ー残暑の章31- 神帝暦645年 8月22日 その15
色々あったが、結局、ジョウさんのお店の試着室で、ユーリが伝説のスクール水着に着替えることになったわけだ。時折、試着室の遮断カーテンの向こうから、布が肌に擦れる音がシュルシュルと聞こえてくるわけだが、俺にとって娘であるユーリが醸し出す音なので、まったくもって興奮などしない。
だが、ヒデヨシときたら、鼻の下をでろおおおんと伸ばし、ウキキッ! ウキキッ! と鼻息荒くして興奮していたりする。こいつ、本当に同じ徒党に所属させておいて大丈夫なのかなあ? と心配になってしまう俺である。
「お父さんー。ヒデヨシさんの鼻息がうるさいよー。いい加減、ヒデヨシさんの息の根を止めてもらえないかなー?」
「もうらもんもらっちまった以上は、どうしようもないからなあ? ユーリ。もう少し我慢してくれ。これに耐えれば、今夜は牛さんのお肉で、すき焼きだ!」
「いつも、うちのすき焼きは豚さんのお肉だもんねー。わかったよー。あたし、この辱しめに耐えきってみせるよーーー!」
すまん、ユーリ。お前ひとりにつらい思いをさせて。俺がB級冒険者ならば、すき焼きなのに豚さんのお肉を使う必要なんてないのにな?
「そう思うのであれば、B級冒険者の試験を受けるだけ受けてみたらどうですか? ツキトなら、きっと、合格するはずですわ?」
「俺の心を読むのはやめてほしいところだな? アマノ。あと、俺なんかがB級冒険者になる価値なんかないんだよ」
まったく、何故、俺なんかをB級冒険者に推すんだろうな? 俺が昇格試験に合格してB級冒険者になったところで、それに見合ったクエストを受けても、きっちり仕事をこなせそうな気がしないんだよな?
ちなみに、クエストを受けること自体は、どの位階の冒険者でも受注はできるのである。だが、依頼主との交渉で、あんたさんなんかにこなせるわけがあらへんやんか! この話はなかったことにさせてもらうやで? と、向こうからお断りされるだけである。そりゃそうだ。
依頼主にはいくつかの種類があり、冒険者の素性をきっちり調べる奴もいれば、そうではなく、冒険者位階のみで足切りする奴もいる。前者の依頼主の場合は、その冒険者のクエスト受注歴と完遂率をチェックしているだけでなく、どのようにその依頼をクリアしたのかすら、調べ上げてくれる。
こちらとしても、そうしてくれる依頼主の場合のほうがありがたい。なんたって、こちとら、長年、C級冒険者をやっている才能無しだからな。長年の経験と勘と実績だけが頼りなんだから、そこをちゃんと見てくれている依頼主のほうが、気持ち的にも頼もしい限りであるからだ。
そして、後者の依頼者の場合、冒険者位階だけで足切りするくせに、たまに、あんたさんでも良いでっせ? と言い出すんだ。まあ、その場合は大概、依頼主側の要望に応えきれなかったと難癖をつけ始めて、報酬金を渋ってくるのである。
だが、これよりももっと性質の悪い依頼主がいる。募集要項に「未経験、初心者歓迎! 資格がなくても大丈夫。意欲があれば報奨金はうなぎのぼり!」って書かれているパターンだ。この手の依頼主はまず、冒険者と交わした契約を守らない。
報奨金を渋るとかなんて可愛いと思えるレベルなのだ。期間外労働など当たり前にさせて、さらには、その期間外労働に対しては、そこは冒険者としてサービス(ただ働き)をして当然だろう? と言い出すのだ。
国や行政もこういった悪質依頼主の名前を公表するなどの対策を行っているが、そもそもとして、こういう依頼主は名前自体が偽物なのだ。冒険者稼業を5年以上もやっていれば、こんな依頼主にひっかかることはまず無くなるんだが、やはり、駆け出し冒険者は、「未経験、初心者歓迎」って言葉に騙されてしまうのである。
かくいう俺自身も若かりし時は一度、この手の依頼主にひっかかったわけであるが、運よく、その当時、所属していた一門リーダーが、その依頼主を物理的に締め上げてくれたおかげで、正規の報奨金を手にいれることが出来たわけなのだが。
あのリーダーも還暦を迎えて、今や、のんびり老後の生活を送っているんだよな。毎年、夏と冬にはお中元とお歳暮を贈っているなあ。あの人、大酒飲みだから、酒の肴を好んでいるため、一度、鮒寿司を贈った時なんて、大層、喜んでくれて、手紙でその気持ちをつらつらと約800文字で感謝されたもんだなあ?
