第2巻 第1話:地獄からの招待状
闇。それは虚無ではなく、冷え固まった血のように重く、粘りつくような実体を持っていた。
一歩踏み出すたびに、果てしない空間に鈍い足音が響く。足元で奇妙な感触がした。目を落とすと、それは映画のフィルムだった。地平線の両端まで続く、果てしなく広い帯。後ろを振り返り、歩んできた道を確認しようとしたが、そこには……何もなかった。背後のフィルムは焼き切れていた。光沢のある黒いプラスチックは形を失って溶け落ち、俺の過去を無慈悲に飲み込んでいた。誰かが俺の幼少期のコマを切り取り、灰だけを残していったのだ。
俺は再び前を向いた。行く先にあるフィルムは、処女雪のように真っ白だった。透明なコマが、俺の手で物語が綴られるのを待っている。一歩踏み出すと、透明なプラスチックの上にシルエットが浮かび上がった。黒を纏った俺自身の姿だ。だが、視界の端、背後には常に巨大で禍々しい影が動いていた。その翼でこの奇妙な夢の空を覆い尽くす、龍の影が。
「クロナ……」誰かの声が真空を切り裂いた。「クロナ! 起きなさい、ほら!」
夢の世界がひび割れ、砕け散った。
勢いよく目を開けると、真っ先に飛び込んできたのは、俺を至近距離で凝視する輝く瞳だった。アマネが俺の膝の上に直接またがり、顔を数センチの距離まで近づけていた。彼女は絶滅危惧種の昆虫を観察する学者のように静止していたが、俺の生存を確認した瞬間、鼓膜が震えるほどのエネルギーを炸裂させた。
「起きた! やっと起きた! クロナ、一番面白いところを全部寝過ごすつもりだったの?!」彼女はその場で跳ね起き、ベッドが悲鳴を上げた。「早く起きて! 今日が何の日か忘れたなんて言わせないわよ。今日は偉大なる日なんだから!」
俺はこめかみを押さえながら起き上がった。黒いフィルムの夢のせいで頭が重い。
「覚えてるよ、アマネ……。今日はリュウザキのところに行く日だ。魔界にな」
「そう、魔界よ! 魔界!」アマネはすでにベッドから飛び降り、小さな竜巻のように部屋の中を駆け回っていた。「早く支度して! もし遅刻してお祝いの料理を食べ損ねたら、一生許さないからね!」
彼女は俺が答える暇もなく、弾丸のような速さで部屋を飛び出していった。俺は重いため息をつき、鏡の前に立った。
この一ヶ月で、俺は大きく変わった。顔つきは険しくなり、眼差しは鋭さを増した。この一ヶ月、休息などなかった。サイトーには死ぬほどしごかれ、反射神経を無意識のレベルまで叩き込まれた。ユミコのスパーリングは容赦がなく、彼女の氷の刃に何度も肌を裂かれ、そのたびに俺は動きを速めることを強いられた。ホタルまでもが俺の修行に加わり、魔力の制御を叩き込んでくれた。アマネ? まあ、アマネは主に三代先まで食い繋げそうな勢いで飯を食い、大声で俺たちを応援していた。だが、彼女がいるだけで、この狂った家の中の空気が不思議と安定するのは分かっていた。
だが、それだけじゃない。この一ヶ月、俺は誰かの視線を感じ続けていた。猜疑心に満ちた、観察するような視線。まるでこの世界の住人ではない影の中から、誰かが俺の動きを逐一監視しているような。俺の中の龍、クラヤミは長い間沈黙を守っており、その静寂は彼の激しい囁きよりも恐ろしかった。何かが来る。肌でそれを感じていた。
俺は正装に袖を通した。黒のジャケットに白いシャツ。サイズは完璧だったが、一つだけ問題があった。ネクタイだ。この布切れは、俺にとって個人的な呪いだった。何度試しても、結び目は歪で無様なものになった。
「また服と戦ってるの?」ドアの方から、冷静で少し皮肉めいた声がした。
ホタルが部屋に入ってきた。彼女はいつも通り、非の打ち所がない姿だった。彼女は俺に歩み寄り、俺の手を優しく退けると、慣れた手つきで結び目を作り始めた。俺は彼女の顔を見た。穏やかで、集中している。だが、その仮面の裏に、彼女が隠そうとしている緊張が見えた。
「ホタル」俺は静かに呼びかけた。「お前……大丈夫か? 父親に会うんだ。色々複雑なのは分かってる」
彼女の指が一瞬止まった。ネクタイを握る力が強くなり、危うく息が止まりそうになった。彼女は目を伏せ、ゆっくりとベッドの端に腰を下ろして、膝の上で手を組んだ。
