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7 交錯する想い


 辺境領の冬の訪れは早い。

 大討伐が終わって一週間もすると、風景はあっという間に冬の気配を纏いだした。渡り鳥たちが旅立っていく空の影を、カナタは目を細めて見送る。


 シシグマ王子がシシグマを討伐した、という噂は、そのユーモラスな響きも相まって領内に爆発的に広がっていった。

 王都でのジェリーチ菓子の反応が良いという後押しもあり、ジークはもう立派な辺境領の一員だ。町を歩けば、気さくに住民が彼に声を掛けていく。周囲に受け入れられたことで、彼の纏う雰囲気も柔らかなものになっていった。


 ――でも。

「別に……つまらないなんて、思ってないし」

 口に出すと却って気が滅入ってしまって、カナタはふるふると首を振った。

 今期のジェリーチの出荷はもう終わってしまった。そんなわけで仕事の用事がなくなってしまったカナタは最近、ジークに会えていない。本人に会うことがないまま、入ってくるのは彼にまつわる噂ばかり。

 そして、その噂がさらにカナタの胸をざわつかせていたのであった。


 今日は恒例の砦に薬草を届ける日だ。

 砦に来ると、つい目でジークの後ろ姿を探してしまう。一緒に働いていた頃、彼はわざわざカナタを迎えに来てくれていたからだ。今の彼が忙しいことぐらいわかっているけれど、無意識の習慣は抜けない。

(まぁ……居るワケないか)


 自分でも諦めが悪いなと肩を竦めつつ、義父の部屋を目指して歩き出す。その途中、中庭の見える廊下でカナタはぎくりとその足を止めた。

 目の前の光景を認識できない。これ以上は見たくないと心が叫ぶ。それなのに、視線は中庭に佇む二人へと否応もなく吸い寄せられていく。




 ――光差す中庭の四阿(あずまや)で、仲睦まじく言葉を交わす男女。冬の柔らかな陽光で照らされた二人は見るからに幸せに満ちていて、眩しい。

「ぁ……」

 思わず声が洩れて、反射的に右足が後ずさる。

(やっぱり、あの噂は本当だったんだ……)

 直視してしまったことを後悔しつつ、カナタは慌てて目を逸らす。


 領主様は有能なシシグマ王子を後継者にしようとしている。そのために自分の娘を彼の婚約者に据えるつもりだ――それこそが最近、カナタの心をチクチクと刺している噂であった。


(当然だ、彼は第一王子だもの。結婚するなら相手はそれなりの貴族に決まってる)

 わかっていたことじゃないか、と言い聞かせながら早くこの場を去ろうと足を急がせる。

 それなのに視線に気がついたのか、何の前触れもなくジークが顔を上げた。その場を離れようとするカナタと、ばっちりと目が合う。

「っ……!」

 居た堪れないきもちになって、くるりと踵を返した。

「カナタ! なあ、カナタ!」

 慌てたようなジークの声。それを聞こえないふりをして、カナタは足を急がせた。


 ――せっかく避けようとしているのに、どうしてわざわざ追ってくるのだろう。

 苛立ちに歩みは加速していく。

「カナタったら!」

 それなのにジークは諦めることなくどこまでもついてくる。しつこい気配に、カナタは振り返ることなくそのままダッと走り出した。

「おい、待ってくれって!」


 人目がある所為で、全力で走ることができない。そのためにいつまで経ってもジークを引き剥がすことはできず、むしろ彼との距離は縮まっていく。

「カナタ!」

 バン、とジークが壁についた腕がカナタの行先を阻んだ。反射的に逆側に逃げようとしたところを、ジークがもう片方の腕で塞ぐ。

 カナタを見下ろす黒々とした影が、彼女の視界を遮った。壁とジークの両腕に挟まれてこれ以上逃げ出すこともできず、カナタはじっと身体を固くして俯く。




「婚約者さんを放り出して来ちゃって良いの?」

 目を合わせないまま口にした強気な言葉は、何故か震えて上擦っていて。……ああ、私は泣きたかったのだな、とカナタはそこでようやく気がついた。


 お互いの秘密を共有する特別な友人。その関係が不相応でいつまでも続くものではないことくらい、わかっていた……つもりだった。

 ――いつだってそうだ。失いたくないモノに気がつくのは、いつだって失いそうになる直前。もうジークは、手を伸ばしても届かない立場の人間になってしまったのに。


 そんな泣きそうなカナタの声に、苛立たしげにジークはぐしゃりと前髪をかき上げて首を振る。

「違う、違うんだ、カナタ。その噂はデマだ。彼女にはすでに決められた婚約者が王都に居るし、俺も彼女も互いなんとも思っていない。だいたい、叔父上にはすでに立派な後継者がいるのに、どうしてそんな噂が拡がってしまったのか……」

