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8 冬の百雷(2)


「ショコラードの香りがする……!」

 やがて台所から漂いはじめた香りに、カナタは驚いた声を上げた。少しだけ元気の出たその声に、自分のアイデアが当たったことを知ってジークは笑みを浮かべる。

「ああ。もう少しでできるから、待ってろ……と。ほら、暖炉に当たりながら一緒に飲もうか」


 出来上がったばかりの優しい栗色の液体は、ほかほかと湯気を立てた状態でカナタに渡される。

「……美味しい」

 火傷しないように気をつけながらこくりとひと口飲んで、カナタはそっと呟きを洩らした。

「ショコラードの香りによく似ているけれど、それより柔らかくて落ち着く感じ。なんだかホッとする」

 また窓の外で稲妻が光った。びくりと肩を震わせたものの、カナタの表情は先ほどよりも落ち着いている。

「気に入ってもらえたなら、良かった」


 期待していた通りの効果に、ジークも唇を緩める。

「そう。これはショコラードの原料を使って作ったんだ。後は、ミルクと蜜が入ってる。甘すぎないか心配したけど、良い感じだな」

「こんなお菓子もできるんだね……!」

 素直な賞賛が面映ゆくて、ジークは頬をかく。

「いや、こいつはそんな大層なものじゃないんだ。材料を混ぜて、鍋で温めただけだから。ショコラードはむしろ、固めてカタチにするところが大変なんだ」

「そういうものなんだ……」


「だから本物のショコラードはまた今度、な?」

「べ、別に、ネダったつもりじゃ……! 私、そんなに食いしん坊じゃないし!」

 ムキになって言い返すカナタの反応がおかしくて、ジークはつい声を上げて笑い出してしまった。最初のうちはムッとした表情だったカナタも、やがてつられて一緒に笑い出す。

 ――二人きりの空間に、明るい笑い声が満ちていった。


 ああ良かった、と笑いすぎて浮かんだ目尻の涙を拭いながら、ジークはしみじみと安堵していた。先日一方的に自分の気持ちを伝えたことで、カナタとの関係がぎくしゃくしてしまうのではないかと心配していたのだ。

 でも、偶然にも冬の百雷のおかげで、構えずにカナタと話ができた。己の幸運に、内心で感謝を捧げる。


「ああ、もうジークったら!」

 しばらく笑ってから、カナタはやっと息をついた。いつの間にか、頭にかぶっていた毛布は机の上に追いやられている。

「……でも、来てくれてありがと。義父(とう)さんから聞いてるかもしれないけど、私、雷の音が本当にダメなんだ」

「うん、聞いてる。もう大丈夫か?」


 こくん、と小さく頷いてからカナタは上目遣いになる。

「その……頭撫でてもらえたら、もっと安心できるんだけど」

「っ、良いのか?」

 恥ずかしいのか目を逸らしたまま、カナタは小さく頷く。彼女の尻尾がぱたんぱたん左右に揺れはじめたのは期待されてる……と解釈して問題ないのだろうか。


「それじゃ……触るぞ」

 喉の奥に絡まるものを感じて、咳ばらいをしてからジークはそっと手を伸ばした。心臓が痛いくらいに脈打ちはじめる。

 ――初めて会ったときだって同じことをしたはずだ。でもそれが「好きな子の髪に触れる」という行為になっただけで、緊張は一気に増す。脳を痺れさせる甘酸っぱい幸福感と眩暈を覚えるほどの高揚。

 だというのに、一方のカナタは心からリラックスした表情でジークに身体を預けてくる。その信頼が嬉しい反面、異性として認識されていないことの表われにも感じられて、ジークは身勝手な軽い苛立ちを覚えてしまった。

 避けられるのは嫌だが、だからといって無かったことにはされたくない。男心は、フクザツなのだ。




「実はな……」

 少しでも意識をしてもらいたくて、気がつけばジークは言うつもりのなかった話を始めていた。

「俺の父親、つまりは国王になるわけだが……が、早めの退位を考えているらしいんだ」

「たいい?」

「王様をやめるってことだ」


 ふーん、と首を傾げるカナタの反応は鈍い。確かにこの辺境領で王の話をされても、一般人には雲の上の出来事にしか感じられないのだろう。気にせずにジークは話を続ける。

「今の国王が退位するってことは、新しい王が生まれるってことだ。王太子である俺の弟が正式に王位に就くことになる。もともとそのつもりだったし、王が存命中の譲位なのだから場が荒れることもないだろう。そうなったら」


 いったん言葉を切り、カナタの頭を撫でる手を止めてジークは息をゆっくりと吸った。

「そうなったらもう、俺が狙われることもなくなる。クインジュ家の血を引く第二王子の王位就任……それこそが奴らの悲願だ。それが叶えば、奴らも俺に構う必要はなくなる。俺はもう、自由だ。……後はささやかな爵位でももらって、このあたりでゆっくりと暮らそうと思うんだ」