「私の父は……」彼女は苦々しく微笑んだ。「リュウザキは常に、力のプリズムを通してしか世界を見ていない。力こそが彼の宗教であり、人の価値を測る唯一の基準。彼は『関係を修復しよう』としているわ、クロナ。贈り物を送り、こんなくだらない招待を出し……。でも、私は忘れられない。十年前、彼は私が信じていたすべてを壊すようなことをした。彼は、力さえあれば許しを買い取れると思っているのよ」
「十年前、何があったんだ?」俺は隣に腰を下ろしながら尋ねた。
ホタルは鋭く顔を上げた。その瞳には、深い痛みと混ざり合った苛立ちが灯っていた。
「どうでもいいわ。今は関係ないこと。私たちは家族としてではなく、同盟者としてあそこに行くんだから」
彼女に続ける気がないのは明白だった。俺は黙って手を伸ばし、彼女の頭を軽く撫でた。ホタルはびくりと肩を強張らせたが、一秒後には力を抜き、目を閉じてその短い安らぎに身を委ねた。
「行きましょう」彼女は囁いた。「みんな待ってるわ」
俺たちは一階に降り、庭に出た。そこはすでに活気に満ちていた。サイトーとユミコが朝のスパーリングの真っ最中だった。それは魅了されると同時に恐ろしい光景だった。ユミコは氷の旋風のように動き、その動作は精密で冷徹だった。対するサイトーは、不変の薄笑いを浮かべたまま指先だけで彼女の攻撃を受け流し、ひらりと身をかわしていた。
「もっと速くだ、ユミコちゃん! そんなにトロトロしてたら、下級悪魔にさえ出し抜かれちゃうぞ!」サイトーが豪快に笑う。
ホタルは冷ややかな視線を向け、指を鳴らした。
「そこまでよ」
二人の足元の地面が突如として意志を持った。鉤爪のような黒い影が土から突き出し、ユミコとサイトーの足を完璧に封じ込めた。ユミコは剣を構えたまま静止し、無表情な顔の眉がわずかに動いただけだった。サイトーはただ、お手上げといった風に両手を広げた。
「冥王がお待ちだというのに、子供みたいな真似を」ホタルが言い放つ。
俺はこの混沌とした光景にため息をつき、振り返った。ドアのところにキョウコが立っていた。彼女は今、俺たちと一緒に暮らしている。かつての学級委員長であり、その内に秘めた魔法はいまだ謎に包まれたままの少女。俺たちは彼女の力を解明しようとしたが、キョウコは固く閉ざされた本のようだった。彼女は黙って俺に頷いた。その瞳は何かを考え込んでいるようだった。
その時、門の前に一台の漆黒のリムジンが音もなく滑り込んできた。ハンドルを握っているのは、ホタルの忠実な部下であるゼパールだ。彼は車を降りると、恭しくドアを開けた。
「どうぞ、皆様。陛下がお待ちです」
俺たちは全員乗り込んだ。アマネは真っ先に窓際の席を陣取り、道中を楽しみにしている。ゼパールがダッシュボードにある大きな赤いボタンを押した。リムジンの車内が奇妙な紫色の光に包まれ、窓の外の空間が歪んだ。一瞬、凄まじい圧力が全身を襲う。
そして一秒後、その圧力は消え去った。
俺が窓の外を覗き込むと、危うく言葉を失いそうになった。そこは魔界だったが、古い本に書かれているような地獄ではなかった。目の前にはリュウザキの巨大な城がそびえ立ち、その尖塔は血のように赤い空を貫いていた。だが、一番奇妙だったのはその下だ。
城の周りには数千、数万もの悪魔が集まっていた。そして彼らは……叫んでいた。
「クロナ! ホタル! サイトー!」
看板が見えた。その一つには、横顔の俺の写真と共に『黒龍こそ俺たちのアイドル!』と書かれていた。別の看板では、ユミコがどこかのロックスタアのようなスタイルで描かれていた。
「なんだこれ……」俺は引き攣る頬を押さえながら呟いた。「いつの間に俺たちにファンなんてできたんだ?」
「物語の第2巻へようこそ、クロナ」サイトーが車を降りながらニヤリと笑った。「ここではニュースはあんたらのインターネットより速く伝わるんだよ」
俺たちは地鳴りのような大歓声の中を入場した。城内は、高級なワインと古の魔法の香りが漂う静寂に包まれていた。大広間、威厳ある玉座の麓に、奴は立っていた。
リュウザキ。魔王。常に俺を居心地悪くさせる、あの冷静ですべてを見透かしたような微笑みを浮かべて。
ホール内の緊張感は、ナイフで切り裂けそうなほどだった。サイトーとリュウザキは対峙し、二人の凄まじいオーラがぶつかり合って空気が震えていた。しかし、二人の顔には礼儀正しく、どこか無垢な微笑みが張り付いている。
