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舞々花伝  作者: 一瀬詞貴
七ノ段
32/41

真実万華鏡(3)

 猿彦の身体が一瞬、びくりと震えた。

「ずっと、ずっと、ずっと……妬ましかった。いえ、憎かったんです。猿彦、君が、君のことが」

 言って、元重さんは力なく自身の手を見下ろした。

「私が生きて来た、全ては……家のため、黒翁のためでした。それなのに」

 ぎゅ、と拳を作ると猿彦を真っ向から睨め付けた。その目付きは、いつものぼんやりとした穏やかな様子からは想像もできない、強く、厳しいものだった。

「勝手ですよね……跡継ぎがいないからと、私を養嗣子にしたくせに。私は最高の舞々になろうと、自己を返上して死に物狂いで技術を学びました。なのに、自分たちに子供が生まれれば、掌返したように私は用無し。それでも私は信じていたんです。父上がくれた『三郎』の名を………なのに」

 〈三郎〉――観世家にとって特別な、次の大夫を約束する通称。

「私の生きてきた人生は何だったんでしょうか。いざ継承の儀式を迎えれば、選ばれたのは――まさかの君ですよ、猿彦。元雅ならまだ納得できたかもしれない。だけど……君は、父上の子かどうかだって分からないじゃないですか。それなのに、何故? 何故、私は父上の子じゃないからと後嗣から外されねばならなかったんです? 力だって……総括的に見れば私の方が上でした。それなのに、何故、君なんです!!」

 猿彦は動けないでいた。元重さんは儚い笑みを浮かべて続ける。

「……私は力を失いました。もう、舞々ではありえません。自業自得です。……けれど、そう納得することもできなかった」

 この人は、矛盾してる。

 僕は元重さんの寂しげな微笑みを見つめた。

 ……たづさんに手紙を届けてくれ、と言ったのは元重さんなのに。

 さっきも、黒翁に渡せば良かった黒式尉の面を、彼は猿彦に投げたのに。

 そして……儀式の最中、命をなげうって助けたのは、他でもない彼、なのに。

「……ずっと不思議だったんだよね。どうして、黒翁がたづのところに来たんだろーって。あんたが教えたんだ」

 元雅くんの声音は、まるで全てを知っているかのようで……僕の心の中で、すとん、と蟠りが溶けた。と同時に、彼を疑った自分を酷く恥じる。

「元雅くん……君は、元重さんを庇っていたの?」

「……違うよ」

 そう嘲るように彼は言ったけれど、それが本心でないことは明白だった。彼の思いやりに胸が苦しくなる。

『今が一番いいんだよ』と彼は言った。

 信頼を寄せる元重さんが、裏切ったことを猿彦は知らなかった。

 そして、過去の過ちを悔いる元重さんは、猿彦の側に兄としての居場所を見つけていた。

 猿彦さえ真実を知らなければ、崩れない平穏。

 しいちゃんが元雅くんを庇ったように、元雅くんも元重さんを庇っていた。

 猿彦が元雅くんを疑い憎む。元雅くんは若大夫を継ぐと同時に、兄の罪を飲み込み、影で叩かれる噂をも継いだのだ。それはどこか捨て身の強さだった。彼は決して認めないだろうけれど、それは母の猿彦や元重さんに対する冷たい扱いに対する贖いのようにも思えた。彼は秘密を抱え、ひたすら耐えて来たのだ。

