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舞々花伝  作者: 一瀬詞貴
六ノ段
27/41

黒翁襲来(6)

 目の前で繰り広げられる死闘に、僕は息を引き攣らせた。隣でしいちゃんも呆然と立ち尽くしている。

 黒翁が今回選んだ身体は以前よりも降霊に向いていたのか、彼女は、以前とは比べようもないほど動きに切れがあった。繰り出される力の奔流に、一怨霊として、彼女の神格を認めないわけにはいかない。彼女の力には、背筋に薄ら寒いものを感じる。

 しかし、彼女の主たる元雅くんはその遙か上を言っていた。持ち霊を憑依すらさせず、彼自身の霊力だけでやりあう……若大夫というのは伊達ではない。むしろ彼よりも優れていたという元重さんや猿彦がどれほどの舞々だったのか想像もつかないほどだ。

 息を飲む死闘は、すぐに決着が付いた。

 どしゃり、と地に沈んだ黒翁を元雅くんは涼しげに見下ろした。その整った横顔には、汗一つかいていない。息一つ乱れていない。

「……お前さ、弱いね。こんなんじゃ、手にいれても、使えそうもないな」

 打ち杖でそっと自分の唇に触れた。その姿はどこまでも艶やかだ。

「もう、いいや。お前とやり合うのつまんないし、主人に噛みつく狗はいらない。消えろ」

 地に爪を立てた黒翁が元雅くんを睨み付ける。

「…………まだじゃ」

 その憎しみに燃える暗い瞳が、僕らの方を一瞬見た。かと思うと、彼女は口元だけで笑む。――――その瞬間!

 地鳴りが轟き、黒翁を中心に大地が放射線状にひび割れた。同時に、ごおっと突風が吹く。

「しい! 伏せ――」

「きゃっ…………!!」

 元雅くんの警告は間に合わず、暴風にしいちゃんの小さな身体が吹っ飛んだ。

「しい!」

 彼女は本堂の扉に容赦なく叩きつけられた。そのままずるずると力なく崩れ落ちる。

「き、っさまああああ!!」

 正体を無くした元雅くんが吠えて黒翁へ飛びかかった。

 僕は慌ててしいちゃんに駆け寄った。しゃがみ込んで、その顔を覗き込む。……呼吸はしていた。気絶しているだけだろう。

 ほっと安堵の溜息を零すも、このままこんな危険な場所に置いておくわけにもいかない。僕は自分の面のことも忘れて、猿彦を呼びに踵を返した。と――――

 ぞわり、と全身が粟立ち、僕は動けなくなった。


 オロロロ

 オロロロロロン


 背後で爆発する霊気。

 風になぶられる髪を右手で押えて、僕は恐る恐る振り返る。

 大きく膨れ上がった黒い影が、黒翁に憑依された少女の身体から吹き出ていた。寺の屋根よりも高くのぼり立ったそれは、夢見るようにゆらり、ゆらりと揺れていた。先ほどとは打って変って静かなのが、尚更恐ろしい。

「今更、本気になったって、遅いんだよッ!」

 元雅くんが高く跳躍、優雅に打ち杖を翻す。杖の描いた爪形の曲線が、炎を思わせる紅の光を発して黒翁へと襲いかかった。

 黒翁は迫り来る攻撃にただただ身体を縮こまらせ震えただけだった。けれど、何か障壁でもあったのか、光は彼女には届かず霧散する。

「駄目だ、元雅くん!」

 思わず叫んでいたのは、猿彦の顔を思ってか、それとも――元雅くんの身を案じてか。

「―――――なッ!?」

 二撃目を繰り出そうとしていた元雅くんの身体がふらついた。次の瞬間、轟音がたち、彼は軽々と地に叩きつけられる。

――ア……アア…………

 影が震えた声を上げた。僕の目には、影は自衛しただけのように見えた。……それは、とても恐ろしいことだ。単なる自衛で、今まで善戦していた元雅くんをひねり潰したのだから。

 何だ……?