二人は握手を交わした。骨が軋む音が聞こえ、足元の理石には圧力で細い亀裂が走った。
「ああ、リュウザキ、旧友よ! 久しぶりだな」サイトーは指を離さぬまま、無理やり笑い声を絞り出した。「天界と魔界の間に和平条約があって本当によかったよ。そうでなきゃ、あんたのこのおもてなしの城を木っ端微塵に壊してるところだった」
「おや、サイトー君、相変わらず血の気が多いね」リュウザキは腕に血管を浮かせながらも、穏やかに微笑んだ。「条約は便利なものさ。再びお互いの喉を掻き切る前に、こうして茶を飲む余裕をくれるのだから」
リュウザキは視線をホタルに移した。微笑みが少し柔らかくなり、彼女に何かを言おうと一歩踏み出したが、ホタルは彼を一瞥だにしなかった。
「……ハロー」火の悪魔でさえ骨まで凍りつきそうな、短く冷徹なトーンで彼女は言い放った。
彼女はそのまま彼を通り過ぎ、リビングへと向かった。一瞬、リュウザキの顔が歪むのが見えた。その瞳には哀愁に似た影がよぎったが、彼はすぐに平静を取り戻し、視線を俺に向けた。
「おや、クロナ君! 元気そうで何よりだ」彼は優しい叔父のような顔で歩み寄ってきた。「ところで、ユミコを通じて渡したあのヘンタイ本は気に入ってくれたかな? 最高の独占コレクションを選んだつもりなんだが」
俺はあの忌々しいマンガを思い出した。
「人生で最悪の本だったよ!」俺は顔が火照るのを感じながら叫んだ。「一体全体、女子高生に何を渡してるんだ!」
リュウザキは無邪気に笑い、ペットでも可愛がるように俺の頭を撫でようと手を伸ばした。俺は即座にのけぞり、その手を払いのけた。だが、俺がさらに怒りの言葉を重ねる前に、サイトーが突然隣に現れた。彼は俺の肩を抱き寄せ、危険なほど「無垢な」笑みを浮かべて魔王を見据えた。
「リュウザキ、俺の弟子に何か用か? それとも、人を苛立たせる技術の特訓でもしてるのか?」サイトーの声は捕食者の唸りのようだった。
「ただの親切心だよ」リュウザキが切り返す。
俺はもう、すべてが嫌になった。苛立ち紛れにサイトーを突き放し、彼の腕から抜け出してホタルの後を追った。リビングに入ると、彼女は彫像のように一点を見つめてソファに座っていた。俺は後ろから近づき、迷わず彼女の肩を抱きしめ、頬を彼女の髪に寄せた。
ホタルは驚きに肩を震わせたが、拒絶はしなかった。彼女は重いため息をついて体の力を抜き、俺の勝手を許してくれた。他の連中も部屋に集まってきた。ホタルは我に返ったように、俺の手を軽く叩いた。
「……ところで、アマネはどこ?」彼女が辺りを見回しながら尋ねた。
俺は凍りついた。ユミコ、サイトー、キョウコ……全員ここにいる。だが、あの小さくてエネルギッシュな災厄の姿がどこにもなかった。
「俺が探してくる」俺はため息をついた。「ここで待っててくれ」
俺は城を出て、悪魔の街へと向かった。ネオン看板、客引きの声、硫黄の匂いと射幸心が混ざり合った、魔界らしい喧騒。足は自然と「CASINO」と点滅する巨大な建物へと向かっていた。俺の中の何かが告げていた。この世界でアマネが見つかる場所があるなら、ここしかない、と。
ドアには張り紙があった。『魔法厳禁。魔王リュウザキの制圧結界作動中。暴力行為や戦闘の試みは即座に鎮圧される』。
俺は重いオークのドアを押し開け、中に入った。
そこには、凄まじい光景が広がっていた。ホールの中心には、通常30人から40人は座るであろう馬鹿げたほど巨大な円卓があった。高価なスーツを着た大柄な悪魔たちが青ざめた顔で座り、その卓の真ん中、チップの山の頂点にアマネが立っていた。彼女は金貨とジェトンを全身に浴びながら、建物全体に響き渡るような勝利の哄笑を上げていた。
「ハハハ! 言ったでしょ! 今日はアマネ女王様に運があるのよ! 降参しなさい、角付き共!」
卓を囲む悪魔たちが目配せをするのが見えた。一人が机の下でゆっくりと、ギザギザのついた長いナイフを抜き出した。もう一人はナックルダスターに手を伸ばしている。彼らがこの勝ち金を、ただの小娘に渡すつもりがないのは明白だった。
俺は影の魔法で彼らを拘束しようと手を挙げたが、体は反応しなかった。くそ、本当に魔法が使えないのか!