「うふふっ? ツキト? なんだか嬉しそうな顔をしていますが、ユーリがカーテン1枚の向こうで着替えているから、興奮しているのですか?」
「ちげえわ! ちょっと昔に世話になった一門のリーダーのことを思い出してただけだわ! ったく、なんで自分の娘に欲情せにゃならんのだ。俺は野獣かジョウさんか何かかよ!」
「あらら。これはツキトに叱られてしまいましたわ? これは失敗ですわ? ここは素直に謝っておくのですわ? 遺憾の意! なのですわ」
そう言いながら、アマノがくすくすと笑顔になっている。しかしだな。言っておくけど、【遺憾の意】は謝罪の言葉じゃないからな?
「それは置いておいて、ツキトがお世話になった一門リーダーさんは、確か、私とツキトの結婚式で飲んだくれて、酔い潰れていたあのヒトでしたわよね?」
「そうそう。無類の酒好きだからなあ、あのヒト。酒を飲んでは説教をしだして、酒を飲んでは当たり散らして、酒を飲んではモンスターをぶん殴ってたあのヒトだよ」
「ウキキッ。話を聞く限りでは、なかなかのクズニンゲンのような気がするのですが、わたくしの気のせいなんでしょうかね? ウキキッ!」
「まあ、少なくとも人格者じゃなかったぜ? でも、あのヒトにお世話になったのは確かなんだよな。俺の槍の師匠でもあるわけだから、未だにお中元とお歳暮は贈ってんだよ。ユーリにとっては俺がお父さんなら、あのヒトはお爺ちゃんみたいなもんだよ」
「あー。ホウゾウインお爺ちゃんだねー? そのヒトってー。冒険者を引退してからは奈良で暮らしているから、長らく顔を視てないねー? あたし、冒険者になったんだーって、直接、報告したいよー」
と試着室のカーテンの向こう側からユーリが俺たちの会話に混ざってくるのである。
「うーーーん。じゃあ、冬になる前に一度、ホウゾウインさんに会いに行くか? ユーリは冬が過ぎれば、もっと忙しくなるもんな?」
「そうだねー。あたしの修業が順調にいけば、【根の国】探査団の正式メンバーだもんねー。冬が終わるころにはそのメンバーたちとの合同訓練になるから、ますます、お爺ちゃんに会いにいけなくなるもんねー?」
「ウキキッ。では、今回の幽霊屋敷の件が終わった次のクエストでは、奈良方面のクエストを受けるのはどうですかね? 足代も浮く可能性もあるので一石二鳥といったところなのですウキキッ!」
ふむ。ヒデヨシの言う通りだな。でも、上手いこと奈良方面に出かけられるクエストなんてあるのかなあ? 奈良も平安京と同じく、古くからの都だし、あちらはあちらで活躍している一門なんて山ほどありそうだしなあ?
「まあ、考えたってしょうがないか。ユーリ。まだ着替えは終わらないのか? なんか、えらく時間がかかってんだけど?」
「それがねー? 今、ブラとパンツだけになったんだけど、これを着けたままだと、伝説のスクール水着の【加護】が発動しなくなるのかなー? って悩んじゃってるわけー。やっぱり、水着だから、素肌の上からじゃないと、ダメだよねー?」
「なるほどなあ。確かにその辺り、どうなのかわからないなあ? なあ、ジョウさん。伝説のスクール水着は、下に下着を着込んでたら【加護】は発動しないのか?」
「ぶひひっ。そんなの当然、【加護】が発動するわけがないのデュフよ。大体、水着の下に下着を着込むってどういうことデュフ? ぼくちんなら、金を返せ! って怒鳴ってしまうデュフよ?」
お前は金を払わずに娼婦とずっ魂ばっ魂しようとして、一度、おまわりさんに連れていかれただろうが。本当、ジョウさんは都合の悪いことは忘れちまう奴だよなあ?




