさとずらかろうぜ。今ならまだ、受付もすっと通り抜けられんだろ」
「――いや」
だが、ブルーノはすっと目を細め、その場から動こうとしなかった。
「逆恨みされても面倒だ。禍根を残さないよう、この娼館ごと根絶しておこう」
「いやいやいやいやいや!」
呼吸するように好戦的な発想をするブルーノに、レオが素早く突っ込みを入れる。
「やめろよなー! だって冷静に考えて、このおっさん、スカウトに一人失敗しただけだぜ? やり口はちょっとせせこましいいけど、人攫いをしたわけでもなし」
「だが、おまえや俺たちを侮辱した」
「馬っ鹿、この荒ぶるーノ! 俺に売られた喧嘩までおまえが律儀に買っていくから、毎度毎度事件が尽きねえんだろうが!」
ブルーノはレオのことを「事件体質」などと言うが、レオはレオで、その真の原因はブルーノにあるのではないかと思っているのだ。
「ここで大事にしたら、何が起こるかわかるか? 騒動が下町全体に広がって、下町の動向を気にしている侯爵夫妻にまで噂が届いて、また聖堂に騎士団やら貴族連中やらが視察にやってくることになるんだからな? つまり下町の平穏は俺の平穏ってわけで――」
滔々と説教していたレオだが、言葉の最後までを言い切ることはなかった。
なぜなら。
「――あ」
ブルーノが何かに気付いたようにふと顔を上げ、それと同時に、窓の向こうから、どどどど……と重低音が響くのが聞こえたからである。
『……本気か。レーナのやつ』
珍しく、母国語のエランド語でぼそりと呟く。
「ん? レーナがどうかした――」
レオは、ブルーノに続いて窓を振り返ったが、目を凝らしてすぐぎょっとする羽目になった。
「抵抗を止めて、責任者は大人しく投降しなさーい!」
「我々紫龍騎士団は、違法かつ卑劣な経営を企てる娼館を、完全に包囲しているー!」
「無欲の聖女・レオノーラ様のいらっしゃる町で、穢れた真似は許さなーい!」
「人攫いに拘束など、レオノーラ様の忌まわしい過去の記憶を刺激するつもりかー!」
あっという間に娼館の周囲を取り囲んだ騎乗隊が、太い声を張り上げて、そんな宣告を始めたからである。
「は!? なんで紫龍騎士団!?」
完全に統制の取れた、圧倒的な数を誇る武装集団。
それは間違いなく、レオ――というか「レオノーラ」を溺愛するハーケンベルグ侯爵の率いる騎士団に違いなかった。
「く、国の有事にしか動かないような精鋭騎士団が、なんでこんな場末の娼館に来んの!? もしかして、この娼館、めっちゃ悪いやつらの巣窟だった!?」
「いや……」
泡を食う親友を横目に、ブルーノはそっと視線を泳がせる。
「まあ、悪いというか……運が悪いといえば、悪い、のか?」
おそらくレーナは、「最も権威ある連中」ということで、警邏隊も法律家も役人もすっ飛ばして、一足飛びに侯爵家に事態を密告したのだろう。
下町の孤児一人が被害を受けたところで貴族の関知するところではないが、それが「精霊の愛し子・レオノーラのお膝元で起こっている違法な娼館勧誘」となれば話はべつだ。
人攫いだとか拘束だとか叫んでいるところから察するに、レーナも多少話を盛ったに違いない。
それで、孫の話となると頭のネジが数本抜けてしまう侯爵は、「なに!? レオノーラのいる町で、子どもを騙して身売りさせる娼館が!? 許さん!」という感じになって、即座に騎士団の行動を許したのだろう。
よりによって、精霊やら侯爵夫妻やら皇子やらに溺愛されている人物なんかを勧誘するから、こんなことになるのだ。
「え……え……どうしよう、なんか物々しい数いるんですけど……。こういう物々しい事態が起きるたびに、侯爵夫妻や皇子の『レオノーラ奪還』への気運が激しさを増すんですけど……。今年、そろそろ還俗期間を待たずに、聖堂に押し入られたりしない……?」
みるみる騒々しさを増していく事態に、近い将来が自然と想像できてしまって、さすがのレオも頭を抱えている。
「まったく」
ブルーノは窓から視線を引き剥がし、はあと溜め息をついた。
「本当に事件体質だな、おまえは」
「いや、これ俺のせいじゃなくない!?」
そう。
主には、心配しすぎたブルーノとレーナの責任だ。
「時間がない。裏から逃げるぞ」
だが、ブルーノはそれをおくびにも出さず、代わりに手を差し出した。
「ほら、走れ。本当に手の掛かるやつ」
「なんっか釈然としないんですけどーーーー!」
レオは顔を顰めたが、さすがにこの状況で問答できるほど呑気ではない。
結局四人は、少し離れた場所で待っていたアンネを拾いつつ、速やかに花街を抜け出し――
ついでに、小悪党の集まりだった違法な娼館は、あっさり取り潰されたのであった。
こうして下町の治安は保たれたのでした。ちゃんちゃん(悪党どもにはいい迷惑)。
どさくさに紛れてお知らせですが、拙作「ふつつかな悪女ではございますが」のアニメ化が決まりました!
なろうさんでは番外編のみ残しての掲載となり心苦しいですが、
皆さまから応援いただいて書き上げた作品が、ここまでやって来たのだと思うと本当に嬉しいです。
また、多忙につきエイプリルフールの年一回くらいしか更新できていない中、
それでもこうして読みにきていただけることにも、大変感謝しています。
これからもできる範囲で精一杯、楽しい物語をお届けできればと思いますので、
どうぞよろしくお願いいたします!