 誤算だったのは、しいちゃんが元雅くんを思って黒式尉の面を持ち出してしまったこと。そして、元重さんが自ら罪を告白してしまったこと。

「まーくんは、知っていたんですね。私が猿彦を殺そうとした事を。見て、いたんですか?」

「儀式の前に……あんたが黒式尉を手にしてたのをたまたまね。まさか、あんな事になるとは思わなかったけど。でも、あんたの気持ち、分からなくもなかったから」

 猿彦に追い詰められ、そして贖いの時を元重さんは生きてきた。その彼の側にいながら、何一つ気付かず、考えもつかず、日々を暮らしていた猿彦。

 真実を知る元雅くんが、自分勝手にも捻くれるだけ捻くれた猿彦を、苛立たしく思うのも無理はない。

「そうですか。ずっと…………本当に、すみませんでした」

 深く頭を下げる兄から目を逸らして、元雅くんは問いを投げる。

「ていうか、何でたづの事、教えたりしたの? あの能力があれば彦兄は顔を取り戻す。それはあんたの望む事じゃないだろ」

 問いに元重さんは、のろのろと首を傾げた。

「……さあ、どうしてでしょう。私にも分かりません」

 それから額を抑えて呻く。

「ほんと、どうしてでしょうね。たづちゃんと会わせたら、猿彦に顔が戻ってしまうかもしれないのに……」

 元重さんは混乱しているようだった。

 彼自身、憎みながら助ける自分を理解できていないのだ。

 猿彦は……狂おしげに頭を抱える兄を見やる。

〔……疑って悪かったな、元雅〕

 そう元雅くんに謝罪してくるりと背を向けた。

「さ、猿彦?」

〔行くぞ〕

「行く? 行くって……」

 まさか、黒翁のもとへ? 

 たった今、自分を殺そうとした犯人を、自分に向けられる殺意を知ったのに?

「猿彦!」

 元重さんの声に、猿彦はぴたりと歩みを止めた。振り返る。元重さんは自嘲の笑みを張り付かせて弟を見た。

「話を聞いたからには、もう彼方へは渡れないでしょう? しいちゃんの命糸が切れたら君たちは戻ってこられない……私は、切らないとは、約束しかねます」

〔だから?〕

「だから……そうですね。選びうる最善の策は……私を殺すこと、でしょうか。私を殺せば故意に命糸が切られることはないし、帰って来られる可能性は上がります」

 猿彦はしばらく兄を見つめてから、ふい、と視線を逸らすとさっさと室を出ていこうとする。元雅くんも何も言わずに、彼に従った。僕は驚愕する。

「ちょっと待ってよ。このまま行く気!? た、確かに元重さんをどうこうするってのは話が飛躍してるし、君が怒り狂って彼に殴りかからなかったのは、大人な対応だとは思うけど……でも解決しない状態で行くなんて、それはそれで問題でしょう!」

〔時間がないってお前も言ってたろ。それに……解決ってなんだ? はっきりと裏切らないとでも言われたら、お前、納得すんのか〕

「そうじゃないよ。だけど……」

 元重さんが混乱するのは猿彦を思うからだろう。でも、だからって、殺すと宣言したも同然の人に背を預けられるわけがない。

「猿彦、君は……」

 ひたり、と猿面に見据えられて、僕は相棒の意思が堅いことを知る。

「…………私にはそんなこと、できないと高をくくっているんですか? それとも試してるんでしょうか」

 元重さんが静かな怒りを滲ませながら尋ねる。猿彦はゆるりと首を振ると、兄を真っ直ぐ見据えた。

〔……重兄。俺は、あんたに感謝してる。それだけだ。真実を知った今でも〕

「感謝? 君を殺そうとした私に?」

〔今まで支え続けてくれた、あんたに、だ〕

 元重さんが息を飲む。

〔俺は、良い兄貴のあんたしか知らない。そんで……それが、俺の中の全部だ〕

 項垂れた元重さんに、今度こそ猿彦は背を向ける。慌てて僕は、元雅くんに向き直った。

「元雅くん! 君、こんな状態で行ってもいいの!?」

「しいが待ってる」

「そんな……だって、しいちゃんを助けられても戻ってこられないかもしれないじゃないか―――痛い!」

 容赦なく頭頂に振り下ろされたヤスケに舌を噛みそうになって、僕は口を閉ざした。

〔ゴチャゴチャうるせぇ。てめぇは俺に憑いてくりゃいーんだよ〕

 ヤスケを袈裟懸けに背負うと、猿彦は顎を反らして不遜な態度で命じた。

〔さっさと舞え、敦盛〕

「……君がそこまで言うなら、分かった。もう、知らない」

 ……僕は大人しく従った。

 そんな不遜とも思える、自信に満ちた言い方を相棒にされたら、信じないわけにはいかないじゃないか。

 身体を得ると猿面を外す。笛に変化したそれをきつく握ると、僕は元重さんを振り返った。

「僕たちは必ず帰ります。だから、しいちゃんをくれぐれもお願いしますね」

 呆然と立ちすくむ元重さんに宣言して、僕は笛を構える。

「敦盛、参ります」




(七ノ段:真実万華鏡 了)

次回は明日1月2日朝七時に更新。

(年末年始のため、12月31日から1月3日まで連続更新です)

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