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第一話 終わらない体験訓練

紅い月の騒動から、ようやく日常を取り戻した繁たち。

ところが、青葉家に平穏という言葉は似合わないようです。

父・潔の一言で送り込まれた自衛隊体験訓練。そこで待っていたのは、想像を超える一週間でした。


第二章『立川異聞』、開幕です!

2027年10月10日 午後7時


青葉家道場の玄関が開いた。

「ただいまぁ……」

返事を待つ間もなく、青葉繁は大きな荷物を玄関に落とした。

どさり、と鈍い音がする。

そのまま自分まで床へ座り込みそうになったところへ、廊下の奥から碧が顔を出した。

「お帰り、お兄ちゃん!」

「碧ぃ……」

「な、なに?」

「家っていいなぁ……」

「は?」

後ろから入ってきた黒羽晶が、繁の荷物をひょいと跨いだ。

「ただいま戻りました」

背筋は伸びている。声にも張りがある。

一週間、同じ訓練を受けてきた人間とは思えない。

碧は兄と晶を見比べた。

「……晶くんは普通だね」

「うむ。実に有意義な一週間だった」

「俺もいたんだけど……」

繁が恨めしそうに見上げる。

晶は無視した。

「爺様は?」

「道場」

繁の顔がさらに曇った。

「俺、今日はもう寝ていい?」

「駄目だと思う」

「だよなぁ……」

——-


十日前。

潔が繁と晶の前に置いたのは、一枚のカタログと申込書だった。

表紙には迷彩服姿の隊員たち。

『自衛隊体験訓練』

繁は嫌な予感がした。

「……父さん、これ何?」

「見れば分かるだろ」

「いや、それは分かるけど」

晶が横から申込書を覗き込んだ。

「10月2日、0800集合。9日、1800解散……」

繁が晶から用紙をひったくった。

「一週間?」

「そうだ」

潔は平然としている。

「普通、こういうのって二、三日じゃないの?」

「話はついている」

「何の話が?」

潔は立ち上がった。

「行ってこい」

「ちょっと待て親父!」

待たなかった。


——-


「どうであった?」

道場で巌が聞いた。

正座した繁の脳裏を、一週間の記憶が駆け抜ける。

走った。

走った。

また走った。

腕立てをした。

腹筋をした。

匍匐した。

重いものを背負って、また走った。

「……死ぬかと思った」

「おもしろき体験ができました」

隣の晶は涼しい顔である。

繁は横目で睨んだ。

「お前、絶対どっかおかしいよ」

「何がだ」

「全部」

巌が顎髭を撫でた。

「先方からも、お褒めの言葉をいただいたぞ」

晶の表情が明るくなる。

繁は嫌な予感しかしない。

「もう少しやらねば勿体ない、とな」

「もう少し?」

巌がにやりとした。

晶もにやりとした。

繁の顔から血の気が引いた。

「……何?」

誰も答えなかった。


——-


10月12日、午前5時45分。

「今度は立川だってよ」

大きなバッグを肩に掛け、繁は玄関を出た。

まだ眠い。

朝の空気が思った以上に冷たかった。

「しかも一ヶ月」

晶は平然としている。

「楽しみだな」

繁は足を止めた。

晶を見る。

「お前とは分かり合えない気がする」

「奇遇だな。俺もだ」

二人は石神井公園駅へ向かった。


午前六時を少し回ったころ。二人はいつものファミマに立ち寄った。

「朝飯、何にする?」「何でもいい」「それ一番困るやつ」

繁はおにぎりを二つ取り、飲み物を籠に入れる。晶はその横で、どう考えても繁より多い量を放り込んでいた。

「お前、朝からそんな食うの?」「訓練があるからな」「遠足じゃないんだぞ」

レジへ行って、繁がふと首を傾げた。

「あれ、洋さん今日いないんですか?」

店員が答えた。

「小泉さん? 立川グリーンスプリングス店にヘルプだって」

「へえ、立川なんだ」

「知ってるのか?」

「いや。俺たちも今日から立川」

晶は特に興味も示さなかった。

「急ぐぞ。バスに遅れる」

「はいはい」


——-


