第95話 リザルト
ワニは強敵だった。ボスを名乗るのにふさわしい、強靭さと勇壮さだった。
手足は短くてリーチが狭く、胴体が長すぎて尾は届かず、危険なのは突進からの噛みつきだけ。その頼みの綱さえ、両目が見えないため細かい狙いがつかない。注意していて距離を保っていれば、全身傷だらけで動きの遅くなったワニ相手から逃げ回るだけなら問題はない――はずだった。
もっとえげつない師匠の攻撃を受け続けたはずなのに、なぜかワニの攻撃が躱しきれない。余裕を持って避けたはずの爪や牙が手足をかすめ、僕の体力を奪っていく。これが経験の差か……と思ったけど、よく考えればコイツ生後2時間とかだな……。これが野生の勘の差か……僕ももっと感を、いや、次のクラスチェンジで【野草】とかになったら立ち直れそうにないな……。
一度だけデスロールに巻き込まれそうになって冷や汗をかいたけど、ぐるぐる転がったせいで背中の矢がより深く突き刺さったのか、むしろダメージを受けたのはワニの方みたいで2回目を放ってくることはなかったのは助かった。これでワニが万全だったら、なんて想像したくないほどの劣勢。
それでも、最後まで立っていたのは僕の方だった。
攻撃はbotが勝手にやってくれるので全力で逃げるだけでよく、一方ワニはそれを受けながら僕に攻撃を当てなければならない。随分と不公平な非対称戦だ。積み重なる傷が彼を追い詰め、対する僕はポーションをがぶ飲み。長期戦での有利不利は明らかだった。
ワニは結局逃げ回るだけの僕を捉えきれず、豊成のバリスタに狙われ続け、ついには沈黙した。
倒した、なんてとても言えない。僕は文字通り、ただ最後まで立っていただけだった。
◇◇◇◇ ◇◇◇◇
「……近くで見ると、流石にビビるな」
高台から下りてきた豊成が、手槍を取り出してワニをつつく。
「ふむ、中々の大きさだな」
ケイ氏は腕を組んで巨大な亡骸を眺めた。
水魔法で身体を洗われたワニは背に矢を幾つも立てているけど大きな傷もなく、横から見ればきれいなものだった。ついさっきまで対峙していた僕には、今にも動き出しそうに感じられた。
「解体は私がやろう」
とケイ氏が尻尾のほうから輪切りにしていく。あれだけ硬かった皮膚がろくな抵抗も見せず捌かれていくのを、僕らは感動半分げんなり半分で見守った。
「滅茶苦茶過ぎんだろ」
「エルフだけゲームシステム違うんじゃない?」
「……早く収納しないとまた血だらけになるぞ」
尻を叩かれ、手分けしてインベントリに突っ込んでいく。
「入るか?」
「うーん、ちょっと無理ですね」
「もうちょいでいけそうではあるんだがなァ。せっかくの大物だしよ、頭くらいは分割せずにとっときてェが」
インベントリサイズに分割してもらった胴体はともかく、頭部丸々はデカすぎだ。アイランドホースと違って真正面から戦った始めてのボスだし、その首ぐらいは記念に、と思ったけどこれ発想が完全に首狩族だな……。
「気にせずやっちゃってください」
「アァーッ!?」
ケイ氏の無慈悲な刃が振り下ろされ、僕たちの戦いは終わった。
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「お前達らしい戦いではあったな」
お師匠様から褒めているのかどうか微妙なラインの感想を頂戴する。
流石に疲れ切った僕らは、日も落ちたことだし早めの野営に入った。ボロボロの服を着替え、身を清めて、高台で夕食を取りながらの感想戦だ。
「相手が強すぎて、取れる手段があれくらいしかなかったですよ」
「バリスタを最初から出していれば、最初の高台で倒せただろう?」
豊成が遠くの夜空を見た。
「アレはホラ、あれッスよ……それじゃ修行にならないんで」
「目を潰すのもいいが、足を潰したほうが楽だっただろうな」
……確かに、魔力探知のあるワニには決定打というほどの効果は無かった。
「目が2つある大型の魔物は、片目を奪ったくらいでは足りん。お前の狙撃は強力だ、足や腕でも狙ったほうが有効な場合も多いだろう」
最初に目を狙ったのはこれまでそうしてきたから、以上の意味はなかった。実際、アイランドホースを狙ったときはまず足を潰しにいったはずだ、考えが足りないと言われてもしかたがない。
