11 願いを代償に(1)
辺境伯率いる兵士たちに連れられ街の外へ出たところで、ジークの足は思わず止まった。目に入ったのは、視界を埋め尽くすほどの人、人、人。
数千もの目が、一斉にジークへと注がれる。その異様さに身体が竦んだ。それでも心を奮い立たせて、足を進めていく。
数多の人々が注視する中で、王家側の代表者が進み出た。辺境伯に恭しく礼を示すと、使者は辺りに響き渡るような大声で宣言する。
「クーデターを企て、国家の根幹を揺るがせようとした重罪人、国賊ジーク。今、この場において辺境伯よりその身柄を譲り受けることを宣言する! 閣下による迅速な捕縛、引き渡しに感謝する!これにより、王都と辺境領の絆はさらに確固たるものとなるであろう!」
おぉ、というどよめきが兵士たちの間に湧いた。その反応に、自分の考えは間違ってなかったのだ、という実感があらためてこみ上げてきてジークは静かに胸をなで下ろした。これで、王都と辺境伯の軋轢は避けることができたと判断して良いだろう。
「叔父上、その顔はあまりよろしくありません。苦々しさが前面に溢れてますよ」
「……む、そうか。すまない」
今から死地に追いやられる自分よりも、叔父の方がよっぽど苦しそうな顔をしている。そんな姿にしょうがないなぁと肩を竦めながらも、嫌な気はしなかった。
面倒な立場にしかない自分を領地に受け入れてくれた伯爵。最初のうちはぎくしゃくとした関係が続いていたものの、ジェリーチをきっかけにその距離は随分と近づいた。途中からはジークの保護者役として色々な相談にも親身になって乗ってくれたものだ。
彼には感謝している。今こそ、その恩を返す時だ。
「さあ。先方が待ちかねています。早く、俺の引き渡しを」
ぐずぐずと進まない伯爵を急かして、一歩前に出る。
――その時だった。
「ちょっと待ったぁあ!」
聞き馴染んだ、けれど決してここで聞くはずのない声が響き渡ったのは。
「カナタ……?」
もう二度と呼ぶことができないと思っていた名前を呟く。
「そうだよ! 私に何も言わず、そんな苦しそうな鎖をつけられて、何処へ行くのさ!」
あっけらかんとした声が答え、ぴょこんと兵士の間から見知った顔が飛び出した。
「おい、今のコどうやってここまで来た……?」
「見張りは何やってるんだ……」
ざわざわと兵士たちの戸惑いの声が拡がっていく。それを歯牙にもかけず、カナタはぴしりと真っ直ぐにジークを指さした。
「義父さんから聞いたよ。ジークが中央のくだらない陰謀に巻き込まれて貧乏くじを引かされようとしているって。それを確かめに来た。この王都行きはジークの希望? 中央で偉い貴族になりたい、とかだったりする?」
「そんなわけ……ないだろう」
苦い想いの籠もった唸り声が口から洩れた。
「俺の気持ちは、あれから一切変わっていない」
何度も語った自分の願いを、描いていたささやかな未来を彼女は忘れてしまったのだろうか。あんなに一緒に語り合ったというのに。切なる想いのために、本気で足掻いていたというのに。
そんなジークの内心を知る由もなく、「良かった」とカナタは朗らかに笑ってみせる。
「ずっと会うことを拒絶されていたから、もしかして気持ちが変わったのかなって心配だったんだ。でもやっぱり、そうじゃないんだね。ジークは、ジークのままだ。他人の痛みばっかり気にして自分のことを後回しにするところ、子供の頃からずっと見ていて歯がゆかった」
「おいおい、嬢ちゃん。思い出話をしているところ悪いが、そろそろどいてもらおうか。女の子を切るのは、できれば遠慮したいんだが……」
「手を触れるな!」
ようやく気を取り直した兵士がカナタの肩を掴もうとしたところで、カナタの声がびりびりと響いた。
兵士が思わず手を止めてしまうほどの威圧感あるひと声。周囲の視線が一斉にカナタへと注がれる。
その緊迫した空気の中で臆することなく、堂々とカナタは口を開いた。
「この地を守る神狼である私が、宣言する! ジークは北の森のものであると!」
「神狼……?」「こいつ、何を言って……」
「これに文句がある者は掛かって来るが良い!」
辺り一帯に響き渡る声で宣言をしながら、カナタの髪がふわりと浮き上がった。その瞳が、耳が、そして身体までが徐々に変貌を遂げていく。
「カナタ、そんなことをしてしまったら君の望みは……!」
焦るジークの声に、カナタはにっこりと笑って答えた。
衆目の前で獣化する――それが何を意味するかなんて、当然カナタにも分かっているはずだ。
それは、ずっと熱望していた平凡な生活、未来を捨てる選択。でもその背中にはもう、一切の迷いがない。
「……貴方を失うことに、比べれば」
微かな声が、彼女の唇からこぼれるのが聞こえた。
それと同時に、ごぅっと白い吹雪を纏った風が地面から舞い上がる。思わず手で顔を庇ってしまうほどの強い風が、辺り一帯を吹き抜けていく。
やがてその風が収まりはじめ、恐る恐る顔を上げた人々の瞳が驚愕の色に染まった。風の中心から影もなく現れたのは、銀色の毛皮を纏った狼。
雪のように白く、月のように輝く体躯は神秘に満ちていて、直視すれば目が潰れてしまいそうなほどに美しい。
「神狼だ……」
そう声を洩らしたのは王都側の兵士か、それとも辺境領の兵士か。
「ワォォオオーン」
神狼が、空に届くほどの高らかな遠吠えを上げる。魔を祓うと伝承に記されるその咆哮は神々しさに溢れ、聞く者の鼓膜だけでなく心を揺らす。
気がつけば辺境領の兵士も王都の兵士も区別なく、皆頭を下げてその音を聞いていた。
やがて遠吠えがやむ。神狼は周囲が平伏する様を興味なさそうに一瞥すると、そっとジークを背に乗せた。
「ジークは連れていく。これに不服があるなら、北の森まで来るが良い」
厳かな声でそう告げると、神狼は無造作に大地を蹴った。軽やかな跳躍は、あっという間に兵士たちの姿を遠くに引き離していく。
取り残された兵士たちは、呆気に取られたまま銀色の風の後ろ姿を見送ることしかできなかった――。