 僕はぎゅ、と眉を寄せる。黒翁は変質していた。何か得体の知れないものに……

「あ、敦盛、さん……」

「しいちゃん!?」

 と、隣でしいちゃんが目を開けて、僕の思考は中断された。

「良かった……気がついたんだね。大丈夫? 痛いところない?」

「たづ、何処?」

 彼女は覚束ない足取りで立ち上がると、開口一番そう訊いてきた。

「……まだ、猿彦と一緒にいると思うけど」

「何処? 連れていって」

 水晶のように澄んだ、大きな赤の瞳が命じる。煌めく有無を言わせない強い光。

「……しいちゃん?」

 す、と僕の方に伸ばされた小さな手。

 僕は何故だか恐怖を感じて身を引いた。彼女はきょとんとしてから、小さく笑った。

 一歩、また彼女が僕に近づく。

 何だろう。背中に冷や水を流し込んだような、恐怖が迫り上がってくる……と、彼女の指先が僕に触れる間際、しいちゃんはバッと殺気立って背後を振り仰いだ。

 たづさんを伴い、猿彦が慌てて駆けてきたのだ。僕は知れず胸を撫で下ろす。

〔黒翁の野郎……いっつも邪魔しかしやがらねぇ!〕

 猿彦は元雅くんと同じようなことを言ってから、忌々しげに髪に手をつっこむと、ぐしゃりとかいた。

〔ちくしょう。まだ、話は終わってねーのに……!〕

 謝るだけでどれだけ時間がかかっているのさ……などと、呆れている場合じゃない。

「猿彦。今、元雅くんが」

 僕の指摘に、彼はじっと食い入るように黒翁を見やると、しいちゃんの腕を掴んでたづさんを振り返った。

〔たづ! お前は隠れてろ。あいつの狙いはお前だ〕

「うん。元能くんおいで。一緒に隠れてよう」

 手招きするのに素直に頷いて、しいちゃんがたづさんの元へ駆け寄る。

「この子は任せて。……気をつけてね」

〔おう〕と、たづさんに深く頷いてから、猿彦は木から僕の面を取り外すと腰に括り付けた。

 一抹の不安と共に、二人を見送った僕は、猿彦の隣に並ぶと共に敵へと向きなおる。

〔……っつか、何で黒翁は暴走してんだ? 俺の顔はどうした?〕

 顎を手に、首を捻っていた猿彦だったが、

〔…………まさか。――たづ!〕

 呟くやいなや、今さっき去っていったたづさんを振り返った。しかし二人の姿はすでにない。

〔やられた……っ!〕

 猿彦は二人を追おうとして、元雅くんの呪を紡ぐ声を耳にすると、ぐ、と足を踏ん張った。

「猿彦!?」

 わけが分からない僕を置き去りに、彼は舌打ちすると、黒翁を庇うように元雅くんの前へ飛び込む。

〔元雅!!〕

 元雅くんは兄のことなど気にも止めず、呪を舌に乗せ続けた。

「曩謨三曼荼縛日羅南」

 不動明王の祕法……元雅くんは本気で猿彦の顔ごと、観世座が継いできた一柱の神を滅ぼそうというのだ。

〔やめろ、元雅!!〕

「東方に降三世明王、南方に軍荼利夜叉、西方に大威徳明王、北方に金剛、夜叉明王、中央の大聖不動明王」

 呪と共に、颯爽と腕を振るう。それに、ヤスケを構え直した猿彦も、意識を集中し始めた。

〔一空一切空無假無中而不空!〕

 中断の呪が飛ぶ。

 その妨害に、元雅くんは整った顔を歪めて、苛立たしげに舌打ちした。

「あんたがまいた種だろ。今まで散々迷惑かけて――――まだ足りないわけ」

〔読め、元雅!〕

 猿彦の言葉に滲むのは、怒りじゃなく焦りだ。

〔俺の顔なんぞどうでもいいんだ! だが……こいつを傷つけるのはやめ―――〕

「避けないと、死ぬから」

 打ち杖を唇で挟むと、元雅くんは両手を打ち鳴らし、素早く印を結んだ。

「曩謨三曼陀縛日羅南、旋多摩訶嚕遮那、娑婆多耶吽多羅他漢満!」

〔こんっの、馬鹿野郎!!〕

 天が轟き、目を焼く光が放たれる。

 思わず目を閉じていた僕は、吹き荒れる暴風が収まってやっと薄目を開け……

 息を、飲んだ。

 地響きのごとき低い声をあげてもがく黒翁だったが、怪我を負った様子はない。

 何故なら――――

「猿彦!?」

 依代の少女を抱きしめるようにして、猿彦が庇っていたのだ。

 ガクリ、と彼は膝をついた。その背には大きな裂傷……そこから流れ出る朱い血が、大地を黒く染める。

「な、んで…………」

 ふらり、と少女にもたれ掛かった猿彦の姿に、元雅くんが愕然とした声をあげた。

「猿彦? ……なに? どうしたの」

 慌てて駆け寄った僕の気配に気付いた相棒は、何か言おうと顔を上げる。けれどヤスケは遠くに吹っ飛ばされていて側にない。

 声など聞こえるはずもないのを失念して、ついつい彼の言わんとしたことを聞こうと僕は身を屈めた。

「え……?」

 と、そんな僕に、猿彦は苛立たしげな素振りで黒翁の憑かれた少女の腕を掴むと、彼女を僕の方に押しやった。僕はぎくりと身構えて……それから、はっとした。

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