駅前交番には明かりがついていた。

「眠い……」

繁が呟く。

「朝の修行にはちょうどいい時間だ」

「今から一ヶ月修行するんだから、朝くらい寝かせろよ……」

交番の前を通り過ぎようとしたところで声が飛んできた。

「おう、繁くん!」

佐藤だった。

「ずいぶん早いな」

「おはようございます……」

繁の返事にはまるで覇気がない。

佐藤のそばに、見慣れない二人の女性警察官がいた。

一人が元気よく前へ出る。

「山崎真里です。よろしくお願いします!」

「……よろしくお願いします」

もう一人が軽く頭を下げた。

「風越凛です」

「よろしく……」

風越が繁の顔を眺めた。

「眠そうですね」

「眠いです」

「見れば分かる」

晶が横から言った。

「うるさい」

佐藤が笑った。

「これからどこか行くのか?」

「自衛隊です。先週、練馬駐屯地に一週間行ってたんですけど」

「また?」

「どういうわけか今度は立川で一ヶ月ってことになっちゃって」

山崎が目を丸くした。

「一ヶ月?そんなに長く?」

「俺もそう思います」

繁は欠伸を噛み殺した。

「ふーん」

それ以上は気にしなかった。


「おーい!」

後ろから声がした。

「佐藤さん。久しぶ――」

交番へ入ってきた鈴木が止まった。

佐藤の向かいには、見慣れない女性警察官が二人いる。

「…………」

佐藤が振り向いた。「おお、鈴木くん。どうした?」

「いや……その……」

鈴木は山崎と風越を交互に見た。

「佐藤さん、一人で寂しいだろうと思って」

「何が?」

「いや……お茶でも付き合ってやろうかな、と」

佐藤は手にした湯呑みを見た。「間に合ってるぞ」

「…………そうみたいですね」

そのやり取りを山崎が怪訝そうに眺めている。

「……誰ですか?」

「え?」

鈴木が固まった。


佐藤が笑いを堪えながら言った。

「君たちの前にいた鈴木くんだよ。ほら、あの事件で表彰されてね。捜査課に昇進したんだよ」

「何言ってんですか、佐藤さんだって一階級昇進したでしょう?」

そう言いながら、鈴木は山崎を見た。そして風越を見る。

「…………」

もう一度、佐藤を見る。

「二人とも、ここに?」

「そうだよ」

「毎日?」

「勤務なんだから当たり前だろう」

「…………」

鈴木は小さく息を吐いた。

「俺、何しに来たんだろ……」

山崎が首を傾げる。「お茶を飲みに来たんじゃないんですか?」

「そうなんだけどね……」

風越が湯呑みを一つ取り出した。「飲みます?」

「……いただきます」

佐藤がとうとう吹き出した。


「あ、そろそろ行かないと」

「立川だったな。気をつけて行ってこい」

「はい」

鈴木が湯呑みを受け取りながら振り返った。「一ヶ月だっけ?」

「そうなんですよ」

「長えな」

「ですよね!」

繁はようやく理解者を見つけたような顔をした。

「短いくらいだ」

「お前は黙ってろ」

「無事に帰ってこいよ」

繁が振り返った。

「それ、体験訓練に行く人間に言います?」


——-


午前六時四十五分。


電車に揺られながら、繁は窓の外を眺めていた。

「なあ晶」

「なんだ」

「やっぱり一ヶ月っておかしいよな?」

「何がだ」

「体験入隊だよ。普通は二、三日だぞ。練馬の一週間だって長かったのに」

「修行にはちょうどいい」

「そういう話じゃないんだけどなぁ……」

晶は目を閉じた。

繁も窓の外へ視線を戻す。

まあ、いいか。

一ヶ月。

長いけれど、終われば帰ってこられる。


――このときの繁には、それ以上考える理由などなかった。

一週間の訓練を終え、ようやく我が家に帰ってきた繁。

ところが、同じ訓練を受けたはずの晶は、まるで疲れた様子がありません。

この二人、本当に同じ人間なのでしょうか(笑)。

そして、巌の意味深な笑み。

どうやら繁の苦難は、まだ始まったばかりのようです。


次回、二人を待ち受ける新たな試練とは?

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