「え……デマ……? だってあんなに仲良さそうに……」

 ずいと身を乗り出して、ジークはカナタとの距離をさらに縮める。上背のあるジークに追い詰められると圧迫感がすごいが、カナタにはもう逃げ場がない。


「あれは王都の流行について教えてもらっていただけだよ。彼女は社交が抜群に上手くてね、僻地に居るのに舌を巻くほどの情報通なんだ。ジェリーチを効果的に紹介できたのも、彼女のおかげだ。でも、まさかあんな噂が広まるとはな……カナタには誤解されたくなかったってのに」

「ど、どういう意味よ」


 さっきからずっとジークのペースなのが悔しくて、巻き返そうとカナタは敢えて強気にぐいっと顔を上げた。途端に、予想よりも近い位置にあるジークの紫紺の瞳とバッチリ目が合う。

「……!」

 ――その強い視線に、主導権を握ろうとしていたはずのカナタは言葉を失ってしまった。何故か心臓がばくばくと脈打ちはじめる。


「それは、俺がカナタのことを好きだから」

 ――カナタの視線を絡め取ったまま、ジークはきっぱりと宣言した。

 その言葉の意味を理解するよりも先に、ジークは言葉を重ねる。

「今はまだ、返事はしないでくれ。こんな微妙な立場の王族の俺に迫られても、困らせるだけだってわかってる。……でも俺はカナタの明るさに、前向きさに惹かれてるんだ。俺が好きなのはカナタだって、それだけは伝えておきたくて」


 壁際にカナタを追い詰め、ジークは眉に力を籠めて力強く言葉を紡ぐ。その仕草が想いが強い時の彼の癖だなんて知らなくても、真摯なその態度はカナタを圧倒する。


 彼の息遣いすら頬で感じるほどの至近距離で、ジークはそっと耳元で囁いた。

「だから、俺の問題が片付いた時にあらためて告白させてほしい。待っていてくれ……とは言えないけれど」




 それからどんな会話を交わしたのか、あまり記憶がない。落ち着いて考えることができたのは、夜になってからだ。

(ジークが、私のことを好き……?)

 横になって目を瞑ると、ジークの真剣な表情が瞼の裏にまざまざと思い浮かぶ。キリリと吊り上がった眉、意志の強い瞳の煌めき、目にかかるひと筋の金色の髪――そんな些細な部分まで鮮明に蘇って、カナタは込み上げる感情に足をバタつかせた。


(正直……嬉しい)

 枕を抱きしめてごろりと寝返りを打つ。素直な気持ちは、そんなふとしたタイミングで転がり出てきた。

 ――今までずっと、異性としてジークを見ることを避けてきていた。大事な友達だと自分に言い聞かせて、こみ上げる感情に蓋をしていた。そうやって目を逸らしていた、はずなのに。


 今日の出来事で思い知らされた。美しい領主の娘と、顔を寄せ合うようにして笑顔で話をしていたジーク。その姿を見た瞬間、胸にどす黒い感情が膨れ上がるのを感じた。

 ――間違いない、あれは嫉妬だ。あの時カナタははっきりと、身分も美貌も自分が何ひとつ敵わない彼女に対して嫉妬を覚えていた。

 カナタにそんな感情を抱く資格なんて、ないのに。



(番の縁を結んだから、ジークの顔が良いから……だけじゃない。私は、彼を一人の人間として好きだ)

 そうして認めてしまうと、随分とすっきりした気分になった。

 もちろんジークとは身分が違いすぎることはわかっているし、カナタは彼に言えない秘密も色々と抱えている。自分たちが結ばる未来がないことくらい、承知していた。

 それでも、ただ彼の気持ちが嬉しい。それだけで、自分の中が満たされていくような幸せな感覚に包まれる。素直な自分の気持ちを抱えて、幸せな心地でカナタはそっと目を閉じた。


 彼との未来なんて、望んではいけない。この気持ちを知られてはいけない……そう強く自分に戒めながらも、眠りに落ちるカナタの唇は自然と幸福に緩んでいた。



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