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舞々花伝  作者: 一瀬詞貴
八ノ段
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33/41

「裏切らない」(1)

 ぽっかりと空いた空間に足を踏み入れた僕は、その異様さに一瞬息を飲んだ。

 闇の空中に張り巡らされた、膨大な量の白い切紙……そこには白鷺や、梅、紅葉、水の紋様などが示されていた。四季を、世界を超越した、あの世とこの世の狭間だった。その切紙が表わすように、場には白い粉雪が吹き荒れ、けれど手のひらに触れたそれは、一瞬後は桜の花びらになり、足元に茂る緑の草は刻々と茶や緑に色を変えていた。

 ――異様な光景だった。秋から春が生まれ、夏から冬が生まれる、狂乱する四季が支配する空間。

 その下には一本の細く白い道が伸びていた。

 それはふらりふらりと頼りなく、現れては消えるを繰り返す。その上を同じく明滅する、しいちゃんの赤い、命の糸……

 僕は、元雅くんが後ろからついて来ているのを確認してから、再び笛へと息を吹き込み、時空を裂く。

 意識は紅の糸に一点集中。

 目前に闇を切り取った方形が集まると、揺れ動く道と命糸の姿がはっきりと浮き上がる。僕らは躊躇なくその上を走った。浮かび上がったそばから、それは再び闇に滲んで消えてしまう。

 無間の狭間。

 一歩間違えれば、時も空間も留まることを知らない場に取り残されてしまうだろう。踏み込んだ時から、僕らはしいちゃんの命糸を辿らずには戻れなくなった。……躊躇っている暇はない。

 甲高い音が次々に空間を繋げていく。そこを駆抜けていると、突然、白い道が消えた。

「……へ?」と、口を半開きにしたまま、僕は消滅した道の下に落下した。

 下は張り巡らされた切り紙がゆらゆら揺れるだけで、底は見えない。

 白紙を巻き込みながら落ちる、落ちる――

 恐怖に身を強ばらせれば、思ったよりもずっと早くに底へと辿り着いた。

「ふぎゃっ」

 尻を打つと同時に、変な悲鳴をあげた僕は、驚きのために、猿彦の身体から飛び出した。

「ったた。って、ここは……?」

 憑依が解けてしまった僕は尻を撫でながら、辺りを見渡した。先ほどと変わらず、宙には白い紙が浮かぶ。ただ、紅の糸だけがない。

 僕は途方に暮れて、ばらばらと無残にも破れた切り紙が雪のように降る暗い天を見上げた。

〔とりあえず、近づきはしただろ〕

 猿面をかけ直し、背からヤスケを抜き放った猿彦が一歩進み出る。その後に続いた元雅くんが、僕をキッと振り返った。顔を顰めているのはさっきの衝撃で傷が痛んだ……のだと思いたい。

「きちんと、辿れたんだろうね」

「も、もちろんだよ! ただ、途中で命糸が見えなくなっちゃって……しいちゃんの元まではいけなかったけど」

〔隠されたな〕

「ま、ちょっと考えれば知れるよね」

 猿彦の言に元雅くんが頷く。

「でも、すぐに飛んでこない辺り、黒翁もまだ本調子じゃないみたいだ」

 言って、彼は前方を見据えると目を細めた。僕はその視線を追い掛け、行く手を阻むものに震え上がる。

「大歓迎だね」

〔黒翁の奴……なかなか俺らの趣向を把握してやがるぜ〕

 目前に突如、浮かび上がった黒い影。猿彦たちよりも二回り以上も大きいそれは、沼地の底を掬い上げた、腐った泥が形を持ったようだった。全身がぬめり気を帯び、上部には濁った赤い光が鋭く輝く。発せられる障気は腐った魚類を思わせた。――あの世にも渡れず、この世にもとどまれず、時空不確かな狭間で淀んでしまった死霊の残骸。それらが、団体でずるずると歩み寄って来たのだ。

 尻込みする僕とは裏腹に、それぞれの武器を手に前へと進み出た兄弟はどこか楽しげだ。

 こんな時ばっかり。などと内心溜息を吐かざるを得ないけれど、いつもは頭を悩ませる好戦的な性癖が、今は心強い。そんな姿に、僕も勇気づけられる。――などと、思ったそばから、

〔敦盛! てめぇは命がけで隠れてろ〕

「何それ!? 僕ってそんなに役立たず!?」

 猿彦に出鼻を挫かれた。

 ……そりゃ、今のままでは武器一つ持たない僕は役立たずだろう。力を引き出す舞々に憑依しなければ、ふわふわ浮いている綿と変わらない。でも、猿彦に身体を借りられれば――と考えて、それでも有用性はなさそうで、僕は落胆した。空間を切り裂けば、せっかくしいちゃんまで近づいたのが水の泡になってしまうかもしれないし。

 だけど「隠れてろ」は納得できない。僕にだって、猿彦の相棒として三年間、死線をくぐり抜けてきた誇りがある。それに、

「…………僕だって武士だ」

 幽霊になっても。例え黒翁を前に、恐怖で腰を抜かしていたとしても。

〔阿呆〕

 そんな僕の頭頂に、容赦なくヤスケが振り下ろされる。そしてとどめをさすがごとく、冷え冷えとした呆れた声で元雅くんが言った。

「お前が笛吹けなくなったら、どうやって帰る気なの? 馬鹿なの?」

「あ、なるほど」

 手を打った僕に、猿彦は肩を竦ませてから、敵に向き直った。

〔……行くぞ〕

 元雅くんがせせら笑って応える。

「僕に命令するな。黙れ、のっぺらぼう」

 いちいち突っかかるのを忘れない。生意気な弟を張り倒さんと、ヤスケがぶん、と空を斬る。それを軽々と避けて、元雅くんは怪我人とは思えない身のこなしで死霊の群へと躍りかかっていった。


     * * *

次回は明日1月3日朝七時に更新。

(年末年始のため、12月31日から1月3日まで連続更新です)

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