「アマネ、危ない!」俺は叫び、駆け出した。
一人の悪魔がナイフを振りかざして飛びかかったが、俺は跳躍し、靴の裏をそいつのアゴに叩き込んだ。骨が砕ける確かな感触。俺はアマネのすぐ隣、円卓の上に着地した。
「奴らを殺せ!」負けた悪魔の一人が咆哮した。「この生意気なガキ共を切り刻め!」
俺とアマネは即座に背中合わせになった。周りには凶器を持った二十数人の怒り狂う悪魔の包囲網。
「クロナ、ナイスタイミング!」アマネは楽しげにウィンクした。「ダンスの準備はいい?」
彼女は重厚な金色のチップを掴むと、とんでもない力でカウンターの古いラジオに向かって投げつけた。チップは見事に電源ボタンを直撃し、激しく攻撃的なロックがホールを満たした。
「いくわよ!」アマネが叫んだ。
そして、狂乱が始まった。
俺は斧の一撃をかわし、悪魔の腕を掴んでその勢いを利用し、襲いかかる群衆の中へと一本背負いで投げ飛ばした。魔法のない喧嘩は、全く別の感覚だ。重要なのは筋肉と骨、そして純粋な殺気だけだ。俺は跳び上がり、卓の上に吊るされた巨大なシャンデリアを掴んでスイングし、三人の大男の頭上にそれを叩きつけた。
アマネはさながら小さな戦の悪魔だった。独楽のように回転しながら、俺でも追いきれないほどの速度で蹴りと拳を叩き込んでいく。彼女は自分のチップを守るために、野生の猫のように戦った。
「死ねー! これはアマネのお菓子代なんだから!」彼女は叫びながら、また一人の悪魔の腹に拳をめり込ませた。
彼女がこんなに動けるなんて、思いもしなかった。一ヶ月の修行中、彼女は食べてばかりいたはずだが……今の動きは洗練され、致命的だった。
五分後、すべてが終わった。カジノ内はまるで嵐が過ぎ去った後のようだった。壊れた家具、床で呻く悪魔たち、そして重い足音だけが響く静寂。
俺はアマネに向き直り、彼女の額を指で小突いた。
「おい、賭博女王様。こういう場所には近づくなって言っただろ」
アマネはドラマチックに頭を押さえ、致命傷を負ったふりをした後、すぐに吹き出した。
「いいじゃない、クロナ! ここは魔界よ! 罪の街なんだから、何したっていいのよ!」
突然、カウンターの方から、ゆっくりとした規則正しい拍手が聞こえた。振り返ると、そこにはユミコが一人で座っていた。彼女は俺たちと伸びている悪魔たちを交互に見ながら、冷たい飲み物を平然と啜っていた。
「悪くないわ」彼女は無表情に言った。「アマネがトラブルを起こすのは分かっていたから、最初から監視していた。クロナ、体術の腕は確かに上がったわね。少なくとも、最初の路地裏でくたばることはなさそう」
俺たちはユミコの護衛(?)のもと、城へと戻った。夜には全員がそれぞれの個室へ引き上げた。城は不気味な静寂に包まれている。リュウザキは明日、招待の真の理由を明かすと約束した。
だが寝る前に、俺はキョウコの部屋に寄ることにした。一日中沈黙していた彼女が気にかかっていた。ノックをして中に入る。キョウコはナイトウェア姿でベッドに横たわり、ノートパソコンの画面を眺めていた。
「キョウコ」俺は静かに切り出した。「正直に言ってくれ。今日、何か変な感じはしなかったか? 自分の中に、魔法の奔流とか、何か兆しのようなものを」
キョウコはゆっくりと首を巡らせた。暗がりの中で、彼女の瞳は不自然なほど深く見えた。
「私の中には……何もないわ、クロナ君。でも、あなたの周りに……とても奇妙なものを感じるの。時々、あなたの傍にいると凄く安心するのに、時々、あなたの背後に奈落が広がっているような気がして」
彼女は両手で目を覆い、枕に顔を埋めた。
「もう自分でもよく分からない。すべてが混乱してるわ」
俺は歩み寄り、安心させるように彼女の頭を優しく撫でた。
「心配するな、委員長。俺が全部解決してやる。約束だ」
俺は自分の部屋に戻り、泥のようにベッドに倒れ込んだ。眠気が重い毛布のようにのしかかってくる。体力を温存しなければならない。明日はすべてが変わる――そんな予感がしていた。クラヤミは俺の頭の中で沈黙を続けている。そして、この静寂こそが、ありとあらゆる警告の中で最も雄弁な警告だった。
俺がすべてに決着をつける。俺自身の力で。この真っさらな、俺の新しい人生のフィルムの上に。