「地形の使い方も甘かった。高台の回りに掘でも作れば、ワニも突進しにくかっただろう。その時間も十分あったはずだ」
「酷いと言えばあの立ち回りもだ。私との訓練は無駄だったか?」
「インベントリによる対応力の高さがお前達の強みだったはずだが、一体どれだけ役に立った?」
僕たちは縮こまりながらその金言を拝聴した。ボスを倒した夜くらい飯を美味く食わせてくれよ、なんて言い出せる雰囲気ではない。何よりお小言の全てが真っ当な批判だ、ありがたりこそすれ文句を言うなんて。だけど、涙が出ちゃうのは許してほしい。
僕らは星空を見上げ、ぐっと熱いものを堪えた。エルフ的吊し上げは続き、夜はまだ長かった。
「お前達は考えているようで考えが足りていない。だが、剣を握って半年も経っていないのであれば仕方ないだろう。必要なのは経験だな」
あっこれ、地獄再開宣言だ。
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涙の味がするスープを飲み干すと、食器をインベントリにしまう。歯クソを取り終えた豊成が、爪楊枝を焚き火に弾くと言った。
「さーて、楽しい楽しいステータスオープンの時間ですよ~」
「顔が全然嬉しそうじゃないんだけど……」
「あれだけ説教されるとさすがに凹むぜェ」
水魔法でカップを満たす。水面に写った僕の顔も、それは酷いものだった。
「ぐうの音も出ないほどに絞られたからねえ」
「俺たちに残された娯楽はよ、ステータス画面を眺めてニヤニヤすることくらいだぜ」
暗い青春だ。
だけど、それでやる気が回復するならいいじゃない。と思ったけど豊成のテンションは上がりきらず、暗い顔のままで表面だけニヤニヤしてるから大変な危険人物にしか見えなかった。
「ウオッ! 2レベルも上がってやがる!!」
「え、マジ!?」
豊成の顔に多少の輝きが戻る。僕も速攻でステータスオープンした。おお、たしかにレベルが24に上がっている。
「22に上がったのが昼頃だろ? 上流の狩りと巨大ワニで2つ上がったのかよ」
「夢があるね」
このダンジョンへ来て3レベルの上昇。アイランドホースのときもあがったし、やっぱりボスは美味しいのか?
「次はもっと上手くやれる自信はあるけど、ボスのリポップ間隔は長い。もう一度狙うのは厳しいかな?」
「上流の高台も壊れちまったしなァ」
小ワニを狩るにも効率が悪くなってしまったし、別のダンジョンを狙ったほうがいいか?
「ダンジョンの地形って、破壊されても戻らないんですか?」
「それには面白い話が合ってな、どうも誰かが見ているとそのままだが、誰もいないといつの間にか元の状態に戻っているらしい」
やっぱりシュレディンガーじゃないか!!!!
「ある時暇なエルフ達がダンジョンで200年ほど暮らしてな、ずっと監視をしていたんだがただ一時見張りが居眠りをしてしまい、気づいた時には戻ってしまったという」
「マジで暇そうだなオイ」
「エルフ、暇つぶしのスケールがデカいね……」
高等遊民と書いてエルフと読ませる、ありだと思います。
「シュレーディンガーシステム、悪さの予感しかしねェ」
「谷を埋めたら楽しそう」
「シュレ……? お前達の思考はどうしてそう……」
ケイ氏は何故か呆れ顔だ。
「真っ当な競争をするより制度の穴をつく方が儲かるのは世の習いじゃないですか」
「一番強いのはルールを決める方になることだけどよ」
「……それだけの速さで地形が戻るはごく稀なことだ。監視されていたことで押し止められていたダンジョンを修復する力が、一度に開放された結果だろうと見られている」
なーんだ。
「人間、そうそう悪さは出来ないもんだね」
「地道にやってくしかねェってことか。とりあえずはあと1レベルだな、25になりゃ新しいスキルも生えんだろ」
【水遁】、【木遁】、【火遁】と来て【土魔法】あるし次は【土遁】かな、【錬金】関連で【金遁】も考えられるか。いい忍術を引けるよう今からよさそうなのを練習しとくか?
本命は【召喚】なんだけど、強力なぶん枠が増えるのは5レベル毎じゃなく10レベルかもしれない。今のうちに珠緒さん呼んで訓練――
そこで、僕は気づいてしまった。
「き……」
まさか。
まさか、こんなことになるなんて――
「消えてる……」
「あ?」
「【召喚】が、消えてる――!!!!????」
豊成は笑顔を取り戻した。