第69章 買い出し
翌朝。
丈太郎は、アンクから借りた見慣れた服に袖を通していた。
日本から着てきた服は、さすがにこれからの長旅には向かない。再び借りることになった色褪せたシャツと布ズボンは少しだぶつくが、その感覚がむしろ懐かしくて心地よかった。
「さて、買い出しに行かないと……」
フィリスが待つアウトリアまでは、およそ5日の道のりだ。食料や野営の道具をひと通り揃える必要がある。
だが、いざ家を出ようとしたところで、丈太郎は致命的な事実に気がついた。
(……お金がない)
電子マネー機能の付いた冒険者証も現金も、あの特注の巨大リュックも、すべて帝都にあるフィリスの家の客室に置いてきてしまったのだ。今の丈太郎は、文字通りの一文無しである。
どうしたものかと玄関先で頭を抱えていると、不意に背後から声が掛かった。
「ほら、これを持っていきなさい」
振り返ると、アンクがずっしりと重そうな革袋を差し出していた。
受け取らなくても、中にお金がぎっしりと詰まっているのが音と重みでわかる。
「えっ……アンクさん、こんな大金、受け取れませんよ!」
丈太郎が慌てて突き返そうとすると、アンクは苦笑しながらその手を押しとどめた。
「遠慮するな。息子の旅支度に金ぐらい出してやっても、バチは当たらんだろ?」
「アンクさん……」
かつて酒場で「俺の息子だよ」と笑い、詮索から庇ってくれた彼の顔が重なる。
その真っ直ぐで温かい言葉に、丈太郎の胸はじんわりと熱くなった。
「……ありがとうございます。ちょっと買い出しに行ってきます」
「ああ。気をつけて行ってこい」
「朝ご飯作って待ってるわね」
テラが優しく微笑むと、丈太郎は力強く頷いた。
アンクとテラに見送られ、丈太郎は村の中心街にある雑貨屋へと向かった。旅人や冒険者のために、夜明けとともに開店している。
そこはかつてフィリスと共に、初めての旅の準備をした店だ。
店内には所狭しと道具が並んでいる。
まずはリュックを探すが、売られているのはごく普通の、一人用のサイズのものだけだった。
(あの時は、鍛冶屋で仕立ててもらった自分の背丈ほどもある特注の巨大リュックだったな……)
普通のリュックを背負ってみると、なんだか背中が涼しく感じて少し物足りない。フィット感も汎用的なそれだった。
干し肉、硬い黒パン、乾燥野菜の袋、一人用の折り畳みテントに火打石。あの頃はフィリスに言われるがままだったが、今は一人分の旅に必要な物資を次々と手慣れた様子で選んでいく。
ふと、棚の隅に並んでいる酒瓶が目に入った。
赤い封蝋がされた瓶を見て、丈太郎の脳裏に、かつてのフィリスの言葉が鮮明に蘇る。
『当たり前じゃない。旅には必須よ』
当然のように笑って、巨大リュックに次々とお酒を放り込んでいた彼女の姿。
「必須……ですよね」
丈太郎は思わずクスッと吹き出し、自分用に小さな酒瓶を1本だけ購入した。
一人で背負うリュックは、あの特注品よりもずっと小さくて、あの時のように重みで能力が発動するようなこともない。
「こんなものか……」
買い出しを終えてアンクの家に向かっていると、ふいに声をかけられた。
「丈太郎じゃないか!」
振り向くと、そこにはルノア村の狩人、ゼインが立っていた。
「ゼインさん! お久しぶりです!」
「元気そうだな。……家族は見つかったのか?」
「はい、おかげさまで。でも、ここが懐かしくてまた来ちゃいました」
「はは、そうか。フィリスは一緒じゃないのか?」
「……はい、今は別々です。フィリスさんに会うために、これからアウトリアへ行くところです」
「そうなのか。丁度、明後日に定期便の護衛を頼まれてるんだが、一緒に行くか?」
丈太郎は少し考えてから、静かに首を振って答えた。
「いえ、なんか1人で行きたい気分なので……」
「そうか。なら、気をつけてな」
ゼインはかつて、野営地で絡んできた大柄な男を丈太郎が片腕で軽々と投げ飛ばした光景を思い出していた。彼なら一人でも大丈夫だろうと感じ、無理に引き止めることはしなかった。
「はい。ありがとうございます」
丈太郎はゼインと別れ、再びアンクの家へと向かって歩き出した。これから始まる一人きりの旅路へと思いを馳せながら。
アンクの家に帰ると、起きてきたミィナが飛びついてくる。
「お帰りお兄ちゃん! もう行っちゃったかと思って焦ったよー」
「あはは、ごめんごめん。ちょっと買い出しに行ってたんだ」
丈太郎は朝食を取り、アンクの家を出た。
「丈太郎、これに乗ってけ」
アンクは家の隣の庭につないでいる移獣を指差した。移獣舎ギルドのものよりは小柄で、どこか愛嬌のある顔立ちをしている。
「え! さすがにそれは!」
丈太郎は驚いて後ずさる。
「気にするな。俺も最近は全然乗ってないし、ほとんど飾りみたいになってたからな」
「でも……」
「それに、また帰ってくるんだろ? 貸すだけだからな」
アンクがニヤリと笑う。
「……はい、ではお借りします」
丈太郎は深く頷いた。
「丈太郎さん、これも」
テラから、丁寧に包まれたお手製のお弁当を受け取る。
「お兄ちゃん、元気でね!」
ミィナが大きく手を振る。
「行ってきます!」
三人の温かい笑顔に見送られ、丈太郎は村を出た。
あの時、不安と孤独を抱えながら歩き出した一年半前とは違う。
今の彼の背中を押すのは、帰るべき場所がくれた確かな絆と、未来へ向かう明るい希望だった。




