贈り物の山
馬車が石畳を走り抜け、オルフェン城の門をくぐった。
クラリスは小さく息をつく。長い旅路の果てに、ようやく帰ってきた――その安堵も束の間、玄関ホールに足を踏み入れると、視界が一瞬だけ白く霞んだ。
大広間には、山。
宝石箱の山、絹の山、書簡の山。
香水の香りがむせ返るほど漂っている。
けれど、クラリスは驚かなかった。
そう来るだろうと思っていたからだ。
侍従が、恐る恐る口を開く。
「奥様、旦那様……こちらはすべて、オルフェン侯爵夫妻の“ご離婚”を見越しての求婚状とその贈り物にございます。」
「……思ったより多いわね」
クラリスは淡々と答えた。
まるで、天気の話でもしているかのような口調だ。
その隣で、アルベルトが顔を真っ赤にして叫ぶ。
「離婚を“見越して”?これは一体どういうことだ!」
「領地では大変なことになっていると申しあげましたよ?」
「だが……。私たちは今、夫婦なのだぞ!にも関わらず求婚などと!」
「そもそも、三年で離婚、これは公然の事実でした。ですから、私たちが離婚すると思っていた人々は少なくありません。
けれど、人の心は移ろうものです。三年も共に暮らせば、情も生まれる。離婚を撤回するかもしれない。そう思う者もいたでしょう。世間は、どちらに転ぶのかと面白半分に見守っていた……というところでしょう。」
クラリスは静かに息を整え、淡々と続けた。
「そんな中で、オルフェンは復興を遂げました。廃墟同然だった港が、今では再び“黄金の玄関口”と呼ばれるほどに。
この状況で、私が功績を自分だけの手柄だと誇ってみせたら、周囲はどう思うでしょう?
――夫婦仲は悪そうだ。
――三年後には宣言どおり離婚するに違いない。
――ならば、あの女は便利で、都合のいい女だ。娶れば楽ができる。
……きっと、そんなふうに囁かれたことでしょうね。」
彼女は小さく肩をすくめた。
「だからこそ、最初から“夫婦仲が良く見えるように”振る舞う必要があったんです。もしかしたら離婚しないのでは?と周囲に思わせることが重要でした。離婚が決定事項だと知られれば、こうなると思ってましたから」
クラリスは贈り物の山を鬱陶しそうに見つめる。
「それに、半分は、あなたへの求婚状ですよ」
クラリスの声は静かだが、よく通った。
「……俺に?」
アルベルトが呆然とする。
「ええ。“独身の侯爵”ともなれば、放っておくはずがありませんわ。領地は復興し、お金も、戦の功績もありますから。元々勇将としてお嬢様方に人気もありますし。ましてや、今は提督の地位も手にお入れになってます。やり手の妻のせいで肩身の狭い思いをされてる侯爵さまを、私がお慰めしたい……そのような令嬢も多いのでは。」
「……冗談じゃない!」
アルベルトは宝石の箱を蹴り飛ばしそうになり、拳を握り締めた。
クラリスは視線を逸らさない。ただ、凛と背筋を伸ばして立っている。
「ガブリエル、いただいた贈り物はすべて送り返してちょうだい。差出人ごとに目録を。」
「かしこまりました……!」
使用人たちは一斉に頭を下げ、音もなく動き出す。
その日は、日が沈んでも大広間の灯が消えることはなかった。
贈答品の仕分け、目録の作成、差出人の確認、そして返礼状の作成――。
終わりの見えない作業が、延々と続いた。
机の上には、開封された求婚状が山のように積まれている。
どれも同じような言葉――「あなたを敬慕しております」「ぜひ一度お話を」――虚飾に満ちた文面ばかりだった。
クラリスはひとつひとつに目を通し、印をつけ、封を戻す。
その動きはいつものように正確で、感情を交えない。
だが、その指先にはわずかな疲れが滲んでいた。
「……ほんとに、余計な仕事だ」
アルベルトがぽつりと言った。
クラリスは手を止めずに答える。
「ええ。けれど、放ってはおけません。どんな手紙にも、差出人の思惑が滲むものですから」
「だが、あなたがここまで夜通し働くことはないだろう」
アルベルトがため息をつく。
「侍従たちに任せればいい」
クラリスは首を横に振った。
「……オルフェンを去るまでに、出来るだけのことをしておきたいのです」
淡い灯に照らされた横顔は、静かだった。
その言葉に嘘はない。ただ、時間の少なさを自覚する者の強い意志があった。
「離婚の日が来るまでは、領地のことを最優先に。
それが、私にできる責任の果たし方ですから」
アルベルトはしばらく黙っていた。
ペン先が紙を滑る音だけが、部屋に響く。
やがて、低く呟くように言った。
「……あなたは本当にすごいな」
クラリスは微笑んだ。
「すごくなどありません。ただ、放り出したくないだけです。
この領地は、もう私の一部ですから」
アルベルトはその言葉を胸の奥で繰り返した。
――俺も、出来るだけのことをしなければ。
窓の外、夜風が港の方角から吹き抜ける。
灯火が揺れ、影が二人の間を伸びては、また寄り添うように重なった。
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