「そうなんだ。……それは良かったね!」


 ジークの独白を静かに聞き終えたカナタは、くるりと振り返って満面の笑みでジークの顔を見上げた。

「そうしたらジークの好きなこと、何でもできるね! 自由になったら、何がしたい?」

「っ……好きなこと……か」

 今の話は、「そうしたら改めて告白するから」というつもりで口にしていたのだが、カナタにはまったく通じていない。しかし、「好きなことを何でも」という表現は、ジークの心をくすぐるものであった。


「そうだな。その時には……ゆっくり本を読みたい、かな」

「本を?」

 意外なことを言われた、と言わんばかりの反応を向けられて、カナタが悪いわけでもないのに苦い笑みが浮かぶ。

「第二王子派ばかりの城の中で生き抜くためには、『俺は脅威になりません』ってアピールをし続けることが必要だった。『第一王子は剣を振り回すことしかできない無能で、とても王になるような器ではない』ってな。そう思ってもらうためには、本を読んでいる姿なんて見せられなかったんだよ」

 ――そうやって、小さな行動ひとつ取っても周囲の反応を考えなければ生き残れなかったのだ。

「そうだったんだね……」


 暗い話をしてしまったとジークは話を変えるより先に、「それならさ」とカナタが声を上げた。

「私、その時までにオススメの本いっぱい集めておくね! 冒険譚も伝記も図鑑も、私が好きな本はいっぱいあるから!」

「っ! カナタ、君は本当に……」

 言葉が出て来ず、ジークはそこで口を噤む。


 ――ああ、そうだ。俺が好きになった彼女はそういう前向きで、優しいところが魅力なんだ。


 ジークが髪を梳かしやすいよう、カナタは後ろを向いて座っている。それが本当に良かった、とジークはしみじみと感じていた。

 ――だってこんな緩んだ表情、とてもじゃないけど好きな人に見せられない。




「逆に、カナタの今やりたいコトって何なんだ?」

 平静を取り戻そうとジークが何気なく口にした質問に、「よくぞ聞いてくれました!」とカナタは嬉しそうな声を上げた。

「実はこの前、義父(とう)さんに『薬の調合について教えられることはもうない』って言われたんだよね! 薬師として十分な知識と腕前を持っている、って」

「先生にそう言われるなんて、大したもんじゃないか」

「へへーん、でしょでしょ? それで近い将来、正式に独立しようと思ってるんだ。義父(とう)さんの助手、じゃなく私個人が一人前の薬師になれるように。……まぁきっと、母さんに比べればまだまだなんだけれどね」


「カナタの母上は、その……?」

 初めて語られる母の存在に言葉を濁しながらも問いを投げれば、カナタは「ああ」とあっけらかんとした態度で答える。

「うん、私と同じ。狼が混ざってる。私が十歳のときに死んじゃったけど。それまでは薬草のことや北の森のことは母さんに教わっていたんだ。義父(とう)さんのところに身を寄せることになったのも、母さんの紹介があったからだよ」

「そうか……」


 立ち入っても良いものかと躊躇うが、カナタは言葉を続ける。

「母さんから学んだことが、今の私の元になってる。ただ、『人間に必要以上に関わるな』って教えだけは守れなかったけど』

 そう言ってペロリと舌を出す。

「カナタのそういう明るくて親しみやすいところ、俺は良いと思うぞ。別に秘密を保ちながら周囲と関係を築いても、良いじゃないか。周囲と馴染んでやってる方がカナタらしい」

「ん、ありがと」


「実は俺も、カナタの言っていた『皆と静かに暮らしたい』という気持ちがわかるようになってきたんだ。最初に聞いたときはピンと来なかったけれどな」

「へぇ?」

 意味ありげにニヤリと笑いかけられ、ジークは落ち着かない気持ちを覚える。それを咳払いで誤魔化して続けた。

「何というか……平凡で注目されない日常っていうのは、良いものだな。俺もいつか『何者でもない一人のジーク』になれるかもしれない、って思った時に自然とそう思えた」

「ふふ……そっか!」


「そうしたら、俺と……」

 言いかけて、ジークは口を噤んだ。――せっかく流れているこの穏やかな時間を遮って、無理に距離を詰めることはないだろう。

 カナタに意識されたいという欲求はもちろんある。でも、それと同じくらいジークは彼女と過ごすこの優しい時間が好きだった。

 まだ温もりの残るショコラードをこくりと飲んで、ひと息つく。


 ――扉の外は、まだ嵐の真っ只中だ。でも、ここを流れる二人の時間はどこまでも穏やかで落ち着いていた……。




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